東京オリンピックの延期が24日に発表されるのを待っていたかのように、翌25日に東京都・小池知事は今週末の「不要不急の外出自粛」を要請した。ここ数日の感染者数はもう一段階レベルが上がったような感じで、「感染経路を追えない感染者」の増加が不安視されている。海外からの帰国者が国内で発症するケースも増えており、専門家は「1月の中国に次ぐ感染拡大の『第2波』」と警戒を強めているらしい。
その翌26日に、私は休暇をとって成田空港にいた。まさにその帰国者として、アメリカに短期留学中の子供が予定を早めて帰国することになり、26日午前0時のデッドラインに間に合わなかったので、公共交通機関を使わず14日間は自宅などで待機すべしとの指示を守るべく、車で迎えに行ったのだった(もっともこのデッドラインは形式的な基準であって、一日の差で行動を変えるものでもないのだが)。検疫に時間がかかると思っていたが、子供はアメリカの方が厳しいのではないかと呟いた。
私が休んでいる間に、会社では原則「在宅勤務」の指示が出た(それまでは半分程度の出勤率を目処としていた)。急なこと故、翌27日は残務処理のため出社したが、オフィスは閑散としていた。ところが駅も通勤電車内も、それなりに混んでいた。世の中にはテレワーク環境が整っていない企業が多いだろうし(経済的な理由ばかりでなく、日本人のメンタリティは変化に対応できないだろう)、テレワークに馴染まない職種もある。その意味ではテレワーク環境が整っている企業・人は率先してテレワークを実施し、首都圏の混雑緩和に協力するよう要請されているのだろうと想像する。
そんな日本の対応の緩さは相変わらず話題だ。昨日の共同通信によると、「米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は26日、新型コロナウイルスの日本での感染状況について『厳しい外出制限をしていないのに、イタリアやニューヨークのようなひどい状況を回避している』と指摘、世界中の疫学者は理由が分からず『当惑している』と伝えた」という。しかし続けて、「日本が医療崩壊を避けるため、意図的に検査を制限しているとの見方を紹介」「米コロンビア大の専門家は、日本のやり方は『ばくち』であり『事態が水面下で悪化し、手遅れになるまで気付かない恐れがある』と警鐘を鳴らした」というが、心外である(笑)。日本人の衛生観念(だけでなく実践も)や、良い意味での同調圧力と規律ある行動を知らないのだろう。しかし、安心していられない状況であるのも事実だ。今朝のTVニュースには、「自粛なら」「やめろと言われない限り」街に繰り出す若者の映像が流れていた。
当初、中国で感染が広がっている内は、データに信ぴょう性がなかったが(苦笑)、世界中に広がるにつれ、以前、ハーバード大学の講師がニューズウィーク誌に「(語弊を恐れずに言うと)隔離されたクルーズ船は、ウイルスの性質を研究するには絶好の実験室」だと言ったダイヤモンド・プリンセス号をはじめとして貴重なデータが蓄積され、分からないなりにも、だんだん中身が濃い論説が見られるようになった。ここ数日、私が気付いた範囲でも、以下のものがなかなか興味深かった。
●国立国際医療研究センター国際感染症センター・忽那賢志医師へのインタビュー
(前編)「都内で感染者急増 新型コロナ患者を診る医師が、いま一番恐れていること」https://bunshun.jp/articles/-/36802
(後編)「PCR検査の対象は「日韓で大きく異ならない」新型コロナ患者を診る医師が報道を危惧する理由」 https://bunshun.jp/articles/-/36805
●大阪大学大学院医学系研究科/生命機能研究科・吉森保教授
「新型コロナ感染爆発の危機、日本人はいま「薄氷」の上に立っている」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71393
●「ある医師がエンジニアに寄せた“コロナにまつわる現場の本音”」 https://eetimes.jp/ee/articles/2003/25/news053.html
先ほどの共同通信(と言うよりニューヨーク・タイムズ紙)に反論するものとして、忽那医師は、PCR検査が少ないと言われることに対して、次のように答えて明快である(但しインタビューは一週間前)。
(引用)
日本では症状のある人や接触者を中心に検査をしていますが、ライブハウスなどのクラスターが発生したところでは、無症状の接触者も検査しているので、(韓国と比べて)大きく検査対象が異なっているわけではないと思います。
韓国では、教会で、若い人の間に感染が拡大しました。症状が出た人の他に、教会にいた濃厚接触者の検査をまずは徹底的に行ったので、無症状の人も必然的に多く検査することになりました。韓国も、患者が大量に出たので、多く検査をしたというのが実情だと思います。テレビで専門家を称する人が主張するように、誰にでもPCR検査をやっていたわけではありません。
韓国は致死率が低く、イタリアは高いですが、これも韓国独自の対策の成果というよりは、韓国の陽性者は若年者が多く、イタリアの陽性者に高齢者が多いことを反映していると思います。韓国では医療崩壊は起こっていませんが、重症者が少ないからではないでしょうか。
(検査数が少なすぎるのでは、との更なる問いに)少なくとも東京都では、必要な症例には検査がされている状態と考えます。なぜなら、医師が「この人は感染しているのでは」と疑って検査をした症例での陽性率(=実施した検査の中で、陽性の結果が出た確率)が東京都の場合、5%程度だからです。つまり、医師が感染を疑った患者さんのうち、実際に陽性の患者さんは20人に1人なので、検査数が少ないことで感染者を大量に見逃している、ということはないはずなのです。
例えば、「検査をした2人に1人と陽性が出る」という状態ですと、市中に広く蔓延し、見逃されている例があると考えられますが、今はそのような状態ではありません。
検査数が十分かどうかは、地域によっても異なります。クラスターが発生している兵庫、大阪、愛知などでは、もう少し検査をした方がいいかもしれません。(注:25日には、東京都内の病院でも10人以上のクラスター感染が確認された)
ドライブスルー検査をするのであれば、どんな人に検査をするのか、症状や接触歴があるなど、対象をはっきりと絞る必要があるでしょう。
(引用おわり)
また、吉森教授は、これまでに得られた知見、すなわち(1)(インフルエンザ感染者が他の人にうつす率は、どの人でもほぼ同じなのに対し)SARS-CoV-2(新型コロナ)は、ほとんどの感染者が他人にはうつさないのに一部の人が大量の二次感染(クラスター感染)を起こす、(2)理由は不明だが、日本ではなぜか他人に感染させる率が低い(検査数が少ないためそう見えるわけでは無い)、(3)北大の西浦教授が発見したクラスター感染を引き起こす3条件(政府専門家会議が繰り返し述べているもので、「換気の悪い密閉空間」+「多くの人が密集」+「手を伸ばしたら届く範囲での会話や発声」)については学術的な理由付けは今後の研究を待たねばならないがこの3条件が全て揃うとクラスター感染の危険性が高い、といった事実を挙げた上で、次のように述べておられる(長くなるが、味わい深いので引用する)。
(引用)
専門家会議が力を入れているクラスター対策とは、クラスター感染の発生阻止と、その早期発見早期制圧である。大阪のライブハウスで発生したクラスターは、早期に発見され制圧(=感染者を把握し、検査などを行うこと)できた。全国で散発したクラスターもいずれも現時点では制圧できている。
クラスター感染発生阻止には、まず第一に個人個人の手洗いや手指や物の消毒が重要だ。集団の中に感染者がいたとしても、周囲の人がウイルスを体内に入れなければ、当然ながら感染は拡大しない。そしてなおかつ上記3条件の重なりを避けることが重要である。
SARS-CoV-2とインフルエンザウイルスの違いには、前者は不顕性感染(感染しても症状が出ないこと)が多いということもある。まだ明確な値は不明だが、60%と推測する人もいる。貴重なデータを提供することになったダイヤモンド・プリンセス号ではPCR検査陽性者のうち51%が検査の時点で無症状であった。
さらにインフルエンザに比べると感染から発症までの潜伏期が長く、平均7日と言われている。つまりその時点で無症状だが感染している人が、クラスター感染を起こす可能性があるし、クラスター感染が検知されないこともありうる。
このような状況下ではクラスターの早期発見と制圧が常にうまくいくとは限らない。個人の意識の高さのほうが重要なのだ。逆に言えば、皆が手を洗い消毒し、密室・密集・密接の3条件が重ならないように心がければ日本を救うことができる。特に高齢者や肺の病気などの基礎疾患を持つ人は重症化のリスクが高いので、それらの人への感染防止を強く意識すれば、愛する人々を失わなくて済む。
クラスター感染の阻止に失敗しメガクラスターが発生するなどしてR0(基本再生産数: ひとりの感染者がある時点において他の人を何人感染させるかの平均値)が上昇すると、ごく短い期間(1〜2週間)で感染爆発が起こり、欧米のような都市封鎖、外出禁止、商店・会社の操業停止が我が国でも現実のものとなる。我々は紙一重の状況にいる。
私はこれまで過度にCOVID-19を恐れる必要はなく過剰な自粛は社会の閉塞と経済的破綻の原因となるので、感染による直接被害と自粛などによる間接被害の総和を最小化することを目指そうと言ってきた。それは現状では可能である。手洗い・消毒と3条件の回避。それほどストレスなく実行可能である。
今は、逆に感染防止に対する個人の意識が後退することを恐れる。人間は私を含め最初は過剰に反応するが、時間が経つと慣れが生じ不安も感じなくなる。感染者数もびっくりするほど増えてないし、もういいのじゃないかと。イベントに人が集まる例が見られるのもそのような空気の反映かも知れない(もっとも、中止されるイベントなどについては、政治的な補償も検討されるべきかもしれない。これは政治に期待したい)。
しかし今まだ我々は薄氷の上に立っている。イタリアやアメリカに在住する人々の生々しいレポートに触れると、我が国における安穏とした日々は奇跡のようだ。
ウイルスと闘ってくれるアベンジャーズやジェダイはいないが、私たちひとりひとりが、日本を悲惨な状況に陥らせない守護者なのだということを思わずにいられない。過度にヒロイックになる必要はないが、私たちひとりひとりの行動が社会を守るのである。そのことは強調しすぎることはない。
(引用おわり)
確かに「慣れ」というより自粛行動に「飽き」が来ている(苦笑)。心したいところだ。
その翌26日に、私は休暇をとって成田空港にいた。まさにその帰国者として、アメリカに短期留学中の子供が予定を早めて帰国することになり、26日午前0時のデッドラインに間に合わなかったので、公共交通機関を使わず14日間は自宅などで待機すべしとの指示を守るべく、車で迎えに行ったのだった(もっともこのデッドラインは形式的な基準であって、一日の差で行動を変えるものでもないのだが)。検疫に時間がかかると思っていたが、子供はアメリカの方が厳しいのではないかと呟いた。
私が休んでいる間に、会社では原則「在宅勤務」の指示が出た(それまでは半分程度の出勤率を目処としていた)。急なこと故、翌27日は残務処理のため出社したが、オフィスは閑散としていた。ところが駅も通勤電車内も、それなりに混んでいた。世の中にはテレワーク環境が整っていない企業が多いだろうし(経済的な理由ばかりでなく、日本人のメンタリティは変化に対応できないだろう)、テレワークに馴染まない職種もある。その意味ではテレワーク環境が整っている企業・人は率先してテレワークを実施し、首都圏の混雑緩和に協力するよう要請されているのだろうと想像する。
そんな日本の対応の緩さは相変わらず話題だ。昨日の共同通信によると、「米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は26日、新型コロナウイルスの日本での感染状況について『厳しい外出制限をしていないのに、イタリアやニューヨークのようなひどい状況を回避している』と指摘、世界中の疫学者は理由が分からず『当惑している』と伝えた」という。しかし続けて、「日本が医療崩壊を避けるため、意図的に検査を制限しているとの見方を紹介」「米コロンビア大の専門家は、日本のやり方は『ばくち』であり『事態が水面下で悪化し、手遅れになるまで気付かない恐れがある』と警鐘を鳴らした」というが、心外である(笑)。日本人の衛生観念(だけでなく実践も)や、良い意味での同調圧力と規律ある行動を知らないのだろう。しかし、安心していられない状況であるのも事実だ。今朝のTVニュースには、「自粛なら」「やめろと言われない限り」街に繰り出す若者の映像が流れていた。
当初、中国で感染が広がっている内は、データに信ぴょう性がなかったが(苦笑)、世界中に広がるにつれ、以前、ハーバード大学の講師がニューズウィーク誌に「(語弊を恐れずに言うと)隔離されたクルーズ船は、ウイルスの性質を研究するには絶好の実験室」だと言ったダイヤモンド・プリンセス号をはじめとして貴重なデータが蓄積され、分からないなりにも、だんだん中身が濃い論説が見られるようになった。ここ数日、私が気付いた範囲でも、以下のものがなかなか興味深かった。
●国立国際医療研究センター国際感染症センター・忽那賢志医師へのインタビュー
(前編)「都内で感染者急増 新型コロナ患者を診る医師が、いま一番恐れていること」https://bunshun.jp/articles/-/36802
(後編)「PCR検査の対象は「日韓で大きく異ならない」新型コロナ患者を診る医師が報道を危惧する理由」 https://bunshun.jp/articles/-/36805
●大阪大学大学院医学系研究科/生命機能研究科・吉森保教授
「新型コロナ感染爆発の危機、日本人はいま「薄氷」の上に立っている」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71393
●「ある医師がエンジニアに寄せた“コロナにまつわる現場の本音”」 https://eetimes.jp/ee/articles/2003/25/news053.html
先ほどの共同通信(と言うよりニューヨーク・タイムズ紙)に反論するものとして、忽那医師は、PCR検査が少ないと言われることに対して、次のように答えて明快である(但しインタビューは一週間前)。
(引用)
日本では症状のある人や接触者を中心に検査をしていますが、ライブハウスなどのクラスターが発生したところでは、無症状の接触者も検査しているので、(韓国と比べて)大きく検査対象が異なっているわけではないと思います。
韓国では、教会で、若い人の間に感染が拡大しました。症状が出た人の他に、教会にいた濃厚接触者の検査をまずは徹底的に行ったので、無症状の人も必然的に多く検査することになりました。韓国も、患者が大量に出たので、多く検査をしたというのが実情だと思います。テレビで専門家を称する人が主張するように、誰にでもPCR検査をやっていたわけではありません。
韓国は致死率が低く、イタリアは高いですが、これも韓国独自の対策の成果というよりは、韓国の陽性者は若年者が多く、イタリアの陽性者に高齢者が多いことを反映していると思います。韓国では医療崩壊は起こっていませんが、重症者が少ないからではないでしょうか。
(検査数が少なすぎるのでは、との更なる問いに)少なくとも東京都では、必要な症例には検査がされている状態と考えます。なぜなら、医師が「この人は感染しているのでは」と疑って検査をした症例での陽性率(=実施した検査の中で、陽性の結果が出た確率)が東京都の場合、5%程度だからです。つまり、医師が感染を疑った患者さんのうち、実際に陽性の患者さんは20人に1人なので、検査数が少ないことで感染者を大量に見逃している、ということはないはずなのです。
例えば、「検査をした2人に1人と陽性が出る」という状態ですと、市中に広く蔓延し、見逃されている例があると考えられますが、今はそのような状態ではありません。
検査数が十分かどうかは、地域によっても異なります。クラスターが発生している兵庫、大阪、愛知などでは、もう少し検査をした方がいいかもしれません。(注:25日には、東京都内の病院でも10人以上のクラスター感染が確認された)
ドライブスルー検査をするのであれば、どんな人に検査をするのか、症状や接触歴があるなど、対象をはっきりと絞る必要があるでしょう。
(引用おわり)
また、吉森教授は、これまでに得られた知見、すなわち(1)(インフルエンザ感染者が他の人にうつす率は、どの人でもほぼ同じなのに対し)SARS-CoV-2(新型コロナ)は、ほとんどの感染者が他人にはうつさないのに一部の人が大量の二次感染(クラスター感染)を起こす、(2)理由は不明だが、日本ではなぜか他人に感染させる率が低い(検査数が少ないためそう見えるわけでは無い)、(3)北大の西浦教授が発見したクラスター感染を引き起こす3条件(政府専門家会議が繰り返し述べているもので、「換気の悪い密閉空間」+「多くの人が密集」+「手を伸ばしたら届く範囲での会話や発声」)については学術的な理由付けは今後の研究を待たねばならないがこの3条件が全て揃うとクラスター感染の危険性が高い、といった事実を挙げた上で、次のように述べておられる(長くなるが、味わい深いので引用する)。
(引用)
専門家会議が力を入れているクラスター対策とは、クラスター感染の発生阻止と、その早期発見早期制圧である。大阪のライブハウスで発生したクラスターは、早期に発見され制圧(=感染者を把握し、検査などを行うこと)できた。全国で散発したクラスターもいずれも現時点では制圧できている。
クラスター感染発生阻止には、まず第一に個人個人の手洗いや手指や物の消毒が重要だ。集団の中に感染者がいたとしても、周囲の人がウイルスを体内に入れなければ、当然ながら感染は拡大しない。そしてなおかつ上記3条件の重なりを避けることが重要である。
SARS-CoV-2とインフルエンザウイルスの違いには、前者は不顕性感染(感染しても症状が出ないこと)が多いということもある。まだ明確な値は不明だが、60%と推測する人もいる。貴重なデータを提供することになったダイヤモンド・プリンセス号ではPCR検査陽性者のうち51%が検査の時点で無症状であった。
さらにインフルエンザに比べると感染から発症までの潜伏期が長く、平均7日と言われている。つまりその時点で無症状だが感染している人が、クラスター感染を起こす可能性があるし、クラスター感染が検知されないこともありうる。
このような状況下ではクラスターの早期発見と制圧が常にうまくいくとは限らない。個人の意識の高さのほうが重要なのだ。逆に言えば、皆が手を洗い消毒し、密室・密集・密接の3条件が重ならないように心がければ日本を救うことができる。特に高齢者や肺の病気などの基礎疾患を持つ人は重症化のリスクが高いので、それらの人への感染防止を強く意識すれば、愛する人々を失わなくて済む。
クラスター感染の阻止に失敗しメガクラスターが発生するなどしてR0(基本再生産数: ひとりの感染者がある時点において他の人を何人感染させるかの平均値)が上昇すると、ごく短い期間(1〜2週間)で感染爆発が起こり、欧米のような都市封鎖、外出禁止、商店・会社の操業停止が我が国でも現実のものとなる。我々は紙一重の状況にいる。
私はこれまで過度にCOVID-19を恐れる必要はなく過剰な自粛は社会の閉塞と経済的破綻の原因となるので、感染による直接被害と自粛などによる間接被害の総和を最小化することを目指そうと言ってきた。それは現状では可能である。手洗い・消毒と3条件の回避。それほどストレスなく実行可能である。
今は、逆に感染防止に対する個人の意識が後退することを恐れる。人間は私を含め最初は過剰に反応するが、時間が経つと慣れが生じ不安も感じなくなる。感染者数もびっくりするほど増えてないし、もういいのじゃないかと。イベントに人が集まる例が見られるのもそのような空気の反映かも知れない(もっとも、中止されるイベントなどについては、政治的な補償も検討されるべきかもしれない。これは政治に期待したい)。
しかし今まだ我々は薄氷の上に立っている。イタリアやアメリカに在住する人々の生々しいレポートに触れると、我が国における安穏とした日々は奇跡のようだ。
ウイルスと闘ってくれるアベンジャーズやジェダイはいないが、私たちひとりひとりが、日本を悲惨な状況に陥らせない守護者なのだということを思わずにいられない。過度にヒロイックになる必要はないが、私たちひとりひとりの行動が社会を守るのである。そのことは強調しすぎることはない。
(引用おわり)
確かに「慣れ」というより自粛行動に「飽き」が来ている(苦笑)。心したいところだ。