シドニーに滞在していた頃に綴っていた日記ブログは今は休眠状態ですが、年末に問合せメールが入って、何ごとかと思って開けて見たら、某テレビ局の番組制作会社の方から、ブログに掲載されているハーバーブリッジの写真を、元旦朝のテレビ番組で使わせてもらえないかという、使用許諾を乞うものでした。所詮は観光地の写真ですから、気象条件さえ整えば誰が撮っても似たようなもので、著作権を主張する類いのものではありません。思い出の一コマに過ぎず、その観光地を訪問したコストを回収しようとする類いのものでもありません。むしろ使って貰えるなら光栄と、半信半疑で回答したところ、結局、二股も三股もかけていたのでしょう、別の写真に決まったようでした。
それでも、どんな場面だったのだろうかと気になって、元日の朝、その番組を見ていると、確かにほんの一瞬、ハーバーブリッジを紹介するシーンで、あまり画質は良くなかったのですが、似たような写真が使われている場面を見かけました。こうした場合、かつてはプロのカメラマンが撮った写真か、あるいは何がしかのライブラリーから借用したのでしょうが、今やインターネットで検索すれば、素人映像が腐るほど出て来るので、お断りメール一本で、使えそうな映像には事欠かなくなりました。れっきとしたテレビ番組でも、こうして素人映像を使っているという事実に、ちょっと驚かされた一幕でした。
情報は、長らく、対価として金を支払って入手するのが当たり前でした。雑誌や新聞など、記者や編集者といったプロの目利きが厳選した情報や、目利きが厳選した執筆者に書かせた、安心できる付加価値の高い読み物を提供してきました。しかしネット社会では情報がいくらでも無料で手に入る時代です。むしろネットには正真正銘の価値ある情報から怪しげな情報まで氾濫し、最近では投稿作品に剽窃が多いと報じられたりして、手軽にコピー&ペイスト出来る社会になって、著作権が混乱している始末です。
他方、水は、少なくとも日本においては、ほとんどタダ同然で、蛇口をひねって出て来たものをそのまま口にできるシロモノでした。もっとも、私の場合、海外生活中、アメリカといいマレーシアといいオーストラリアといい、飲料用と料理用の水は、ミネラルウォーター10リットルのドラム缶で宅配してもらうのが常で、日本に帰国して、蛇口をひねって水が飲めることに、新鮮な感動を覚えたものでしたが、しかし最近では、日本でも、タダ同然で飲める水が豊富にあるのに、わざわざミネラルウォーターを買い求めてガソリンより高い料金を支払う人がいます。
これまで両極端に位置していたような情報と水が、いま、交差し、ついにはまた逆の両極端に離れつつあるように感じるのは過渡期における錯覚で、所詮は飽くまで価値があると人々が認めるものに、人々は金を支払うものなのでしょう。ただ時代とともに、また技術革新とともに、価値あるものの値段が変わり得るのは、半導体の世界のムーアの法則を俟つまでもありません。企業の存在価値も、世とともに移ろい行くのが現実です。そして人もまた価値あるものを求めて移ろい行くのか・・・そんなことをつらつら思った正月でした。
それでも、どんな場面だったのだろうかと気になって、元日の朝、その番組を見ていると、確かにほんの一瞬、ハーバーブリッジを紹介するシーンで、あまり画質は良くなかったのですが、似たような写真が使われている場面を見かけました。こうした場合、かつてはプロのカメラマンが撮った写真か、あるいは何がしかのライブラリーから借用したのでしょうが、今やインターネットで検索すれば、素人映像が腐るほど出て来るので、お断りメール一本で、使えそうな映像には事欠かなくなりました。れっきとしたテレビ番組でも、こうして素人映像を使っているという事実に、ちょっと驚かされた一幕でした。
情報は、長らく、対価として金を支払って入手するのが当たり前でした。雑誌や新聞など、記者や編集者といったプロの目利きが厳選した情報や、目利きが厳選した執筆者に書かせた、安心できる付加価値の高い読み物を提供してきました。しかしネット社会では情報がいくらでも無料で手に入る時代です。むしろネットには正真正銘の価値ある情報から怪しげな情報まで氾濫し、最近では投稿作品に剽窃が多いと報じられたりして、手軽にコピー&ペイスト出来る社会になって、著作権が混乱している始末です。
他方、水は、少なくとも日本においては、ほとんどタダ同然で、蛇口をひねって出て来たものをそのまま口にできるシロモノでした。もっとも、私の場合、海外生活中、アメリカといいマレーシアといいオーストラリアといい、飲料用と料理用の水は、ミネラルウォーター10リットルのドラム缶で宅配してもらうのが常で、日本に帰国して、蛇口をひねって水が飲めることに、新鮮な感動を覚えたものでしたが、しかし最近では、日本でも、タダ同然で飲める水が豊富にあるのに、わざわざミネラルウォーターを買い求めてガソリンより高い料金を支払う人がいます。
これまで両極端に位置していたような情報と水が、いま、交差し、ついにはまた逆の両極端に離れつつあるように感じるのは過渡期における錯覚で、所詮は飽くまで価値があると人々が認めるものに、人々は金を支払うものなのでしょう。ただ時代とともに、また技術革新とともに、価値あるものの値段が変わり得るのは、半導体の世界のムーアの法則を俟つまでもありません。企業の存在価値も、世とともに移ろい行くのが現実です。そして人もまた価値あるものを求めて移ろい行くのか・・・そんなことをつらつら思った正月でした。