想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

歳をとると言う事は?

2025年02月09日 | エッセイ
歳をとるということ

 歳をとると、どうしても忘れ物が増えますよね。メガネをどこに置いたか、書類をどこにしまったか……そんなことが日常的に起こるようになります。でも、それもある意味では勲章のようなもので、「歳を重ねた証」とも言えます。

 最近、ふと思ったのですが、忘れ物だけでなく、思い違いや勘違い、思い込みも増えてくる気がします。特に、メガネやスマホをどこに置いたか忘れることが多いですよね。でも、これをよく考えてみると、脳だけでなく体全体の細胞が関係しているのではないかと思うのです。

 私の推測ですが、日々の動作が習慣化すると、脳で意識する前に体が勝手に動くようになります。例えば、買い物から帰ってきたとき、いつもの場所にうっかりモノを置いてしまう。でも、その「置いた」という行為を脳がはっきり認識していないから、後で「あれ、どこに置いたっけ?」となるのではないでしょうか。

 これを防ぐには、ただ機械的に行動するのではなく、「今、私はここに置いた」「私は窓を閉めた」と、自分に言い聞かせることが大事です。玄関の窓を閉めるのも、無意識にやってしまうと「ちゃんと閉めたかな?」と心配になって戻って確認する羽目になります。でも、意識的に「私は今、閉めた」と思うことで、記憶にしっかり残るようになります。

 人間は、同じことを何度も繰り返していると、やがて脳で考えずに体が勝手に動くようになってしまいます。だからこそ、行動したことを自分に認識させる意識を持つことが大切なのだと、最近気づきました。

 歳をとることで得るものも、気をつけるべきこともある。そんなことを改めて考える今日この頃です。
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短編小説:「風を掴む男」

2025年02月09日 | 小説

 物語は、学校で「良い子」と称賛されたが、心のどこかで自由を求め続けた青年・陽斗(はると)を中心に展開する。彼は幼い頃から、決められた枠にとらわれることに疑問を抱いていた。周囲の期待に応えるための勉強や規則正しい生活ではなく、彼が本当に望んだのは、常に新しい風を感じ、未知の領域に飛び込むことだった。

 青年期、陽斗は学校という安全地帯から一歩外に出る決断をする。最初の一歩は、かつて洋服屋でアルバイトをした経験を活かし、自分の感性を試すための小さなファッションブランドの立ち上げだった。しかし、世の中の厳しい現実はすぐに彼に試練を与える。失敗を重ねる中で、彼は自分に何が足りなかったのか、そして何が自分の本質であるのかを見つめ直すようになる。

 その後、ある大きな転機が訪れる。彼は、かつての自分とは正反対の道――早稲田という大舞台へと足を踏み入れることになる。高校中退という異色の経歴にもかかわらず、彼の驚異的な情報収集能力と情熱が認められ、早稲田の扉は彼に開かれた。キャンパスでは、常に「良い子」と評価される仲間たちと対峙する日々が続いたが、陽斗は決して自分の信じる道を曲げることはなかった。

 やがて、大学卒業後の彼は、世界の最先端を行く都市ドバイに移り住む。そこで彼は、仮想通貨や新興技術、さらには法律といった全く異なる分野にも果敢に挑戦する。かつて学校で評価された「良い子」とは真逆の、生きるための“試行錯誤”こそが、彼に独自の成功と周囲を巻き込むリーダーシップをもたらしていた。

 「風を掴む男」――陽斗は、型にはまらず自らの経験から学び、失敗さえも糧にして、時代の風を自在に捉える男へと成長していく。彼の歩みは、決して楽なものではなかった。しかし、彼の人生は常に新しい挑戦で溢れており、その姿は多くの若者たちにとって、ひとつの希望となっていくのだった。
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フランス語が誘う、マリアージュの世界

2025年02月09日 | エッセイ
コロナ6年2月9日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 「マリアージュ」という言葉を、先日テレビを見ていて耳にした。中年の女性が、バレンタインデーの特別な料理を作るシェフと話している場面だった。彼女が「マリアージュ」という言葉を使ったとき、私は思わず関心をひかれた。なんとも響きの美しい言葉ではないか。

 私にとって、この言葉は初めて聞くものだった。言葉に興味があるせいか、新しい表現に出会うと、その意味や背景を知りたくなる。「マリアージュ」とはフランス語で「結婚」を意味するそうだ。それを知って、ますます魅力を感じた。

 料理の世界では、ワインと料理の相性を語るときに「マリアージュ」という言葉を使うらしい。二つの異なるものが組み合わさることで、それぞれの良さを引き立て合い、より素晴らしい味わいを生み出す。まさに、お互いが「win-win」になる関係だ。結婚と同じように、一つの出会いが新たな価値を生み出すということなのだろう。単なる足し算ではなく、一と一が二ではなく三にも四にもなる——そんな関係が理想なのかもしれない。

 ワインの世界では、白ワインは魚料理と、赤ワインは肉料理とよく合うと言われる。それぞれの持つ個性が、お互いを引き立て、味わいを深める。フランス料理の真髄も、そうした絶妙な組み合わせの妙にあるのだろう。料理の世界では、単に美味しさを追求するだけでなく、いかに「マリアージュ」を生み出せるかが鍵になるのかもしれない。

 言葉には「言霊」が宿ると私は思っているが、「マリアージュ」という言葉には、まさに美しい響きがある。フランス語の音の流れは、英語とはまた異なり、どこか感性に訴えかけるものがある。「マリアージュ」と耳にした瞬間、その語感の豊かさに心を奪われた。やはり、この言葉はフランス語でこそ輝くのだろう。

 そんな「マリアージュ」という言葉が、日常の会話の中で自然と出てくるようになったら素敵だなと思う。何気ない日々のやりとりの中で、互いの良さを引き出す関係について語るときに、この言葉がすっと馴染むようになれば、日常そのものがより豊かに感じられるかもしれない。

 そんなことを考えながら、この言葉の美しさを噛みしめている。
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