コロナ2年12月18日
以前のブログで書いていた事がありました。再度掲載し、あらためて振り返ってみます。あんな時もあったなと…。
詩は私にとって、まさにその日その時感じたままを言葉にしてます。
どんなに科学が進歩しても、感性は未来永劫人を人たらしめるものとして、なくてはならないものだと考えています。
IQが高く、デジタル社会がとれだけ進歩しても、根底に人である限り感性無くして人であらずであり、感性こそ、最も人間の尊厳に関わる資質でもあります。知能指数より感性指数です。感性指数こそ、競い合いのない数値です。他にも幸せ指数も大切です。
正にこれからは、ITの進歩と法規制の問題は近々の問題なのです。メルマガの配信停止だけを取ってみても、配信停止をしようにも、何処にそのリンクがあるのか分からないメルマガが沢山現に存在してます。ひどいのになると、他に何度もリンクを誘い、挙句の果てに配信ボタンがない等の悪どいものも多々存在してます。
大きな問題なのに国は何ら規制をかけていないのです。この種のIT人材を早急に増派して、新しい法規制を速く作る仕組みを考えていかないと、どうしようもない世界になってしまっています。これが、現実です。
シニアのスマホを持つ人が沢山増えて来ましたが、この世代は彼らにとっては鴨がネギをしょって来ているようなものです。この世界は野放しの状態です。企業倫理にまつしか手がないのです。
庭先には色々な植物があります。一つ一つは、一時たりとも、同じ状態ではありません。時々刻々その様相は変化していってます。時とは実に不思議なものです。見る主体の私の心も時と共に変わって来ています。1秒たりとも同じ時はないのです。
この、いつも変わっている自分を知ることが般若心経の教えかもしれないと最近思うことがよくあります。すべては変化しているのです。苦楽といえども同じなのです。静は動にもなるし無は明にもなるのです。生は死と裏腹です。生きるとは死を自覚することです。実に不思議といえば不思議です。強情だという人も時の流れと共に変わっているのです。
こんなことを想いながら、我が家の庭を見ながら詩にしてみました。
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