風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2024回顧③民主主義

2025-01-04 20:44:47 | 日々の生活

 私たちは「民主主義の後退期(a period of democratic backsliding)」にあると、フランシス・フクヤマ氏が元旦の日経新聞で述べていた。確かにあの民主主義の殿堂とも言うべきアメリカでトランプ党と化した共和党が大統領府と議会を乗っ取り(所謂トリプル・レッド)、トランプ氏は忠誠を尽くすお友達で周囲を固めてしまった。一期目とは異なり、二期目は意のままに政策を推し進めそうな気配である。かたやヨーロッパではひたひたと極右が台頭している。韓国では民主化して日が浅いとは言え党派争いには目を覆うべきものがある。しかし、私たちは民主主義(ドクトリンではないのだから本来は「民主制」と呼ぶべきもの)に期待し過ぎているのではないだろうか。

 かつてプラトンは国制を①名誉支配制、②寡頭制、③民主制、④僭主独裁制の四つに分類し、この順番で古代ギリシアの国制は推移したと述べた。名誉支配制とは所謂「哲人王」による王制で、豊かな知と徳を備えた人々を守護者とする。彼らは「決して自分のための利益を考えることも命じることもなく、支配される側のもの、自分の仕事が働きかける対象であるものの利益になる事柄をこそ考察し命令する」存在である。そのような守護者の中から一人だけ傑出した人物が現れる場合は王制、複数である場合が優秀者支配(=貴族制)で、プラトンはこれらこそ最善の国制とした。しかし支配者たちはやがて殖財に邁進し、寡頭制に転じる。更にそんな富や権力を独占する支配者に対する反発から民主制に転じる。民主制は、自由で平等な市民による相互支配の体制であり、アリストテレスは端的に「順繰りに支配し、支配される」と形容した。しかしそのような「最高度の自由からは最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくる」とプラトンは喝破した。僭主独裁制である(以上、君塚直隆著『貴族とは何か』参照)。もとよりアテネをはじめとする民主制は直接民主制であって現代の間接民主制とは似て非なるものではある(私たちの間接民主制はもはや民衆が選ぶ貴族制と化しているかもしれない 笑)。何しろアテネでは、投票は党派性を生むとして、籤引きこそ民主的と見做したのだ(私たちは中間団体としての政党=党派性の様々な塊を甘んじて受け入れている)。なんと素朴で手作り感のある社会だろう(私たちは政治に余り関わりたくなさそうだ)。この直接民主制を成り立たせるためには、古代ギリシア史家の伊藤貞夫氏によれば、一般市民が感情や目の前の利益に惑わされぬ冷静さと大局観を持つこと、更には彼ら市民の意向を集約し、時には的確な指針を示して、一国の向かうべき行く手を誤らせぬ政治指導者に恵まれることが必要条件となる。現代の間接民主制においても概ね同様の「関心」を持つことが必要で、それを失うと醜悪な全体主義に転じることは、私たちはその後の20世紀の歴史から学んだはずだ。

 プラトンに学んだアリストテレスは、政治制度を人数によって三通りに、また共通の利益に目を向けるか否かでそれぞれ二通りに、計六通りに分けて見せた。一人による支配(王制、僭主制)、少数による支配(貴族制、寡頭制)、多数による支配(国制または共和制、民主制)である。ここから読み取れるのは、人数による違いには本質的な意味がなく、人数の違いで分けた制度はそれぞれに両義的であり、中でも民主制はネガティブに捉えられていた、ということだ。プラトンもアリストテレスも、貴族制こそ理想としたのは、かの敬愛して止まないソクラテスを死に追いやったのは民主制のせいだと考えたからだろう。実際に久しく近代に至るまで民主制の評判はよろしくなかった。アメリカでさえ建国当初は民主制に懐疑的で、ローマ的な共和制を志向したとされる。それほどまでに、現代の私たちがつい当たり前だと思ってしまう民主制を成り立たせるのは如何に難しいかの証でもあろう。

 こうして民主制そのものへの過剰な期待を拭い去った上で、民主制を成り立たせる規模感、あるいは単位のことを思わないわけには行かない。本来の民主制は、多数派が支配すると言うよりも、市民に一定の同質性があり、生じる差異については協議し妥協して解決できる寛容な社会である必要があるようだ。古代ギリシアや中世イタリアの諸都市は、まさにそのような規模感だっただろうし、かのルソーも、まさかフランスのような国家レベルで民主制が成り立つ(革命が起こる)とは考えていなかったようだ。その急進性に危うさを覚えたエドマンド・バークは『省察』を書いて警鐘を鳴らした。フランスの貴族だったアレクシス・ド・トクヴィルは、1830年代にアメリカを訪れて、民主政治とは「多数派(の世論)による専制政治」と断じた(と言いつつも、ローカル・コミュニティには手作り感のある民主制が息づいていることは見抜いていた)。フランス革命が挫折した後、西欧で国民国家が誕生するまでには経済的に余裕ができて社会的に成熟する必要があった。

 そうすると、社会が分断するアメリカや更にその上を行くほどに分極化する韓国で政治が荒れるのは、民主制そのものに内在する道理なのだろうと思う。他方、中国やロシアのように多民族を抱える帝国が、国家をまとめるために民主制を実践できずに強権に向かうのもまた道理なのだろうと思う。だからと言って権威主義を認めるつもりはなく、いずれ最適レベルに分裂して行くしかないと希望的に観測している(笑)。実際に第一次世界大戦では四つの帝国(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン、ロシア)が崩壊し、その余波は今もなお続いていて、第二次世界大戦後の体制に不満を持つリビジョニストたるロシアや中国という残された帝国が民主化に抗うのは当然として、強権化し却って不安定化しつつあって分裂しかねないとは皮肉な話だ。

 いや、権威主義国のことはひとまず措く。選挙イヤーと言われた昨年、アメリカや日本をはじめとする多くの国々で政権与党が敗北を喫したのは、生活を直撃するインフレなどの経済的な一過性の要因が大きく作用したのは事実だが、冷戦崩壊以降の新自由主義のもとで格差が拡大する中、中東情勢が不安定化して移民が拡散したり、中国という異形の大国が政治・経済的に台頭したりして、いずれの異質性へも嫌悪感や排他性が強まり、SNSのエコーチェンバー効果が手伝って、社会の寛容性が失われつつあることが底流にあるように思われる。SNSはツールでしかないが、トランプ氏暗殺未遂事件に象徴されるように、同質性の高い集団の中ではますます結束が高まった(他方、異質な集団への影響は皆無に等しかった)。国際社会では権威主義国が民主主義国から離れて行き、自由でオープンな民主主義社会に付け込んで分断を煽っていると言われる。

 社会が分断を深めつつあるのは日本も同じで、迎合するポピュリズムには苦々しく思い、既存の政党やメディアが信頼を失い、石丸現象のように特定個人に期待が集まる風潮には危うさを覚える。現代を20世紀前半の戦間期に比定しようとする向きがあるが、ワイマール体制下で多元主義への幻滅や、勃興する左翼(今で言うならwokeなリベラル)への嫌悪が広がり、ベルサイユ体制がもたらした経済危機や世界恐慌(今で言うならリーマン・ショックやコロナ禍やウクライナ戦争)で疲弊する中で、既存の政党は危機に適切に対処できずに、また既存メディアは世論を適切に喚起・誘導できずに、いずれもが支持を失い、各陣営が自分たちにしか通じない特定の思想や価値観を増幅させ、世論が分断されて、ナチスのようなポピュリズム政党に流されていった状況には留意すべきだろう。

 国制は人数に関わらず、と言ってみたものの、やはり今となっては法の支配に基づく民主制こそ個人の自由を担保できる制度だと思うからだ。しかしその民主制を成り立たせるのは人であり社会なのである。

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