友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

危険な原発再稼動

2013年07月09日 18時12分34秒 | Weblog

 暑い夜が続いている。エアコンを使っている家も多いが、我が家は幸いなことに風通しがよいのでまだ一度も使っていない。今朝、夢を見ていた。神様が私に「どうするか?」と言われる。「今ならまだやり直すことが出来る。望むなら30歳からリセットさせても構わない」。私が黙っていると、「お前の曲がらない左足だけなら、このままですぐに治せるぞ。折れた骨が間接で邪魔をしているだけだ。当時はそれを取り除く技術が無かったが、今なら簡単に手術で出来る。やってみるか?」と神様は神力ではなく、医術のことを言う。

 「いや、もう、いいです。気にかけていただいただけでもありがたいです」と私は断った。神様は「そうか」と言われて、消えてしまった。30歳の時に若返って、やり直さなければならないほど、私は間違った人生を歩いて来たようだ。そんなことを言ったなら、どの時点も間違っていたかも知れないし、だからと言って、やり直した人生がたとえ大きく今と違っていても、やはり「よかったのだろうか」と考えてしまうだろう。いろんなことはあったとしても、これが私の人生で、これでよしと受け止めよう。神様はそれを教えてくれたのかも知れない。

 それにしても今年の夏は暑くなりそうだ。暑い夏を一番喜んでいるのは電力会社かもしれない。原子力発電の新しい規制基準が施行され、電力会社4社が再稼動を求めて規制委員会に申請書を提出した。その光景をテレビで見たけれど、「よろしくお願いします」と頭を下げる電力会社の社長に対し、「任せなさい」と規制委員会の方は頭も高い。規制委員会は新基準に適合しているかを確かめ、その後、自治体の同意や政府の判断で再稼動となる。新聞各社の見方は、「冬にも再稼動」のようだ。申請のあった原発はいずれも地元の同意が取りやすいと見られているからだ。

 東京電力が柏崎刈羽原発の再稼動申請を決め、その旨を新潟県知事に伝えに来たのをテレビニュースで見た。泉田知事は、両者が「安全協定」で、「新設備を作る際は県の事前了解を得る」ことに踏まえて、「東京電力は約束を守る会社ですか」と何度もただした。これに対して広瀬社長は「同時性、平行性」を口にした。知事は「事前了解です。同時、平行じゃーありません。嘘をつかない。約束を守る。これがスタートラインです」と手厳しい。「3期連続の赤字は避けたい」と言う社長に、知事は「昨年、安全と金とどちらが大切かと聞いた際、安全と答えていただいたのは嘘だったのか」と迫った。

 起きてしまった事故はやり直すことは出来ない。神様のようにリセットすることは人間には出来ない。何が出来るかといえば、再び被害を出さないことだ。原発に頼らない社会の構築へ舵を切って欲しい。

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熱中症に気をつけて

2013年07月08日 17時59分38秒 | Weblog

 最高気温36度の猛暑の中、隣りの小学校から大きな声が聞こえてきた。熱中症に注意するようにと先生が子どもたちに聞かせているのだろう。午前11時過ぎに一度外に出たけれど、焼けるような暑さにビックリした。帽子を被っていなかったから、薄い頭髪をものともせずに日光が降り注ぎ、ジーンと痛かった。だから体育館で話をしていると思ったけれど、それにしても声が大きい。それでベランダに出てみると、全校児童が運動場の真ん中辺りに座って、指令台の先生の話を聞いている。

 日本人は根性があってエライと思うか、この暑さで大丈夫かと思うか、微妙なところだ。今日も、「私たちの子どもの頃だって、こんな暑い日はあった。熱中症だとか聞かなかった。今の子は過保護になり過ぎていて、すぐに倒れてしまう。もっと粗末なものを食べ、耐える力をつけないとダメだ」と言うのを聞いた。炎天下の運動場での先生の注意はそのための演習だったのだろうか。日本人は紫外線に強い身体だけれど、白人は弱いという。だからオーストラリアでは、紫外線対策で子どももサングラスをしているらしい。

 オーストラリアは以前、イギリスの植民地だった。オーストラリア大陸にもアメリカ大陸と同じように原住民はいた。アジアからインドネシアやニューギニアを経た人々、あるいは太平洋を彷徨いながら到着したポリネシア人だ。オーストラリア先住民はアポリジニと呼ばれた。推定では50万人から100万人はいたという。ところがここを植民地としたイギリスは、開拓するために囚人を送り込んだ。今日聞いた話では、孤児が13万人も連れてこられ、農業や家事の手伝いをさせられたようだ。

 もっと驚くことは、イギリス軍兵士にはアポリジニを自由に捕獲・殺害する権利が与えられていた。オーストラリア開拓に従事した白人の日記には「アポリジニ狩りで17匹殺した」とある。スポーツハンティングになっていたのだ。そのためアポリジニは激減し、絶滅人種とされた。こんな話を聞くと、「そらね。日本人だけが悪いことをやったんじゃー無い。それを橋下は言いたかったんだ」と言う人がいる。確かに、歴史を見ればその通りだ。

 だからこそ、そうした人間が作り上げてきた悲劇を決して生み出さないことが必要だ。そのために何をするかであって、「あいつもこいつもみんな悪いことをしてきたんだ」と言い合うことではない。炎天下の運動場ではサッカー部がまだ走り回っている。元気がいいのか、アホなのか。熱中症には気をつけてね。

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七夕伝説

2013年07月07日 18時07分21秒 | Weblog

 今日は七夕。このところ毎年のように雨降りで、星空を見ることは出来なかったけれど、久し振りに星を見ることが出来るかも知れない。都会の夜は明るくて、空を見上げても星を見つけるのは難しくなった。すぐに目に付くのは金星か土星くらいだ。子どもの頃はこれほど明るくなかったから、星座が何となく見えたように思った。秋から冬にかけては、今でも星空を見ることができるので、冬の星座の方が覚えていることが多い。

 七夕伝説はロマンチックで、恋しているふたりには思い当たることも多いだろう。ふたりは1年に1度しか会えない。しかも雨が降って天の川の水かさが増えると渡ることが出来ない。ふたりは天の川の東と西の岸辺にたたずみ、切ない思いで川面を眺めて涙を流す。それでは余りにもふたりが可哀想というので、中国ではカササギの群れが飛んで来て、天の川で翼を広げて橋を作り、織姫を牽牛のもとへと渡す手助けをするという。ベトナムでは、7月はカラスが飛び立つ月で、飛び立ったカラスは銀河まで昇り、ふたりのために橋を作ると言われている。

 恋には障害が付きものだけれど、可哀想なふたりを思って誰かが味方してくれる。今はダメでも必ず成就する、そう信じることが恋なのだろう。「星に願いを」と、今ではもう若い人たちは思わないかも知れない。いや、恋することすらメンドクサイと片付けてしまっている。恋することのときめきとか、やっとの思いで出会えた時の喜びとか、体験が無ければ分からない。体験は理屈を超えて理解できる。

 「今年はクラス会を行います」と連絡してきてくれた今年で還暦となる学年の、美術クラブの生徒と南木曽の薮原高原へ行った時を思い出す。夜、みんなで草の上に寝転んで空を見た。空には星がいっぱいあった。空に入りきれないというくらいだった。しかも、どういうわけか、手を伸ばせば星を捕まえられそうだった。立ち上がれば、頭が星空につかえそうだった。想像を絶する星の数、その間をスーと流れるものがある。流れ星だ。幾つも幾つも、満天の星空で、流れ星が見えた。余りに星空が美しく、願いごとをすることも忘れていた。

 子どもの頃の夜空は星が多かったけれど、この薮原高原で見た星空が一番見事だった。アメリカのロッキー山脈の高原で、真冬に夜空を見上げたけれど、そんなに多くの星は見えなかった。今日は猛暑の一日。暑い夜なので、ルーフバルコニーで食事をしよう。さて、星は見ることが出来るのだろうか。

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市民がマスコミを育てる

2013年07月06日 19時46分11秒 | Weblog

 TBSテレビの報道番組『NEWS23』(こちらではCBCテレビ)が6月26日、通常国会が発電と送電を分離する電力システム改革に向けた電気事業法改正案を、廃案として閉会したことを報じた。すると自民党は、「廃案の責任を与党にのみ押し付ける不公平な報道」と反発し、TBSに対して取材拒否を発表した。TBSテレビは5日夜、報道局長名で自民党に、「指摘を受けたことを重く受け止める」という文書を提出し、自民党は「謝罪と受け止める」として、取材拒否の解除を発表した。

 大阪の橋下市長が「取材拒否」を連発したけれど、権力の座にある人は、自分があるいは自分たちが、堂々と反論する立場にあることを棚に上げて、「取材拒否」すればマスコミがビビると思っている。実際、マスコミはビビった。権力にとって都合のよいことしか報道しないのであれば、マスコミは死んだも同じだ。しつこいくらいのいやらしさがあってこそマスコミの存在価値はある。どのマスコミ報道が妥当かは受け取る側が判断する。

 電気事業法改正案は、電力会社にとっては成立して欲しくなかった法案だ。自民・公明・民主が、会期末のドタバタにまぎれて、廃案にしてしまったという見方だってある。TBSテレビは「謝罪はしていない」と言うものの、自民党は「謝罪と受け止める」として、この件は双方で「終わり」にしたかったようだ。マスコミは「偏っている」と言われることを恐れていては報道など出来ない。そもそも報道に「中立とか公平はない」と、私は思っているし、あってはならない。

 報道する者は、自分の目で見た「中立・公平」を報じている。それを中立・公平と判断するかは受け止める側だ。どんどんマスコミは自分のカラーを出していくべきだ。その報道が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。そうでなければ、民主主義の社会は成り立たなくなる。『週刊文春』がフィギュアスケートの安藤美姫選手の出産について、「支持しますか?」というアンケートをメルマガ読者を対象に実施したが、多数の抗議を受けて中止した。

 そんなアンケートを実施するマスコミは程度が低く情けないが、中止に追いやった読者は誠に理性があると思う。受け取る側の人々がマスコミを育てるのだ。政治の世界も市民が政治家を育てる時代になると思う。いや、そうならなければいけない。今朝の中日新聞の社説は、衆議院で改憲勢力は3分の2ある。今度の参議院選挙で改憲勢力が3分の2になれば、憲法改正が現実化すると解説し、「本紙は憲法を守る精神に立つ」とあった。私は中日新聞を応援する。

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豊明市内で井戸掘りを見る

2013年07月05日 20時18分00秒 | Weblog

 「豊明市内で井戸を掘るから見学したらどうか」と、手押しポンプを製造している社長から提案があった。私たちは水圧を用いて井戸を掘っているが、粘土質の土地や丸太石のあるところでは掘ることが出来ない。メンバーの何人かで、千葉県にある上総掘りの伝承館まで勉強に行ってもらったこともある。そのおかげで、水圧だけの掘り方ではなく、鋼鉄管を細工して、上から叩き込む道具や回して掘る道具なども作った。けれども今のところどの道具も役に立っていない。

 豊明市内で井戸を掘る人たちは横浜から来ると言う。どんな道具で、どんな風に掘るのか、ぜひ知りたいと思い、今日出かけた。作業は朝9時から始めるというから、前日に来て1晩泊まっているのだろうと思っていたら、「今日の午前4時に出て来た」。そして、「手押しポンプを取り付けて、今日中に帰る」と言う。『あまちゃん』風に言うなら、「じぇじぇじぇ」である。私たちは午前9時きっかりに着いたけれど、既に若者ふたりが仕事の準備にかかっていた。相模ナンバーの車から道具や塩ビ管を取り出し、モタモタした様子は無い。

 依頼主が「この辺りで」と言った場所をスコップで少し掘ると、すぐにアメリカ製の道具とやらで掘り始めた。「今日は車の都合でふたりだが、本当は最低でも3人いた方がいい」と言う。アメリカ製のスコップに85センチほどのステンレスの柄をつない掘り進めて行く。柄の上部はT字型になっていて、これを回せばスコップの刃先が土を削り取るというわけだ。「いい気になって、力任せに回せば、柄が折れたり、刃がこぼれたりするので、その手加減が大切」とコツを教えてくれる。

 掘り始めたところは粘土質で、刃先をいろいろ変えては少しずつ掘っていった。「一度やってみますか」と親切に声をかけてくれるが、作業が出来るスタイルではなかったので遠慮させてもらったけれど、彼らにしてみれば少しは手伝って欲しかったかも知れない。なるべく作業の邪魔にならない位置で見守り、時々写真を撮らせてもらったが、本音を言えば「若い人は馬力が違うねえー」である。私たちなら、少しやっては休み、ああだこうだと口ばかり動かすのに一向に身体が動かない。

 お昼に見学を終えて帰って来てしまったが、夕方、もうそろそろ完成かなと思って現場に行ってみた。既に手押しポンプが据付けられ、周りもきれいに片付けられて、誰もいない。晩ご飯は横浜で食べているかなと思う。「今度、水圧で掘る方法を教えてください」と言う、爽やかな青年だった。

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時代の先を行く?マンション長屋

2013年07月04日 18時48分55秒 | Weblog

 「町内の夏祭りに屋台を出しませんか」と言う町内会長さんに会った。「集まって、盆踊りをするだけでは人は来ない。子どもたちが夏祭りは楽しかったと思い出せるような行事にしたい。お母さんたちが気楽に参加できるためには、子どもたちにお小遣いを持たせれば、晩の食事の心配をしなくてもすむことが大事。そうすれば、家族が一緒に夏の一夜を楽しめる、そんな夏祭りをしたいのです」と、会長さんは熱っぽく語る。

 私たちが祭りに参加する目的は、「祭りを楽しむ」ことにある。焼きそばを焼くのも、焼き鳥を焼くのも、「いらっしゃい」と声をかけるのも、自分が祭りを楽しむためだ。楽しくなければ止めればいい。儲けてやろうと思うなら参加しない方がいい。「美味しかったよ。元気がいいね。楽しくなった」。そんな言葉が欲しくて、汗を流している。表で頑張った人も、裏で品物を準備した人も、大人も子どもも、みんな平等に、売り上げたお金で飲み食いに使ってしまう。これが私たちのやり方である。

 「焼きそば、焼きおにぎり、焼き鳥など、炭火で扱うものを担当しましょう」ということになった。期日は7月27日の土曜の夜。翌週には市の夏祭りがあり、ここではアユの塩焼きをメインに、焼きそば、焼きおにぎり、焼き鳥を並べるので、2週連続で担当することになる。市の夏祭りの時は、私たちが暮らすマンションの夏祭りと重なるので、人手が分散することになる。人手の確保が最重要課題になりそうだ。それでもこのところ、私たちの子どもを超えて、孫たちが手伝ってくれるから助かる。

 生まれ育ったところではないこの地で、仲間が出来て、祭りへの参加を7年も続けている。しかも、孫たちが私たちに続いてくれるのは本当にうれしい。こんな風に、人が集い、飲み食いして、大いに笑い楽しむ、これこそが地域のコミュニケーションだろう。個人情報とか何とかいって、孤立した個人を作るよりも、互いが一品持ち寄ってきて、共に食事をしたり酒を飲んだりして、大きな家族のような暮らし方もまたいいものだ。

 先日、子育てが一段落したからとパート勤めを始めた友だちの娘さんが、「初めて給料を貰ったので」と言って品物を持ってきた。「そんなのいいよ」と遠慮すると、「私たちは大きなファミリーだから」と言う。そうか、考えてみればいつも一緒にいるし、おかずのやり取りもする。確かに家族同然だ。私の友だちが「マンション長屋」と表現していたけれど、私たちは時代の先を行く?マンション長屋の住民だ。

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人は雰囲気に乗り遅れまいとする

2013年07月03日 19時11分10秒 | Weblog

 7月に入ったら、なにかと忙しくなった。井戸掘りの依頼が3件も続いた。さらに夏祭りに屋台を出してくれないかという依頼もある。私たちのメンバーはもともとお祭り好きであるが、それにしても70歳過ぎの高齢だから、そんなに無理の利く身体ではない。適当にというのが出来ない人たちなので、ボチボチやりましょうと言い聞かせ合っている。元気がいい老人というのは異性にも関心が強いようで、ちょっとキレイな人を見ると、「いい女だなあー」と言い出すから困る。

 いつまでも元気でいてもらいたいと思うから、異性に関心が強いことは良いことかも知れない。どこかの有料老人ホームで、ひとりの女性にふたりの男性が恋をした。女性はふたりとも受け入れていたけれど、秘密にしていた。それがある時バレ、男同士が女性の前で大ケンカになった。施設の職員は困り果てて、3人を別々の施設に移したところ、まもなく3人とも亡くなってしまった。恋が3人の長寿の原動力であったのだ。「いずれ、そんな死に方になるよ」と冗談で言うと、「80歳過ぎても恋が出来るなんて、いいなえー」と、希望を抱かせることになってしまった。

 明日は参議院議員選挙の公示。「静かだねぇー」と言うけれど、愛知県全体が選挙区なのだから街宣車に出合う確率も少ない。まして今日は前日だからなおさらである。「誰が立候補しているかね」と言うので、「候補者は10人いるから、これまでの選挙よりは喧しくなると思うよ」と答える。「どうだね、投票率は?」と聞かれる。「多分、低いでしょう」と答える。井戸掘り仲間は高齢だから、真面目に投票所へ出かけている。年齢の高い人ほど投票するそうだ。だから、「高齢者の1票は若い人の半分の価値になるようにしないと、高齢者の意思で政治が全て決まってしまう」と心配する。

 投票率が低くければ、組織票が有利に働くので、自民党や公明党・共産党の候補者が当選する。公明党は創価学会が頭打ちになっているし、自民党も共産党も支持者は高齢化していて伸びはない。投票率が上がれば、当選者は全く変わってしまう。それが現状だ。先回の東京都議選挙の結果がそれを物語っている。だが、人間は不思議で、周りが「政権交代だ!」という雰囲気になると1票を投じるけれど、風もないどんよりとした中では、自分が票を投じても投じなくても何も変わらないだろうと思ってしまう。雰囲気に乗り遅れまいとするのだろうか。

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ユートピアとエデンの園

2013年07月02日 19時25分24秒 | Weblog

 ユートピアで思い出すのは「エデンの園」だ。旧約聖書の創世記、神は天と地をつくられた。神が「光あれ」と言われ、光ができ、光と闇を分けられた。全てのものをつくられた後、神は「われに似せて、われをかたどって、人間をつくられた」。その人間が置かれた場所が「エデンの園」で、食べることには全く不自由しない楽園だった。働かなくても食べていける、そんな場所を人間は理想郷と考えたのだ。

 これはどこの神話にも共通しているように思うから、人々は働かなくても生きていける社会に憧れたといえる。それだけ現実の社会は厳しいということだろう。旧約聖書に書かれた最初の人間であるアダムとイヴは神との約束を守れなくて、「エデンの園」を追い出される。つまり、働いて生きていかなければならなくなった。このふたりに男の子が2人生まれた。兄のカインは地を耕し、弟のアベルは羊飼った。

 人間は地を耕す人々と、家畜を飼い餌を求めて旅する人々に分かれた。土地に執着するつまり土地に定着する人々と、自由に移動を繰り返す人々である。ところが神はアベルの捧げものを喜んだので、カインはアベルを殺してしまう。「エデンの園」を追放された人間の現実とその行く末を物語っている。「嫉妬」「独占」‥など、人間から切り離せない邪悪なものが常に付きまとうようになる。旧約聖書は神に約束されたイスラエル民族の物語であるけれど、人間がどういうものなのか、その本質をよく描き出している。

 働かなくても生きていける「エデンの園」を、人間は自らつくり出さなくてはならなくなった。だから「理想郷論」が幾つも生まれてきたのだと思うし、キリスト教が定着したヨーロッパでは当然だけれど、キリスト教を土台に考えられてきたと思う。土地は神のもの、しかし収穫したものは人間のもの。だから収穫したものは分配されなければならない。そんな風に考え、どのように分配するかが追及されてきた。

 18世紀に産業革命が起こり、生産は大幅に上がった。これが人間にとっての最初の産業革命なら、第2の産業革命は原子力を手に入れたことなのだろうか。第3はパソコンの発明による伝達情報が大きく変わったことなのか、そして第4の革命は何だろう。きっと科学者は次のものを開発しているのだろう。人の知恵が、産業革命を起こしたけれど、現実社会の方が人の知恵よりも先んじているようで不安だ。

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ヘンリー8世とトーマス・モーア

2013年07月01日 19時17分57秒 | Weblog

 とうとう今年も半年が過ぎ、7月1日を迎えた。月日の流れを早いと感じるのは歳のせいらしい。山梨県河口湖で行なわれた「国民文化祭の夏のステージ開会式」に、皇太子は出席されたが雅子さんは急遽欠席された。今朝の読売新聞に「雅子さま、異例のメッセージ」という記事が載っていた。「山梨県への訪問には、できれば殿下とご一緒したいと思い、楽しみにしておりましたが、この数日、体調がすぐれず、お医者様と相談の上、残念ながら失礼することになりました。せっかくの機会をいただきましたのに、皆様のお気持ちにお応えすることができず、大変心苦しく、残念に思っております」というメッセージが知事に伝えられたという。

 このところ週刊誌で、美智子皇后と雅子さんの不仲とか、紀子さんと雅子さんの確執とかが取り上げられていた。嫁と姑、兄弟の嫁同士、不仲なのが世間では一般的なのだから、そんなことにいちいち目くじらを立てることはないと思うけれど、皇室となるとマスコミはどうしてそんなに騒ぐのだろう。「皇太子夫妻の思想や行動が、やがて皇室の終焉をもたらす」と書き立てる人もいる。皇室が途絶えることに私は関心がないし、皇太子夫妻が普通の人になりたいと希望されるなら(そんなことはないようだが)、そうさせてあげればいいと思っている。

 皇室の存続ばかりが強調されると、イギリスのヘンリー8世が頭に浮かぶ。芝居にも映画にもなったこの王様は、王位継承者である男子を生まれないからと6回も結婚している。再婚相手が妻の侍女であったり従姉であったり、離婚した妻を刑死させるなど凄まじい。さらに政敵を次々と処刑したり、意見を言う側近も処刑し、背徳の王とか残虐非道の王とか悪人扱いされている。その反面で、ラテン語、スペイン語、フランス語を理解し、音楽にも造詣が深く、スポーツにも優れていたと言われている。

 「ユートピア」の生みの親であるトーマス・モーアは、このヘンリー8世に重用され、大法官にまでなったが、王の再婚に反対し処刑されている。「ユートピアは大西洋の真ん中にあって、王も貴族も僧もおらず、身分も階級もなく、平等に労働を楽しみ、金や宝石への欲望も無く、戦争もない理想的な社会である」と謳った。それから500年近くの月日が流れた。なかなかユートピアには近づけないようだ。

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