友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

朝は必ずやってくる?

2010年09月08日 21時40分48秒 | Weblog
 いつまでも暑い日が続き、土は乾燥しきっていた。ところが今日はいきなり台風の襲来である。朝方には雷が鳴り、強い風と激しい雨に見舞われた。これから台風の接近に伴い、ますます風雨は強まるだろう。そう思って、植木鉢を移動して台風に備えた。高校1年の孫娘の学校は体育祭だと言っていたけれど、これでは無理だ。しかし学校は雨の日は文化祭の準備をするという。なるほどうまく考えている。ジャージ姿の高校生たちが文化祭に向けて、いろいろごちゃごちゃとやっているのだろう。

 お昼近くになって、台風は北陸に上陸したようだが、雨は小降りとなり風も止んでしまった。カミさんはこの雨の中、ゴルフに出かけたけれど、プレイはできたのだろうか。風雨が収まってきたから、事故に巻き込まれるような事態はもうないだろう。私は、本でも読もうとか寝転んでいたら、眠くなってそのまま寝てしまった。この頃、こんなことが多い。眠れないと嘆く友だちが多いけれど、私はすぐ眠れてしまうので、ありがたいことだと思っている。カミさんはいつも、何もなければ晩御飯の後、すぐに眠りについてしまうので、みんなから「眠り姫」と呼ばれている。

 夕方になって、涼しい風が吹くようになった。台風一過、空気が澄んでいる。鈴鹿の山々にまだ雲がかかっているけれど、明日はきっとよい天気だろうと思えるような夕焼けだった。明日、明日はもっと今日よりもいいことがある。そういう楽しみを持つから人は生きていくのだろう。99歳の詩人、柴田トヨさんも「人生、いつだってこれから。だれにも朝はかならずやってくる」と書いている。「そうして詩作でわかったことは、人生、辛くて悲しいことばかりではないということでした」とも述べている。

 「何でも自分の都合の良いように解釈するのね」と言われたことがあるけれど、極端な言い方で申し訳ないが、自分に都合の良いように考えればいいのではと思う。好きな相手のために料理を作ったり、洗濯を干したりたたんだり、肩をもんだりして、相手がきっと喜んでくれるだろうと自分に都合の良いように考える。たとえ、相手が本当はそう思っていなくても、そのすれ違いはとても悲しいことだけれど、それでも喜んでくれると思うことは間違いだろうか。行き違いやすれ違いはよくあることだ。相手の心を問題にするより、自分の気持ちが満たされるならそれでヨシとした方がいいと思う。

 今朝の新聞で、名古屋市議会のリコール署名が5万5千人ほどであると報じられていた。11日間でこの数字では、期日までに36万人の署名を集めるのはやはり難しいと思う。けれども、投書欄には「署名したいけれど、どこへ行ったらよいのか」というものもあったから、署名者がいないわけではなく、集め方の問題のようだ。地域から民主主義を育てるのは難しいのだろうか。「朝は必ずやって来る」はずなのに。
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99歳の詩人

2010年09月07日 19時06分58秒 | Weblog
 99歳の詩人、柴田トヨさんの詩集が話題になっている。以前、書店に行った時は、入ってすぐの中央に山積みにされていたのに、先日はそこにはなかった。もう、書店から消えてしまったのだろうか、いやまだどこかに置いてあるはずだと探してみた。場所は違っていたけれど、話題の書籍のコーナーにしっかりと置かれてあった。これも縁だろうと思って買い求めた。

 カミさんが値段を見て、「本当に買うの?」と聞く。わずか百ページの薄い本なのに千円近い。「ああ、1冊買ってあげれば、わずかでも印税が入る。それくらいしか協力できないんだから、情けないくらいだ」と言う。「そう考えもあるわね。台湾へ行った時も、ガイドが『写真を買ってやって。あの学生たちのアルバイト代になるから』と言ってたけど、買ってあげなかった。買ってあげた方がよかったかもしれないわね」とカミさんは言う。何に価値を認めるかだから、それは自分が決めればいい。

 詩集『くじけないで』には42編の詩が詰まっている。1編は60文字から100文字くらい。あっと言う間に読めてしまうが、「朗読しながら何度も書き直して、完成させます。だから1作品に1週間以上の製作時間がかかります」とあった。毎週土曜日に訪ねてくる息子さんに見せることから始まって、最後にもう一度息子さんに完成したものを見せるのだろう。本当に詩人だなと思う。思いつきで書き始めたとしても、人に読み聞かせることで言葉や体裁を修正していくのだろう。

 柴田トヨさんが一番好きという詩がどれか、すぐに思いついた。
「子どもと手をつないで あなたの帰りを 待った駅 大勢の人の中から あなたを見つけて 手を振った 三人で戻る小道に 金木犀の甘いかおり 何処かの家から流れる ラジオの歌 あの駅あの小道は 今でも元気で いるかしら」(思い出Ⅱ)

 暖かな家庭の様子が見て取れる。晩御飯の支度を終えて、そろそろ帰る夫を子どもと共に迎えに行く。それだけでも仲のよい夫婦の姿が目に浮ぶし、3人で帰る道には金木犀が咲き、ラジオからは歌声が流れてきている。これほどの幸せがどこにあるだろう。柴田トヨさんはそれをはっきりと幸せだと言い切れる人だ。

 私はどの詩もいいけれど、「九十歳を越えた今、一日一日が とてもいとおしい 頬をなでる風 友からの電話 訪れてくれる人たち それぞれが 私に 生きる力を 与えてくれる」(生きる力)とか、「九十を過ぎてから 詩を書くようになって 毎日が 生きがいなんです 体はやせ細って いるけれど 目は人の心を 見ぬけるし 耳は風の囁きが よく聞こえる 口はね とっても達者なの “しっかりしていますね” 皆さん ほめて下さいます それがうれしくて またがんばれるの私」(私Ⅰ)、あるいは「私ね死にたいって 思ったことが 何度もあったの でも詩を作り始めて 多くの人に励まされ 今はもう 泣き言は言わない 九十八歳でも 恋はするのよ 夢だったみるの 雲にだって乗りたいわ」(秘密)が好きだ。

 3編とも90代であって活き活きとした様子が実にいいと思う。
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地方での政権交代はまだ先のようだ

2010年09月06日 22時10分33秒 | Weblog
 今日の井戸掘りは不発だった。粘土の硬い層を突き進むことができない。水を使っての井戸掘りの限界である。早めに終わって、家に戻るとどっと疲れが出た。ビールでも飲んで寝たらという忠告をいただいた。昼間からビールは飲めなかったけれど、横になったらすぐに眠ってしまった。夕方に、「会えませんか」と電話があり、特にやるべきことはないし、むしろ誰かに会っていたかったので出かけていった。

 取り留めのない話の中で、名古屋市の河村市長が話題になった。河村市長がリードする市議会のリコールは成立するだろうかと彼は心配していた。私は、確かに河村さんは51万票の得票で市長に当選したけれど、36万人の署名を集めるのは至難の業だと思うと話した。リコール署名はそんなに簡単ではない。一人ひとりが自署しなくてはならないし、チェックもそれだけに厳しい。

 仮にリコールが成立し、市議会が解散して議員選挙が行われたとしても、果たして河村市長を支持する議員が市議会の過半数になるかと言えば、私の推測ではきわめて難しい。市長選挙と議員選挙では市民の意識は大きく違うと思うからだ。市長には新しい市政を実現して欲しいと願う市民も、市議は自分たちの言うことを聞いて働いてくれる人がいいと思っている。このために地方議会がなかなか変わらない現実がある。

 国民は金に汚れた自民党政治に「NO」を突きつけた。いわゆる政権交代である。そのためには民主党の候補者を当選させる必要があった。だから、民主党候補に投票した。けれども、地方自治体は二元代表制であるから、国と違って地方では政権交代は意外なほど進まない。地方では国の政権交代のもっと前から、新しい政治を求める声があり、革新首長や市民派首長が生まれている。市民や県民は首長を変えれば新しい政治が生まれると期待したのだ。

 ところが、市民や県民は新しい政治を首長に期待したけれど、議会はそうした首長の提案した議案をことごとく否決した。議会と首長が対立する構造が生まれ、この対立が長引けば長引くほど、嫌気が生まれどうでもいいやとなってしまった。地方議会の議員が、新しい政治に抵抗するのは自分たちの利益を優先するからだ。そこには何が市民のあるいは県民の将来にわたって利益になるかという意識はない。

 地方議会の議員は地域の利益代表の要素が強い。これを無くすような仕組みや思想が全体のものにならなければ、たとえば地方議会で会派制を法律で禁止しても、彼らは必ずつるんで議長とか委員長とかのポストを取り、その成果を地域に見せて力を誇示するだろう。首長を変えて、新しい政治を期待したのに、議員たちはそれでは自分たちの存在価値がなくなってしまうから、革新首長や市民派首長に同調しない。これを破るには徹底した情報公開しかない。行政のあらゆるものを公開すると共に、議会も徹底的に透明化せるしかない。

 全国で生まれた革新あるいは市民派の首長は議会との対立の中で消えていった。そして次の首長は以前のスタイルに戻っている。地方での政権交代はまだまだ先のことなのかもしれない。
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彼は家族の談笑を大事にしてきた

2010年09月05日 21時53分19秒 | Weblog
 夕方、女の先生がひとり、小学校の運動場で黙々とライン引きをしていた。明日からの運動会の練習を行うために、わざわざ日曜日に出てきたのだろう。夕方になったのは、もちろんこの暑さを避けるためだったかもしれないし、クラブチームが使い終わるのを待っていたのかもしれない。彼女はライン引きの道具を持って器具倉庫へ何度も往復していた。切羽詰っていたのか、責任感からなのか、真っ暗になるまでひとりでライン引きを行なっていた。

 テレビではこの炎天下の中、菅直人さんと小沢一郎さんが街頭演説を行っていた。民主党の代表選挙なのに、投票権のない民衆に向かって演説をする。これをテレビが報じるは何か不思議な気がする。違和感がある。いきつけの床屋で、「うんざりする」と40代の男性が言っていたが、私もそう思う。いつから、次の首相となるであろうところの政党の代表選挙が、街頭演説で行われるようになったのだろう。選挙活動の前倒しのようなものだなーと思う。

 一緒に映画を観ようと、60過ぎのおじいさんが恥ずかしい気がしたが、誘ってみた。映画の後で、一杯やりながら話すのもいいかと思ったからだ。けれども、「その種の映画は興味がないばかりか自分は苦手なものだ」と返事が来た。私にストリップショーやブルーフィルムの上映を教えてくれたのは彼だったし、団鬼六という作家も杉本彩さんのブログも彼が教えてくれた。彼は高校時代には吉行淳之介を読みふけっていたが、吉行は文壇の人たちとの座談で「性豪家」を自慢していた。

 私は彼をいわば人生の先輩のように感じていたけれど、それは彼の大柄な風貌からそう思っていたに過ぎなくて、身体の割には繊細な神経の持ち主だったことを最近は特に知るようになった。私も彼と同様に、人間に対して興味を抱いてきたけれど、彼は小説家・重松清の作品に惹かれていったように、人と人の結びつきの喜びや暖かさに関心があった。私は小学校の高学年からキリスト教に興味を持つようになり、そこから人間の原罪が何かを知りたく思ってきた。

 彼は人間のつつましく清楚で嬉々として生きる姿を追い求めたけれど、私は人間のどろどろとした得体の知れない部分へと関心が移っていった。彼が家庭を大事にし、家族こそが宝だと考えるのはよくわかる。彼の出発点は自分が養子であることにあった。中学・高校時代、彼の家に遊びに行って私が感じていたのは、家族は血のつながりではないということだった。我が家は血のつながった3世代が一緒に暮らしていたけれど、彼の家のような穏やかな空気はなかった。

 人はいつも自分に無いものに憧れる。私から見ると血なんて憎しみ以外の何者でもない気がしていたのに、彼は血のつながった家族の談笑に憧れたていたのだ。彼は私にストリップやブルーフィルムを教えてくれたけれど、そういう世界はヘドが出るような嫌な世界、彼が求めるものとは反対のものだった。彼が好きな演歌はそのことを確かに証明している。彼は優しいし暖かい。彼が大事に思うものは全ての人が大事に思うものだ。人生の最終に向かい、人は自分が何を求めてきたのか、ハッキリして来たと思った。
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九月なのにこの夏最高の暑さ

2010年09月04日 21時02分43秒 | Weblog
 いったい何だ?と思ってしまう暑さだ。9月に入ったというのに、今日はこの夏の最高の暑さではないだろうか。それなのに、朝から『上総掘り』の道具のテストのために、その準備を始めた。早朝から始めればいいだろうと思ったけれど、空は雲ひとつなく、風こそはさわやかに吹いていたけれど、暑さは時間と共に厳しくなる。実験用に貸してもらった土地は夏草が生い茂っているので、まず畑の整理からやることにした。この土地には、チューリップや水仙の球根が植わっているので、できたらこれらを取り出して欲しいと土地の持ち主は言う。

 土地を貸してもらえるだけでもありがたいことなので、雑草を抜き、球根を捜して土を耕す。7月半ばから雨らしいものはないので、土は完全に乾ききっている。雑草の根を叩いて土を落とすと砂埃が舞い上がる。「まるで砂漠化だね」と誰かが言う。「草木は動けないから、暑さや寒さから逃れることができないから、じっと耐えるしかないが、それにしてもこの暑さの中で水が無くてもよく生き延びているよ」と言う。「それに比べて人間は暑いとか寒いとか言って、エネルギーをムダに使って地球を滅ぼそうとしている」と物知りが言えば、「人間は利巧そうでも、馬鹿だよね、草木のように耐えることができないんだから」などと、理屈が通っているのかいないのか、わけの分からないことを言い合いながら作業を進める。

 9時になってもまだ、相棒が3人やって来ない。場所が分からないのかと思ってケイタイに電話をする。そして、「この暑さでは作業は出来ないですよ」とリーダーに告げる。「そうだな。熱中症にでもなったら大変だで、場所さえ決めたら、後は必要な器材を買いに行こうかね」と言う。10時近くなってその3人がやってきた。ところがいきなり最長老が怒り出した。「いったいどうなってるんだ。9時半にうちへ集まることになっていたんじゃないのか」。怒りはかなり大きい。「これが初めてじゃーない。2回目だ。こんなことでどうするんだ。協力してやっていこうといっても、これじゃーやっていけん」と、怒りは収まりそうにない。気が短い人だとは思っていたけれど、これはただ事ではない。

 先回の会議に私は最後までいなかったのでよくわからなかったけれど、9時半に最長老の家に集合すると決めてあったことは事実のようだ。けれど、昨日、現場を見に来た友だちは、雑草が生い茂っているので8時に来て草取りをした方が良いと考えたようだ。それで、先週は「9時に行くよ」と言っていたものを、「8時に草取りをするので」と昨日連絡してきた。変更したことを全員に連絡しなかったのだ、それで最長老が「いつもハバにされるのはどういうわけだ」と怒鳴る結果を生んでしまったようだ。友だちは「早めに草取りを行なっておけば、9時半には最長老の家に行ける」と考えていたのかもしれない。勝手に変更したことでみんなに迷惑をかけずにすむと思ったのかもしれない。

 他者への思いやりが逆目に出てしまったのだろう。余りにも暑い日が続き過ぎている。午後6時に西の空は茜色になっていた。そこに飛行機雲がきれいな線を描いていた。今日のビールはやっぱり苦い。
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酒宴の中の名言を追って

2010年09月03日 21時20分28秒 | Weblog
 誕生日会で皆さんとお酒を飲みながら話していた時、「それは面白いね」という言葉に出会った。急いでメモを取っておいたのだが、後から見ると何が書いてあるのかさっぱり分からない。子もが話す言葉も時も、それは名言だなと思うことがある。何気なく聞いた言葉がとても意義深いことだってある。「わぁーすごい。この人はいいことを言うね」と感心してしまう。だから素早くメモしておきたいのだが、そういうわけにはいかない場面は結構ある。後で思い出そうとするのだが、どういうわけか何も出てこない。

 先日の誕生日会の席では、私たちの子どもの世代だからおそらくアラフォーだろうが、彼女がいきなり「楽しむ人は何でも楽しむ。苦しむ人は何でも苦しむ」と言い出した。確かにそのとおりで、楽しむ人はほんの些細なことでも楽しんでしまう。料理など誰でもがすることを、ちょっとした工夫で楽しんでしまう。そういうことはよくある。その逆のケースもよく見かける。心配しても仕方がないことを心配し、なぜか知らないが自分のせいではないかとさえ考えてしまう。悪い方へ悪い方へと考えてしまうのだ。

 そこから、前向きに考える人、後向きに考える人が話題になったけれど、そういえば彼女はどうしてそんな言葉を言い出したのだろう。「お孫さんを呼んであげたらいいのでは」と70歳でひとり暮らしの女性に言うと、「子どもに頼らない生き方を選んだので、めんどくさいのよ」という答えが返ってきてこれもメモした。孫娘がやってくれば明らかに嬉しそうなのに、どうも子どもには自分の弱さを見せたくないようだ。多分、親は皆そんなものかもしれない。子どもは子どもの人生があるのに、自分が弱さを見せれば、心配して何とかしなくてはと思うだろう。それは子どもたちの生活を拘束することだけでなく、自分もまた自由を無くすということなのだ。だから、そこで迷うというわけである。

 その酔っ払って書いたメモの中に「あなたはおめでたいとカミさんは言う」とある。「これって、どういう意味なの?」とカミさんに問い直してみるが、「自分で書いたんでしょう。私が知るはずがないわよ」と突き返された。「世の中はそんなものよと、持っていない人はうそぶくものよ」とあり、「物欲が世界を支配してきた。理想だけでは支配はできない」というメモ書きもあるが、どういう話の流れの中で出てきた言葉なのかわからない。そもそも、これらの言葉は順序があってつながっていたのかさえはっきりしない。

 本当に重大なことを決める時は、素面で議論するのが当たり前だ。酔っ払っておしゃべりをするのは楽しい話がいい。楽しいおしゃべりの中には素晴らしい言葉がある。けれども、後になってそれを追い掛け回しても見つからない。飲んだ時は、その場に全てを流してしまった方がいい。言葉を後からアレコレと考えたりしない方がいい。それにしても、中学からの友だちにそっと信号を送っているけれど、誰からも何の返信もない。やっぱり自分はダメ何じゃーないかと思ってしまう。
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映画『キャタピラー』

2010年09月02日 22時08分59秒 | Weblog
 「一緒に映画を見に行かないか」と誘おうと、思っていた友だちは見てしまっていた。カミさんが「私が行くわよ」と言うので行ってきた。確かに友だちが言うように、上映時間前にこれまで見たことがないほどの人たちが並んでいた。この映画館は若松孝二監督がつくったもので、余り知られていない作品を扱っている。客席は50席あるかと思うが狭い。規模では名演小劇場と同じくらいだ。選ぶ映画も商業主義の作品でない点も似ている。私は若松監督の『実録・連合赤軍』をここで観たが、観客は数えるほどしかいなかった。

 『キャタピラー』って、いったい何?と題名を見てそう思った。戦車?それとも何か他のものを思ってつけたのだろうかと考えた。映画を観て、なるほどそういうことだったのかと納得した。友だちは映画作りにかかわりたかったと言う人らしく、「この映画の変化の少ない単調なストーリーをそれなりに迫力を持たせているのは、ひとえに寺島しのぶの演技力で、作品の緻密さでは今ひとつだ」と言う。「村人の数が余りにも少ないし、銃後の女性たちの行動などは、まるで取って付けたような演技で、まったくリアリティーが感じられない。やはり、資金不足で‥」と評論する。

 私も映画監督になりたかったひとりだが、ちょっと感想は違っていた。確かに女優寺島しのぶの演技がこの映画を支えていた。私が監督なら、もっと寺島しのぶと夫役の男優だけのやり取りだけで作ってもいいように思った。寺島とその夫以外はあくまでも刺身のつまで、状況や歴史を語る背景でしかない。村から出兵する人を見送る場面は、そうやって村人は皇軍に送られたわけで、それは脇の場面でしかない。若松監督は映画のチラシにも「忘れるな、これが戦争だ‥」と載せているように、戦争とは何かを、戦闘場面ではなく、生きて帰ってきた「軍神」をとおして描き、戦争がもたらす非人間性を語りたかったと思う。

 寺島しのぶは軍神の妻であることを支えに、手も足もなく、声も出せず、身動きのできない夫の世話をする。食べて寝てそしてSEXを求める夫に、初めはいやいやながらも尽くす。そう尽くすのだが、次第に主客が逆転していく。夫の性欲を満たすための行為が彼女の欲望となっていくのに、夫の方は欲望が萎えていく。「どうして立たないの」と寺島は怒り、夫を打つ。かつて夫が子どもを産めない女と非難し、殴りつけたように。ただそこに存在しているだけの夫、それでも食事の量が少ないとかまずいとか、そういう意思を表す夫に寺島は怒る。しかし「ごめんね」と言うのだから、優しい気持ちが残っている。

 戦争では理性などは通用しない。強姦し、ばれるのを恐れて殺戮した。殺された人間はなぜ死ななくてはならなかったのか。原爆で何万と言う人々が殺された。生き残った人々にも悲劇が付きまとう。キャタピラーつまり手も足もないイモムシとなってまで、人はなぜ行き続けなくてはならないのか。この映画のように戦争の悲劇を語り続けることは大事だろうけれど、どうしたら戦争をこの世界からなくせるか、そのために智恵が論議が必要だろう。
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人の心は土壇場にならないと分からない

2010年09月01日 20時03分25秒 | Weblog
 大和塾の第18回市民講座『この国にも戦争があった』に対して、教育委員会から「後援許可」の連絡が入ってので、許可証をもらいに行ってきた。教育委員会の後援がないと市立図書館はチラシを掲示してくれないためだ。図書館でチラシを見た人がどれほど講座を聞きに来てくれるかは分からないけれど、ひとりでも多くの人の目に触れることが大事だと思うので、教育委員会への後援申請を行なっている。

 同じ公共施設でも、指定管理者制度で運営しているところは面倒な手続きもなく掲示してくれる。この違いを問題にすると、行政はたちまち厳重に管理する方に揃えてしまう。できるだけ多くの市民に活用されるようにと考えて欲しいものだが、そういう姿勢を持っている職員がいないわけではないのに、一向に具体化されないのは不思議なことだ。さて、民主党の代表選挙が告示され、菅直人さんと小沢一郎さんが立候補した。誰が何をいい、誰が誰を支持したのか、克明な公表が行なわれなければ自民党帰りになってしまう。

 民主党内の民社系の人たちが小沢さんを支持するのは理解できるけれど、自民党ともっとも激しく対立していたはずの社会党系の人たちが小沢さんを支持するのはよくわからない。もっとも社会党らしい人たちは社民党へ移ったので、自民党的な発想のあるいは利権がらみの人たちが民主党へ移ったということなのだろう。人の心は土壇場にならないと分からないところもある。国会議員の数では小沢さんが有利といわれているけれど、選挙の結果は分からない。

 テレビのバラエティー番組で、「失恋から立ち直る方法は?」を100人の女性に回答してもらったものをテーマに使っていた。20代と30代の第1位は「新しい恋をする」というものであったのに、50代と60代の第1位は「とことん泣く」であった。世代の違いというか、生きてきた長さの違いが出ているようだ。さて、40代の第1位はというと「ヤケ酒を飲む」であったが、まだ弱々しさが少し残っているように思えるし、弱さと共に次への希望もあるようだ。

 私は高校3年の時に、中学の時から好きだった女の子に、「あなたが恋しているのは私ではなく、あなたが作り上げた私なの。きっとあなたにふさわしい人に出会えるわ」と言われた。失恋である。私は彼女以上に彼女を知っている。本人は自分のことを卑下して見るものだが、恋している私はもっと客観的に見られる。だから、私が見ているあなたこそがあなたなのだと言いたかった。けれど、恋は終わってしまった。

 人のことを理解することは確かに難しい。自分のことでも本当に分かっているとは言えない。50代や60代の女性が髪を切ったり、思い出の品を捨てたりするが、20代や30代の女性はヤケ買いやヤケ食いに走るそうだ。40代の女性は「ひたすら恨む」とあったけれど、なるほど狭間の世代だなと思う。NHKのテレビ、『ゲゲゲの女房』の中で、「悪い時こそ、その人の値打ちが出る」というセリフがあったが、菅さんや小沢さんだけでなく、私自身もまた「値打ちがあることができるのか」と考えさせられた。
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