風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ノーベル賞のバランス感覚(前)

2012-10-22 21:44:27 | 時事放談
 ノーベル賞の番外編、日本でも話題になった文学賞と平和賞を振り返ります。
 先ず、文学賞は、中国人として初めて、莫言氏に授与されました。これに対して、スウェーデンでは、アカデミーが、中国によるスウェーデンへの投資と引き換えに、文学賞の魂を売り渡したのではないかと報じられたそうです。両国の関係は、2010年の平和賞(ご存じ民主活動家・劉暁波氏)以来、冷え切っていたのですが、今年4月、中国・温家宝首相は、中国の首相として30年振りにスウェーデンを訪問し、環境問題の研究・産業育成に使ってもらいたいと90億クローナ(約1088億円)を投資すると発表したからでした。スウェーデン側は、EU全体で使われるものと思ったほどの高額であり、返済の必要がない投資だったため、二度、驚いたといいます。そのほか、莫言氏を強く推したとみられるスウェーデン・アカデミーの中国文学担当氏は、莫言氏の数作品を自らスウェーデン語に翻訳して選考委員に配布した上、出版社から出版する予定だったため、いざノーベル賞受賞が決まると、出版社から翻訳料は受け取らない、ボランティアで翻訳した、などと釈明に追われたと報じられました。
 そもそもノーベル文学賞は「地域の持ち回り」と言われます。日本人で最初に文学賞を受賞した川端康成氏も、母校の高校で受賞記念講演された時、受賞理由について、そろそろ日本に文学賞を授与するという雰囲気だった時に、たまたま自分が日本ペンクラブ会長だったから、と謙遜して答えておられたと、その母校で当時教師をしていた人から聞いたことがあります。そういう意味では、川端氏から大江氏まで26年、大江氏からはまだ18年しか経っていませんので、世界最大規模のブックメーカー「英ラドブロークス」のオッズでは1位村上氏、2位莫氏となっていたとしても、またいくら村上春樹氏の知名度の方が高くても、まだ日本の出番ではなかったということなのかも知れません。他方、中国系作家では、中国政府に批判的でフランスに帰化した高行健氏が2000年に受賞していますが、中国国籍ではこれまで受賞者がいませんでした。科学的発見とその検証というような明確なエポックがない文学賞ですから、持ち回りというような意味合いが全くないとは言えないのでしょう。
 そうは言っても、ノーベル文学賞は、理想主義的かつ人道主義的な作風を志向しているとされ、「莫言氏は中国の農民の生活を描き続け、一人っ子政策に批判的であるなど、その要件を満たす」(富岡幸一郎氏)ものだと言われます。また、中国作家協会副主席を務める重鎮から、莫言氏の文章スタイルは他の中国人作家にありがちの政治的スローガンをうまく避けていると、環球時報(英語版)で解説されたように、中国側としても歓迎し得る申し分ない存在と言われ、中国の反体制派の知識人からは「体制内の御用作家であり、今回のノーベル文学賞が、2010年の劉暁波氏の平和賞受賞で怒り心頭の中国をなだめるための、スウェーデン・アカデミーの政治的判断であり、中国の国威発揚に利用された」(福島香織さん)などと厳しい目を向けられますが、福島香織さん自身は「過去作品も、本人にインタビューした印象も、御用作家のものではない。むしろ体制の中で、巧妙な表現力とブレのない信念で、中国共産党体制の暗部、残虐な歴史を描き続けてきた作家」であり、「体制内にとどまり、妥協に妥協を重ねながらも、普通の中国人の行動や考え方に影響を与え続ける作品を生み出せるという稀有な才能があるならば、そちらの方が中国内部から中国を変えていく力になるだろう」と好意的です。
 スウェーデン・アカデミーのバランス感覚が、そこまで見通した上でのことなのかどうかは分かりませんが、中国が、スウェーデンのような先進国に評価されるだけの文学的な完成度、いわば時間軸上の文化的成熟に達していることは事実であり、何より、ノーベル医学・生理学賞の山中教授に続いての日本人の受賞にならなかったことで、中国が溜飲を下げて、束の間の平穏を演出してくれたことは、(村上春樹ファンは残念だったでしょうが)その他の日本人は、やれやれとの思いも禁じ得ませんでした。
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