風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

台風の夜のこと

2012-10-02 00:06:39 | 日々の生活
 昨晩、愛知県に上陸した台風17号は、東北地方に向かって日本列島を縦断し、未明にかけて北関東を通過しました。久々に大型の台風で、どうなることかと心配しましたが、寝ている間にあっさり通り抜けました。
 今どきの子供たちは、台風が来る・・・と言っても、どれくらい怖さを感じるものでしょうか。私は、子供心に、台風の夜は、恐怖心に心臓ばくばく、どきどきしたものでした。今ではアルミサッシで気密性が高い家が多く、台風被害の問題などは少ないはずですが、昔の日本家屋は、薄いガラスの窓枠がガタガタいったり、物置の扉がすぐに外れそうなほど、チャチな造りだったりしたものですから、台風が来る前に、板を打ち付けて窓や扉を固定して、わざわざ台風に備える家が少なからずありました。屋根や窓をたたきつける大粒の雨や木々の枝を激しく揺らす風の音を聴きながら、何かとてつもない化け物が襲ってくるかのような恐怖心にとらわれたものでした。そこに、簡単に停電になりかねない事情が拍車をかけたものでした。
 ところがいざ停電になって、蝋燭を灯すと、電気という近代文明社会を象徴する虚飾をひっぱがされて、いきなり炎という原始の世界に舞い戻されるのが、不思議なことに、こわいながらに、妙にわくわくして、楽しみに思ったのもまた事実でした。身体が覚えている原始性というべきでしょうか。
 思えば日本の家は、地震といい台風といい、自然災害に随分強くなりました。川の氾濫も、ゲリラ豪雨は別にして、滅多に見なくなりました。人間の科学技術の自然に対する勝利と言えるでしょう。何よりも、天気予報が正確になり、もはや底知れない恐怖・・・などはなくなったことが大きく作用しています。台風の進路、風速、降水量、それぞれ台風の規模なりインパクトが正確に予測されるようになり、予め身構えることが出来て、怖いと思うようなことはなくなりました。知らないからこそ人は恐怖するものであり、知ってしまえばそれまで、といった現実があるからこそ、何でも知ろうとすることは人間の営みなわけですが、そのために、知性が素朴な感情を抑え込むような、一抹の寂しさを覚えてしまいます。
コメント
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