コロナ4年12月19日(ウクライナ、ロシア戦争2年)
若い頃は物を置き忘れることはあまりありませんでした。 それは私の推測ですが 置く場所が新しいから なんですね。だから、そこへ注意が向くんですね。
ところが 年を取るとそういう動作を何回も繰り返すもんだから もうそこに注意が行かなくなっちゃって、それで 忘れてしまうようです。
だから 私は記憶力が落ちているのでなくて、注意がそちらに向かなくなっているから、覚えていないのだと想っています。
同じことをくりかえすと、意識しなくても、そこが分かり、そこに置いてしまいます。だから、記憶に落ちていかないだろうと私は推論してます。
記憶が衰えているのでなく、同じことの繰り返しなので、注意力が行かないのです。まあ、俗にいうマンネリ化なんです。年齢を重ねていくと、このマンネリ化は進歩を妨げる大きな要因になります。
だから、シニアになっても自分を高めたいと想ったら、常に新しい未経験なものに挑戦する姿勢が大切だと考えます。毎年、毎年、昨年と同じことを繰り返すのでなく、そこに、いつも新しい息吹を吹き込むことをするのです。プラスアロファを加えるのです。
そうすることにより、記憶はより鮮明になり、細胞も活力を持つことができるのです。伝統に胡坐をかいていると進歩から取り残されてしまいます。俗にいう伝統は進歩には不向きです。本来の伝統というのは、そこに新しい息吹を吹き込み変えていくことです。伝統は古きよきものでなく、常に作り変えてゆく能動的なものです。諸行は無常です。その連続なんです。絶えず新しい息吹を吹き込んでいくのです。生きるとはそういうことの連続です。
それがなくなったら死も同然です。生まれたばかりの赤ちゃんの吸収力たるや驚異的です。若い人はそういうことを実践している人です。若い頃は、生まれてこの方、すべてが初めての経験です。ですから、当然、そちらに神経が行くし、意識もいくのだと想います。そして、印象も深くなるので、記憶にしっかり刻まれてゆくのです。
ですから、肉体は衰えても、若くいたかったら、そういう意識をもって行動することです。その連続が若さを持続させる秘訣です。
心ころころ変わるから心なんです。心はいくつになっても、どんな形にでもなれるのです。質量もなく、形もなく、場所も占領しません。本来人間は我儘に(おもいのまま)に生きているのです。この世で老いるのは肉体だけです。この肉体が尽きた時があの世への入り口です。その入り口は死でなく新しい世界への入り口です。そんな気持ちで高齢者時代を過ごせたらと想っています。