週末は、大谷翔平選手が、開幕4戦目の本拠地アナハイムでのホワイトソックス戦で、ついに「2番・投手」という「リアル二刀流」で先発出場を果たして、“歓喜”した(残念ながら勝敗はつかなかったが)。本人にとって待ちに待ったメジャー公式戦・初で、メジャーとしてはDH制を使わない投手兼打者での出場は2016年以来、「2番・投手」での先発出場に至っては1903年以来、実に118年ぶりという快挙だった(2番という打順の重要性にも注目したい)。おまけに1回裏の第1打席で初球を振りぬいて先制2号ソロを放つとは、持っているものが違い過ぎる。ESPNの某記者は、「初回に101マイルを投げて、1回裏に(打球速度)115マイルで打った。あり得ない」とツイートした。次の登板が待ち遠しい。
しかしこの週末は何と言っても、白血病を克服した池江璃花子さんが、競泳の日本選手権・女子100メートルバタフライ決勝で優勝(57秒77)した上、個人として(派遣標準記録57秒10)は叶わなかったが400メートルメドレーのリレーメンバーとして(派遣標準記録57秒92)東京五輪代表の内定を勝ち取るという、奇跡的な復活を果たしたことに、“狂喜”した。
白血病を公表したのは、今から2年前の2019年2月のことだった。10ヶ月の闘病生活を経て、12月末に退院したが、筋肉は削げ落ちて懸垂が一回もできず、ウェイト・トレーニングから始めなければならなかったそうだ。プールに復帰するには半年かかると言われながら、3ヶ月後の昨年3月に実に406日振りにプールで練習を再開し、それでも感染リスクを避けるため水に顔をつけた練習をしたのは更にその1ヶ月後で、8月下旬には競技復帰を果たし、そこから僅か7ヶ月である。普通の大学生活を楽しんでます、クラブ活動も出来るようになりました、ではない。再び日本の頂点を極め、五輪出場を自力で手繰り寄せたのである。2016年のリオ五輪で日本選手として史上初となる7種目を泳ぐほどの若さと体力と飛び抜けた実力の持ち主だったとは言え、驚異的だ。本人は、「次のパリ(2024年五輪)が目標」と公言していたのに、その夢が3年後ではなく4ヶ月後に実現する。
この快挙に、あのIOCが公式ツイッターにバッハ会長名で祝福のメッセージを寄せた。「オリンピアンたちは決して諦めない。池江は白血病と診断されてから、わずか2年で東京五輪への出場権を得た。東京で会うことが待ち切れない。(Olympians never give up. Congratulations to cancer survivor Rikako Ikee for qualifying for the Tokyo Olympics only two years after being diagnosed with leukemia. Can’t wait to see you in Tokyo.)」 東洋の一選手の五輪代表内定ごとき、と言っては失礼だが、そこに言及するのは極めて異例であろう。
そうは言っても、一時は体重が15キロ以上も減って、今もまだベストから5キロほど軽く、かつてのはちきれんばかりの無敵の強靭さよりも、普通の大学生のような線の細さが気になってしまう。こうなっては、明後日の100メートル自由形でも派遣標準記録突破を期待してしまうが、焦らないようにしよう。
彼女のインタビューに泣かされた(最近はコロナ禍のせいもあって涙腺がすっかり緩んでいる 笑)。
(3年振りに優勝した気持ちを問われて)「自分が、勝てるのは、ずっと先のことだと思ってたんですけど、勝つための練習もしっかりやってきましたし、最後は『ただいま』って気持ちで入場してきたので、自分がすごく自信なくても、努力は必ず報われるんだなという風に思いました」
(ここまでの道のりで一番に頭をよぎったことを問われて)「誰に泳いでも勝てなかった時のことを一番に思い出しましたし、一発目に200のバタフライを泳いだ時のことを考えても、やっぱり自分には、まだ100のバタフライで活躍できるのは、まだ先のことなんだなと思いましたし・・・」
(今、心の中の桜は何分咲きかと問われて)「7分か8分ぐらいですかね」
(どうしたら満開になるかと問われて)「いつかオリンピックで、金メダルもしくはメダルを取れたらかなと思う」
東京五輪開催に向けては逆風続きで、池江選手のことを救世主の如くに喜んで迎え入れたのは間違いなく五輪の組織委員会やIOC(バッハ会長)だっただろう。利権やコマーシャリズムのことはさておく。大阪や兵庫で変異株のコロナウィルスが蔓延し、道のりはなお険しいが、池江選手ばかりでなく多くの選手たちの努力が報われて活躍することが出来る4年(今回は5年だが)に一度の檜舞台が無事に整うことをただ祈るばかりである。
しかしこの週末は何と言っても、白血病を克服した池江璃花子さんが、競泳の日本選手権・女子100メートルバタフライ決勝で優勝(57秒77)した上、個人として(派遣標準記録57秒10)は叶わなかったが400メートルメドレーのリレーメンバーとして(派遣標準記録57秒92)東京五輪代表の内定を勝ち取るという、奇跡的な復活を果たしたことに、“狂喜”した。
白血病を公表したのは、今から2年前の2019年2月のことだった。10ヶ月の闘病生活を経て、12月末に退院したが、筋肉は削げ落ちて懸垂が一回もできず、ウェイト・トレーニングから始めなければならなかったそうだ。プールに復帰するには半年かかると言われながら、3ヶ月後の昨年3月に実に406日振りにプールで練習を再開し、それでも感染リスクを避けるため水に顔をつけた練習をしたのは更にその1ヶ月後で、8月下旬には競技復帰を果たし、そこから僅か7ヶ月である。普通の大学生活を楽しんでます、クラブ活動も出来るようになりました、ではない。再び日本の頂点を極め、五輪出場を自力で手繰り寄せたのである。2016年のリオ五輪で日本選手として史上初となる7種目を泳ぐほどの若さと体力と飛び抜けた実力の持ち主だったとは言え、驚異的だ。本人は、「次のパリ(2024年五輪)が目標」と公言していたのに、その夢が3年後ではなく4ヶ月後に実現する。
この快挙に、あのIOCが公式ツイッターにバッハ会長名で祝福のメッセージを寄せた。「オリンピアンたちは決して諦めない。池江は白血病と診断されてから、わずか2年で東京五輪への出場権を得た。東京で会うことが待ち切れない。(Olympians never give up. Congratulations to cancer survivor Rikako Ikee for qualifying for the Tokyo Olympics only two years after being diagnosed with leukemia. Can’t wait to see you in Tokyo.)」 東洋の一選手の五輪代表内定ごとき、と言っては失礼だが、そこに言及するのは極めて異例であろう。
そうは言っても、一時は体重が15キロ以上も減って、今もまだベストから5キロほど軽く、かつてのはちきれんばかりの無敵の強靭さよりも、普通の大学生のような線の細さが気になってしまう。こうなっては、明後日の100メートル自由形でも派遣標準記録突破を期待してしまうが、焦らないようにしよう。
彼女のインタビューに泣かされた(最近はコロナ禍のせいもあって涙腺がすっかり緩んでいる 笑)。
(3年振りに優勝した気持ちを問われて)「自分が、勝てるのは、ずっと先のことだと思ってたんですけど、勝つための練習もしっかりやってきましたし、最後は『ただいま』って気持ちで入場してきたので、自分がすごく自信なくても、努力は必ず報われるんだなという風に思いました」
(ここまでの道のりで一番に頭をよぎったことを問われて)「誰に泳いでも勝てなかった時のことを一番に思い出しましたし、一発目に200のバタフライを泳いだ時のことを考えても、やっぱり自分には、まだ100のバタフライで活躍できるのは、まだ先のことなんだなと思いましたし・・・」
(今、心の中の桜は何分咲きかと問われて)「7分か8分ぐらいですかね」
(どうしたら満開になるかと問われて)「いつかオリンピックで、金メダルもしくはメダルを取れたらかなと思う」
東京五輪開催に向けては逆風続きで、池江選手のことを救世主の如くに喜んで迎え入れたのは間違いなく五輪の組織委員会やIOC(バッハ会長)だっただろう。利権やコマーシャリズムのことはさておく。大阪や兵庫で変異株のコロナウィルスが蔓延し、道のりはなお険しいが、池江選手ばかりでなく多くの選手たちの努力が報われて活躍することが出来る4年(今回は5年だが)に一度の檜舞台が無事に整うことをただ祈るばかりである。
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