友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自信があれば堂々と論議すればいい

2011年10月09日 21時07分56秒 | Weblog
 「君はどう考えているの。司法の公判が進んでいる時、立法府がいろいろ議論すべきだと思っているの」。6日の初公判の後の記者会見で、小沢一郎さんは質問した記者に厳しい顔でこう切り替えした。質問した記者は震え上がって黙ってしまったのだろうか。ハッキリと「国会でご自分が釈明されることがよいことだと思います」と言えばよかったのにと、テレビを見ていてそう思った。小沢さんは「三権分立をどう考えているの。よく勉強して筋道を立てた質問をしてください」とまるで質問が間違っているような印象を与えている。記者が黙れば、だから記者なんてものは勉強もせずに思い付きばかりで質問していると言わんばかりだった。

 時々、質問する記者に逆に質問を小沢さんは浴びせるけれど、そのこと事態はいいじゃーないかと私は思っている。確かに記者の質問を聞いていると、なぜそういう質問をするのか、その背景に何があるのか、さっぱりわからないような内容の乏しいものもある。質問は自分の考えを整理するためのものだろう、そして同時に相手の考え方や矛盾を問い、問題の本質へと迫るために行うものだと私は思っている。だから、逆に問われて答えられないような質問をしてはダメだ。三権分立をどう考えているのとの問いの裏にあるのは、政治が司法に圧力をかけたりするのはいけないでしょうというものだ。誰もが思っている当たり前のことを前面に押し出し、納得させるやり口だ。

 三権分立はそれぞれが独立してなければならないという原則である。しかし小沢さんの論理は国会で説明すると独立が侵されると勝手に飛躍して解釈している。それが自分を守るための戦術だからだろう。相手が納得するような当たり前のことを持ち出し、だから国会では説明する必要はないのだとさらに強引な解釈を押し付ける。先回、新人議員が決算の審議で反対意見を述べようとしたところ、新人議員は予算審議をしていないのだから、決算の審議はできないと、いかにも議会のルールにあるようなことを言って、当局は新人議員に圧力をかけてくる。小沢さんの思考形態も議会事務局の役人の思考形態もよく似ている。

 いかにも自分は何でも知っているが君たちは何も知らないのだぞとまず脅す。ケンカの常套手段である。ひ弱だった私に義兄が教えてくれたのは、先手必勝のケンカのやり方で、まず相手が思ってもいないうちに急所を攻撃せよというものだった。私が知っている老人も、役所を相手にケンカを売るのが得意だった。役所に乗り込んでいってまず大声で怒鳴り散らすのが常だった。それで課長なり助役が出てくると、これに対しても調べていた弱点を並べて大声で罵倒する。そんなケンカをよくしていた。小沢さんの記者会見をテレビで見ていて、その老人のことを思い出した。

 自分の考えが間違っていなければ正々堂々と議論すればいい。大声で相手を恫喝しなければならないのは、自分の考えに自信のない証拠だ。小沢さんも自分の考えが正しいのであれば、いつでもどこでも堂々と述べればいい。それが出来ないのは不安があるからだと誰もが思うだろう。
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日野原重明さんの百歳を祝って

2011年10月08日 21時53分57秒 | Weblog
 「神は存在するのか?」と問われれば、「する」と答えるだろう。「神はなぜ、悪や苦しみを除かないのか?」と問われれば、「それは神の意思だから」と答える。「神が私たちの罪をなぜ許さないのか?」と問われれば、「私たちが罪深いから」と答える。「神は救う者と罰する者を差別するのか?」と問われれば、「神は寛大でも、私たちの存在はさまざまだから」と答える。そんな問答をまとめた冊子をいただいたが、答えの部分はあくまでも私の勝手な解釈である。

 度々言い訳するけれど、私はキリスト教に心惹かれ、中学1年から高校3年までの6年間、教会に通っていた。信仰はそれぞれの人の心の中にあるので、今の私は神が存在するとは思わないけれど、存在してもいいとは思っている。神が存在するのに、どうしてこの世は不条理なのだと言う人もいるけれど、人の世はそもそも不条理なのだと思えば別に疑問はない。神がそのように造られたと考えてもいいけれど、不条理にせよ、神がそのように創造されたにせよ、それらは全て人が考えたことでしかない。神の絶対的な存在に対して、人は比べたり出来るような存在ではない。そう思えば、全てのことが私には合点いく。

 聖路加病院の日野原重明医師はこの10月で100歳になったが、まだ現役の医師として働いている。日野原医師は「110歳まで生きる」と言っていた。傍目で見ると、そんなに長生きしなくてもいいのではないかと思ってしまう。頭はかなり前に突き出るように落ちているし、歩き方も左足が内側へと曲がってしまう。それでもとても100歳の人とは思えないくらい、頭の働きはいいし溌剌としている。人が何歳まで生きるかなどということは他人が言うことではない。それこそ神が決められることだ。日野原医師の妻は認知症でしかも肺が悪いようだ。日野原さんは「静子、静子」と妻の名前を呼ぶけが反応はない。生きていることが気の毒な状態だと思うけれど、日野原さん自身には大切なことなのだ。

 延命治療は本人が苦しいだけではないのかという議論がある。医師である日野原さんも痛みや苦しみを取り除いてあげることが医師の仕事と考えているようだけれど、自分の妻には1ヶ月でも長く一緒にいたいと言う。人は誰もそんなものなのかも知れない。理性で考えられることと現実の感情とはやはり隔たりがあるのだろう。NHKスペシャルの日野原さんは医師としての使命と、夫であることとで大きな違いがあるけれど、本人はこの矛盾を超越しているようだった。番組に出てきた末期の患者さんはふたりとも亡くなってしまう。それは悲しいことだろうけれど、全うしたことの充実に満たされていた。

 人の生涯は誰でもが、どんな形にせよ結局は充実していると私は思っている。もっと恐れ多い言い方をすれば、神は全ての人の生涯を豊かで充実したものであれと願っているのだ。どう受け止めるかはそれぞれの人の問題であろう。神はきっと私たちを愛し、哀れんでくれているだろう。余りにも人は罪深いのだから。
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「家内」ではなく「カミさん」

2011年10月07日 21時17分08秒 | Weblog
 挨拶文の冒頭で、ある女性が「主人は」と書いていた。すると、「公にする文書なので、主人ではなく夫の誰それがと書いた方がいい」と学校の先生だった人が指摘する。男女平等の社会でありながら、夫婦の一方が主人となると片方は従者になってしまうということだ。夫婦は共に助け合って家庭を営んでいるのだから、当然そこには主従の関係はない。だから「主人」などと呼ぶ必要ない。私の友人や知人も進歩的な考えの人は、名前を呼ぶかあるいは「つれあい」という言い方をしている。私は家では名前で呼んでいる。人前で紹介する時は「カミさんです」と言う。ブログで書く時もカミさんと表現している。神さまに近い人と思っているからだ。

 そのカミさんが「気分が悪い」と寝てしまった。一昨日は仕事に出かけ、昨日はゴルフに出かけ、ハードスケジュールに追われているから疲れが溜まっているのだろう。「頭が痛いとか、どこか具合悪いというわけではなく、何となく気分が悪い」と言うのだ。私の体調不良が感染したわけではないのにと思っていると、「更年期障害かしら」と言う。えっ、更年期障害ってもっと若い人がなるものだろう。昨日だって、高校2年の孫娘が晩飯を食べに来るというので、私が料理を作ったから、格別負担をかけているわけではないと思うけれど、ゴルフでよい結果が出なかったことが響いているのだろうか。このところ、いつも朝が早かったので、やはり肉体的な疲労が蓄積されているのだろう。

 ふたりだけの生活なのだから、寝たい時は寝てしまえばいい。誰に遠慮することもないし、迷惑になることもない。私も食べたいものをちょっと作り、昨日残したワインを飲んで、午後11時にはもう夢の中だ。そう思っていたら午後7時過ぎにカミさんがひょっこり起きてきた。晩飯の用意をして一緒に食べる。「寝たらスッキリした」と元気がいい。ひとりで飲むつもりのワインを半分取られてしまったけれど、元気でいるならそれもいいかと思う。ある人が私に「どうやって暮らしているんだ?」と聞く。カミさんの年金に頼って生活していると説明すると、「そうだろうな。あんたに金などないもんな」と平気で言う。私だって、年金はあるけれどカミさんがもらう年金に及ばないだけのことだ。

 だから私としてはカミさんには感謝している。多分、世の中の主婦の皆さんが夫に感謝しているのと同じ気持ちだと思う。主婦の皆さんの多くは夫のことをたとえ「ご主人」と呼んでいたとしても、実生活では対等な立場を得ているのだろう。イヤそれ以上に支配している人もいるのかも知れない。言葉ではなく事実がどうなのかと思うけれど、言葉そのものが問題だと言えなくもない。今、若い夫婦は「主人」とは言わないし、「家内」とも言わない。言葉は大事だけれど、言葉に執着することもないような気もする。どういう関係をつくっていくかで、当然、言葉も変わっていくからだ。
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地球から生まれたものは地球に帰る

2011年10月06日 20時47分30秒 | Weblog
 体調が悪い。原因はわかっている。連絡が来ないストレスだ。体調が悪いと言いながら、朝から11月3日の『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』のチラシの発送をしたり、ポスターの掲示をお願いして走り回っている。昔もこんな風に走り回っていたはずだが、何となく要領が悪くなっている。お願いに行く順番が悪くて、同じ道を何度か通っているのだ。話し込んでいても、『ひとりオペラ』の意義を必ず押さえて話していたはずなのに、全く違う話になっても気が付かず、気が付いてもまあいいかと思ってしまう。それと声に元気がない。

 体調が悪いと言っても、気候のせいで鼻水が止まらないこと、血圧は平常値なのに脈拍が40前後しかないことくらいで、他にどうってことはない。スポーツ選手は脈拍が低いそうだから、気にすることではないのかも知れない。ただ、鎖骨の辺りが苦しいと感じる時は脈拍が低い。そんなことからやはり年老いたなあと思う。今日もテレビで俳優の竹脇無我さんの葬儀を放映していたけれど、参列者が画面に映し出されると、まあなんとみなさん老けたことかと思ってしまった。竹脇さんは私とは同じ歳だから、葬儀に集まった人々も似たようなものだろう。すると、私も人から見ればあんな風な年寄りなのかとガッカリした。

 それならば、今流行りの「老いの準備」をしておくべきかとも思ってみる。それで押入れの中を覗いてみるが、これを整理するのは大変な作業だと思い、戸を閉めてしまった。何しろ私の父親の遺品というか、アルバムや日記や雑記帳まである。いつか整理しようと思いながら先延ばしにして来たから、よほど切羽詰らなければやろうという気持ちが湧いてこない。それよりも、私の机の中にしまい込んである物を何とかしなくてはならない。手紙や日記や写真など、残しておいたら大変なことになるだろう。夫への不信、父親への軽蔑、腸が煮え涙も出ないかも知れない。恥知らずと罵るだろう。

 自分が亡くなる前にキチンとしておかなくてはと思った。思ったけれど、カミさんはともかく子どもたちは「やっぱり」とくらいに受け止めてくれるかも知れないし、死んでしまった者を今更責めたところでどうなるものでもあるまい。きれいさっぱり忘れてしまった方が賢明なのかも知れない。そうなると、このままでいいような気がして来た。たとえそれが怠け心からの発想であったとしてもいいじゃーないのと思った。そうなるとへそ曲がり心が出てくる。日本人は余りにも真面目に「老いの準備」などと考えすぎだ。死んでしまえば、本人が思っているほど人は覚えていないものだ。死んでしまったことすら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。

 それでいいのだ。フィリッピンで戦死した日本人の遺骨に現地の人の骨が混じっているという。それほどまでに骨を集めてどうするつもりなのだろう。みんながみんな、骨を後生大事に、しかも永遠に保持していたなら、骨の置き場に困るのではないのか。人は生まれ死んで土に帰ると誰かが言っていたような気がするけれど、骨はまた地球に返してあげればいい。人は地球から生まれたのだから、地球に帰るのは道理というものではないだろうか。
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ダーウィンの『進化論』

2011年10月05日 22時06分04秒 | Weblog
 植木鉢のミカンの木には何匹のアゲハチョウの幼虫がいたのだろう。その多くは幹を伝って地上に下り、さらに植木鉢の縁を乗り越えて、ルーフバルコニーをうねうねと進みどこへともなく消えていった。昨日の朝、植木に水をやっていたら、まだ緑色したサナギがミカンの鉢から5メートルほど離れた植木鉢の、しかも内側の縁で、自分の身体を固定する作業をしていた。今朝、見るとサナギは黒っぽい色に変色していた。それで、ミカンの木をよく観察してみると、幹の黒い色に合わせて2匹のサナギがいるのがわかった。まだ緑色の幼虫も2匹いるが、すでにサナギになれる大きさだ。わざわざ、鉢を下りて他所に行かなくても、ミカンの木にしがみついてサナギになった方が安全だと思うけれど、どうなるのだろう。

 NHKテレビの『ダーウィンが来た』を楽しみに見ている。他に見たいものがないこともあるけれど、生き物の世界は不思議なことが多くて面白い。ダーウィンが生き物たちを観察していると、同じ鳥でも同じトカゲでも、生息している島によって形や色が違うことから、どうしてなのかと考えるようになった。こんな風に教えてもらったような気がするし、「自然淘汰」で環境に適応したものが生き残ったと言われ、私もそう思ってきた。しかし、ダーウィンは「進化」とは言わずに、「展開」という言葉を使っていたようだ。時代は急激に変化していた。王制は倒され市民の政治が進められ、科学が発達し産業革命が起こった。人々が「人類は進化した」と受け止めた、いやむしろこれは「進化なのだ」と考えたのだろう。だからダーウィンの学説は自分たちの都合に合わせて利用されたのだろう。

 ダーウィンが『進化論』を発表したのは、彼の博愛主義というか平等主義にあったとイギリスの学者が唱えているそうだ。ダーウィンが生きていた頃、まだ白人は黒人を人間とは認めていなかった。人間のために働く人間によく似た動物くらいに見ていた。ダーウィンは白人も黒人も東洋人も根は1つなのだと説明したかったのだと。ダーウィンは人間と他の動物の決定的な違いは、人間には思いやる心があることだと「人間の由来」で述べているそうだ。人はみな、根はおなじなのだ、だから思いやって助け合っていかなくてはならないとダーウィンは考えていたようだ。

 『進化論』は資本主義の形成過程で、これを裏付ける学説のごとく利用された。さらに、マルクスもまたダーウィンに傾倒し、資本主義は社会主義から共産主義へと必然的に発展すると述べた。日本の新幹線の形態は「進化計算」で導かれているそうだ。なんだかよくわからないけれど、「進化」がいろんなところで一人歩きをしているようだ。「進化」は絶対善で、「退化」は逆に絶対悪のように思われている。確かに人類は急激に発展して来たけれど、本当にそれがよかったのかはまだわからない。わからないけれども、歴史を逆戻りすることはできないのだから、進む以外に道はない。でも、どこへ進むのか、それはまだ決められるはずだ。
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アメリカで若者たちがデモ

2011年10月04日 21時47分27秒 | Weblog
 アメリカで若者たちがデモを行っている。日本のデモはどちらか言えば、整然と隊列を組んで行進するスタイルだった。かつては隊列をジグザクに動かして、警官隊にぶつかるデモが学生たちの主流だった。過激になってからはヘルメットを被り、顔をタオルで覆い、ゲバ棒を持っていた。そのどちらにしても、指揮者の命令下で行われていた。ところが、ニューヨークのウォール街で行われたデモを見ると、みんながそれぞれ勝手なことをしている。もちろんプラカードを掲げ、声高に主張をしている人たちもいる。そうかと思うと公園か広場に陣取って演説をする人、それに拍手を送る人、ノートパソコンでデモへの参加を呼びかける人などがいる。

 日本人は何をするにも几帳面で、統制とか整然とか、指揮する人と従う人がはっきりと存在する。アメリカのデモはなにやらピクニックのようだ。朝までウォール街に泊り込むとかで、寒さの中でも人の輪が温かく見える。それに掲げる主張もかつての日本のデモと違う。「反帝」とか「資本主義打倒」とかではなく、「資本主義がおかしくなっている」という。銀行や金融の経営者は、でたらめな経営でリーマンショックを起こしておきながら、何の責めを負っていないのはおかしいと主張する。現在のアメリカの失業率は10%近くあり、大学を出ても就職先がない。このような経済不況を作り出した人たちが何の責任も果さないのはおかしいというのである。

 「資本家を打倒せよ」ではなく、「責任を果していない」と。資本家が金を儲けるのは自由だけれど、不況を起こしておきながら自分たちはいい暮らしを維持しているのは「責任を果たしていない」のであり、資本家も血を流してみんなが働く場所をつくれと言うのである。新自由主義は経済競争を促進することで活性化を呼び込もうとしたけれど、うまくはいかなかった。資本を持つ者の存在を認める代わりに、利益の分配を働く側にもよこさないと結局、経済は成り立たなくなるという論理のようだ。

 ギリシアの財政破綻を契機に、ヨーロッパの危機が広がっている。経済の動きを政治がコントロールすることはできないのかも知れない。いや、そもそも経済活動が政治活動を変えてきたのだろう。IMFは各国が一斉に取り組めば危機を乗り越えることが出来ると言うけれど、それが私にはどうしても理解できない。先進国は軒並みに経済の停滞あるいは不振に陥っているが、かろうじて後進国の経済成長が世界経済を支えている。そうであるなら、後進国が先進国並になったなら世界はどうなるのだろう。富の蓄積は急速になくなってしまうのではないのか。

 それは新しい時代の幕開けかも知れない。国とか民族とか、そんなものを超えて、人々は生き残るために手を携える時代なのかも知れない。人口がもうすぐ70億人となるそうだ。1959年では30億人であった世界の人口は1998年に2倍の60億人となり、それからわずか13年で10億人増えた。地球号で生きていくための新時代が必ず来るだろう。
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上演まで1ヶ月

2011年10月03日 19時57分51秒 | Weblog
 大和塾の5周年記念『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』の上演まで、ちょうど1ヶ月になった。今日はそのための例会で、最後の詰めを話し合った。まだまだ、ポスターやチラシが行き渡っていないので、喫茶店や病院や美容院などあらゆるところに貼ってもらうように頼む。会場の会館大ホールは観客席が750席ある。なんとか空きの無いようにしたい。出し物である『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は観ていただければ絶対に満足してもらえる作品である。それをどうやって人々に知らせていくか、みんなさんの話題に乗せていくか、私たち塾生の大きな責任である。

 リンカーンではないけれど、「市民の 市民による 市民のため」を目的に、これまで22回の市民講座を開いて来た。講演の内容も、宗教・福祉・医療・介護・芸術・教育・歴史など幅広い。塾生の皆さんの話し合いの中から、ぜひこの人に来ていただきたいと声の上がった人に講師をお願いして来た。講座の参加者も次第に増えて、今では毎回80人ほどの皆さんが聞いてくださる。「行政の力も借りずに、よく続いているね」と感心されるけれど、開催している私たちとしてはまず自分たちが聞きたい話であり、より多くの人に聞いてもらいたい話だから、全く悲壮な思いなどなく楽しんでいる。

 今回の『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は、歌舞伎や浄瑠璃で演じられる安珍と清姫の物語を、尺八と琴の演奏でソプラノ歌手の中川洋子先生が歌い上げるもの。私は名古屋のコンサート会場で聞いたけれど、5周年の記念はこれだと思った。中川先生は愛知教育大学音楽科で声楽を教えている。音楽教育にかける情熱は並々ならぬものがある。それに地域での音楽活動にも力を入れていて、音楽ボランティアや合唱の指導などを行っている。明るい性格で多くのファンを持っているが、合唱の指導はなかなか厳しいものがある。この『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は中川先生のために作られたオリジナル曲だけに、それだけでも価値のある作品だと思う。

 「女の情念をどんな風に歌い上げるのか、楽しみだ」と男性の塾生が言う。美男子の安珍を見た清姫は一目で好きになってしまう。もう一度会う約束を交わすのに、安珍は果さない。追う清姫、逃げる安珍。人を愛するとはどういうことなのだろう。男と女の恋するという感情とその思いは果たして差があるのだろうか。安珍はずるいプレイボーイなのか、清姫は純情で情熱的な女性なのか。恋が結ばれるとはどうなることを言うのだろう。様々な思いを胸に抱いて、観て欲しいし聴いて欲しい。

 5周年を節目に、大和塾も変わっていかなくてはならない。いつまでも無料の講座を開くだけでなく、もっと市民活動として定着していかないとダメだと思う。一人ひとりが自らお金を出し口も出し、智恵と労力を提供していくことが市民活動として根付くことだと思う。
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女子力の時代

2011年10月02日 23時15分36秒 | Weblog
 NHKは視聴者に女性が多いせいか、女性を主人公にしたドラマが多い。朝の連続テレビ小説『おひさま』や大河ドラマ『江―戦国の姫たち―』、土曜日ドラマの松下幸之助を描いた『神様の女房』などもそうである。いずれも女たちは、主人である夫よりも先に立つわけではなく、むしろ健気に夫を支える女房を演じている。男が主人公であった時代でも、女房の献身的な支えが無ければ、男どもも活躍できなかったのは確かであろう。献身的などと書いたけれど、フェミニズムを信奉する方からは「そういう馬鹿なことを言っている男がいるからダメなのよ」と弾劾されそうだけれど、女がどんな気持ちであれ、男たちには女の「支え」が必要なのだ。

 カミさんが言うには「今は女子力の時代なのよ。だから、江にしても幸之助の妻にしても、仲間由紀恵が出演した『テンペスト』にしても、みんな女の人が男を支えているのよ」と説明する。男は女の支えがあって始めて活躍できるのだろう。それをNHKドラマは教えてくれているのだ。小説家も女流作家の活躍が目立っているし、売るためのエンターテイメントの作家もいれば、人の本質に迫ろうとする作家もいる。女だから娯楽的な作品しか作れないなどと思っているなら、女流作家にしっぺ返しを食らうだろう。それほど、社会の中で女性たちは確かな位置を築いてきている。

 原発事故の放射能の影響を恐れた若いお母さんたちの行動を「過剰反応だ」と冷ややかに見ていた男たちも今では自らの無知を思い知ったことだろう。文部科学省の調査でも放射能汚染は考えていた以上に広範囲に及んでいるし、プルトニウムやウランの放射線の影響はまだ調査すら行われていない。若いお母さんたちの子どもを守りたいと思う本能的な活動が、むしろ放射線汚染の現実を広く知らせてくれたとも言える。男たちは、できるだけマイナスのイメージを抱かないように働いてしまうようだ。たとえば、井戸掘りをしていても、どうもおかしい、水が出ないとなっても、もう少し掘れば水は出るだろうなどと楽観的に見ようとする傾向がある。

 しかし女たちは、もっと現実を直視して、場所が悪いからではないのか、水脈がないのではないかと否定的に考える。男たちのように楽観的に考えれば、仕事への意欲は失わない、けれども再び過ちを犯すことになりかねない。女たちのように現実を冷静に見つめれば、明日への希望は持ちにくい。やっている仕事は堅実で、冒険はしない。また、男はロマンばかり追い求めて、周りの現実が見えないことが多い。女は現実を直視するが故に周りを気にして前に進めない。だから女は男がいなければ、先に進むことが出来ないし、男は女がいなければ現実を見ようとせずに争ってばかりいるだろう。

 男も女が必要であるし、女も男が必要である。だから、必要のために存在しているのかと言えばそうではなく、愛し合っていなくては生きていられない。なるほど人類はうまく出来ている。
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ヒガンバナ

2011年10月01日 19時25分29秒 | Weblog
 お彼岸の頃に咲くヒガンバナが今年は遅れて盛りである。9月23日前後になると忘れずに一斉に咲き出すので、花の記憶はたいしたものだと感心していた。どうやら寒暖の差が10度くらい広がってくると咲くようだ。同じ場所のヒガンバナでも日当たりの良いところと悪いところでは咲く時期も微妙に違うようだ。先日、半田の「新美南吉記念館」の北側の矢勝川沿いのヒガンバナを見に行ってきた人の話ではまだ6分咲きだと言うことだったから、今日などは満開になっていることだろう。「ジジババばっかりだった」と言う本人も同世代だ。平日に花を眺めに行くような時間のある人は高齢者くらいだろう。

 川の堤一面にヒガンバナが咲いている光景は見事なものだろう。長女のダンナがインターネットで調べてくれた大垣市の大谷川の堤防も一面のヒガンバナで見事だった。私は養老山脈の東、津屋川沿いのヒガンバナが好きだ。川幅が広く、川面近くには大きな樹木が生えていて、情緒がある。時にはカメラマンの要望に応えて、川舟で投網の演技までしてくれる。辺りに駐車場が無いことが辛い。この海津から大垣にかけては、あちらこちらでヒガンバナの群生が見られる。長女の話ではJRで京都に向かうと関が原辺りからヒガンバナがいっぱい見えるそうだ。

 子どもの頃はヒガンバナを地獄花と言われていたような気がする。お墓に咲いていることが多かったからかも知れない。ヒガンバナを切花にして家で飾る人はいなかったのではないだろうか。今では家の庭にヒガンバナを植えている人もいる。時代が変わり、ヒガンバナの評価も変わってきた。関が原と言えば、徳川家康が率いる東軍と石田三成に加勢する西軍との天下分け目の戦いの場である。NHK大河ドラマ『江 姫たちの戦国』も先回が関が原の戦いであった。ドラマでは家康が天下を取るというよりも、豊臣の家臣同士の争いと説明していたが、なるほど歴史はそうであったかも知れないと思った。

 ドラマだからだろうけれど、石田三成という人物は部下として働くことは出来ても大将にはなれない人のようだ。人の使い方がうまい人は、部下から信頼され、さらに大きな力を結集させることが出来る。家康の諸大名への心配りに対して、三成はただ忠誠を求めるばかりで、これでは離反が出るのも無理はない。もちろん、そのようにドラマは見る人々を動かしているのだけれど。ただ、そのために亡くなった人々は報われない。何万という人々が戦った戦場だが、実際の死者は多くなかったという説もあるけれど、それでも命を落としたり、怪我で働けなくなったりした者は多くいただろう。

 ヒガンバナはそんな人々が姿を変えて出てきたのだと昔、祖母が話してくれた。怖い話だけれど、思えばそんな感じがしないでもない。女郎花と思ってみれば、これほど妖艶な花はないだろう。乱れた着物が異様に美しく見える。盛りを過ぎたヒガンバナは余りにも哀れであるが、いつしか見えなくなってしまう。
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