震災2年6月17日
ついに野田総理が政治生命をかけて、大飯原発の稼働を宣言した。野田総理なら稼働はそう簡単にしないとにらんでいたのだが、意図も簡単にしてしまった。彼の世界観はなんだったろうなと思う。大きな世界観がなかったのではないかと思う。現実の経済と国民の狭間の中で現実の力である経済活動に負けたのだと思う。将来をもっと長く見据えれば、今こそこの神が与えてくれた試練を乗り越え脱原発の先頭にたつべきであった。それだけのインパクトのあった3.11であるという認識に欠けていると思う。
菅総理であれば脱原発に流れが完全に変わっていったのだろう。、今度、もう一度そのような出来事がおこれば日本は国際社会からなくなるのではと危惧するのは私だけだろうか。
先進国ドイツでは第二次大戦でともに連合国と戦い大きな犠牲を払った。その総括から、緑の党ができ脱原発の方向で歩んできているのではないか。そういう意味でも持たざる国としして、日本は昔からドイツとは縁が深かったはずだ。ドイツは東をも自国に取り込みなお、成長してきている。ドイツの懐も深くなったと思う。ドイツの知恵を借り慎重に判断してほしかった。
さて、小学校にいた頃、放射能についてを子供にしゃべった記憶がない。なぜ、しないのかと、疑問に思ったこともなかった。私が、勤めた町に浜岡原発があった。まさか、ああいう大きな災害が起こり、チェルノブイリのような大惨事になることを思ってもいなかった。しかし、現実、1000年に一度という災害が起き、メルトダウンまでいってしまった。そのことから学ぶとすれば、脱原発しかなかったはずだ。みんなで知恵を集めて今後のエネルギーを考えればもっとアイデアは出てきたはずだ。経済優先でいけばエネルギーはますます増加の一途となる。しかし、ブータンのように幸せの観点から人間の生活を再構築させれば、昔から、日本は自然とともに生活してきた民族だ。お天道様の恵みがあれば生きていける。自然に感謝すればそんなにエネルギーがなくったって幸せなはずだ。幸せと経済の接点を幸せという視点から見直すいいチャンスの芽を今原発の再稼働でつんでしまったとしかいいようがない。
そこが、引き金となって次はやがて浜岡もということになりねない。エネルギー消費も物などでいつかなくなってしまう。今は、石油や天延ガスも取り放題だが、やがて、地球の内部も使ってしまえば、かすかすの状態となり気がついた頃には人間でいえば、骨粗鬆症の状態になってしまうでしょう。気がついてからでは遅いと思う。地球も時々健康診断をしてその使い方を考えないと大変なことになってしまう。地球号にのっている人類の滅亡もあり得る。今度は地球の骨粗鬆症のために地震が多発したり地殻変動に見舞われる時も、やがてやってくるだろう。そうすると、やはり、残る道はお天道様の利用が最前の道ではないかと思う。風力水力もあるが、自然との調和や騒音等のことも考慮に入れておかないとうまくない。どちらにしても、莫大なエネルギーを必要とする社会から省エネ化し自然との調和を考えた社会に価値観を移していく必要がある。人間の生理はもともと、お天道さまと一緒に起き、お天道様が沈むとともに床につくようになっているはずだ。転換期の芽を掻き取ってしまう原発再稼働は、やってはならないことを野田総理はしてしまったような気がする。これにストップをかける政治家の出現が待たれる。
直接被害を受けた東北の人たちの気持ちを思うといたたまれない。一部の一時の国民のためになる再稼働は絶対将来に禍根を残す。大きな犠牲を払った3.11大災害の教訓から日本は何も学ばなかったことと同じである。自然災害に想定内ということはあり得ない。自然は人智を遙かに超えている。畏敬の念が人間からなくなっている証拠である。科学の発達と畏敬の念は全く別物である。大きな自然を科学で超越し征服しようとすることは自然の摂理からいって間違っている。自然と人間はいかに持ちつ持たれつ共存していくかが大切である。これは人類不滅の真理である。そこから逸脱する行為は墓穴を掘ることになる。先進国のトップになることが目的でない。(なっても悪くはないが)これは幸せに至る手段の一つにしかない。この辺の考え方を見誤ると大変なことになる。
幸せこそ、古来人間が追求してきた最終目的である。ブータンの考えがもっと広く行き渡ってもいいのではと思う。雲の上にはいつもさんさんと太陽が輝き、嵐の後には必ず晴天がある。人は毎朝生まれ変わり、草木は刻々その姿形を変える。自然は自ずとしかるべきに落ち着き、太陽は決して東には沈まない。気圧は低きに流れやがて気流の流れを作り風となる。海では冷えた海水が沈み暖められた海水は浮き上がりその流れが海流となり世界を巡っていく。台風が起きるのも自然現象、地震も自然現象、ある一カ所にエネルギーが蓄積されれば、それはやがて、放出される。ゴムは引っ張れば引っ張るほど元に戻ろうとする力が働く。限界を超えればぷっつんと切れる。よどみに浮かぶ泡沫はかつ消えとどまりたるためしなし、美人もやがて老婆となり土に帰る。自然の本質は変化そのものでもある。一時も同じ物はない。その裏には時間の流れがある。時の流れはだれもいかんともしがたい。過去から現在未来へと生命の営みは永遠に続く、悩みも苦も喜びも永久に続くものではない。それが、自然の本質だ。生物すべて遺伝子に残し、次の世代につなげていく。それが自然の本質だ。現実は一面錯覚であり、砂上の楼閣でもある。経済もしかり、その裏の自然の本質をつかむことが大切。人間は、「それにつけても金のほしさよ。」を思うのも現実。つかの間の幸せをとったつもりなのが今回の野田総理の再稼働ではないだろうか。それが現実それも現実、今後の脱原発の動きはどこへいくのだろうか。しっかりみていく必要がある。これから生まれてくる命の幸せのためにもしっかりした道筋をつくってやる必要がある。私たち団塊の世代もそのような年齢になったんだなとつくづく思うこのごろである。「人は毎朝生まれ変わる。」この言葉を胸に抱き今後も精進をつんでいきたい。