スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」が発表した最新の「ジェンダーギャップ指数」によると、日本は昨年の121位から120位と1つしかランク・アップしていなくて、相変わらず低迷していることが明らかになった。この現象を論じたものとして、同指数2位のフィンランド、ヘルシンキ大学非常勤教授を務めておられる岩竹美加子さんが、現代ビジネスに「日本はいよいよ『後進国』に・・・世界が驚いた『男女格差の深刻実態』」(4月9日付、https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81936)を寄せておられる。如何にも、というタイトルだ。最近のオリパラ組織委員会での森さん発言をはじめとして、やっぱり、ほらね、と、ここぞとばかりに日本のリベラル・メディアが食いつく、ホットなテーマだ。しかし、「後進国」とまで言われることには違和感がある。
その意味で、統計の専門家である本川裕さんのコラムが興味深かった(「世界120位「女性がひどく差別される国・日本」で男より女の幸福感が高いというアイロニー」4月7日付、https://president.jp/articles/-/44903)。
本川さんによると、視点が違うが、「国連開発計画(UNDP)」が毎年刊行する「人間開発報告書」で作成されている「ジェンダー不平等指数」という統計数値があり、日本は162カ国中24位と、それほど「女性差別」社会とは言えない結果が出ているらしい。「世界経済フォーラム」の方では、大臣の男女比率や管理職比率など政治・経済分野のウエートが高かったり、健康分野の指標として「新生児の男女比率」と「健康寿命の男女差」が含まれるのに対して、「国連開発計画」の方では「妊産婦死亡率」や「未成年出生率」などの指標が含まれたりするなど、統計である以上、視点が違えば結果が違うのは当然である。
問題は、それで「幸せ」なのかどうかを追求しているところが、本川さんのコラムのユニークなところだ。
「幸せ」かどうかについて、ほぼ5年おきに国際的に共通調査票で調べる「世界価値観調査」の最近の結果(2021年1月)によると、「幸福度」について女性から男性を引いた値、すなわち「幸福度女性優位」のランキングで、日本はフィンランドに次ぐ世界第2位なのだそうだ。因みに、日本では長年、女性の方が男性より幸福感を感じやすい状況が続いているらしい。
ほれ見たことか、と今のありようを是認したいわけではない。
一つには、やはり「幸せ」かどうかを抜きに、ただ西欧的な基準で男女平等かどうかを比べても意味がないだろうと素朴に思う。
もう一つには、日本の社会は、女性の社会進出という点で西欧諸国に比べて後れているのは事実だ。西欧をはじめ諸外国で女性がこれだけイキイキと活躍していて、日本もその後を追っているとすると、世の中の半分を占める女性の視点でも商品やサービスを開発するなど、多様な視点で社会のあり方を考え、女性が益々活躍する時代に合った社会へとリ・デザインしていくことが重要であるのは間違いない。それは日本が後進国だと言うのではなく、日本的な社会から西欧的な社会へ変容する過程と捉えるのが正しいように思う。
というのは日本では、男性の方が相対的にではあるが「幸せ」ではないと感じていて、私流に言わせれば窮屈に感じるところがあるにしても、男女ともにほぼ「幸せ」と感じていることからすると、天照大神や卑弥呼を持ち出すまでもなく、少なくとも「女性蔑視」というような意識の問題ではなく、「女性差別」と言うより「男女ともに差別」あるいは偏見のない「男女格差」とでも言うべき、制度・慣行の問題であり、日本的な文化的なものだと思うわけだ。『刑事コロンボ』・・・とはちょっと古いが、その吹き替えで、「うちのカミさんがね・・・」と日本語訳されたセリフを呟く、故ピーター・フォークさん演じる、よれよれコートを羽織った冴えない(ように見えるだけの)コロンボ刑事が実にハマって、日本でも人気を博したように、日本では夫は妻に頭が上がらない。先日もある対談で、年配の女性の方が、かつてアメリカ人から、日本の女性は専業主婦が多く、家庭に押し込められている(最近はそうでもないが)と言われたときに、でも日本の家庭では妻が財布を握っていると言い返したら、そのアメリカ人はびっくりしていたらしい。まあ、それも今となっては昔の話だ。
結論として、女性解放ばかり叫ぶのではなく、男性解放のためにも、男女が等しく参画する社会にするのは良いことだと思うのだ。結論だけ見るとなんと平凡なことだろう(失笑)。ということで、所謂フェミニストの方々には、どうかお手柔らかに、と言いたくなる。
その意味で、統計の専門家である本川裕さんのコラムが興味深かった(「世界120位「女性がひどく差別される国・日本」で男より女の幸福感が高いというアイロニー」4月7日付、https://president.jp/articles/-/44903)。
本川さんによると、視点が違うが、「国連開発計画(UNDP)」が毎年刊行する「人間開発報告書」で作成されている「ジェンダー不平等指数」という統計数値があり、日本は162カ国中24位と、それほど「女性差別」社会とは言えない結果が出ているらしい。「世界経済フォーラム」の方では、大臣の男女比率や管理職比率など政治・経済分野のウエートが高かったり、健康分野の指標として「新生児の男女比率」と「健康寿命の男女差」が含まれるのに対して、「国連開発計画」の方では「妊産婦死亡率」や「未成年出生率」などの指標が含まれたりするなど、統計である以上、視点が違えば結果が違うのは当然である。
問題は、それで「幸せ」なのかどうかを追求しているところが、本川さんのコラムのユニークなところだ。
「幸せ」かどうかについて、ほぼ5年おきに国際的に共通調査票で調べる「世界価値観調査」の最近の結果(2021年1月)によると、「幸福度」について女性から男性を引いた値、すなわち「幸福度女性優位」のランキングで、日本はフィンランドに次ぐ世界第2位なのだそうだ。因みに、日本では長年、女性の方が男性より幸福感を感じやすい状況が続いているらしい。
ほれ見たことか、と今のありようを是認したいわけではない。
一つには、やはり「幸せ」かどうかを抜きに、ただ西欧的な基準で男女平等かどうかを比べても意味がないだろうと素朴に思う。
もう一つには、日本の社会は、女性の社会進出という点で西欧諸国に比べて後れているのは事実だ。西欧をはじめ諸外国で女性がこれだけイキイキと活躍していて、日本もその後を追っているとすると、世の中の半分を占める女性の視点でも商品やサービスを開発するなど、多様な視点で社会のあり方を考え、女性が益々活躍する時代に合った社会へとリ・デザインしていくことが重要であるのは間違いない。それは日本が後進国だと言うのではなく、日本的な社会から西欧的な社会へ変容する過程と捉えるのが正しいように思う。
というのは日本では、男性の方が相対的にではあるが「幸せ」ではないと感じていて、私流に言わせれば窮屈に感じるところがあるにしても、男女ともにほぼ「幸せ」と感じていることからすると、天照大神や卑弥呼を持ち出すまでもなく、少なくとも「女性蔑視」というような意識の問題ではなく、「女性差別」と言うより「男女ともに差別」あるいは偏見のない「男女格差」とでも言うべき、制度・慣行の問題であり、日本的な文化的なものだと思うわけだ。『刑事コロンボ』・・・とはちょっと古いが、その吹き替えで、「うちのカミさんがね・・・」と日本語訳されたセリフを呟く、故ピーター・フォークさん演じる、よれよれコートを羽織った冴えない(ように見えるだけの)コロンボ刑事が実にハマって、日本でも人気を博したように、日本では夫は妻に頭が上がらない。先日もある対談で、年配の女性の方が、かつてアメリカ人から、日本の女性は専業主婦が多く、家庭に押し込められている(最近はそうでもないが)と言われたときに、でも日本の家庭では妻が財布を握っていると言い返したら、そのアメリカ人はびっくりしていたらしい。まあ、それも今となっては昔の話だ。
結論として、女性解放ばかり叫ぶのではなく、男性解放のためにも、男女が等しく参画する社会にするのは良いことだと思うのだ。結論だけ見るとなんと平凡なことだろう(失笑)。ということで、所謂フェミニストの方々には、どうかお手柔らかに、と言いたくなる。
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