三が日は、ホロ酔い加減でぼんやりしたまま、あっという間に過ぎて、明日からまた仕事が始まる。
テレビを見なくなって久しいが、年末年始は久しぶりにちょっとだけ覗いて見た。
久しぶりに熱くなったのは、大晦日に行われたWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチで、王者・井岡一翔が同級1位・田中恒成を8回TKOで退けた。挑戦者の田中はプロ最速タイの12戦で3階級を制覇をしたボクシング界のホープで、4階級制覇を目指すべく昨年1月に王座を返上していた。試合前から、「世代交代を目指す。スピードとパワー、スタミナは僕の方が上」と挑発し、受けて立つ井岡は、「格の違いをみせる。特に意識をしていた選手でもない。僕にとってはメリットのない試合」と強気のコメントをして、ボルテージは否が応にも上がった。蓋を開けたら・・・田中は確かに素晴らしいスピードとパワーでチャンピオンをしばしばリング際に追い詰めた。しかし、31歳の井岡はまだベテランではないのだろうが試合巧者で、うまくかわしながらカウンターのジャブやフックを効果的にちょこちょこ決めて、いつの間にか試合を支配し始めた。元WBA世界王者の内山高志さんは、「井岡はまるでボクシングの教科書に載っているような基本に忠実な戦い方だった。3回とも左フックでダウンを取るのはすごい。これはディフェンスの差。井岡はフック打つときも上体を上げず、(アゴや上体を)やや引きながら打っている。引くことにより相手のパンチが(顔から)ズレるし、加えてしっかりガードしながら打っているので相打ちになってもパンチをもらわない」と両者のディフェンスの差が出た試合だと語った。なるほど。試合後に礼を言いに来た田中と健闘を称え合ったのも、またインタビューでの井岡のコメントも良かった。「この試合は僕からしたら全然サプライズな試合ではないんですけど、格の違いを見せると言ってきたので、男として証明出来て良かったと思います。僕はこれからどれくらいボクシングを続けていけるかわからないですけど、田中選手はまだまだこれからの選手なんで、必ず彼がこれからのボクシング界を引っ張っていってくれると思います」 「他の格闘技も盛り上がっていますが、ボクシングの魅力を伝えられたらいいなと思っているので、これがThis is BOXINGだと思うので、こういう試合をこれからもしていきたいと思います」。 ただの「殴り合い」と言ってしまえばそれまでだが、「走る」という単純な競技とともに、原始的とも言える素朴な闘争本能がくすぐられる。良い試合だった。
見逃した番組もいくつかあった。
「芸能人格付けチェック!」は、GACKTが指名してコンピを組んだ倖田來未のことを、「どちらかというと限りなく嫌いなタイプだった」にもかかわらず健闘し、「くぅちゃんのこと大好きになりまして」と印象が一変したと語って、自らは個人65連勝を達成したらしい。番組プロデューサーによると、GACKTは「この番組に懸ける思いがすごく、勉強をしています」ということだそうで、大したものだ。私は20年ほど前の会社の忘年会で、カリフォルニア帰りの似非ワイン通として、5000円のワインと1000円のワインの利き酒できずに大いに盛り上がった・・・
「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」が、コロナ禍から9ヶ月振りに復活したらしいが、見逃した。人気者の出川にはロケ先で地元の人たちがドッと群がって、濃厚接触になりかねないことと、リアルガチの番組で、取材先を事前に決められず、誰と会うことになるのかも分からず、コロナ対策が難しいことが、平常化が遅れた理由とされるが(放送コラムニスト高堀冬彦氏による)、まさにこのあたりが売りの番組なので致し方ない。リアクション芸人としての彼の本領発揮で、憎めない人柄が、なんともほのぼのとする。
他方、正月恒例の箱根駅伝は、見始めるとキリがないので見なかった。「応援したいから、応援に行かない」という、いまひとつ(?)のキャッチコピーを掲げて、沿道での応援自粛を要請していたが、それなりに人が集まってしまったらしい。今年も、新型コロナに振り回されるのだろうか。
政治学者でオーラルヒストリーというユニークな分野を開拓された御厨貴さんの対談がAERAに掲載されていた。「コロナというのは、政治家にとって最も苦手な分野なんですね。政治家は、何かが起きたときに終着点を見極めて、それに向かって計画を立てて走っていくのが得意ですが、コロナは終着点がないですからね。」 「何をやっても右から左からつつかれますしね。コロナってみんなよくわからないから、一億総評論家になってるんですよ。一種のヒステリー社会になってますね。」 おっしゃる通り。SNSの時代は、ツイートも一つの娯楽と見るべきだろうが、ことコロナに関わると、そうではなくなってしまうところがある。対談相手の林真理子さんが「(朝日新聞の首相)動静を見てると、たまに会う相手はテレビ局の社長とか、IT企業の社長とか……」と言ったのに対して、「彼は実務家の実務的な話を聞くことが勉強になると思ってきた人なんですよ。極端に言うと、たぶんあの人には哲学がない。イデオロギーもない。さらに文化的なことに対する関心もない。合理主義と現場主義の塊のような人ですね。」 そこまで言う・・・と驚きながらも、やっぱりそうか・・・と(苦笑)。政界は、100日のハネムーン期間を過ぎて、相変わらずの混迷に入りそうだ。
もう一つ、世界は今年も米中対立に振り回されるのだろう。
中国の王毅外相は国営新華社通信などの取材に対して、「米新政権が理性を取り戻して対話を再開し、再び両国関係が正しい軌道に戻って協力することを望む」と述べたらしいが、理性的になればなるほど、話が噛み合わず、認識の壁(あるいは溝)を感じることになるのではないだろうか。そもそも中国の挑戦的・挑発的態度をあらためない限り・・・(気持ちは分からないではないが、やり方というものがあるだろうに・・・)とは思うが、中国は、ポメランツが言う「大分岐」以前の歴史的存在に逆戻りしようとしている。
昨年末、業界団体の農協ツアーもどきが、コロナ禍のために出張できなくて、居ながらのWeb会議に切り替わり、英・独などの関係者と話す機会があった。そこで先ず感じたのは、コロナ禍が一つの契機となって、ヨーロッパの中国に対する見方が厳しくなっている(正確には、かなり懐疑的に転じて当惑している)ことだった。数年前とは様変わりである。また、英国は昨年末を以て移行期間が終わって1月1日からEUを離脱したが、英国の人はUni-lateralな政策を進められることに、ある種の解放感を覚えているようなのが印象的だった。あの、うっかりの(と私には思える)国民投票から4年半が経ち、諦めもついたし割り切りも出来たのだろうか。それに対して、大陸側の人はMulti-lateralこそ効果的で重要だと異口同音に語っていて、こちらもBREXITを教訓に結束が固まったように感じる。ルール・メイキングの諸分野では独特の存在感を示すヨーロッパであるが、米中両大国が突出する世界でそれなりの政治力を発揮するためには、結局、それしかないのだろう。こうして、英国は(大陸とはちょっと距離をおく、政治学で言うところのオフショア・バランサーの)英国として、またヨーロッパ大陸は(英国人によれば、大陸こそヨーロッパであって、そこには自分たちが入らない)大陸として、歴史的な存在に逆戻りしたかのようだ。
翻って日本である。GDP世界三位と言いながら、どんどん置き去りにされ、埋もれかねないとともに、安全保障で米国に、経済で中国に依存し、米中対立のあおりで股裂き状態に陥りかねない懸念がある。中国とEUが年末に投資協定交渉で大枠合意したことを報じた産経の記事は、EUのボレル外交安全保障上級代表が、日本がインド太平洋戦略を掲げながら米国抜きでRCEPを実現したことは刺激となったとした上で、「毅然としながら開かれた態度をとっている」として、日本を対中外交のモデルにすべきだと主張したことを伝えている。う~ん、そこまでカッコ良いものではない、どちらかと言うと、優柔不断で決めかねつつ、どちらからも嫌われない苦渋の選択を重ねているだけのように思われるが、そんな欧州や英国(さらにはファイブ・アイズ)など、志を同じくする国々との連携(つまりは「束」になって)こそ、米中の間をとりもち、自由で開かれた国際社会を守るべく、これからの日本が生き抜く道であろう。
願わくは、昨年よりはHappier New Yearとならんことを・・・
テレビを見なくなって久しいが、年末年始は久しぶりにちょっとだけ覗いて見た。
久しぶりに熱くなったのは、大晦日に行われたWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチで、王者・井岡一翔が同級1位・田中恒成を8回TKOで退けた。挑戦者の田中はプロ最速タイの12戦で3階級を制覇をしたボクシング界のホープで、4階級制覇を目指すべく昨年1月に王座を返上していた。試合前から、「世代交代を目指す。スピードとパワー、スタミナは僕の方が上」と挑発し、受けて立つ井岡は、「格の違いをみせる。特に意識をしていた選手でもない。僕にとってはメリットのない試合」と強気のコメントをして、ボルテージは否が応にも上がった。蓋を開けたら・・・田中は確かに素晴らしいスピードとパワーでチャンピオンをしばしばリング際に追い詰めた。しかし、31歳の井岡はまだベテランではないのだろうが試合巧者で、うまくかわしながらカウンターのジャブやフックを効果的にちょこちょこ決めて、いつの間にか試合を支配し始めた。元WBA世界王者の内山高志さんは、「井岡はまるでボクシングの教科書に載っているような基本に忠実な戦い方だった。3回とも左フックでダウンを取るのはすごい。これはディフェンスの差。井岡はフック打つときも上体を上げず、(アゴや上体を)やや引きながら打っている。引くことにより相手のパンチが(顔から)ズレるし、加えてしっかりガードしながら打っているので相打ちになってもパンチをもらわない」と両者のディフェンスの差が出た試合だと語った。なるほど。試合後に礼を言いに来た田中と健闘を称え合ったのも、またインタビューでの井岡のコメントも良かった。「この試合は僕からしたら全然サプライズな試合ではないんですけど、格の違いを見せると言ってきたので、男として証明出来て良かったと思います。僕はこれからどれくらいボクシングを続けていけるかわからないですけど、田中選手はまだまだこれからの選手なんで、必ず彼がこれからのボクシング界を引っ張っていってくれると思います」 「他の格闘技も盛り上がっていますが、ボクシングの魅力を伝えられたらいいなと思っているので、これがThis is BOXINGだと思うので、こういう試合をこれからもしていきたいと思います」。 ただの「殴り合い」と言ってしまえばそれまでだが、「走る」という単純な競技とともに、原始的とも言える素朴な闘争本能がくすぐられる。良い試合だった。
見逃した番組もいくつかあった。
「芸能人格付けチェック!」は、GACKTが指名してコンピを組んだ倖田來未のことを、「どちらかというと限りなく嫌いなタイプだった」にもかかわらず健闘し、「くぅちゃんのこと大好きになりまして」と印象が一変したと語って、自らは個人65連勝を達成したらしい。番組プロデューサーによると、GACKTは「この番組に懸ける思いがすごく、勉強をしています」ということだそうで、大したものだ。私は20年ほど前の会社の忘年会で、カリフォルニア帰りの似非ワイン通として、5000円のワインと1000円のワインの利き酒できずに大いに盛り上がった・・・
「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」が、コロナ禍から9ヶ月振りに復活したらしいが、見逃した。人気者の出川にはロケ先で地元の人たちがドッと群がって、濃厚接触になりかねないことと、リアルガチの番組で、取材先を事前に決められず、誰と会うことになるのかも分からず、コロナ対策が難しいことが、平常化が遅れた理由とされるが(放送コラムニスト高堀冬彦氏による)、まさにこのあたりが売りの番組なので致し方ない。リアクション芸人としての彼の本領発揮で、憎めない人柄が、なんともほのぼのとする。
他方、正月恒例の箱根駅伝は、見始めるとキリがないので見なかった。「応援したいから、応援に行かない」という、いまひとつ(?)のキャッチコピーを掲げて、沿道での応援自粛を要請していたが、それなりに人が集まってしまったらしい。今年も、新型コロナに振り回されるのだろうか。
政治学者でオーラルヒストリーというユニークな分野を開拓された御厨貴さんの対談がAERAに掲載されていた。「コロナというのは、政治家にとって最も苦手な分野なんですね。政治家は、何かが起きたときに終着点を見極めて、それに向かって計画を立てて走っていくのが得意ですが、コロナは終着点がないですからね。」 「何をやっても右から左からつつかれますしね。コロナってみんなよくわからないから、一億総評論家になってるんですよ。一種のヒステリー社会になってますね。」 おっしゃる通り。SNSの時代は、ツイートも一つの娯楽と見るべきだろうが、ことコロナに関わると、そうではなくなってしまうところがある。対談相手の林真理子さんが「(朝日新聞の首相)動静を見てると、たまに会う相手はテレビ局の社長とか、IT企業の社長とか……」と言ったのに対して、「彼は実務家の実務的な話を聞くことが勉強になると思ってきた人なんですよ。極端に言うと、たぶんあの人には哲学がない。イデオロギーもない。さらに文化的なことに対する関心もない。合理主義と現場主義の塊のような人ですね。」 そこまで言う・・・と驚きながらも、やっぱりそうか・・・と(苦笑)。政界は、100日のハネムーン期間を過ぎて、相変わらずの混迷に入りそうだ。
もう一つ、世界は今年も米中対立に振り回されるのだろう。
中国の王毅外相は国営新華社通信などの取材に対して、「米新政権が理性を取り戻して対話を再開し、再び両国関係が正しい軌道に戻って協力することを望む」と述べたらしいが、理性的になればなるほど、話が噛み合わず、認識の壁(あるいは溝)を感じることになるのではないだろうか。そもそも中国の挑戦的・挑発的態度をあらためない限り・・・(気持ちは分からないではないが、やり方というものがあるだろうに・・・)とは思うが、中国は、ポメランツが言う「大分岐」以前の歴史的存在に逆戻りしようとしている。
昨年末、業界団体の農協ツアーもどきが、コロナ禍のために出張できなくて、居ながらのWeb会議に切り替わり、英・独などの関係者と話す機会があった。そこで先ず感じたのは、コロナ禍が一つの契機となって、ヨーロッパの中国に対する見方が厳しくなっている(正確には、かなり懐疑的に転じて当惑している)ことだった。数年前とは様変わりである。また、英国は昨年末を以て移行期間が終わって1月1日からEUを離脱したが、英国の人はUni-lateralな政策を進められることに、ある種の解放感を覚えているようなのが印象的だった。あの、うっかりの(と私には思える)国民投票から4年半が経ち、諦めもついたし割り切りも出来たのだろうか。それに対して、大陸側の人はMulti-lateralこそ効果的で重要だと異口同音に語っていて、こちらもBREXITを教訓に結束が固まったように感じる。ルール・メイキングの諸分野では独特の存在感を示すヨーロッパであるが、米中両大国が突出する世界でそれなりの政治力を発揮するためには、結局、それしかないのだろう。こうして、英国は(大陸とはちょっと距離をおく、政治学で言うところのオフショア・バランサーの)英国として、またヨーロッパ大陸は(英国人によれば、大陸こそヨーロッパであって、そこには自分たちが入らない)大陸として、歴史的な存在に逆戻りしたかのようだ。
翻って日本である。GDP世界三位と言いながら、どんどん置き去りにされ、埋もれかねないとともに、安全保障で米国に、経済で中国に依存し、米中対立のあおりで股裂き状態に陥りかねない懸念がある。中国とEUが年末に投資協定交渉で大枠合意したことを報じた産経の記事は、EUのボレル外交安全保障上級代表が、日本がインド太平洋戦略を掲げながら米国抜きでRCEPを実現したことは刺激となったとした上で、「毅然としながら開かれた態度をとっている」として、日本を対中外交のモデルにすべきだと主張したことを伝えている。う~ん、そこまでカッコ良いものではない、どちらかと言うと、優柔不断で決めかねつつ、どちらからも嫌われない苦渋の選択を重ねているだけのように思われるが、そんな欧州や英国(さらにはファイブ・アイズ)など、志を同じくする国々との連携(つまりは「束」になって)こそ、米中の間をとりもち、自由で開かれた国際社会を守るべく、これからの日本が生き抜く道であろう。
願わくは、昨年よりはHappier New Yearとならんことを・・・
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