赤レンガ駅舎が復元され、この1日から開業した東京駅丸の内口が人気ですが、先週金曜日の日経によると、八重洲側もなかなかどうして健闘しているようです。
その一つは、地下一階に広がる東京駅一番街で、2005年4月に、八重洲口再開発に伴い、かつてJR東日本の子会社・鉄道会館とJR東海の子会社・東京ステーション開発のそれぞれが運営する商業施設を「東京駅名店街」と総称していたものから、東京ステーション開発の運営エリアを分離して「東京駅一番街」と改称したもの(Wikipedia)で、他の商業施設との競争が激しく、業績が低迷したため、目的やターゲット層を明確にした街づくりを進め、2008年3月にスヌーピーやハローキティなど21の専門店からなる「東京キャラクターストリート」を北通りに、2009年6月からは「東京ラーメンストリート」を南通りに順次、オープンし、更に今年4月には、その間のスペースに、カルビーや森永製菓や江崎グリコのアンテナショップを集めた「おかしランド」もオープンして、売上高は改装前の1.6倍にまで拡大したそうです。
もう一つは大丸東京店で、増床部分を8月から段階的に開業し、5日には地下一階にベーグル店などニューヨークで展開する人気店を複数集めたコーナーなどが新たに開業したそうです。
八重洲口地下と言えば、その昔、私たちの間で「東京温泉」と呼び習わしていた銭湯があって、アメリカ出張から夜行便で帰着した朝、会社に行く前にちょっとひと風呂浴びる・・・なんてことをよくやっていたものです。今頃、そんな過酷な出張日程を組むことはないのでしょうか。Wikipediaで調べてみると、「東京温泉ステーションプラザ東京クーア」として、「男性専用。早朝6時から営業しており、寝台列車等で東京駅に到着したビジネスマンや旅行者などにも重宝されていた。東名ハイウェイバスのドリーム号利用者にも割引券が提供されていた」と解説されていました。また「2007年3月29日、東京駅再開発工事のため閉店」とも。旅の途中と思われる人だけでなく、夜通し飲んでいたと思われるような人や、界隈で生活していそうな素性の定かでない人まで、それぞれに背中に哀愁を漂わせながら、黙々と身体を流していたのを、なんとなく懐かしく思い出します。折角、外観はレトロに戻った東京駅ですが、そういった生活スタイルは時代遅れになってしまったのでしょうか・・・
上の写真は、先週木曜日の東京駅。
(補足)
東京温泉と言えば、上記の通り、私の世代のビジネスマンには東京駅地下のそれが浮かびますが、Wikipediaによると、銀座6丁目、松坂屋裏にあった東京温泉が本家のようです。運営は同じ東京温泉株式会社で、経営者は現代史の怪人とも呼ばれる許斐氏利(このみ うじとし)氏(1912年12月16日~1980年3月5日)。アジア大会(1958年)で優勝したこともあるクレー射撃の名手ですが、氏の本領は右翼で、戦時中は「100名の特務機関員を率いて上海とハノイで地下活動に従事し」、「旧・日本軍「慰安所」設置の実行者」でもあり、興行師として、上海滞在時代のトルコ風呂(スチーム・サウナ)にヒントを得て、東銀座に「日本初のトルコ風呂を開業した」そうです(1951年4月1日)。これは「蒸し風呂やミルク風呂などのほか、キャバレー、ホール、麻雀クラブ、食堂酒場と娯楽施設を備え、はとバスのコースになったこともあった」入浴レジャー施設で、「サウナ施設がメインで、女性(ミストルコ)がマッサージサービスを行うものの、女性は着衣のまま性的なサービスも厳禁、その後も同店はこの姿勢を崩さなかった」と言われます。さすがWikipediaで、意外な歴史を知ることが出来て、ちょっと感動してしまいました。
その一つは、地下一階に広がる東京駅一番街で、2005年4月に、八重洲口再開発に伴い、かつてJR東日本の子会社・鉄道会館とJR東海の子会社・東京ステーション開発のそれぞれが運営する商業施設を「東京駅名店街」と総称していたものから、東京ステーション開発の運営エリアを分離して「東京駅一番街」と改称したもの(Wikipedia)で、他の商業施設との競争が激しく、業績が低迷したため、目的やターゲット層を明確にした街づくりを進め、2008年3月にスヌーピーやハローキティなど21の専門店からなる「東京キャラクターストリート」を北通りに、2009年6月からは「東京ラーメンストリート」を南通りに順次、オープンし、更に今年4月には、その間のスペースに、カルビーや森永製菓や江崎グリコのアンテナショップを集めた「おかしランド」もオープンして、売上高は改装前の1.6倍にまで拡大したそうです。
もう一つは大丸東京店で、増床部分を8月から段階的に開業し、5日には地下一階にベーグル店などニューヨークで展開する人気店を複数集めたコーナーなどが新たに開業したそうです。
八重洲口地下と言えば、その昔、私たちの間で「東京温泉」と呼び習わしていた銭湯があって、アメリカ出張から夜行便で帰着した朝、会社に行く前にちょっとひと風呂浴びる・・・なんてことをよくやっていたものです。今頃、そんな過酷な出張日程を組むことはないのでしょうか。Wikipediaで調べてみると、「東京温泉ステーションプラザ東京クーア」として、「男性専用。早朝6時から営業しており、寝台列車等で東京駅に到着したビジネスマンや旅行者などにも重宝されていた。東名ハイウェイバスのドリーム号利用者にも割引券が提供されていた」と解説されていました。また「2007年3月29日、東京駅再開発工事のため閉店」とも。旅の途中と思われる人だけでなく、夜通し飲んでいたと思われるような人や、界隈で生活していそうな素性の定かでない人まで、それぞれに背中に哀愁を漂わせながら、黙々と身体を流していたのを、なんとなく懐かしく思い出します。折角、外観はレトロに戻った東京駅ですが、そういった生活スタイルは時代遅れになってしまったのでしょうか・・・
上の写真は、先週木曜日の東京駅。
(補足)
東京温泉と言えば、上記の通り、私の世代のビジネスマンには東京駅地下のそれが浮かびますが、Wikipediaによると、銀座6丁目、松坂屋裏にあった東京温泉が本家のようです。運営は同じ東京温泉株式会社で、経営者は現代史の怪人とも呼ばれる許斐氏利(このみ うじとし)氏(1912年12月16日~1980年3月5日)。アジア大会(1958年)で優勝したこともあるクレー射撃の名手ですが、氏の本領は右翼で、戦時中は「100名の特務機関員を率いて上海とハノイで地下活動に従事し」、「旧・日本軍「慰安所」設置の実行者」でもあり、興行師として、上海滞在時代のトルコ風呂(スチーム・サウナ)にヒントを得て、東銀座に「日本初のトルコ風呂を開業した」そうです(1951年4月1日)。これは「蒸し風呂やミルク風呂などのほか、キャバレー、ホール、麻雀クラブ、食堂酒場と娯楽施設を備え、はとバスのコースになったこともあった」入浴レジャー施設で、「サウナ施設がメインで、女性(ミストルコ)がマッサージサービスを行うものの、女性は着衣のまま性的なサービスも厳禁、その後も同店はこの姿勢を崩さなかった」と言われます。さすがWikipediaで、意外な歴史を知ることが出来て、ちょっと感動してしまいました。