コロナ2年5月7日
毎朝、ウォーキングをした後、周りの草花に水をやるのが、日課になっています。その事が、1日の活動の源泉にもなっています。
青々としたみずみずしい植物やけなげに咲く花を見ているだけで、心が和みます。
今、ここにいるのも、自然によって生かされているな。自然の一員だな。と、日々感じて、感謝と畏敬の毎日です。
こうして、自然と対峙し、眺めているだけで沢山の事をそこから学ばせてもらってます。まさに、自然は最高の師でもあります。
小さな庭では、今、まさに四季おりおりの花が咲いています。それぞれが、それなりに自分の居場所を探すかの様に鎮座し咲いているのです。
虫たちも沢山訪れます。そうです。虫たちと植物は友だちなんです。自然界の種はこうして繋がっているのです。もちつもたれつの関係で、これが共育なんです。
自然界はバランスが崩れそうになると、それを修正するのです。大気も、水も、電気もその差が生まれれば、それを埋めていき流動してゆくのです。いっ時も同じ時は無いのです。それが時の流れであり、不易流行であり、諸行無常でもあるのです。だから、幸も不幸も、栄枯盛衰もあるのです。
案外、コロナ禍もその視点から眺めると、今、まさに、その崩れかけたバランスを埋めようとして、必然的に出て来た自然現象かもしれません。
ここらで、我ら人間も個として捉えるのでなく、広く人類としての視点から反省すべきかなと想います。
産業革命以降、人類は急激に地球の資源を使い始め、人口も激増しました。
地下水も汲み上げられ、プラごみも海に垂れ流し、大気も汚染させ、CO2の増加は益々温暖化を加速させています。借金がリボ払いの如く、気が付かない間に複利で増えて来ている感じです。ここ、10年が山場だと想っています。
今、ポストコロナは、まさにこの難を転じて福となす大きなパラダイムシフトの点に来ているのではないかと考えています。
芝桜
一輪残し
けなげにも咲く
その輝きは
百花にも勝る
それを支える
十二単衣と
ブロック岩