友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

この夢は何だったのか

2013年02月18日 18時38分36秒 | Weblog

 老人が私に向かって、「ここはもうよい。どこどこへ行け」と言う。私は合点が行かなくて、「行って何をやるのですか?」と聞くと、「お前の思うようにやればよい」と言う。私はこの土地に来て8年で会社を興し、20年で首長選挙に立候補した。誰ひとり知り合いもなく、私に格別な資格があった訳でもなく、全くの無からの出発だった。食べることはカミさんが働いていたから困らなかったので、初めは主夫でもよいと掃除、洗濯、料理とこなしていたけれど、社会とのつながりが欲しくなった。社会からの評価が欲しくなった。

 たまたま図書館で、地域新聞が目に留まった。こんな新聞なら自分でも作れる。元々新聞記者になりたいと思うほどの新聞好きだった。けれども知り合いがいない土地ではどうにもならない。地域新聞の多くは地元の有力者が後にいるからやっていける。ならばこの土地の有力者が後ろ盾になってくれれば出来るのではないだろうか。現職の首長はまず無理だろうから、引退した首長に当たってみることにした。これが功を奏して、とんとん拍子に地域新聞の発行へ向かうことが出来た。

 広告集めは、子どもが通っていた塾や私が通った床屋からだった。誠に私は運の強い男だと思うけれど、4ページある新聞の表面はこの地域ではトップ企業の広告が、裏面は隣りの街にあるホテルへ飛び込んでウエディング広告を貰うことが出来た。表面の方は、なぜか私を大変気に入ってくれた前首長が興した会社で、「うちの会社が毎回広告を出すから心配は要らない」と言ってくださった。そこで息子である社長を名古屋本社に訪ねると、「オヤジはボケていて、そんな約束は出来ないが、もっと小さな広告なら付き合う」と言われた。

 創刊号は出来たけれど、第2号の目途はない。大学で仲良しだったのが飲料水の会社で広告を担当していた。その会社の工場がこの街にある。広告の掲載を相談したところ、年間で契約が成立した。広告集めはいつも大変だった。もう次の号で終刊かと思いながら、飛び込んだ会社や店舗が契約してくれたりの綱渡りだった。しかし、広告は次第に増え、売り上げは毎年伸びた。これは、後ろ盾になることを了解してくれた2人の前首長が私に約束させたことに要因がある。

 ひとつは「いい新聞を作りなさい。そうすれば応援してくれる」。もうひとつは「絶対はない。どんなに正しくても反対する人はいる。そう思ってやりなさい」。2人の老人の言葉を噛み締めてやって来た。やがてたくさんの友だちも出来た。5年間はひとりで記事を書き、割付をし、校正し、広告を集め、デザインをし、集金をした。それからは新しい人が増え、事業も増やした。

 「もう一度やり直せと言うのですか?」と、私は老人に聞き直した。また初めから、知らない土地の習慣や企業や人物や、ありとあらゆることを調べ、人の輪を、この歳で作らなくてはならないのか。老人は何も言わなかった。どこにもいなかった。大きな溜息が出た。そして目が覚めた。この夢は何だったのだろう。

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それでいいのだ

2013年02月17日 18時17分14秒 | Weblog

 バレンタインデーに高校3年の孫娘がプレゼントしてくれた(写真)。左のチョコはハートの形になっているが、右はグチャグチャになっている。「これは失敗作だけれど、(私なら)何も言わずに受け取ってくれるよね」と念を押された。「友だちに配ったけど、なかなか評判よかったのだから」とも言う。ボーイフレンドはいないけれど、女の子から「好き」と言われているようだ。「堅いから」と言われているのは、安心して相談できるということのようだ。

 その孫娘は今日、ひとりで茨城の叔母である私の次女のところへ出かけて行った。ひとりで旅行するのは多分、初めてではないだろうか。高校卒業を目の前にして、「私は大人よ」とのアッピールなのだろう。3月にはカミさんとの沖縄旅行をはじめ、高校の友だちとスキー旅行も計画している。遊ぶのもいいけれど、大学生にふさわしい教養を身につけて欲しいと思う。大学生と書いてしまったけれど、人として、世界の名作といわれている本くらいは読んでおいて欲しい。

 もう少し年代の近いものからというのであれば、吉本ばななさんや綿矢りささんの作品もいいと思う。井上荒野さんや村山由佳さんのような大人の女性を描いたものではないけれど、それなりに女性の気持ちを納得できるのではないかと思う。山田詠美さんや高橋のぶ子さんの本も私の書棚に並んでいるけれど、孫娘は名前すら知らないだろう。我が家のカミさんも、長女も次女も、どちらか言えば体を動かすスポーツ系で、孫娘にもその血は流れていて、汗を流すことの方を好むタイプだから小説には余り興味がないようだ。

 昨日の同年齢者の集いは33人集まった。初めて参加した人も何人かいたけれど、「みんなとってもいい人で、久し振りによく笑った。とっても楽しかった」と言う。知り合うことが目的で、さらに親交が深まるなら、そんな素晴しいことはない。午後5時から始めて8時に終わったけれど、参加者のうちの半分近い人がその後、2次会まで出かけたらしい。初めは地元の人たちが多かったけれど、昨日の2次会は新しいメンバーも加わって大いに盛り上がったと聞く。相手がどんな人なのか分かれば、友だちの輪も大きくなる。

 本来なら今年は『古希の祝い』となるのだが、昭和20年生まれの人もいるので、古希の祝いは来年に延ばすことにした。皆さんに「来年は盛大にお祝いしましょう」と呼びかけたものの、さてどのような会にするのがよいかと思う。誰もが気楽に参加できて、それでいて自分の存在が認められるような、そんな楽しい会にしていきたいと思う。1年に1度集まって、おしゃべりして、食べて、飲んで、それでいいのだと自分自身に言い聞かせる。

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自分にして欲しいことを人に

2013年02月15日 18時33分15秒 | Weblog

 自民党の石破幹事長と元自衛隊の幹部で国会議員になった佐藤議員の講演会があるというので、開演よりも1時間半以上も前から大勢の人が開場を待っていた。国会での連立のためなのか、公明党の市議会議員も早々と会場に駆けつけた。「強い日本!」が各地で叫ばれている。友だちと昼飯を食べていた時も、「国のために戦った人を敬わない国がどこにあるか」とか、「戦争に行ったことのない連中が戦争反対を言うのはおかしい」とか、「中国と戦争したって自衛隊の方がはるかに整備も士気も高いから負けやしない」と、意気盛んだった。

 「弱くたっていいじゃーないの。戦争で死ぬより、しないで生きた方がいい」と私は思っているけれど、ひとりで酒飲みの人たちに立ち向かう勇気はない。私のような人は確実に少数なので、口に出して意見を言うには難しい雰囲気がある。人を叩いたり、無理やり従わせることはいけないと誰もが言う。人を傷つけたり、殺したりすることは絶対にしてはならないと言う。なのになぜ、戦争は許されるのか、それが私には分からない。戦争は無差別の殺人ではないのか、戦争は暴力以外の何物でもない。

 「いじめられたら、いじめかえせ」「いじめられないように、強くなれ」。それが正しいのであれば、北朝鮮が核実験をしたり、ミサイルの発射実験をしたりすることも正当化されてしまう。どこの国も核兵器を持ち、いざとなれば打ち込むぞということになれば、緊張は高まるばかりだ。だから核兵器を分散してはならないと核保有国は言うけれど、そうなれば核保有国の言いなりになるしかない。だから、「強くなって、国益を守る」と考える人々が出てきても当然だろう。

 キリストは言った。「あなた方の敵を愛し、あなた方を憎む者に善を行ない、あなた方を呪う者を祝福し、あなた方を侮辱する者のために祈り続けなさい。あなた方の一方の頬を打つ者には、他の頬をも差し出しなさい。また、あなた方の外衣を取って行く者に対しては、下着さえ与えることを控えてはなりません。あなたに求める者には誰にでも与え、あなたの物を取って行く者からは、それを返してもらおうとしてはなりません。あなた方は、自分にして欲しいと思うとおりに、人にも同じようにしなさい」。

 欧米はキリスト教国なのに、キリストの言葉は空虚だ。いや、キリスト教国は一度もこれを守ったことがない。それが人の本質なら、なんと虚しい時空を生きているのだろう。明日は、『60歳の集い』から8回目の集まりのため、ブログは休みます。

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映画『つやのよる』

2013年02月14日 19時34分43秒 | Weblog

 男と女の愛の形に、定形を求めるのは無理だ。直木賞作家の井上荒野さんの原作を映画化した『つやのよる』を観た。映画としてはもうひとつ洗練されていない気がした。小説を読んでいないからいっそう映画の出来がよく分かると思う。映画のポスターを見た時、主人公の阿部寛を中心に左右に3人ずつの女優がいた。それに阿部寛は上半身裸で、女優たちも艶かしい姿だったから、ひとりの男を巡る6人の女の物語と早合点してしまった。

 主人公の妻「艶」(正式な妻ではないのかも知れないが)は危篤状態にある。主人公は妻が関係した男たちに危篤だと知らせる。ここから映画は展開していく。艶が12歳の時に、いとこの男から暴行を受けた。その男はそれを小説に書き、作品は賞を受ける。けれども男は見舞いにも通夜にも行かない。小説家の男は彼を引き上げてくれた評論家の女との関係が続いている。受賞祝賀パーティーの席で評論家の女は、小説家の妻から「もう若くないのだから」と言われ、ふたりは取っ組み合いのけんかを演じる。

 艶が結婚したことのある前夫は、かなりのお金持ちのようだ。なぜ、離婚したのかと問われて男は「出来なくなったから」と答える。その男と関係を持っている若い女がいる。女は不動産屋に勤めていて、その会社の社長とも関係を持っている。女は言う「初めてセックスする時は、わくわくするのに、いつの間にかつまらなくなってしまう」と。前夫は艶を病院に見舞いに行くが、若い女に「早く帰って来て」と言われて帰ってしまう。

 艶がメールで出会っていた男は亡くなっていた。その男の妻は、真相が知りたかったのか、病院までやって来る。主人公はその女に、ふたりのセックスを連想させるに充分なメールのやり取りを聞かせる。主人公の住む街では、艶は「男狂い」で知れ渡っている。艶は若い男を追い回していたが、その男を好きな女がいて関係もある。けれど男は「結婚は考えたことがない」と言う。しかも男を訪ねて女が子連れでやって来るが、「何しに来たのだろう」と言う程度にしか考えていない。

 主人公には妻と娘がいた。妻と娘は病院に見舞いに行く。妻は病室で、寝たっきりの艶の胸を開いて乳房を見る。そこには歯形が残っていた。それは誰の歯形だったのだろう。艶は奔放に生きた女性のようだ。男を求めて次々と恋をした。それが艶の愛する形だった。主人公は嫉妬しながらもそうした艶を見守った。それが主人公の愛する形だった。しかし、主人公はなぜ艶が関係した男たちに危篤を知らせたのだろう。通夜の場で、主人公は棺の中の艶に言う。「知らせてやったが誰も来なかった。お前を愛したのはオレだけだ」。

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見つからない日

2013年02月13日 18時14分41秒 | Weblog

 家から2度、外に出た。1度目は、昨年伊予の西条市へ行った時、秋祭りのだんじりの前で、秋川雅史さんと姉とを撮った写真の額を買うためだ。写真は姉の家で飾られていたけれど、写真と額とのバランスが悪かったので、先日行った時に、「入れ換えてあげる」と持って来た。叔父さんの葬儀で出かけることが出来なかったが、やっと約束を果たすことが出来た。

 もう1つは午後で、昨年児童公園に掘った井戸の手押しポンプが、水を汲み上げていないので見て来て欲しいと連絡が入り、出かけて行った。冬場で水位が下がったのかと心配したけれど、充分に汲み上げていた。どうして水が出ないと思ったのか分からないけれど、何も問題がないようなので安心した。

 それにしても外はとても寒かった。特に午後は風が冷たかった。わずか30分ほどの外出だったけれど、それでも外の空気に触れるのはいい。家にばかりいると、どんどん怠け者になってしまう。「家で何をしているの?」と聞かれることがあるけれど、昼寝をして大方は新聞や本を読んでいる。外に出れば、風や木々や雲や光など、見聞きすることが出来るのに、家にいてはブログのネタが見当たらなくて困ってしまう。

 昨日、叔父さんの葬儀があったことを友だちに話した時、自分はどういう葬儀にするかという話で盛り上がった。現役を退いて何年も経ているので、「やはり家族葬でいい」と言う。最近では身内だけでこじんまりと行なう家族葬が増えている。「骨は山に散骨して欲しい」「いや、海に撒いてもらいたい」などと勝手なことを言い合って笑った。私は火葬場で骨は拾わなくていいと思っているが、どうしても拾わなくてはならないなら、砕いて山でも海でも好きなところに撒いて欲しいと思う。

 友だちが「仏教ではこの世というのは仮の世で、あの世のための修行の場。だからこの世でよいことをしておけば、あの世では楽に生きられる」と言う。あの世など見たこともないから、この世が充分楽しければそれでよいと思う。キリスト教でも最後の審判の日が来ることになっている。神様が地獄へ落ちろと言うのであれば、逆らうことは出来ないのだから、従う他にないと思っている。

 仏教にもキリスト教にも興味はあっても信仰できなかった私は、その罰を受けなくてはならないと覚悟している。だから葬儀の形はなくていい。残った人たちで、私を肴に、飲んで食べてしゃべってくれたら、それでいいと思う。こんなことを書くとまた皆さんからお叱りを受けそうだ。ネタが見つからない日は困ったものだ。

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哲学か芸術か

2013年02月12日 19時04分28秒 | Weblog

 この地方の桜の開花予想は3月24日とある。満開になるのはそれから1週間後くらいだから、3月31日か4月1日というところだ。今朝は一段と冷えてマイナスの気温だというが、着実に春に向かっているようだ。明日でなくても、せめて何日と決めてくれると、その日に向かって頑張ることが出来るのにと思うことがある。

 どうも私たち日本人は、「じゃー、またいつか」と約束することが多い。またいつかでは分からないし、不安になる。小学校や中学校の時のクラス会は決まっているし、今度の土曜日に行なう「60歳の集い」から始まった集まりは、毎年2月の土曜日と決まっている。高校は同窓会が開かれているようだけれど、私は一度も参加したことがない。その代わりに、新聞部で一緒だった者の集まりを続けているが、これがいつ開かれるのか決まっていない。

 何でもそうなのだろうが、結局呼びかけ人がいるか否かであるようだ。呼びかけ人がいないような集まりは、絶対に開きたいというほどの必要性がないということだろう。それでも不思議なことは、年を重ねるにつれて、そろそろ会おうかという気持ちになるということだ。人恋しいというか、同じ時を過ごしてきた仲間に出会うことで安心するのかも知れない。

 私が高校に入学してまもなくして、安保闘争が起こり、樺美智子さんが亡くなったことを新聞で知った。体育館に全校生徒が集められ、どこかの新聞記者が講演したけれど、その内容は全く覚えていない。新聞部にいたけれど、安保の話に夢中になる人はいたのかも知れないが、私は知らない。2学期になって、1つ上の先輩がいないからというので、1年生の私が部長を務めることになった。

 その頃の私の関心は、普通高校は大学への予備校であり、人間教育としての高校教育は存在しないという思いだった。それを校内新聞に書くことは出来なかったので、一般新聞の声に投稿して、記事になった。校内新聞の主張欄に友だちが書いた記事で、校長室に呼び出された。それなら自分たちで新聞を作ろうというので、有志からお金を集めて新聞を作り、校外で先生に見つからないように配布をした。そんなことをすれば停学になると心配した友だちもいたけれど、応援してお金を出してくれた友だちもいた。

 印刷は私の家の近くの印刷屋に頼んだ。私は父とは友だちのように思っていたし、呼び出しがあるかも知れなかったので、ことの成り行きを話しておいた。生徒会長となり、卒業式で送辞を述べることになった時、父は何を思ったのか、私の原稿を筆で清書してくれた。社会に対する関心がないわけではなかったが、もっと、生きる意味とか愛とかに惹かれていた。そんな話を私がするので、哲学か芸術の道へ進むだろうと友だちは思ったと言う。

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満ち足りた日々であればいい

2013年02月11日 20時48分18秒 | Weblog

 叔父の葬儀がごく親しい人たちで行なわれた。いつもおっとりとした叔母は、やはり今日もおっとりとしていた。それは見守る私たちにとっては有り難く幸いなことだった。叔父は血のつながりのない私にも、「絵を教えたらいい」と絵画教室を与えてくれた。世話好きで、まず他人が幸せになるようにと気配りをする人だった。

 会社勤めを辞めて20数年も経てば、会社の関係者の参列はなく、近所の遊び友だちと思われる人たちが来てくださった。今日は友引というので、葬儀は少ないのか、八事の火葬場もゆったりとしていた。友引の日の葬儀ではご遺体の傍にお人形を置くというのも、恥ずかしいけれど今日初めて知った。雛人形は難を持っていってもらうための人形だけど、人は昔から人形を身代わりにしてきたのだ。

 ギリシア神話に、ミダス王が半獣神の賢者シレノスを捕らえて詰問する場面がある。王は、「人間にとって最も善いこと、最も優れたことは何か?」と問う。シレノスはじっと身じろぎもせずに口をつぐんでいた。けれど、王の執拗な問いに、けたたましい笑い声を上げ、吐き出すように答えた。

 「みじめな、つかの間の生を受けた者よ、偶然と労苦の子よ。聞かない方が御身にとって一番のためになることを、なぜ無理に私に言わせようとするのか?最も善いことは、御身にとってはまったく手が届かぬことだ。それは生まれなかったこと、存在しなかったこと、なにものでもないことなのだ。しかし、御身にとって次に善いこととは‥‥すぐに死ぬことだ」。

 人間にとって、一番よいことは生まれなかったことで、次によいことは死ぬことだという。古代ギリシア人は随分哲学的だ。確かに生まれなければいい。人は生きていれば、いろんな苦しみや悩みを抱え込む。それを嫌だと思えば、出来るだけ早くこの世におさらばしてしまえばいい。シレノスの言葉はごく当たり前のように思うけれど、しかし、現実の私たちは、すぐに死ぬことは出来ない。

 出来ないのであれば、一日一日を出来る限り楽しく充実したものにする以外にない。生きる価値とか生きる目的などと言わずに、一日一日が満ち足りた日々であればいい。どのように生きたとしても、「つかの間の生」であり、「偶然と労苦」の支配からは免れない。これはもう逆手にとって、「我が生」を生き抜くしかない。そう思えば、毎日は楽しいし、明日はきっと、もっとよいことが訪れるだろう。

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悲しみはいつも駆け足

2013年02月10日 11時23分41秒 | Weblog

 悲しみはいつも駆け足でやって来る。昨日は、昭和5年3月9日生まれの姉を家まで迎えに行き、尾西市民会館が行なわれた『秋川雅史コンサート』に出かけた。家に着いた時は、ちょうどNHKBSの『日本のうた』が放映されていて、五木ひろしと秋川が文字通り熱唱していた。「これが終わるまでちょっと待ってね」と姉は言い、「五木ひろしの方が押されているよね」と満足そうに話す。そんなことがあったので、尾西市民会館に着いたのは開演25分前だった。

 駐車場係りの人に、「障害者用の駐車場はありますか」と聞くと、事前予約で既に満杯だと言う。それでも親切に、遠回りになるけれど大きな駐車場があることを教えてくれた。姉を玄関前で降ろして、車を教えられた駐車場に止めて会場へ向かう。随分人が多い。やはり姉くらいの年齢の人が目に付く。前から15列目の席に座る。秋川雅史後援会の会員でもある姉は「随分遠い席だね」とぼやくけれど、買い求めたのが遅かったから仕方ない。私の席の隣りの女性は双眼鏡を持参していて、見るたびに彼女のひじが私の身体に当たった。

 秋川さんは音楽講座も行なってくれた。そうだったのかと教えられることもあり、結構面白かった。2時間、最後は『千の風になって』であった。姉に言わせると「おしゃべりがとっても上手になった」らしい。あれだけ声を張り上げて歌うのだから、歌いっぱなしではどうしても嗄れてしまうだろう。アンコールの拍手に応えて、『翼をください』を歌ったが、持てる声量を全て使い果たすかのような歌いっぷりだった。

 駐車場から出るのは入る時よりも大変だった。一段落したところで家に電話をすると、カミさんが「終わったらすぐに電話するのではなかったの!」と嫌にとげとげしい。そして、「おじさんが亡くなったの。明日がお通夜なのだけれど、今晩行ってあげたいから」と言う。カミさんの母親の妹のダンナで、私の姉のひとつ年上だ。年末に挨拶に行った時は、友だちと温泉に行っていたくらいで、電話で話した時も「頂いたお酒は息子と飲むわ」と言っていた。

 昭和ひとけた世代が持っている、ちょっと照れるところのある人だった。鶴田浩二や植木等、野坂昭如や小沢昭一、何となく叔父さんに似ているような気がする。粋がって、三越のお菓子が食べたいとそのために出かけたり、温泉はどこどこがいいなどよく知っていた。息子たちに言わせると、「せっかちでじっとしていられない性質だった」。病気が分かって1ヶ月余り、急に旅立ってしまった。

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ギリシア悲劇とテレビドラマ

2013年02月08日 19時58分59秒 | Weblog

 ギリシア悲劇に出会ったのは高校生になってからだった。小学校の高学年からキリスト教に興味を持つようになって、西洋文化に関心を持つようになっていた。伊藤左千夫の『野菊の墓』や夏目漱石や志賀直哉の作品も読んだけれど、余り記憶に残っていない。『野菊の墓』は主人公の年齢が近いこともあってか、「初恋」を夢想する材料になっていた。ところが、ギリシア悲劇はスケールが大きくてビックリした。

 悲劇というのは、運命のことかと思った。人は努力をするけれど、どんなに努力をしても逆らえない何物かがある。それが運命というものだろう。運命はどのようにして決まってくるのか、やはり、神様がお決めになるのか。全能の神とはいえ、何十億人もの運命を、その一人ひとり定めるのは大変なことだと思った。人はよい行いをしなくてはならない。洋の東西に関係なく、人々はそれを求めてきた。何物かにつき動かされて。

 ソポクレスの『オイディプス王』は、父親コンプレックスの語源にもなっている。テーバイの王は生まれた子どもが王を殺すと神託を受ける。そこで生まれた子どもを山中に捨てさせた。やがて子どもは大きくなり、たまたま三叉路で王の戦車と出会う。道を譲れと馬を殺された彼は戦車の従者と王を殺してしまう。テーバイにやって来ると、町はスフィンクスという怪物に悩まされていた。怪物を退治した者を王に迎えるという。

 今ではスフィンクスの謎は誰でも知っている。「朝は4つ足、昼は2本足、夜は3つ足で歩くものは何か」。オイディプスは「人間」と答えて、怪物を退治し、前王の后と結婚し王座に就いた。父親を殺害し、母親と性的関係を持ったのだ。彼も、父親である王も、母親である后も、命令で彼を山中に捨てた男も、登場人物は誰も悪くないのに恐ろしい結末になってしまう。日本の芝居でも運命のいたずらと言うものはいくらでもあるだろう。でも、なぜかスケールが違いように思った。

 毎週木曜日のテレビドラマ『最高の離婚』は、まるで芝居を観ているようだ。瑛太、尾野真千子、真木よう子、綾野剛の4人のやり取りは面白い。一人ひとりの演技力が凄いのか、長いセリフと演技をよくこなしていると感心する。愛するとはどういうことなのか、ギリシア悲劇から2500年くらい経ても、人間は相変わらず悩み苦しんでいる。そういえば、ギリシア悲劇のひとつ『メディア』は、愛する夫を奪われ、我が子までも殺してしまう物語だった。

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時代は何事もなく流れていく

2013年02月07日 21時50分54秒 | Weblog

 この土地で生まれた人も、他所からこの土地へ来た人も、皆が仲良く暮らしていけるといいね。そんな話から、還暦を機会に同じ学年の人たちが集まったらどうかというので、「60歳の集い」が開かれた。あれから8回も集いを重ね、昨年からは他所から来た私が会長を務めることになったのも不思議な縁だ。本来なら9回目となる今年の集いを古希の祝いとするのだが、学年を単位に出発したので、「満年齢でやろう」と勝手な解釈をして、来年に延ばしてしまった。

 集いの幹事が集まって話していた時、誰彼となく「もう古希かね。早いものだね」と言い合った。「こんなにまで長生き出来るとは思わなかった」と言うものの、「どこも悪くない」と言う人はひとりもいない。一番多いのは不整脈で、その次が高血圧症で、「両方とも引っかかっている」と言う人も多い。70歳近くまで生きてきたのだから、身体のどこかに疲労が生じていてもおかしくない。最近亡くなった市川団十郎さんや中村勘三郎さんは私たちよりも若い。「自分よりも若い人が亡くなるケースが多くなった」ことも話題になった。

 そういえば、政治の世界もいつの間にか、私たちよりも若い人がトップの座に就いている。大阪市の橋下市長は43歳、2回目の当選を果たした松阪市の山中市長は37歳だ。首長は年齢の高い者がやるという風潮はなくなった。むしろ、若い人が目立つようになってきた。まだ議会の議員の平均年齢は地方ほど高いかも知れないが、そのうちに議員の構成も大きく変わる時代が来るのかも知れない。

 私が社会人になってしばらくした時、大学紛争が世界的に広がり、バリケートが築かれたりした。あの、いわゆる全共闘世代はどこへ行ってしまったのだろう。ドイツでは、学生運動の指導者たちは地方へ移り、環境問題などの課題に地道に取り組んでいったと聞く。彼らは地方議会の議員となり、やがて国政を動かすほどになりつつあるらしい。フランスやイタリアではどうなったのだろう。アメリカでも学生たちの反戦運動が盛んだったが、クリントン前大統領もヒラリー夫人もその学生運動の体験者だ。

 日本の学生たちは、自分たちが何をしたかったのか、それを今どのように整理し受け継いでいるのだろう。時代は大きく変わり、私たちのような60年安保世代と全共闘世代に挟まれた世代は、このまま何事もなく、常に狭間に置かれたまま生涯を閉じるのだろうか。確かに私たちの時代は終わった。そして全共闘世代も再び頭角を現すことなく終わった。優れた連中が生まれなかった世代なのか、現すことが出来ない世代だったのか、時代は何事もなく流れていく。

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