想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

ITの進歩は人を幸せにするか?

2019年02月17日 | エッセイ

震災9年2月17日

   世は正にITが世界を闊歩しているといっても過言ではありません。自由な社会も放縦な自由にならない様に、資本主義社会にもそれなりの倫理があるわけですが、また、それがゆきすぎた場合、法規制が課せられますが、どうも、この世界は、力が全ての世界になっているなとも感じています。ITの進歩に法規制が追いついていかないのです。立法のシステムが遅すぎるのです。法規制ができた頃には、もう、遅いのです。早い者勝ちな世界がITの世界なのです。

   通販の世界でも、企業のやりたい放題です。次から次へと企業本位に規則の改定があります。庶民はそれを利用する限り、その流れに乗るしかないのです。さもなくば、利用しなければいいのですが、時代の流れに乗るには、か弱い庶民にはそれしか選択肢はないのです。誰が作ったのか、メールは双方向だとばかり思っていたのですが、いつのまにか、メールも企業からの一方通行になってしまいました。「このメールには返信ができません。」が当然の事となって、最近は疑問も持たない風潮です。この辺のところは、おかしいなという疑問を持つべきです。SNSの世界で、どこがそんなメールの仕組みを考ええたのか知らないのですが、どうも企業の言いなりになっている様です。私は、双方向でやりとりできる会社を選ぶ様にはしてますが、多勢に無勢、相手が一方的にやってくると、大手のIT企業のやり方にはかないません。それが現実です。

 どこの企業も今、ビックデータを集め分析に余念がありません。ITを制するものが世界を支配する世の中なんです。AIを駆使してデータを読み取っているのです。位置情報も分析していて、何を買って、どこでどんなことをしていたかの情報も集めていると推測されます。全てのデータは国家より先に先端企業が握っているのです。今の経済も、このビックデータを握ったところが、将来の勝ち組になるのです。その為に、必死になっているのが実情ではないかと想います。

 中国の勢いが今は益々、強くなっているのです。私らの世代ですと、あに人民服で、文化大革命の頃が懐かしく感じます。最近の中国の変貌には驚愕してしまいます。当時から、誰が今日の中国の姿を想像できたでしょうか?あの国は最近まで、法律らしきものがなかったことを逆手に、電子マネー王国になって来ています。法律に縛られることなく新しい事に迅速に対応できる素地があったのです。もともと、歩きながら考える国ですから…。このテンポの速い時代には歩く前に考えていたらその進歩に取り残されるのです。この時代のキーワードは歩きながら考えるのです。思考も変えていかないとついてゆけません。ベンチャー企業もきっと、同じ思考方法でしょう。計画を立てて歩く前に考えているようではおぼつかないのです。変化の激しい時代は、何がどう変わっていくか、わからないですね。世界の警察、アメリカも最近の中国の勢いには手焼いていてファーウェイの事件などはその焦りがあったのでしょう。

 IT社会は、恐ろしいと言えば、そうですが、便利だといえばそうでもあるのです。AI社会はITの使い方が問題なのです。そこに、何とか無機質ではない人間らしい温かいハートを♥️付け加えて欲しいのです。マーケティングの世界では、主導権を企業に奪われてしまう様な仕組みが至る所で作られている様に感じます。こちらの意見を対等に言えないのです。すべて、IT企業の掌の上です。枠組みは、企業が決めてしまっています。困った社会が出来上がりつつあります。最先端のIT技術を持っているところが一番強くなっているのです。自然界同様、弱肉強食の世界が出来上がっているのです。また、世界を眺めれば、フェイクニュースが溢れているのです。FXや株、原油価格なども、経済力のあるもののフェイクで動いているといっても過言ではないかと推察されます。

 情報格差と言われて久しいのですが、ITリテラシーがあるかないかで、これだけの格差が生まれて来ている時代になったなと最近つくづく思います。読み書きそろばんから、読み書きITの時代になりました。IT技術やビックデータを持った国家が世界を支配する時代になりつつあります。

 IT社会の倫理のあり方について、もっと議論があってもいい世の中になったなと思います。ITの技術進歩の方が先に一人歩きしてしまっているのです。その速度の速さに法制度や人間教育が追いついていかないのです。変化の激しいIT社会の法も後追いするしか手立てが無い状態です。法を作る側の知識が追いついていかないのです。困ったものです。法を作る知識はあっても、ITの知識がないのです。ややもすると、民主主義もITの勢いに呑まれてしまいそうな気もして心配になります。

 ITの技術は若者の方が圧倒的に優れているのです。シニア世代が理解するには余りにもハードルが高すぎるのです。オリンピック憲章も読まない当該大臣ではもう論外です。団塊の世代におもねっている今の政治状況ではインターネット投票すらまだ、出来ていないのです。このまま、ITやAIが一人歩きして行くと、大変な事になります。変化に即対応した法の仕組みをや若者たちのアイデアを取り入れてゆく必要もあります。それから、従来からの成文化によらない自然法的な考えも大事だと思います。なかなか、難しい時代になってきました。法も変化にいかに速く対応できるかがより重要になってきました。法の制定迄の仕組みの見直しも大切です。

 さて、庶民の幸せあってのIT社会です。無機質なITと幸せという論理では割り切れない生物である人間との接点をどう構築していくかが益々問われる社会になってきています。私たち国民が、もっともっと賢くなっていかないと大変な世界になってしまいます。今後のITが国民と共に幸せな世界に向かってベクトルを向けて行って欲しいと願わずにはいられません。目先の事にとらわれてはいけません。ITの進歩とて自然界の大きな枠組みの中にあるのです。

 今、プラごみや温暖化が大きな問題になってきています。かのIT社会も同じ様な轍を踏まないとは限りません。技術進歩の前に人間の幸せをまずベクトルの方向にして行き、手段としてITを捉えていって欲しいです。

Viva Nature!

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