先週末のニュース解説番組では、ワシントン条約締約国会議で、大西洋・地中海産のクロマグロ(本マグロ)が資源として枯渇しつつあるというので絶滅危惧種に指定して国際取引を禁止することを求めたモナコ提案が、下馬評では圧倒的に有利とされていたにも係わらず否決され、半ば驚きをもって迎えられるとともに、クロマグロを食べ続けられることに安堵する街の声が目立ちました。寿司好きの日本人にはやれやれといったところでしたが、私にはちょっと違和感を禁じ得ませんでした。
事実関係がいまひとつ正確に報道されていないもどかしさを感じますので、いま一度整理してみます。
回遊魚と言われるマグロは、国際的な枠組みで資源管理されています。大西洋のクロマグロを管理するのがICCATであり、ミナミマグロを管理するのがCCSBTで、長年活動して来ましたが、マグロ減少に歯止めがかからないのは、これら国際機関の管理能力が低いということと裏腹の乱獲が原因とされます。そこで、漁業者に任せるのではなく、自然保護の枠組みで規制をすべきという主張が国際的に高まってきたのでした。
今回、ターゲットとされた大西洋・地中海産クロマグロは、30年くらい前のピーク時に年間30万トンに達した漁獲量が、今では四分の一に激減しているそうです。科学者は1万5千トンの漁獲枠を勧告していますが、ICCATが設定した漁獲枠は3万トン、実際の漁獲量は漁獲枠を遙かに上回る6万トン前後と推定されています。密漁などの違法操業のほか、近年は小型魚のうちに捕獲して海中のいけすに移し、トロの部分が多くなるようエサを与えて太らせる「畜養」が、資源の枯渇に繋がるとして問題視されていると言われます。
他方、日本で流通するマグロは年間約40万トン、このうちクロマグロは4万トン強で、大西洋産と太平洋産がそれぞれ半々を占めるそうです。もし国際取引が禁止されれば、太平洋産に頼らなければならないところでした。
今回のモナコ案では、国際取引が禁止されても、EU域内での取引や漁獲は認められるため、資源の回復には繋がらないという問題も指摘されていましたが、世界のクロマグロ漁獲量の約8割を消費する日本が主張したのでは説得力がありません。もしモナコ案が採択された場合、日本政府は留保を申し立て、従わない方針を示していたので、今回、逆転否決されたのは、クロマグロを食べ続けられる安堵というよりも、日本が国際的に孤立する惧れがあったところを救ったという意味で、本当に良かったと思います。とりわけ静岡あたりの倉庫に1年分とも2年分とも言われる冷凍クロマグロが保存されている報道には驚かされました。仮にモナコ案が採択されても一年や二年は大丈夫と言われても、何故それほど大量の在庫を抱えているのか、私にはそちらの方が不思議でなりません。漁業関係者や商社や水産庁がからむキナ臭さを感じます。その水産庁のモナコ案切り崩し工作を評価する声も聞かれますが、モナコ案が否決されたからといって、クロマグロ資源の枯渇という事実には変わりありません。なにしろ、シーシェパードなどの自然保護団体の標的がマグロに移るのを避け(既にシーシェパードは次はマグロ漁船を攻撃すると公言していますが)、マグロ漁業を守るために、採算度外視で調査捕鯨を続けることに拘り続けているとされる水産庁のことです。否決をリードしたのがリビアだったというのは驚きですが(背後に隠然たる中国の存在がありますが措いておきます)、否決後、そのリビア代表と仲睦まじく談笑する水産庁審議官のしてやったりの姿は、如何にもクロマグロ乱獲の黒幕的な立場を想像させ、見ていて心地良いものではありませんでした。今回の結果は、モナコが言うように終わりの始まりに過ぎず、日本は資源管理という重責を負うことになったと考えるべきです。
こうして見ると、食文化について考えさせられます。食文化は尊重されるべきですが、環境に優しい社会を目指すという謳い文句の一方で、海洋資源を食い尽くすのだとすれば、自己矛盾と言わざるを得ません。日本人の魚食量は、平成18年に肉食量を下回ったそうで、魚離れを憂えますが、その中でのマグロ偏重はなんだかイビツです。そうこうしている内に、世界では食料資源としての水産物の奪い合いが始まろうとしているという現実もあります。13億とも14億とも言われる人口を抱える中国の生活水準が上がる将来に不安があります。こうした現実を背景に、欧米を中心とするモナコ案肯定派と、カナダ・オーストラリアはともかく、中国を含むアジアやアフリカ諸国を中心とする反対派の対立は、G8とG20の勢力争いを彷彿とさせ、新たな南北問題を予感させ、難しい時代に立ち向かいつつあるのを感じます。日本の節度ある行動と行動の哲学が必要ではないでしょうか。
事実関係がいまひとつ正確に報道されていないもどかしさを感じますので、いま一度整理してみます。
回遊魚と言われるマグロは、国際的な枠組みで資源管理されています。大西洋のクロマグロを管理するのがICCATであり、ミナミマグロを管理するのがCCSBTで、長年活動して来ましたが、マグロ減少に歯止めがかからないのは、これら国際機関の管理能力が低いということと裏腹の乱獲が原因とされます。そこで、漁業者に任せるのではなく、自然保護の枠組みで規制をすべきという主張が国際的に高まってきたのでした。
今回、ターゲットとされた大西洋・地中海産クロマグロは、30年くらい前のピーク時に年間30万トンに達した漁獲量が、今では四分の一に激減しているそうです。科学者は1万5千トンの漁獲枠を勧告していますが、ICCATが設定した漁獲枠は3万トン、実際の漁獲量は漁獲枠を遙かに上回る6万トン前後と推定されています。密漁などの違法操業のほか、近年は小型魚のうちに捕獲して海中のいけすに移し、トロの部分が多くなるようエサを与えて太らせる「畜養」が、資源の枯渇に繋がるとして問題視されていると言われます。
他方、日本で流通するマグロは年間約40万トン、このうちクロマグロは4万トン強で、大西洋産と太平洋産がそれぞれ半々を占めるそうです。もし国際取引が禁止されれば、太平洋産に頼らなければならないところでした。
今回のモナコ案では、国際取引が禁止されても、EU域内での取引や漁獲は認められるため、資源の回復には繋がらないという問題も指摘されていましたが、世界のクロマグロ漁獲量の約8割を消費する日本が主張したのでは説得力がありません。もしモナコ案が採択された場合、日本政府は留保を申し立て、従わない方針を示していたので、今回、逆転否決されたのは、クロマグロを食べ続けられる安堵というよりも、日本が国際的に孤立する惧れがあったところを救ったという意味で、本当に良かったと思います。とりわけ静岡あたりの倉庫に1年分とも2年分とも言われる冷凍クロマグロが保存されている報道には驚かされました。仮にモナコ案が採択されても一年や二年は大丈夫と言われても、何故それほど大量の在庫を抱えているのか、私にはそちらの方が不思議でなりません。漁業関係者や商社や水産庁がからむキナ臭さを感じます。その水産庁のモナコ案切り崩し工作を評価する声も聞かれますが、モナコ案が否決されたからといって、クロマグロ資源の枯渇という事実には変わりありません。なにしろ、シーシェパードなどの自然保護団体の標的がマグロに移るのを避け(既にシーシェパードは次はマグロ漁船を攻撃すると公言していますが)、マグロ漁業を守るために、採算度外視で調査捕鯨を続けることに拘り続けているとされる水産庁のことです。否決をリードしたのがリビアだったというのは驚きですが(背後に隠然たる中国の存在がありますが措いておきます)、否決後、そのリビア代表と仲睦まじく談笑する水産庁審議官のしてやったりの姿は、如何にもクロマグロ乱獲の黒幕的な立場を想像させ、見ていて心地良いものではありませんでした。今回の結果は、モナコが言うように終わりの始まりに過ぎず、日本は資源管理という重責を負うことになったと考えるべきです。
こうして見ると、食文化について考えさせられます。食文化は尊重されるべきですが、環境に優しい社会を目指すという謳い文句の一方で、海洋資源を食い尽くすのだとすれば、自己矛盾と言わざるを得ません。日本人の魚食量は、平成18年に肉食量を下回ったそうで、魚離れを憂えますが、その中でのマグロ偏重はなんだかイビツです。そうこうしている内に、世界では食料資源としての水産物の奪い合いが始まろうとしているという現実もあります。13億とも14億とも言われる人口を抱える中国の生活水準が上がる将来に不安があります。こうした現実を背景に、欧米を中心とするモナコ案肯定派と、カナダ・オーストラリアはともかく、中国を含むアジアやアフリカ諸国を中心とする反対派の対立は、G8とG20の勢力争いを彷彿とさせ、新たな南北問題を予感させ、難しい時代に立ち向かいつつあるのを感じます。日本の節度ある行動と行動の哲学が必要ではないでしょうか。