風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2024回顧:AI

2024-12-31 11:51:50 | 日々の生活

 ここ数年のAIの進歩は凄まじい。所詮、人間が理解する世界はたかが知れていて、人類の知の資産を乗り超えて、想定外の発見がなされるのではないかと期待する声もあるが、人類には果たしてどんな未来が待ち受けているのか、私のようなボンクラな文系人間でもシンギュラリティのことを薄っすらと不安に思わないわけにはいかない。当面は、軍事を取り巻く環境でAIの活用が広がることが懸念される。社会不安に極度に神経質な中国では、人手に頼らずにAIを軍事転用する動きが活発化していて戦争へのハードルが下がる(低烈度の紛争が頻発する)のではないかと気になるし、そもそもウクライナ戦争では北朝鮮が実戦経験を積むことに警戒が広がったように、ウクライナや中東で新兵器の見本市のように実戦投入されて開発が加速されているし、旧式兵器在庫をここぞとばかりに一掃するロシアや北朝鮮で兵器が刷新される未来には大いに不安がある。やはり戦争はやってはいけないのだ。かつて軍事技術が民生転用された事例は、弾道計算のためのコンピュータや衛星通信やGPSから、缶詰や電子レンジのマイクロウェーブに至るまで枚挙にいとまがないが、最近はその逆でAIや量子といった民生技術を軍事が取り込む事例が増え、今、戦争が現に行われている中で大盛況という、技術が進歩するとしても余り嬉しくない状況にある。また、身近なところでも、偽情報・誤情報・怪情報に溢れ、中国やロシアやイランや北朝鮮といった新・悪の枢軸とも言われる権威主義国家にとって、自由でオープンな民主主義社会は付け入る隙だらけで、益々社会の分断が進みそうである。

 今年、通勤途上で読む本の中で(ということは持ち運びの点でも読み易さの点でも軽めのものになる)、AI関連でいくつか面白いものに出合った。

 一つは『AIにはできない』(栗原聡著、角川新書)。キリスト教の影響を強く受ける西欧では神に次ぐ人間存在を重く見るがために道具としてのAIにこだわるのに対し、鉄腕アトムやドラえもんを生み出した日本人こそ将来登場する自律型AIと共生する時代をリードできるのではないかとか、自律型AIは日本的な「おもてなし」を目指すべきではないかなど、AI開発で後れをとって閉塞感を覚える私のような日本人には心地よい話があって、明るくなれる(笑)。何より「サイモンのアリ」の話から説き起こされる「群知能」や「スケーリング則」の話が面白い。今はまだ何となくジョージ・オーウェルの『十九八四年』のような巨大AI(コンピュータ)を思い浮かべてしまうが、いずれAIも様々に組み合わさってシステム化されていくことは、コンピュータ業界の発展を見ずとも、自然に受け止められる。AIと共生するためには、初等教育では情報教育よりも社会的動物としての人間らしさを学ぶことの方が重要という指摘は、あらためてAIを開発し社会実装していく上では人間や社会を理解することの方が重要であることを意味し、私自身もこれからAIとどのように付き合っていくのか、自分はどうあるべきなのかと、考えさせられる。

 もう一つは『AIを生んだ100のSF』(大澤博隆ほか監修、ハヤカワ新書)。SFと言っても私は星新一くらいしか完読していないが、日本人なら誰もが鉄腕アトムやドラえもんやコブラなどに身近に接していて、様々な分野の様々な世代の専門家が、育った時代毎に見たTVアニメや映画や小説などのSF体験を語るのは、なかなかに興味深い。その中で、松尾豊・東大教授の対談が印象に残った。以下抜粋;

(引用はじめ)よく、「AIで仕事がなくなる」と言われますけど、なくなるわけないじゃんと思っています。人間の仕事が生産に寄与している、という思い上がりはもうやめた方がよくて、農業や資源採掘をやってる人なんてほとんどいないわけですよ。それでも、たとえば数社のビールメーカーがシェアを奪い合ったりしているわけです。ビールは十分うまいのに、新商品のなんとかビールとか冬のビールとかを発表して、売上が上がったとか下がったとか、勝った負けたとか言っている。それを大真面目に、何万人・何十万人がやっているわけですよ。結局、人間には「味方を集めて敵と戦う」という習性があって、それが面白いんです。人間は社会的動物だから、味方を定義して、敵と戦うことによって脳の報酬系が出て、それが好きなんですね。人間とはそういうもので、AIがいくら発展しようが、味方を作って敵と戦うんだけど、そこにおいては人間同士の相対的な優劣が重要で。相対的に優れていると認められる人が上にのぼっていくし、そうじゃない人が失脚することになる。(それはある種のゲームですね、の合いの手に)そうなんです。味方を作って敵と戦う、ということをやっているだけ。それが結局「仕事」なんですね。そう思うと、仕事なくなるわけないじゃないですか。そういう意味では、人間は進化的なものに縛られ過ぎていますよね。進化的な報酬系と感情に縛られている。(引用おわり)

 ビジネスに携わっていると、日本では一つの業界に企業数が多過ぎて、日本というコップの中の争いで疲弊して、世界に打って出る余力がない、なんて恨み節の自己批判をするが、結局、ヒトは競争が好きで止められないのだ。「味方を集めて敵と戦う」のが好きだからこそ、団体スポーツや果てはオリンピックのような疑似戦争を編みだして戦争回避する努力も見せてきた。その反動で共産主義を夢見たこともあった。AIを研究することは詰まり人間(の脳)や社会(の仕組み)を研究することであって、そのAI研究の最前線におられる方がさらりと述べておられる皮肉とも言える毒がやんわりと心に突き刺さる。

 AIはいずれ感情表現できるようになるとも言われる。脳のメカニズムは物理現象として解明されつつあり、いずれ機械(システム)で再現出来るかもしれない。しかし、人間は全てを記憶するわけではなく、水に流すという美徳もある。事象の重みづけによって記憶に強弱があり、一人ひとりに固有の人格が形成される。逆に、こうした重みづけを与える(栗原聡さんの言葉を借りれば、目的を与える)ことによって、AIにも人格もどきが生まれるのだろうか。宇宙海賊コブラの相棒である女性型アーマロイド・レディのように。確かに私のスマホは良くも悪くも私の好みに最適化してしまっている。そうすれば、欲も生まれるのだろうか。興味が尽きない。

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