今日はひなまつり。あいにくの寒波襲来となりました。
地域訪問をしていると、玄関や座敷にさまざまな雛人形・飾りをみることができます。お孫さんのものや、おばあちゃんのもの、座敷に据えられた大きなものから、玄関先の手づくりのもの・・・・ひとつひとつに思いを感じますね。
昨日は街頭宣伝、打ち合わせ、地域訪問などでした。寒波のもどりのなか、女性後援会との宣伝行動。田島ちゑ子さんとともにマイクをにぎりました。
女性の方から「がんばってください!」とあたたかい缶コーヒーの差し入れも。一同感激!ありがとうございます‼
★
県民福井・・・・鰊倉(にしんぐら) 初の本格調査へ 敦賀の水戸烈士記念館
2011年3月2日
敦賀市教育委員会は同市松原町の松原神社にある「水戸烈士記念館」(通称・鰊(にしん)倉)の建物を初めて本格的に調査する方針を決めた。記念館は、幕末に尊王攘夷(じょうい)を訴えるため京都に向かう水戸天狗(てんぐ)党が、途中の敦賀で捕らえられ、幽閉された建物。調査結果を踏まえ、市文化財指定も検討する。 (立石智保)
記念館は、地元住民でつくる水戸烈士遺徳顕彰会が所有。烈士の動きなどの年表を展示しているが、老朽化による傷みが激しい。顕彰会の要請もあり市教委が保存に向けて調査することにし、市は二〇一一年度当初予算案に調査研究費六十四万円を計上した。開会中の市議会定例会での可決を経て夏ごろから調査を始め、年度内に結果をまとめる。
記念館は木造平屋建てで、床面積百二十平方メートル。一八六四(元治元)年に幕府方に捕らえられた水戸藩士の武田耕雲斎ら八百二十三人を幽閉した十六棟の鰊倉の一つ。もとは敦賀港にあったが、一九五四(昭和二十九)年に烈士の霊を祭る松原神社に移築された。これまで市教委は簡単な調査はしている。
記念館にした棟と水戸市に寄贈した一棟のほかは取り壊されており、記念館は市内に現存する唯一の鰊倉。調査は専門家に委託し建物の構造や様式、改修の有無などを調べる。不明となっている建設時期の特定にも期待がかかる。
市教委文化振興課の担当者は「記念館は幕末と敦賀の関わりを伝える貴重な史料。江戸期の北前船との関連もあり、結果を踏まえてしっかり保存策を考えたい」と話している。・・・・・・・・
吉村昭氏の「天狗争乱」は、そこに天狗党がみえて読み応えがありました。
敦賀で活動していた時に、天狗党が立てこもっていた寺の集落をたずねたことがあります。
近所のかたの話では、戦後、寺の下からたくさんの刀などが掘り出された、とお聞きしました。まさに、幕末の歴史をそこに感じた瞬間でした。
天狗党の歴史が染みた鰊倉。ぜひ、県や敦賀市が協力して保存し、後世にひきついでいただきたいものです。
地域訪問をしていると、玄関や座敷にさまざまな雛人形・飾りをみることができます。お孫さんのものや、おばあちゃんのもの、座敷に据えられた大きなものから、玄関先の手づくりのもの・・・・ひとつひとつに思いを感じますね。
昨日は街頭宣伝、打ち合わせ、地域訪問などでした。寒波のもどりのなか、女性後援会との宣伝行動。田島ちゑ子さんとともにマイクをにぎりました。
女性の方から「がんばってください!」とあたたかい缶コーヒーの差し入れも。一同感激!ありがとうございます‼
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県民福井・・・・鰊倉(にしんぐら) 初の本格調査へ 敦賀の水戸烈士記念館
2011年3月2日
敦賀市教育委員会は同市松原町の松原神社にある「水戸烈士記念館」(通称・鰊(にしん)倉)の建物を初めて本格的に調査する方針を決めた。記念館は、幕末に尊王攘夷(じょうい)を訴えるため京都に向かう水戸天狗(てんぐ)党が、途中の敦賀で捕らえられ、幽閉された建物。調査結果を踏まえ、市文化財指定も検討する。 (立石智保)
記念館は、地元住民でつくる水戸烈士遺徳顕彰会が所有。烈士の動きなどの年表を展示しているが、老朽化による傷みが激しい。顕彰会の要請もあり市教委が保存に向けて調査することにし、市は二〇一一年度当初予算案に調査研究費六十四万円を計上した。開会中の市議会定例会での可決を経て夏ごろから調査を始め、年度内に結果をまとめる。
記念館は木造平屋建てで、床面積百二十平方メートル。一八六四(元治元)年に幕府方に捕らえられた水戸藩士の武田耕雲斎ら八百二十三人を幽閉した十六棟の鰊倉の一つ。もとは敦賀港にあったが、一九五四(昭和二十九)年に烈士の霊を祭る松原神社に移築された。これまで市教委は簡単な調査はしている。
記念館にした棟と水戸市に寄贈した一棟のほかは取り壊されており、記念館は市内に現存する唯一の鰊倉。調査は専門家に委託し建物の構造や様式、改修の有無などを調べる。不明となっている建設時期の特定にも期待がかかる。
市教委文化振興課の担当者は「記念館は幕末と敦賀の関わりを伝える貴重な史料。江戸期の北前船との関連もあり、結果を踏まえてしっかり保存策を考えたい」と話している。・・・・・・・・
吉村昭氏の「天狗争乱」は、そこに天狗党がみえて読み応えがありました。
敦賀で活動していた時に、天狗党が立てこもっていた寺の集落をたずねたことがあります。
近所のかたの話では、戦後、寺の下からたくさんの刀などが掘り出された、とお聞きしました。まさに、幕末の歴史をそこに感じた瞬間でした。
天狗党の歴史が染みた鰊倉。ぜひ、県や敦賀市が協力して保存し、後世にひきついでいただきたいものです。