風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

行く年

2020-12-31 10:19:04 | 日々の生活
 新型コロナに振り回された一年だった。
 数日前の日経は、インフルエンザの第51週(12/14~20)の報告数が、昨年同期の105,221件に対して今年は70件だったと報じた(厚労省のサイト: https://www.mhlw.go.jp/content/000711501.pdf)。政府の感染症対策はいろいろ批判されるが、外国人入国制限、営業規制、マスク・手洗いなど、日本人の民度にも大きく依存して、総体として見ればかなり効果があったことが分かる。同じく、数日前の日経は、1~10月の日本の死亡数が前年同期より1万4千人少ないことが厚労省の人口動態統計(速報)で分かった、と報じた。1万4千人と言っても、昨年114万7219人だったものが、今年は113万2904人に減っただけのことだが、死亡数が前年を下回るのは実に11年ぶりらしい。
 毎度のグラフをアップデートした(上記)。先週までの週毎のデータをプロットしたもので、上のグラフからは、感染者(陽性反応者)数はうなぎのぼりだが、重症者数はいったんはピークアウトし、マイナスになる(重症者が減る)前にまた上がりかねない兆候が見える。下のグラフからは、感染者(陽性反応者)数が増えているのはPCR検査人数が増えているからでもあって、陽性率にはブレーキがかかったものの、下がり切らない内に再び上がりかねない兆候が見える。再び上がりつつあるのが変異種のせいなのかどうかは分からない。素人のデータ遊びはこれくらいにして・・・
 医療体制がそれなりに整った日本で、感染が広がっているとは言え、欧米諸国と比べれば桁違いに抑えられているのに、医療逼迫が叫ばれるのは何故か、ここ1~2週間でいくつかの解説記事が出た。日本は、人口当たりの病床数は群を抜いて世界で一番多いが、狭義のICUの数ではドイツやアメリカの5分の1以下と少ないため、今般の感染症のような有事の際には、通常の病床をICUに転換する必要が出てくるが、現在の医療法では政府は医療機関に対して「お願い」しか出来ないのだそうだ。しかも、日本は欧米と比べて公立の医療機関よりも民間の医療機関が圧倒的に多いため、民間の医療機関は、コロナ患者を受け入れると従来からの患者を失いかねず、経営圧迫の可能性があるため、政府の「お願い」をなかなか受け入れようとしないそうだ。こうして政府に法的権限がなく、民間や地域レベルでも調整する仕組みがほとんど存在しないため、通常の病床は空いていることがあっても、コロナ患者が必要とする設備を備えたICUなどは不足するということだ(米村滋人・東京大学大学院法学政治学研究科教授・内科医など)。
 結局、日本は、医療従事者とその他の飲食業等の事業者とを問わず、国民に対して「お願い」しか出来ない国なのだ。これが、憲法に緊急事態条項を入れることすらままならない、日本人の危機管理意識の実態であろう。しかし、日本人は義務でもないのに皆マスクをしていると、外国人が見たら驚くように、個人の自由を抑えて集団として行動変容できる国民で、なんとも不思議なバランスの上に、今の日本は成り立っている。このあたりは、支配者の圧政よりも様々な自然災害に見舞われて来た日本人が歴史的に培ってきた、独特の社会的な「ゆるさ」ではないかと思う。日本人の面白さ、でもある。まあ、面白がってはいられない状況だが。
 コロナ禍のせいで、生活環境はがらりと変わって、ほぼ完全在宅勤務になり、オフィスはフリーアドレス制になって、自分の机と椅子がなくなる代わりにロッカーがあてがわれるという、銭湯かフィットネスジムに行くような感覚になった。4~5月は一度も電車に乗らず、5月以降も月に2~3度しか電車に乗っていない。世間には、通勤のストレスがなくなったという声があって、大いに賛同するが、通勤時間が減って、ゆとりが増えたという声に対しては、私の場合、通勤で歩く時間相当の散歩を日課とし、通勤で電車に乗っている時間は新聞か本を読んでいるので、時間として見れば影響がない。むしろ、電車に乗れば自動的に読書をしていたのに、電車に乗らない空白の時間が出来て、読書の時間が減ってしまった(苦笑)。
 それで何をしているかと言うと、ぼんやりネットを見たりしている。その効果として、YouTubeでハイ・ファイ・セットを再発見した。正確に言うと、ハイ・ファイ・セットを解散した後、ソロ活動を始めた山本潤子さんの歌声に、コロナ禍で荒んだ心が癒された。ハイ・ファイ・セットと言えば、正統派のコーラス・グループで、当時、潤子さんの歌声は若々しい透明感があって素晴らしいものだが、へそ曲がりの私はその良さに気づかなかった。年齢を重ねて、ある意味でドスの効いた(笑)、若い頃にはない渋みを増した歌声が心地良い。Wikipediaによると2014年5月6日の名古屋のコンサートを最後に無期限休養に入られたようで、もはや生で聴くチャンスがないのが残念だ。昨日、御年71の誕生日を迎えられたのだから、仕方ないのだろうが、気が付くのが遅かった(が、映像を聴くことが出来るYouTubeは有難い)。
 こうして世間では激動の、しかし個人的生活として見れば実に変化の乏しい一年が過ぎて行く。来年は、立ち止まってばかりいないで、何事においても再開(re-start)する年にしたいものだ。
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