今日のお昼から、養護学校の教育相談に、夫とそうちゃんと三人で出かけてきました。
(ちなみに午前中は、親の会の「新設特別支援学校設立を考える会」に出席し、情報収集しました。)
面接して下さったのは、養護学校の校長先生。
今の小学校の現状をまずはお話しました。
1対1で関わってもらっているが、パニックや自傷が多く混乱していること、部屋から脱走することがあり、先生方も大変そうなこと、担任の方針がそうちゃんのレベルよりも高いところに設定されておりしんどさがあることなど…。
校長先生は、じっくり聞いてくださり、このように言われました。
「1対1というのはとても恵まれた環境なのに、どうしてそんなことになっているんでしょうか。担任の先生の指導方針へのフォローとか、学校としての体制とか、まず環境調整が必要だと思います。市の教育委員会には話はされましたか?市として対応しなければいけないことがまだあるのに、それをせずに、この子を見るのが無理だから養護学校へ、というのは県としては受け入れにくい。今は、できる限り地元で教育を、というのは基本的な考え方になっています。まずは市教育に親御さんの思いを伝えて、それから考えましょう。」
む?
はいどうぞ、と受け入れてくれるわけではなさそう。
噂には聞いていたけど、養護学校は人数を増やしたくない、インクルーシブの考え方にのっとって、極力地元で障害のある子にも過ごしてもらいたいのだ。
熱く「来年度はここに入りたいです」を強調してはきたけど。
なんだろ、またハードルが出てきた感じ。
ま、先生の言われることはもっともなんだけどね…。
養護学校を出て、即市教委に電話。
夫婦そろって教育委員会に出かけました。
またまた学校の現状、そうちゃんの様子、養護学校校長に言われてきたことを話す。
教育委員会の方の、渋い顔。
2年前にも見た、と思い出す。
人は違うけど、おんなじ表情だ…。
環境調整や外部専門家の助言を受けることに関しては、まだ今年度の後半もあるのでぜひお願いしたい。
とにかく来年度は養護学校に移りたいので市からもそのように養護学校に連絡してください。
ああ、小学校に入るのに、あんなに大変だったのに、
今度養護学校に転校したいと思えば、やっぱりまた親があちこち出かけて行って動かなくちゃいけないんだなー。
どうなってるんだ、この国の障害児教育は。
地元で、養護学校レベルの教育が受けられ、先生も相談するところがいつもあって、遅れのある子も普通の子に混じりながら温かく見守ってもらうこと。
それが理想の姿だけど、そんな風には社会の仕組みがなってない。
今日一日、そうちゃんのことを、午前中を含めれば20人以上の人に話して回り、理解を求めて回りました。
その中で気付いたこと。
どうやら、私の涙腺は、「みんなと一緒に」という言葉に反応して勝手に涙を排出するらしい。
「せめて低学年のうちは、みんなと一緒に、地元小学校で育てたいと思っていました。でも、現状もよくわかり、来年からはそうちゃん自身の安定を考えて、養護学校に移りたいと考えています。」
この話をするたびに、
「みんなと一緒に」のところで涙が浮かんでしまう。自動的に。
いつまでもみんなと一緒じゃないって、最初からわかってるけど。わかってるから。
だから、涙が出る、何度でも。
障害という個性を持った子どもを育てる親として、どうしようもなく、キュン、としてしまうのです。
さて、「養護学校へ行きたい」と意思表明をしましたが。
実際には、「11月にある市の就学指導委員会に掛けられて」
そこから「市が県にこういうお子さんがいると話を持っていき」
1月末ごろ(?)に「決定し、文書で通知される。」
という流れとなるらしく、それまで特にこちらから何もやれることはなさそうです。
なんだかそれもなーと思う。
自分の子供のことを、市が決定する、という違和感。
年明けまで来年のことをが決まらないという不安感。
普通の受験のように「願書」や「合否基準」がない不思議。
夫は、「自分家で勝手に作って願書出そうかなー」などと言っておりました。
でも、ほんとにそう思う。
だって、今日誰と誰に話した、ということが、共通の文書としては何も証明が残ってない。
なのに、まな板の上の鯉のように待つしかないという親の立場。
なんだか、やっぱりおかしいと思う、この教育制度ってやつは。
(ちなみに午前中は、親の会の「新設特別支援学校設立を考える会」に出席し、情報収集しました。)
面接して下さったのは、養護学校の校長先生。
今の小学校の現状をまずはお話しました。
1対1で関わってもらっているが、パニックや自傷が多く混乱していること、部屋から脱走することがあり、先生方も大変そうなこと、担任の方針がそうちゃんのレベルよりも高いところに設定されておりしんどさがあることなど…。
校長先生は、じっくり聞いてくださり、このように言われました。
「1対1というのはとても恵まれた環境なのに、どうしてそんなことになっているんでしょうか。担任の先生の指導方針へのフォローとか、学校としての体制とか、まず環境調整が必要だと思います。市の教育委員会には話はされましたか?市として対応しなければいけないことがまだあるのに、それをせずに、この子を見るのが無理だから養護学校へ、というのは県としては受け入れにくい。今は、できる限り地元で教育を、というのは基本的な考え方になっています。まずは市教育に親御さんの思いを伝えて、それから考えましょう。」
む?
はいどうぞ、と受け入れてくれるわけではなさそう。
噂には聞いていたけど、養護学校は人数を増やしたくない、インクルーシブの考え方にのっとって、極力地元で障害のある子にも過ごしてもらいたいのだ。
熱く「来年度はここに入りたいです」を強調してはきたけど。
なんだろ、またハードルが出てきた感じ。
ま、先生の言われることはもっともなんだけどね…。
養護学校を出て、即市教委に電話。
夫婦そろって教育委員会に出かけました。
またまた学校の現状、そうちゃんの様子、養護学校校長に言われてきたことを話す。
教育委員会の方の、渋い顔。
2年前にも見た、と思い出す。
人は違うけど、おんなじ表情だ…。
環境調整や外部専門家の助言を受けることに関しては、まだ今年度の後半もあるのでぜひお願いしたい。
とにかく来年度は養護学校に移りたいので市からもそのように養護学校に連絡してください。
ああ、小学校に入るのに、あんなに大変だったのに、
今度養護学校に転校したいと思えば、やっぱりまた親があちこち出かけて行って動かなくちゃいけないんだなー。
どうなってるんだ、この国の障害児教育は。
地元で、養護学校レベルの教育が受けられ、先生も相談するところがいつもあって、遅れのある子も普通の子に混じりながら温かく見守ってもらうこと。
それが理想の姿だけど、そんな風には社会の仕組みがなってない。
今日一日、そうちゃんのことを、午前中を含めれば20人以上の人に話して回り、理解を求めて回りました。
その中で気付いたこと。
どうやら、私の涙腺は、「みんなと一緒に」という言葉に反応して勝手に涙を排出するらしい。
「せめて低学年のうちは、みんなと一緒に、地元小学校で育てたいと思っていました。でも、現状もよくわかり、来年からはそうちゃん自身の安定を考えて、養護学校に移りたいと考えています。」
この話をするたびに、
「みんなと一緒に」のところで涙が浮かんでしまう。自動的に。
いつまでもみんなと一緒じゃないって、最初からわかってるけど。わかってるから。
だから、涙が出る、何度でも。
障害という個性を持った子どもを育てる親として、どうしようもなく、キュン、としてしまうのです。
さて、「養護学校へ行きたい」と意思表明をしましたが。
実際には、「11月にある市の就学指導委員会に掛けられて」
そこから「市が県にこういうお子さんがいると話を持っていき」
1月末ごろ(?)に「決定し、文書で通知される。」
という流れとなるらしく、それまで特にこちらから何もやれることはなさそうです。
なんだかそれもなーと思う。
自分の子供のことを、市が決定する、という違和感。
年明けまで来年のことをが決まらないという不安感。
普通の受験のように「願書」や「合否基準」がない不思議。
夫は、「自分家で勝手に作って願書出そうかなー」などと言っておりました。
でも、ほんとにそう思う。
だって、今日誰と誰に話した、ということが、共通の文書としては何も証明が残ってない。
なのに、まな板の上の鯉のように待つしかないという親の立場。
なんだか、やっぱりおかしいと思う、この教育制度ってやつは。