安倍首相のハワイ真珠湾訪問後の世論調査結果が30日付の読売新聞と日経新聞に出ていた。安倍内閣の支持率は、読売新聞では63%で、前回調査(2~4日)の59%からやや上昇し、2014年9月の64%以来の高い水準になったというし、日経新聞では64%で、11月下旬の前回調査から6ポイント上昇し、2013年10月以来、3年2ヶ月ぶりの高い水準になったという。いずれも、首相の真珠湾訪問を評価する声が高かったお陰のようだ(読売新聞では85%、日経新聞では84%)。オバマ大統領とともに、旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者らを慰霊し、演説で「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない」と述べて「不戦の誓い」を「不動の方針」と強調したのは、確かに良かった。今回の演説で、「『謝罪』には言及せず、2015年の米上下両院合同会議演説や戦後70年談話で用いた「反省」や「悔悟」などの単語も盛り込まなかった」(日経)から、国内の保守派からも好感されたことだろう。
首相は、今月5日、この真珠湾訪問を表明する直前の自民党役員会で、「戦後の総決算をしたい」と語り、訪問を表明した後、周囲に「これで戦後は完全に終わりになるかな。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない」と漏らしたらしい。三年半前の衆院予算委で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言して、それなりに正論ではあるが、国の内外から「保守反動のリビジョニスト(歴史修正主義者)」と叩かれたことに懲りたのだろう、方針転換しつつも、やはり拘りをもって目指すのは「戦後の総決算」のようだ。日経は「戦争を巡る各国との歴史認識のズレはしばしば戦後の日本外交の足かせとなってきた。過去の清算に人的資源と時間を割かれ、未来志向の外交を展開できないとの思いがあったようだ」と好意的に解説し、私もその通りだと心から思うが、世の中はなおそう甘いものではないとも思う。
朝日新聞は、訪問の翌29日、「真珠湾訪問 『戦後』は終わらない」とタイトルした社説を掲載した。「過去」への視線が抜け落ちているとして「真珠湾攻撃を、さらには日米のみならずアジア太平洋地域の国々に甚大な犠牲をもたらした先の戦争をどう振り返り、どう歴史に位置づけるか。演説はほとんど触れていない」となじり、「日米の『和解』は強調するのに、過重な基地負担にあえぐ沖縄との和解には背を向ける」と、沖縄の声を聞かない姿勢を非難した。朝日新聞らしい懺悔論だ。
朝日の論調には賛同しないが、別の意味で、アジアとの和解はそれほど簡単なことではないと思う。例えばどちらかというと保守系の日経新聞の「春秋」ですら、安倍首相の真珠湾訪問に関して、猪瀬直樹氏の著書「昭和16年夏の敗戦」を取り上げ、「米国と戦争すれば日本は必ず負ける」とする分析(総力戦研究所)を政府に伝えていたにもかかわらず、こうした優れた人材や分析を当時の指導者は生かせなかったとして、「75年前に開戦を決めた詔書に署名した閣僚のひとりは、首相の祖父にあたる。それを思えば、感慨は深い」と述べたのに続けて、「冷めた目で見ると、かつての指導部がおかした過ちの後始末といえる。実際のところ、彼らが残したツケを戦後の日本は払い続けて来た。アジアの国々から日本に向けられている厳しい視線も、そんなツケのひとつだろう」と結論づける。負ける戦争を(そのように具申した人がいてもなお)始めたのが愚かな決断だった(あるいはそんな愚かな指導者を頂いていた)と片付けて良いのか、それとも何故、負けると分かっていながらなお戦争に踏み切らざるを得なかった当時の事情まで考慮しているのかどうか、という意味では踏み込みが足りないように思うのだが、どうも日本人として先の戦争をきっちり総括できていないように思わざるを得ない(と言い続けて何年になるか)。そして、そうである限り、主戦場となったアジアの国々との真の和解は簡単ではないように思う。
このあたりを、内閣府が24日に発表した「外交に関する世論調査」でも追ってみたい。アジア各国が日本のことをどう思うか以前に(あるいはそれを踏まえて)、日本人は中国に「親しみを感じる」のは16・8%、韓国に対して「親しみを感じる」のは38・1%、ロシアに「親しみを感じる」のは19・3%にとどまるという現実は重い。アメリカに「親しみを感じる」84.1%は措いても、インドのように地理的にちょっと離れた国に「親しみを感じる」42.2%はおろか、中東諸国(トルコ、サウジアラビアなど)に「親しみを感じる」23.6%にも、アフリカ諸国(南アフリカ、ケニア、ナイジェリアなど)に「親しみを感じる」25.6%にも及ばない中国やロシアというのは、一体、どうしたわけだろう。これでは政府も外交をやり辛かろう。折しも、政府は「領土問題などの対外情報発信を強化するため、民間シンクタンクなどの研究機関との連携を強化」(産経)し、「『領土・主権・歴史』をテーマに、日本の主張の裏付けとなる客観的事実を調査研究する機関への補助金制度を新設する」(同)ことが報じられた。「領土」・「主権」に関して、客観的事実を広く世界に知らしめるのはよいとして、「歴史」はどう扱うのだろうか。従軍慰安婦問題に矮小化するのではなく、東京裁判史観の呪縛から逃れてより客観的に(全く客観的にとはいかないまでも)日本の先の戦争を果たして総括できるのだろうか。
日米の間で、明確な「謝罪」なく「和解」に至る道筋を描いたという意味では快挙だった(「真珠湾」と明確な戦争犯罪としてのホロコーストである「原爆」を同列に論じられるものではないのだけれども)。しかし日米と言えども、「和解」なるもの、首相一人の演説で決まるものではない。日本国民レベルの84.1%があってこそ、首相の演説がアメリカのメディアで拾われ、外交レベルの「和解」に至ると考えるべきだ。そうだとすれば、アジア、とりわけ東アジア諸国との和解は、簡単ではないことは自明である。願わくは、さりながら、今回の日米和解がアジア諸国との和解の始まりとならんことを・・・。
首相は、今月5日、この真珠湾訪問を表明する直前の自民党役員会で、「戦後の総決算をしたい」と語り、訪問を表明した後、周囲に「これで戦後は完全に終わりになるかな。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない」と漏らしたらしい。三年半前の衆院予算委で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言して、それなりに正論ではあるが、国の内外から「保守反動のリビジョニスト(歴史修正主義者)」と叩かれたことに懲りたのだろう、方針転換しつつも、やはり拘りをもって目指すのは「戦後の総決算」のようだ。日経は「戦争を巡る各国との歴史認識のズレはしばしば戦後の日本外交の足かせとなってきた。過去の清算に人的資源と時間を割かれ、未来志向の外交を展開できないとの思いがあったようだ」と好意的に解説し、私もその通りだと心から思うが、世の中はなおそう甘いものではないとも思う。
朝日新聞は、訪問の翌29日、「真珠湾訪問 『戦後』は終わらない」とタイトルした社説を掲載した。「過去」への視線が抜け落ちているとして「真珠湾攻撃を、さらには日米のみならずアジア太平洋地域の国々に甚大な犠牲をもたらした先の戦争をどう振り返り、どう歴史に位置づけるか。演説はほとんど触れていない」となじり、「日米の『和解』は強調するのに、過重な基地負担にあえぐ沖縄との和解には背を向ける」と、沖縄の声を聞かない姿勢を非難した。朝日新聞らしい懺悔論だ。
朝日の論調には賛同しないが、別の意味で、アジアとの和解はそれほど簡単なことではないと思う。例えばどちらかというと保守系の日経新聞の「春秋」ですら、安倍首相の真珠湾訪問に関して、猪瀬直樹氏の著書「昭和16年夏の敗戦」を取り上げ、「米国と戦争すれば日本は必ず負ける」とする分析(総力戦研究所)を政府に伝えていたにもかかわらず、こうした優れた人材や分析を当時の指導者は生かせなかったとして、「75年前に開戦を決めた詔書に署名した閣僚のひとりは、首相の祖父にあたる。それを思えば、感慨は深い」と述べたのに続けて、「冷めた目で見ると、かつての指導部がおかした過ちの後始末といえる。実際のところ、彼らが残したツケを戦後の日本は払い続けて来た。アジアの国々から日本に向けられている厳しい視線も、そんなツケのひとつだろう」と結論づける。負ける戦争を(そのように具申した人がいてもなお)始めたのが愚かな決断だった(あるいはそんな愚かな指導者を頂いていた)と片付けて良いのか、それとも何故、負けると分かっていながらなお戦争に踏み切らざるを得なかった当時の事情まで考慮しているのかどうか、という意味では踏み込みが足りないように思うのだが、どうも日本人として先の戦争をきっちり総括できていないように思わざるを得ない(と言い続けて何年になるか)。そして、そうである限り、主戦場となったアジアの国々との真の和解は簡単ではないように思う。
このあたりを、内閣府が24日に発表した「外交に関する世論調査」でも追ってみたい。アジア各国が日本のことをどう思うか以前に(あるいはそれを踏まえて)、日本人は中国に「親しみを感じる」のは16・8%、韓国に対して「親しみを感じる」のは38・1%、ロシアに「親しみを感じる」のは19・3%にとどまるという現実は重い。アメリカに「親しみを感じる」84.1%は措いても、インドのように地理的にちょっと離れた国に「親しみを感じる」42.2%はおろか、中東諸国(トルコ、サウジアラビアなど)に「親しみを感じる」23.6%にも、アフリカ諸国(南アフリカ、ケニア、ナイジェリアなど)に「親しみを感じる」25.6%にも及ばない中国やロシアというのは、一体、どうしたわけだろう。これでは政府も外交をやり辛かろう。折しも、政府は「領土問題などの対外情報発信を強化するため、民間シンクタンクなどの研究機関との連携を強化」(産経)し、「『領土・主権・歴史』をテーマに、日本の主張の裏付けとなる客観的事実を調査研究する機関への補助金制度を新設する」(同)ことが報じられた。「領土」・「主権」に関して、客観的事実を広く世界に知らしめるのはよいとして、「歴史」はどう扱うのだろうか。従軍慰安婦問題に矮小化するのではなく、東京裁判史観の呪縛から逃れてより客観的に(全く客観的にとはいかないまでも)日本の先の戦争を果たして総括できるのだろうか。
日米の間で、明確な「謝罪」なく「和解」に至る道筋を描いたという意味では快挙だった(「真珠湾」と明確な戦争犯罪としてのホロコーストである「原爆」を同列に論じられるものではないのだけれども)。しかし日米と言えども、「和解」なるもの、首相一人の演説で決まるものではない。日本国民レベルの84.1%があってこそ、首相の演説がアメリカのメディアで拾われ、外交レベルの「和解」に至ると考えるべきだ。そうだとすれば、アジア、とりわけ東アジア諸国との和解は、簡単ではないことは自明である。願わくは、さりながら、今回の日米和解がアジア諸国との和解の始まりとならんことを・・・。
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