風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

追悼:志村けんさん

2020-03-31 00:43:22 | スポーツ・芸能好き
 新型コロナウイルスに感染したと聞いて、まさかとは思っていたが、昨日(29日)、肺炎のために亡くなったと聞いて、心にぽっかり穴が開いたような感じがなかなか抜けない。享年70。まだ若い。
 急展開だった。3月17日に倦怠感を覚えて自宅で療養、19日に発熱や呼吸困難の症状が現れたため、20日に主治医の診断を受けた結果、重度の肺炎と診断され、港区の病院に搬送され緊急入院、21日に人工呼吸器に切り替えた段階から意識はなく、23日に新型コロナウイルス検査で陽性と判明、人工心肺装置を装着して治療をしていたという。何より私たちにとっては、新型コロナウイルス感染が公表された24日から僅か一週間で帰らぬ人となった。
 デビューとも言える「8時だヨ!全員集合」は、まだテレビゲームもない時代に、視聴率50%のオバケ番組で、私のような昭和の子供にとって、われらがアイドル、これがなければ週末にならない、忘れられない番組だ。同時に、子供に見せたくないワースト番組としてPTAから睨まれて、社会現象にもなった。昨今のお笑いは、ひな壇に並んだ芸人が喋くるバラエティ番組が中心だが、昔は舞台に大掛かりな仕掛けがあって、作り込まれたコントで笑いを取る「芸」が見ものだった。
 周囲からは「もともとは極度の照れ屋」と評されるらしい。北野武さんからは「天才」と絶賛され、「コント職人」とも称された志村さんは、飽くまでコントにこだわり、お笑い以外の仕事はほとんど断っていたそうで、これまで映画に出演したのは、高倉健さんに直接頼まれて断れなかった「鉄道員(ぽっぽや)」だけだそうだ。ところが、この4月からNHKの朝ドラ『エール』への出演や、12月公開予定の映画『キネマの神様』で初の主演が決まり、さらに7月には地元・東村山を聖火ランナーとして走ることまで決まって、ずいぶん意気込んでいたという。オリンピック延期も知らないまま・・・なんだか切ない。
 芸能界40周年の節目にその半生を語った「週刊文春」2012年10月11日号掲載のロングインタビューが再録されていた。おちゃらけた仕草に潜む、そのひたむきさが何ともいとおしい。以下、抜粋。

(前略) 藤山寛美さんも好きだし、三木のり平さんや、由利徹さんですかね。なぜかというと、みなさんやっぱり芸があるんです。最近そういう方は少ないけれども、東八郎さんなんかは、「バカ殿」の爺をやってもらうと、踊りもできる、立ち回りもパッパッと型になる、決まるっていうのかなあ。所作が全部できるんですよ。今は喜劇人というのがないんですね。芸人と喜劇人は俺の中では違うんです。寄席に出ている人は、漫才師とか、芸人さんですよね。喜劇人は舞台中心で寄席には出ませんから。(中略) 夢? うーん、もう62歳(当時)だからね。たいそうな夢とかじゃなくて、今の体をずーっと続けていくことかなあ。たとえば今年で7回目になる舞台「志村魂」とかね。お笑いは説明がいらないからね、だから、理屈とか、これがこう面白いとか、解説者みたいなのはあんまり好きじゃないんですよ。僕の考えだと、お笑いはだいたい動きが7で、言葉が3の配分なんです。だからお笑いは世界中の人に通じると思うんですよね。お笑いって、よくわかんないけど元気とパワーをもらえるよね。笑ってるとさ、また頑張ろうって思えるじゃない。マックボンボン時代から数えるともう40年か、あっという間だね。こんなにお笑いを長くやるとは思ってなかったけど、僕にはこれが一生の仕事ですからね。死ぬまでずっと続けますよ。(了)

 米・英・中の主要紙も速報し、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(電子版)は「日本の喜劇王」と呼んだ。なるほど、そういう形容もあったか・・・一つの時代が終わったような喪失感に囚われるのは、決して大袈裟ではないように思う。日本中の子供たちを笑いで包んでくれた感謝の気持ちとともに、心よりご冥福をお祈りし、合掌。
コメント
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