想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

科学を盲信するなかれ、真理は科学を超える

2025年02月03日 | エッセイ
コロナ6年2月3日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 科学は、常に発展し続け、変化し続けるものだ。人間が「この世界はどうなっているのか」と探求し、検証を重ねることで進歩してきた。しかし、世の中には「こうすればこうなる」という因果の法則のような考え方もある。つまり、ある行動を起こせば、それに応じた結果が生まれる。その結果を解明するのが科学の役割とも言える。

 とはいえ、科学がどれほど発展しても、社会は絶えず変化し、新たな問題が生まれる。科学がすべてを証明できるわけではなく、科学の示す「正しさ」は、その時代におけるひとつの解釈に過ぎないのかもしれない。しかし、それは無意味ではなく、より正しいものへ、より真理に近づくための道筋とも考えられる。

 では、その「真理」とは何だろうか。それは人間が考え出したものなのか、それとも、もともとこの世界に存在するものなのか。私は後者、つまり真理は絶対的なものとして存在していると考える。科学は、その真理を解き明かそうと試みるが、その過程で私たちの認識も変化していく。

 例えば、かつては「すべての思考は脳で行われる」と考えられていた。しかし最近では、腸が脳に大きな影響を与えているという研究も出てきた。こうした新しい発見が次々と現れるように、科学の定説は時代とともに変わっていく。

 歴史を振り返っても、かつては天動説が一般的だった。地球は静止し、太陽や星々がその周りを回っていると信じられていた。しかし、コペルニクスの地動説が登場し、「いや、実は地球が動いているのだ」と示されたことで、世界の見方が一変した。科学の発展は、時として宗教や社会の価値観すら覆してしまうものだ。

 私は、宗教のさらに上に、絶対的な真理があるのではないかと思う。そして、その真理を追求することこそが、人間の幸福につながるのではないだろうか。科学は、あくまで時代ごとの「正しさ」を示すものに過ぎない。しかし、その背後には、どこまで行ってもたどり着けない「真理」が存在する。そのことを私たちは忘れてはならないと思う。


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