先週は、選挙イヤーでいろいろ驚かされることがあると書いたら、今週は、選挙演説中のトランプ前大統領が銃撃を受けたことに驚かされた。右耳上部に銃弾を受けたか、あるいは(プロンプターのような?)ガラスの破片を受けたという報道もあるが、ご本人の命に別状はなかったのは何よりだった(聴衆に犠牲者が出てしまったが)。
ちょうど二年前、安倍元首相が銃撃を受けたのを、つい思い出してしまう。もし存命なら、今の自民党の体たらくは許さなかっただろうし、この秋の自民党総裁選に三度目の出馬があったかも知れないと思うと、なんだかやりきれない思いにとらわれる。
トランプ氏は、一発目の銃声で「伏せろ」の声と身を挺するシークレット・サービスに守られて、身を屈めた。そして暗殺者は即座に、警護するシークレット・サービスのカウンター・スナイパーによって射殺された。如何にも銃社会のアメリカらしい、手慣れた対応には感心してしまう(もっとも、金属探知機で持ち物チェックされる会場内はともかくとして、会場外であっても演説場所から120~150メートル程度離れた建物の屋上という、ライフルで狙撃可能な場所を警戒しなかった警護の責任を追及する声があがっているようだ)。一方の安倍元首相は、一発目の銃声に伏せずに振り向いて、命を落としたのだった。平和な日本の脇の甘さと詰られても反論のしようがない。
さて、トランプ2.0は、同盟国としては勘弁して欲しいと、つい思ってしまうが、決めるのはアメリカ国民だ。今回の銃撃事件に際して、トランプ氏は軽傷だったこともあり、会場を後にするときに拳を何度か突き上げて健在ぶりをアピールしたのは、さすがだった。大統領にはこうした力強さを、アメリカ人は求める。
もっとも、選挙戦はまだ四ヶ月近く残されており、9月10日に第2回テレビ討論会が、また、10月には(2016年のヒラリー・クリントン氏のメール問題や、2020年のトランプ氏の新型コロナウイルス感染などのような)見えないイベント「オクトーバー・サプライズ」が控えて、予断を許さない。同盟国としては、国際秩序にも十分に目配りする大統領を期待するが、バイデン氏のように舌禍で弱腰に付け込まれたり、トランプ氏のように不規則発言で懸念国の行動を牽制したり、結局、どちらが良いのか、実はよく分からないのが正直なところではあるのだが。
何はともあれ、最悪の事態でアメリカが、ひいては世界が混乱するのを避けることが出来たのは幸運だったと思う。そしてトランプ氏が強運であることも思わないわけにはいかない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます