どうやら小池劇場・・・と言ってもドタバタ劇に近いが、その幕があがって、騒々しくも、ちょっと楽しみな政治状況になりつつある。読売新聞社が、民進党が希望の党への合流を決めた直後の28日夕から29日にかけて行った緊急全国世論調査によると、衆院比例選での投票先は、自民党の34%はともかくとして、希望の党は19%まで伸ばし、他の野党から頭一つ抜け出したようだ(因みに公明党6%、共産党5%、日本維新の会2%と続く)。合流を決めた民進党が調査対象に含まれなかったからでもあるが、それにしても同社が2014年の解散直後に実施した調査では、自民党41%、民主党(当時)14%、公明党6%などの順だったというから、期待先行とは言え、自民党は想定外の展開にうかうかしていられなくなっているのは事実だろう。
ポイントはこれからで、小池劇場の何が面白いかと言って、もはや選挙そのものより、そこに至る過程で政治家なるものの生態があぶり出されるであろうところが興味深い。これは多分に皮肉な言い方で、ただの野次馬根性に過ぎない(苦笑)。民進党では前原代表が提案した小池新党への“合流”を満場一致であっさり決めて(この軽さたるや何であろう!?)大船に乗り移れると期待した議員が大勢いただろうが、小池女史からは「(公認にあたって)リベラル派を排除する」と、公認候補を選別する考えが示されて、思惑が外れた。それでも前原代表は健気にも、公認を望む民進党出身者全員が受け入れられるよう努力する考えを示したが、小池女史は「全員を受け入れる考えはさらさらない」と断言した。改革“保守“と言うからには当然だろう。小池新党が第二の”民主党“になってしまっては元も子もない。「安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが政党構成員としての必要最低限」だと強調したと言い、一種の「踏み絵」をつきつけた形だ。何しろ2年前の安保関連法案の衆院採決で賛成した旧・民主党議員は一人もいなかったのだ。約90人の民進党前職の中で公認されるのは30数人との観測もあって、そうなれば日本維新の会も組みやすくなるとの見立てもある。
釈迦の垂らした糸に大勢が群がる芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した人がいる。これまで中身はなくても反・安倍や反・安保法制を叫んでさえいれば野党の政治家っぽく振舞えた人たちが、選挙に勝ち政治家であり続けるために、(あからさまな宗旨替えは流石にハシタナイから)何とか言い訳しながら、蜘蛛の糸に(殺到しないように見せかけながらも心はそわそわ)群がるのだろうか。政治家たるものの政治信念の度合いの見せ場(そうでなければ政治家としての薄っぺらさ加減をどう取り繕うか)である。何を今さら・・・で、ただの悪趣味なのだが、なかなか面白い人間模様ではないか(笑)。
既に劇は始まっている。
枝野幸男氏は「党の公式見解に沿う」と言葉少なで、身の振り方については口を閉ざしたらしい。辻元清美氏のスケジュールは週末まで全てキャンセルされ、事務所でも動きを把握していないという。小池新党に移った細野氏は「(合流にあたって)三権の長を経験した方々はご遠慮いただく」とも述べたのに対し、野田佳彦前首相は「小池さんと前原さんが決めることだ。先に離党していった人の股をくぐる気は全くない」とせめてもの意地を見せたのはさすがで、(諦めが悪くて小心者?の)菅直人元首相に至っては終始無言だったという。こんな人を首相に選んだのだ・・・とは思い出したくもない。
自民党も他人事ではない。安倍首相という一枚看板に甘えて、魔の二回生は極端な例だが、どこまで政治信念があるのかといったあたりになると、甚だ怪しい。弱小とはいえ野党が寄ってたかって、それに朝日・毎日・東京といったリベラル系メディアも加わって、政策云々ではなく印象操作という感情に訴える手法で反・安倍で纏まると、支持率という些か浮ついた人心による評価はいとも簡単にグラついてしまった。そもそも政党でありながらヌエの如く右から左まで(保守からリベラルまで)良くも悪くも包容力があるのは、戦後・自民党のお家芸である。その劣悪コピーである旧・民主党や民進党が消えて行くのは世の定めとは言え、もし投票まで十分に時間があって、本当の意味で(というのは政策論で)与・野党を問わず保守とリベラルに分かれて政界再編に繋がったとしたら・・・夢でしかないが、小池女史という触媒の株は大いにあがったことだろう。
あるいは時間がなくて、小池新党といってもカタチだけで、小池女史の真価が問われなくて、却ってこれ幸いなのかも知れない。実際、橋下徹氏(前大阪市長)は「しかし朝日新聞や毎日新聞は酷いな。僕が石原(慎太郎)さんや江田(憲司)さんと組もうとしたときには、重箱の隅を突くような細かな政策の一致やこれまでの言動との整合性を求めた。ところが希望と民進の合流は反安倍でとにかくOKだって。国民はそんなに甘くないし、そんなことやってるからメディアの信頼が落ちる」と批判したらしい。相変わらず反・安倍という感情論はあっても、政策論はないのだ。
・・・とまあ、今回は飽くまでドタバタ劇であることが惜しまれるし、望んだところでこの程度だろうという諦めが、毎度のことながらちょっと哀しい。無責任な一介の市民としては冷ややかな目で、せめて楽しみを見つけながら、成り行きを見守るしかない(最後はちょっと自虐的か・・・な)。
ポイントはこれからで、小池劇場の何が面白いかと言って、もはや選挙そのものより、そこに至る過程で政治家なるものの生態があぶり出されるであろうところが興味深い。これは多分に皮肉な言い方で、ただの野次馬根性に過ぎない(苦笑)。民進党では前原代表が提案した小池新党への“合流”を満場一致であっさり決めて(この軽さたるや何であろう!?)大船に乗り移れると期待した議員が大勢いただろうが、小池女史からは「(公認にあたって)リベラル派を排除する」と、公認候補を選別する考えが示されて、思惑が外れた。それでも前原代表は健気にも、公認を望む民進党出身者全員が受け入れられるよう努力する考えを示したが、小池女史は「全員を受け入れる考えはさらさらない」と断言した。改革“保守“と言うからには当然だろう。小池新党が第二の”民主党“になってしまっては元も子もない。「安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが政党構成員としての必要最低限」だと強調したと言い、一種の「踏み絵」をつきつけた形だ。何しろ2年前の安保関連法案の衆院採決で賛成した旧・民主党議員は一人もいなかったのだ。約90人の民進党前職の中で公認されるのは30数人との観測もあって、そうなれば日本維新の会も組みやすくなるとの見立てもある。
釈迦の垂らした糸に大勢が群がる芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した人がいる。これまで中身はなくても反・安倍や反・安保法制を叫んでさえいれば野党の政治家っぽく振舞えた人たちが、選挙に勝ち政治家であり続けるために、(あからさまな宗旨替えは流石にハシタナイから)何とか言い訳しながら、蜘蛛の糸に(殺到しないように見せかけながらも心はそわそわ)群がるのだろうか。政治家たるものの政治信念の度合いの見せ場(そうでなければ政治家としての薄っぺらさ加減をどう取り繕うか)である。何を今さら・・・で、ただの悪趣味なのだが、なかなか面白い人間模様ではないか(笑)。
既に劇は始まっている。
枝野幸男氏は「党の公式見解に沿う」と言葉少なで、身の振り方については口を閉ざしたらしい。辻元清美氏のスケジュールは週末まで全てキャンセルされ、事務所でも動きを把握していないという。小池新党に移った細野氏は「(合流にあたって)三権の長を経験した方々はご遠慮いただく」とも述べたのに対し、野田佳彦前首相は「小池さんと前原さんが決めることだ。先に離党していった人の股をくぐる気は全くない」とせめてもの意地を見せたのはさすがで、(諦めが悪くて小心者?の)菅直人元首相に至っては終始無言だったという。こんな人を首相に選んだのだ・・・とは思い出したくもない。
自民党も他人事ではない。安倍首相という一枚看板に甘えて、魔の二回生は極端な例だが、どこまで政治信念があるのかといったあたりになると、甚だ怪しい。弱小とはいえ野党が寄ってたかって、それに朝日・毎日・東京といったリベラル系メディアも加わって、政策云々ではなく印象操作という感情に訴える手法で反・安倍で纏まると、支持率という些か浮ついた人心による評価はいとも簡単にグラついてしまった。そもそも政党でありながらヌエの如く右から左まで(保守からリベラルまで)良くも悪くも包容力があるのは、戦後・自民党のお家芸である。その劣悪コピーである旧・民主党や民進党が消えて行くのは世の定めとは言え、もし投票まで十分に時間があって、本当の意味で(というのは政策論で)与・野党を問わず保守とリベラルに分かれて政界再編に繋がったとしたら・・・夢でしかないが、小池女史という触媒の株は大いにあがったことだろう。
あるいは時間がなくて、小池新党といってもカタチだけで、小池女史の真価が問われなくて、却ってこれ幸いなのかも知れない。実際、橋下徹氏(前大阪市長)は「しかし朝日新聞や毎日新聞は酷いな。僕が石原(慎太郎)さんや江田(憲司)さんと組もうとしたときには、重箱の隅を突くような細かな政策の一致やこれまでの言動との整合性を求めた。ところが希望と民進の合流は反安倍でとにかくOKだって。国民はそんなに甘くないし、そんなことやってるからメディアの信頼が落ちる」と批判したらしい。相変わらず反・安倍という感情論はあっても、政策論はないのだ。
・・・とまあ、今回は飽くまでドタバタ劇であることが惜しまれるし、望んだところでこの程度だろうという諦めが、毎度のことながらちょっと哀しい。無責任な一介の市民としては冷ややかな目で、せめて楽しみを見つけながら、成り行きを見守るしかない(最後はちょっと自虐的か・・・な)。