風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ものづくり敗戦

2020-09-17 22:53:36 | ビジネスパーソンとして
 メーカー勤務のサラリーマンとして、最近、二つの新聞報道にちょっとした衝撃を受けた。
 一つは、ちょっと古くなるが7月1日、米国市場でアメリカのEV(電気自動車)メーカーであるテスラの時価総額が一時2105億ドル(約22兆6000億円)となり、同日の東京市場のトヨタの時価総額(21兆7185億円)を抜いて、自動車メーカーで世界首位に立ったことだ。もとより技術者としても実業家としても、イーロン・マスク氏の傑出ぶりは言うまでもないが、昨年の世界販売は僅か37万台である(言わずもがな、トヨタは1000万台を超える)。
 もう一つは、中国のドローン(小型無人機)メーカーDJIの最新機種を分析したところ、約8割の部品(金額ベース)で汎用品を使い、競合比で約半分という低コストと技術力が競争力の源泉であることが浮き彫りになったことだ(8月28日付、日本経済新聞)。
 日本は長らく「ものづくり大国」を自称し、実際に世界を牽引してきた。しかし、それも1980年代までのことだろう。冷戦が崩壊して東欧が国際社会に復帰し、天安門事件でいったん孤立した中国が再び国際社会に包摂されてからは、「ものづくり」の国際分業が加速し、日本は空洞化して行った。象徴的なのが、パソコンや携帯電話やスマホなどの情報機器だろう。コアな部品(OSやCPUなど)が標準化された特殊な産業で、技術が成熟するにつれ、開発・製造は台湾ODMによる中国工場で行われるようになった。エイサー創業者の施振栄(スタン・シー)氏が描いて見せた所謂「スマイル・カーブ」(横軸に開発・製造から販売・サービスに至るビジネス・プロセスを、縦軸に付加価値をとった場合に、川上の部品・素材、川下のSIやサービスという両端で付加価値が高く、真ん中の組立工程で低くなる)に沿った動きだ。ところが、二つ目の記事は、日本のメーカーが一種の「神話」と信じて進めて来た国際分業を否定するような動きを示しているように見える。他方、自動車産業は、パソコンなどとは違って、自社製エンジンとメカの組合せ(所謂擦り合わせ技術)に日本独自の強みがあって、安定した成長を遂げて来た。ところが、一つ目の記事で、トヨタと言えども安泰とは言えないことが読み取れる。
 日本の「ものづくり」が失敗したのは、ハードウェアとソフトウェアの開発・製造のプロセスの違いを認識できていないからではないかと思う。
 例えば、日本のパソコンは、商品を企画してから市場にリリースするまでの期間が長いと言われた。日本では品質の安定を重視するため、何種類かのCPUやメモリなどの部品の互換性や、HDDその他の周辺機器の接続テストを実施する上、家計簿ソフトや年賀状ソフトなど、バンドルする様々なアプリケーション・ソフトを評価するため、時間が余計にかかってしまうのである。そうこうしている内に、次のCPUやメモリやHDDの新製品が市場に出て来るので、パソコンが出荷される頃には最新スペックではなくなってしまう(その代わり品質の安定性は担保されるのだが)。私が駐在したマレーシアをはじめとする東南アジア諸国は「新しいもの好き」で(笑)、最新鋭のCPUやメモリやHDDを搭載するからこそ売れるのであって、日本製はさっぱり人気がなかったものだ。
 すなわち、ハードウェアのものづくりは、量産ラインに乗せる前に、バグを潰して完璧にすることで、後戻り工数やコストを減らすことに本質があり、そのためにカイゼン活動がある。それに対して、ソフトウェアは、カタチが出来たら先ずは世に出して(アルファ版、ベータ版など)、後からパッチを当てるなどして、バグを潰して完成度をあげて行くという、製品の作り方に顕著な違いがある。それが、日本は石橋を叩いて渡り、アジア諸国は走りながら考える、という行動性向の違いにマッチしているのがなんとも不思議だ(笑)。想像するに、日本メーカーはパソコンをハード製品と認識して、ものづくりの発想で製品を作り込んでいたのに対し、日本以外ではパソコンをソフトを動かすツールとしか見ていなくて、ソフトウェア開発の発想で、パソコンを売っていたのではないだろうか。こうしてスピードで負け、売れなければ、ボリュームが出ないので、コストでも負けてしまう。パソコンを分解したら、限定された台湾の開発・製造会社が請け負うので、中身は殆ど同じだったりするから、コスト・ダウンできなければ商売にはならないのである。
 冒頭、取り上げた二つの記事は、「ものづくり」の重心がソフトウェアに移り、自動車と言えども、メカそのものではなく動かすソフトが、またドローンにしても制御するソフトにこそ、付加価値の源泉があることを示しているのだろう。また余談になるが、中国メーカーには、他国に閉鎖的な自国市場で独占的に量を捌いてコスト・ダウンを図れる国家資本主義であることが有利に働いている。さらに付け加えるならば、最近の日本では、最初から海外を向いて「ものづくり」する気概が見えなくなっている。
 いずれにしても日本のハードウェア志向の伝統的な「ものづくり」は、もはやアメリカのGAFAや中国のBATHと言われるIT企業のスピードについて行けないように思えてしまうのは、別に私のせいではないのだが(笑)、同時代を生きて来たサラリーマンとして内心忸怩たるものがある。アメリカの華為技術(ファーウェイ)制裁によって同社がスマホ事業から撤退するという噂が出るのを見ると、かつて半導体産業で世界に冠たる日本は、ごく限られた製造設備や素材で生きながらえているに過ぎず(それでも韓国に対する輸出規制の武器になり得るレベルではあるのだが)、実はアメリカがしぶとくその技術を握っていることが判明し、愕然としている。日本は世界の希少種としてニッチな世界でしか生きて行けないのか、なんとか復活できないものか・・・というのは、ただの感傷に過ぎないのだろうか。もっとも自動車はパソコンなどと違って、桁違いの品質の安定性が求められるため、パソコンやスマホなどの情報機器での「ものづくり敗戦」と同一視できないだろう。今後、世界のトヨタの「ものづくり」がどのように対抗し進化して行くのか、興味深いところだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国における国家の品格 | トップ | 靖国問題 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ビジネスパーソンとして」カテゴリの最新記事