風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

パラダイム転換(下)人を活かす負けっぷり

2011-01-01 01:43:28 | 日々の生活
 2011年が明けましたが、昨日の2010年の総括を続けます。
 年をとると、一年が経つのが早いとはよく聞きますが、そりゃ人生40年以上も生きてくれば、ハタチの頃の一年が人生の二十分の一だったことと比べれば、今ではその半分の四十分の一の重みしかないわけで、この一年の出来事を小さいことのように感じるのは止むを得ないのでしょう。
 そして、そうこうしている内に21世紀の最初の十年が過ぎました。早いものです。それはまた同時に、日本にとって失われた十年が失われた二十年になったことでもあります。その間、日本の人口は1兆2千5百億前後で変らず、GDPも500兆円前後で変りませんが、中身は着実に変化していて、少子高齢化が進行し、社会保障費が増え続け、財政が悪化しました。実は、私の会社も、この十年で売上が変わらず、私たちは確実に年を取って、社員の年齢構成が高齢化し、収益性は確実に悪化しました。同じように、日本の企業のあちらこちらで、私たちのような年配の社員が居座り、若者たちがあぶれる始末で、社会全体が高齢化して、ここまで閉塞状況が長引くと、社会の活力という点で大いに問題があります。組織の劣化を憂えるわけです。
 例えば新入社員が入って来ると、組織に染まっていない発想が若々しい風が吹き込んだような新鮮さを覚えたものです。組織に染まりつつある自分を省みてヒヤリとし、一方で新人だった自分が否応なしに先輩に追いやられ、先輩ヅラするため、先輩としての自覚が芽生え、一段上の高みに登らされます。そうやって組織は新陳代謝を繰り返し、人とともに成長して行くわけです。ところが、最近は新入社員が入って来ることが少なくなりました。
 また、バブル崩壊後に入社した人たちが既に40歳を過ぎて、その間、(全てがそうだとは言いませんが)経済や事業の成長をさして経験せず、従い緊縮財政のもとに、販売施策投資や広告宣伝投資や固定資産投資など、金の使い方をさして知らないまま育っています。ただでさえ日本人は借金に対する罪悪感があり、借金して何か新しいことを始めるのが苦手ですが、だからと言って手元資金だけで出来ることは限られます。アメリカでは、借金すること自体が悪いという認識は無く、むしろどれだけ借金できるかが才覚の一つでもあります。借金をして、より高い生活水準を手に入れて、返済のため、より高い所得を得るべく、自らを追い込んで、自らを磨いて行く。それは事業そのものと同じプロセスであり、如何に借金をしながら財務状況を悪化させないで事業を伸ばして行くかが重要なわけです。そうした成長のスパイラルが、今の日本では働きにくい。
 日本の閉塞感は、外形、あるいは競争環境が、プレイヤーが変らないから、さして変らないまま、中身は劣化している、つまり、どんどん高齢化し、どんどん貧しくなっているところにあります。企業の中を見渡してもそうですし、企業プレイヤーを見ても、例えばこの十年で新たに台頭した企業として浮かぶのは、せいぜい楽天やファーストリテイリングくらいで、余り変化がありません。ガラパゴスたる所以は、激変する国際環境の中で、日本だけはプレイヤーが変わらず、競争環境もさして変わらないまま、いつしか国内市場は海外から隔絶されて特異な発展を遂げ、その国内市場に最適化してしまい、日本以外で競争して生きることが出来なくなってしまった、まさにこの一事にあるのでしょう。良くも悪くもこれが今の日本の真実の姿です。
 この半年、太平洋戦争の諸相を追ってきましたが(実はまだ終わっていませんが)、近頃、65年前の凋落振りが現代に重なって見えて仕方ありません。ただ手をこまぬいて見ているだけの凋落振りではなく、それこそ特攻隊を組織せざるを得ないほど追い詰められ、鍋・釜まで供出して節約して頑張り続け、本土決戦などという無謀な夢を信じてまで、ガムシャラに抵抗の姿勢を崩さず、最後は力尽きて崩壊するという、最悪のシナリオです。私たちは飽くまで再生を目指すのであれば、65年前の轍を踏まないで、いつまでも頑張り続けるのではなく、負けっぷりをよくすることを考えなければならないのではないでしょうか。
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