前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

政府交渉にいってきました

2009年05月21日 | Weblog
    昨日は、朝から夕方まで参議院議員会館にこもって、国土交通省、厚生労働省、農林水産省、文部科学省、文化庁、総務省、消防庁、経済産業省、原子力安全保安院、公正取引委員会の担当者とさまざまな課題で要望を伝え、やりとりを繰り返しました。第一線で日本の政策を立案し実行している霞ヶ関官僚の考え方を知り、現場の声をとどけ、政策の変更をせまる真剣勝負がつづき、夕方5時過ぎに終了するとさすがにぐったりでした。
    この要望交渉は日本共産党福井県委員会がおこなったもの。かねもと幸枝書記長、西村きみ子・鈴木しょうじゅ両福井市会議員ら地方議員が参加、また、井上哲士参議院議員、山口典久・衆議院北信越国政対策委員長にも同席していただきました。
   詳細は順次お知らせしたいと思いますが、少し紹介すると・・・

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    足羽川ダム問題では、「環境影響評価に係る調査を昭和60年度からおこなっていると県民に説明しているが、平成14年度にダムの建設予定地が美山地域から池田地域に変更されている」と問題を指摘。
国土交通省は「ダムのアセスメントは広い地域でおこなっている。平成13年までは美山地域を主眼においていたが」と強弁しました。
    また、これまでいくら事業費をかけているのか、は「文書の保存期間がある」などとして明らかにしませんでした。

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    新幹線計画について、「一部報道では東京アクセスではなく、大宮止まり、とある。これでは利便性は高まらない」と問題点を指摘したのにたいし、「全部が大宮止まりではなく、繁忙期にはそうなる」と国土交通省は回答。
県も経済界も県議会も「東京へ便利になる」と大宣伝していますが、「東京まで着かない新幹線」の問題点が明らかに。北陸新幹線での利便性向上に大きな疑問がでました。

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     見通しがたたなくなっている福井市の区画整理事業について事業見直しの助言を求めたのにたいし、国土交通省側は「期間延長などで在庫が積みあがるケースを落とすことが必要。今後、相談、指導していく」と答えました。
    福井市も国が指摘するように、冷静な見直しが必要でしょう。

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    「派遣ぎり」された方々の入居をすすめている雇用促進住宅で、「2カ月分家賃の前納の改善」を求めたのにたいし、厚生労働省は、「入居後の納付も可能としており、先日再度通知をだした。」と回答しました。この問題では、4月23日の雇用促進住宅問題での全国交渉の場で、かねもと書記長が改善を求めていました。こちらの問題提起にたいして、利用者の立場ですぐに改善をはかる担当者にはおおいにエールをおくりました。
  
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    この間、わたしたちが障害者施設をたずねて要望をお聞きした内容で政府に要望。障害者自立支援法で施設の事務量が増えているのに、「事務員」の経費がみられていない問題の解決をもとめました。
   国側は「今回、事務処理安定化支援事業をつくり支援することとした。今後とも、なにができるか検討していきたい」との回答がありました。
内容の使い勝手など検証しなくてはいけませんが、現場のニーズに「打てば響く」対応は嬉しいものです。
 
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    このようなやりとりをくり返し、霞ヶ関の官僚のみなさんにも地域と現場の実態を知らせ、いまどういう施策が求められているか、地道な取り組みがすすみます。また、福井の国会議員や県庁からは伝わらない県民の生の声を伝える大事な場ともなります。
   「官僚政治打破」のかけ声だけで政治の中身が変わるものではないのだ、ということも実感します。
 

服部文男氏と共産党規約

2009年05月20日 | Weblog
  2007年末に東北大学名誉教授の服部文男氏が亡くなって、最近マルクス・エンゲルス研究者による追悼誌がだされた。
   富塚良三・中央大学名誉教授の追想は、東大経済学部以来60年余の交友に心あたたまる。ゼミでは5~6時間ぶっとおしで議論し、そのことが学者の基礎をつくった、とのくだり。別に何の用事もあるわけではなかったが、会っているとお互いなんとなく気が休まり、のんびりした気分になれた、とのくだりなど、なるほどなあ、と感じた。

   さて、大村泉・東北大学大学院教授が共産主義政党の規約「前文」についての服部論文を紹介している。
  この論文のなりたちに大村氏が関与していたことが明かされている。それは、「労働者階級の前衛部隊、との規定はソ連・東欧で共産党が一党独裁をすすめるときの根拠となったのではないか。そもそもマルクス、エンゲルスはそのような規定をしていないのではないか」との疑問を投げかけたのだという。
   研究によれば、1934年のソ連共産党第17回大会が嚆矢であり、日本共産党規約もそれを踏襲したのでは、とのことだ。

   わたしも、改めて当時の服部論文を探し出して読み直した。たしかに、服部氏は1995年に、論文「共産主義政党の規約『前文』の成立過程」を発表している。
  そしてその後、日本共産党は2000年の第22回大会で規約から「前文」を削除している。前衛政党という規定は、「科学的社会主義の事業の歴史のなかでみれば、一時的にあらわれた規定」であるとの認識の発展からである。
  大村氏は「日本共産党の幹部諸氏も、服部論文に一定の関心が払われていたようにも思われる」と書いている。
   ところで、当時「雑誌『前衛』の編集長が一番頭を悩ましているのではないか」といわれた。なかなか雑誌の名前の変更というのは難題。服部先生ならどんな知恵をだしたでしょうか。


インフルエンザ抵抗力

2009年05月19日 | Weblog
  昨日は朝のしんぶん「赤旗」の配達、出張の妻を駅までおくり、かねもと幸枝さんと定例の街頭宣伝。その後、午前・午後と2つの会議。その後、20日におこなう政府要望交渉の準備作業などなど。
    朝の演説では、「昨日も42歳の方が妻子を残し、家のローンに悩んで自殺された話をお聞きしました。毎年、生活苦、健康の悩みなどで自殺する国民は3万人。異常な国です。経済問題や、医療・老後の悩みでみずから命をたつようなことがなくなる政治をつくりましょう」などと訴えました。

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    福井県坂井市春江町。この地域で日本共産党後援会ニュース「ほなみ」がだされている。
    このニュースが面白いのは、共産党の話ばかりではなく、野坂清春氏の「春江とはどんな所なの」の連載、栄養士さんによる「食の話」の連載があること。
 それぞれ27回,25回を数える。
    今回の「食の話」は「抵抗力」。「豚インフルエンザも食中毒も感染症という点では同じ。どちらも菌やウイルスをつけないよう色々気をつける、抵抗力をつける、拡大させないという点は同じ。清潔・規則正しい生活による感染に耐える体力を得るということは自分でできる最大の防御」などとわかりやすく書かれています。
    いま、感染がひろがっている時だけに、基本を大切にした対応こそ、ひとりひとりが心がけなくては、と思います。
    まあ、わたしみたいに「酒で消毒だ」という非科学的なやり方では感染症には打ち勝てませんねえ。
東京出張と知った母からは、マスクが届けられました。ありがたいことです。

    なお、このニュースは春江の方ならどなたでもお読みいただけます。
お問い合わせは、松本あきら坂井市会議員 0776-51-4160 まで。

 

光州5.18

2009年05月18日 | Weblog
1980年5月18日、韓国光州では市民が軍によって虐殺されるという事件がおこった。わたしは学生だったが、このようなことが隣国でおこっていることに激しい怒りを覚えた。
   韓国では当時の軍事政権の下、戒厳令撤廃・金大中釈放など民主化をもとめる市民運動を軍事政権が弾圧した。韓国政府発表では、死者207人、負傷者2392人。一方、市民団体の調査では死者は606人にたっするという。
  これは2007年、「光州5.18」として映画化され、福井でも上映され、わたしも観た。実に素晴らしい映画だった。DVDでも再見した。
国の民主化を求めるあのようなたたかいが当時は、「内乱陰謀事件」とされた。
  その後、韓国では軍事政権が崩壊し、軍事政権に関与した大統領は勲章も剥奪されている。一方当時、死刑判決を下された金大中氏はその後、大統領もつとめている。
   日本でも、かつでの軍国主義に反対し、民主化を求めた多数の共産党員・支持者、宗教者、学者、芸術家、国民が犠牲になった。
   当時の宮本顕治のたたかいを、加藤周一は「日本人の名誉を救った」と述べた。
  さて、総選挙はちかい。いま、きたる消費税増税の財源をあてにして壮大なバラマキがおこなわれ、マスコミも「エコポイント」など大宣伝している。「争点にしない」などと報じられているが、自民も、民主も憲法9条改憲では「大連立」状態だから、争点にならないだけだ。
  日本国民の理性を証明しなくてはいけない、とつくづく思う。


福井県議会議長の品格

2009年05月17日 | Weblog
   共同作業所のみなさんのニュースである「きょうされんふくいニュース」が届けられた。きょうされんの機関誌をとっているからだ。
しかし、今度のニュースには重大なことが・・・・県議会との関係で・・・・書かれていた。

     それは、今年の2月17日に県議会に「障害者自立支援法の制度見直しを求める意見書提出に関する陳情書」を提出した時のことだという。
    陳情は、福井県知的障害者福祉協会、福井県社会就労センター協議会、福井県身体障害者援護施設連絡協議会、福井県精神障害者福祉サービス事業所連絡協議会、きょうされん福井支部の5団体がおこなった。
   この席で山岸猛夫議長が、「きょうされんはこれまでこういうものは共産党と一緒にやってきた。それが共産党の議員がいなくなったら5団体と一緒にさせてもらうようになったのか・・・・」と、とても公の席の議長発言としては不適切な発言をおこなったという。
   きょうされんはこれまでも各会派に要請をしており、まったく事実に反する、として「何を根拠にされたのか」と質問書をだした。

   それに対して、議長ではなく、議会事務局の職員から「他の団体と勘違いをしていて、どうも間違ったようだ。そのように申しているので、よろしくお願いしたい」と電話があった。「他の団体と勘違いをしていて」とはどの団体と勘違いしていたのか、いずれにしても失礼な対応である。

   当然、きょうされん側は「議長から直接説明を」と要求。山岸議長からは、最終的に「先日の発言は撤回します。他の団体の皆さんにも誤解を与えるような発言をしたことは大変申し訳なかった」、との事実上のお詫びがあったという。
   3月議会では陳情書は採択されている。


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    国会と違って、なぜか福井の県議会議長はほぼ1年交代でころころ替わる。議会事務局は、「議長の品格」という本を準備しておく必要があるのではないか。
    ところで、私が議員の時には、どの会派の議員が紹介議員の請願・陳情であろうと、請願・陳情の内容にもとづいて賛否を判断した。
    しかし、とくに自民党系会派は、たとえば農業関係の請願でもJA関係のものには賛成するが、同趣旨でも農民団体のものには反対する、などの対応がみられた。福祉関係の請願でも同様だった。これは、結局のところ、「政策判断」ではなく、「党略判断」といえるものであった。
地方議会がこのようなレベルだから、「地方分権」にしろ、農業分野にしろ、福祉分野にしろ、国に押されっぱなしになるのである。
    このような議会の改革こそ必要だろう。



沖縄返還と若泉敬

2009年05月16日 | Weblog
  昨日は、福井市内で街頭宣伝。豊岡では、年配の男性が宣伝中にちかづいてこられて激励。マイクで「ありがとうございます!」。大宮では消費税増税許すな、のくだりで高校生からも声援。未来の有権者からのご支援もありがたいねえ。   
  ところで、昨日は沖縄県の施政権がアメリカから日本に返還されて37年。地元紙・琉球新報は書く・・・・沖縄は15日、本土復帰から満37年を迎えた。四次にわたる国の沖縄振興計画によって社会資本の整備が進んだものの、全国一低い県民所得や高い失業率など、経済自立の目標はなお道半ばだ。“アメリカ世”から“大和世”へと社会は様変わりしたが、米軍基地から派生する事件・事故はいまも後を絶たず、名護市辺野古への新たな基地建設問題で揺れている・・・・・

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   福井県民として、沖縄問題をみる時に忘れてはならないのは、佐藤元首相の密使をつとめた福井出身の若泉敬氏のことだろう。著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」は、私も発売後すぐ買って読んだ。
なぜ、氏が重大な核密約を告白したのかはわからない。しかし、この密使としての活動が、氏に重い自責の念をいだかせていたことは明らかだろう。それゆえに、出版社に対し、絶版を認めない約束をしたものと推察される。そのことを裏付ける記事が4年前の琉球新報に載っている。



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  2005年5月14日琉球新報・・・・「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏・・・・・ 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。
     慰霊の日のこの日、若泉氏は同墓苑に喪服姿で参拝に訪れている。これまでも自決するために沖縄を訪問したといわれており、遺書の内容はこれを裏付けるものとなった。
     遺書は「嘆願状」の題目で10行の便せん5枚。自らの著書により県民に「新たな不安、心痛、憤怒を惹(ひ)き起こした」と述懐。沖縄返還交渉で緊急時の核の再持ち込みの「密約」が交わされたとされる1969年の日米首脳会談以来、密使としてかかわった自らの責任の重さを記している。
     墓苑での自決を思いとどまった若泉氏は、著書の英訳出版など日米関係の実態をさらに広めようとしたが、96年7月27日、すい臓がんのため死去した。
    若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。・・・・・・・・・

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     氏の著書の絶版を氏が許すのは、日米安保条約が廃棄され、沖縄をはじめ日本全土から外国の軍事基地が撤去され、日本に核兵器が持ち込まれる可能性がなくなった時かもしれない。もっとも。オバマ大統領のさらなる積極的なイニシアチブと世界の世論と運動で核兵器そのものが廃絶される希望もある。
   それにしても、「密約」は、政府が事態に則して検討し決定する道も、憲法で「国権の最高機関」と明記されている国会の決定権もはじめから排除しているわけで、主権侵害の「密約」は本来認められない。このような「密約」は廃棄するのが当然だろう。

福井県滞納整理機構にゆきすぎはないか

2009年05月15日 | Weblog
     昨日は、足羽川ダム工事事務所に意見書を提出したのにつづいて、福井市中央公園で開かれたトンネルじん肺訴訟の追加提訴を支援する集会に参加。その後、福井地方裁判所までデモ行進。集会では、派遣切りとたたかう労働者も連帯のあいさつをおこない、盛んな拍手をうけました。
     裁判所前での「ガンバロー」コールを終え、すぐに福井市へ。西村きみ子市議と合流し、区画整理事業で横断歩道が撤去された問題で、復活を要望。
     午後は、県内の共産党議員の会議に参加。今後の地方議会での論戦、政府要望の打ち合わせ、総選挙勝利めざす取り組みなどをみっちり相談しました。
    夜は、福井市九条の会の運営委員会。3周年企画を相談しました。

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    今朝の県民福井の1面。「滞納地方税1100万円徴収。県整理機構、順調な成果」と大きな報道。
     昨日の共産党議員の会議でもこの機構のことが議題となった。
     おおい町の猿橋巧議員が「相談の電話があって、駆けつけてみると、3人も人がきて、家にあがりこんで箪笥や下駄箱、仏壇など強引に調べていた。人権侵害だ。整理機構の活動のやり方はチェックが必要」と指摘した。共産党議員団として「今後、各地の状況を調べよう」となったところだった。
     マスコミは行政の発表情報をたいていそのまま記事にする。「滞納解決」はすすめるべき。しかし、その背景に、ゆきすぎた調査・取立てがおこなわれていないか。昨今の厳しい生活環境のなかで、配慮があるか。行政も、まずその人の「税金減免」など「生活支援」のきめ細かなサポートをしているか。
マスコミだからこそ、行政情報の垂れ流しではなく、県民の生活のフィルターをかけてほしい。
    今後の記事に期待したいし、わたしたちも独自の調査と問題提起をおこなっていきたい。

足羽川ダム建設事業の環境影響評価準備書に意見

2009年05月14日 | Weblog
    先日も書きました足羽川ダム問題。
    今日が「九頭竜川水系足羽川ダム建設事業の環境影響評価準備書」にたいする意見書の締め切りでした。昨夜あわてて仕上げ、朝、ダム事務所へ出向いて意見書を出してきました。
    議会で質問できない分、こういう形だけでもがんばらねば、と思っています。以下、意見を掲載しました。また、みなさんのご意見もお願いします。
   膨大な準備書そのものは足羽川ダム工事事務所のHP上に公開されています。関心のある方は一度のぞかれるといいでしょう。なんといっても私たちの税金、1500億円余もつかう計画なのですから。
http://www.kkr.mlit.go.jp/asuwa/public_data/h_junbisyo.html

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環境影響評価「準備書」についての意見書

1.準備書の名称  九頭竜川水系足羽川ダム建設事業の環境影響評価準備書


2.環境影響評価準備書について環境の保全の見地からの意見
①(意見)温見断層については、最新の調査技術にもとづく調査をおこない、評価しなおすこと。  
 (理由)最近の原子力発電所をめぐる活断層調査でも、かつての「知見」があいついで覆されており、「文献等に記載されていないことから、予測・評価の対象とならない」との見解ではすまされないため。

②(意見)猛禽類などの「生存に適した生息地保全」が明確にしめされていないのは問題。  
 (理由)来年には日本で生物多様性条約第10回締約国会議(CBD・COP10)が開催される。
 日本はホスト国として、それにふさわしい行動を世界に示す必要があるが、消極的環境影響評価にとどまっているのは問題ではないか。種の存続に関して重要なのは、生存に適した「生息地」が保全されることであり、積極的な取り組みが求められるため。  

③(意見)大気環境などの影響で、予測時期は「影響が最大となる時期」としている。しかし、工事は長期間つづくのであり、「最大のポイント時期」だけでなく、「期間の評価」が必要。
(理由)「大は小を包括する」との論法だが、1回の大きな音よりも、何日もつづく小さな騒音の方が生態にあたえる影響は大きい場合もあるため。

④(意見)これまでのダムと形式が違う「穴あきダム」であり、従来のダムと環境影響評価調査がどう変えられたか、が不明なのは問題。
 (理由)「環境にやさしい」などと言われているが、従来型のダムとの数値比較などをおこない、その立証が必要であるため。

⑤(意見)旧美山町でのダム計画と池田町での現ダム計画と、それぞれの地点での調査の期間・内容が不明瞭でありわかりやすくすべき。
(理由)「昭和60年度から約四半世紀にわたって環境影響評価に係る調査」と説明しているが、最初から両地点で調査していたのかどうかが不明確なため。


3.住所・氏名
  住所 〒910-0026
       福井県福井市光陽1丁目18の4

  氏名  佐藤正雄

九条の会に自民党も民主党も・・・・・

2009年05月13日 | Weblog
   昨日は九条の会の会合。事務局長の屋敷さんは、会合の前に、「今日は縄文時代の石斧を発掘しました」と目を輝かせて「報告」。
     アルバイトで各地の発掘作業をやっていらっしゃる。今回の現場は坂井町。そういえば、私が子どもの頃、大規模な耕地整理がおこなわれ、あちこちの田んぼに土器の破片が掘り出されていました。いまから考えると、教育委員会がきちんと調査したのか甚だ疑問ですが・・・・。
     休みには、級友と、「土器ひろい」が遊びでした。わたしが拾ったなかの「大物は」高坏でした。土器のかけらを手に、この地で生活していた縄文・弥生の暮らしに想いを馳せたものです。

   さて、会では5月3日のつどいの感想などをだしあいました。当日券で入場された方が120名ぐらい、寄せられた感想文にも品川さんの講演や、「うたごえ」への感動がつづられ70名ぐらいから寄せられていました。
      11月には、全国の9条の会が主催する企画が福井市で開かれる予定です。総選挙が終わり、憲法改悪・国民投票へむけた新たな動きのなかで開催されることになるでしょう。
     余談ですが、5月3日のつどいには、自民党県議会議員が参加し、民主党県議会議員からメッセージが寄せられたそうです。運動の広がりの反映も感じたところです。

自浄能力ない民主党

2009年05月12日 | Weblog
  毎日新聞・・・・・続投に意欲を示していた民主党の小沢一郎代表が一転、辞任を表明した。続投に対し世論の逆風が強まる中での辞任であり、民主党内には安堵(あんど)とともに、「勇気ある決断だ」など称賛の声も聞かれた。ただ、辞任まで2カ月を要した民主党の自浄能力欠如のツケは大きい。また、決定的な後継候補は不在で、後継選びで今後、党内が混乱すれば、小沢氏が辞任理由に挙げた「次期衆院選必勝」が掛け声倒れに終わる可能性もある。・・・・・

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   小沢氏は福田前総理との「大連立」で合意したものの、党内理解を得られず、いったん辞任を表明した。しかし、民主党幹部がすがりついて、代表続投をお願いした。
   西松建設問題では、小沢代表の言い分を民主党は鵜呑みにし、代表をつづけさせ、国民から総すかんをくった。ようやく、国民の厳しい世論に押し倒された、ということでしょう。
  自民党との「大連立」という公党の政治路線が勝手に決められても、違法献金疑惑で公設秘書逮捕にいたっても、「小沢神話」にすがりついてきた、民主党は自浄能力がない。
   自分の党のことに自浄能力を発揮できない政党が、いまの自民党・公明党政治の腐敗にたいして浄化能力を発揮できるはずがないではないか。


   しかし、今日の新聞各紙に載っていた福井県内の民主党関係者、社民党、国民新党の談話を読んでも、「野党内で強い求心力をもっていた」(社民党)、「政治手腕に期待していた」(国民新党)、など小沢氏に未練たっぷり。
     誰のために、どういう政治を実現するのか、という政治の要諦を忘れ、「政権交代」という言葉のお遊びをつづけるのは、もうやめたほうがいいのではないか。
 


改めて原発県政を考える

2009年05月11日 | Weblog
   今朝は、かねもと幸枝さんと県庁前で朝の街頭宣伝。その後、ハローワーク前で宣伝。自民党県議会議員の会社を解雇された、という青年も。なんたることか。
こういう時期こそ、あらゆる手だてで雇用を維持する先頭に立たなくてはいけないのではないか。先日、紹介した町工場の社長さんを見習ってほしいものだ。
   県庁も、議会から言われるだけでなく、「経営者」県議会議員も多いのだから、まず足元から雇用維持を訴えたらどうか。

  さて、先日、原発問題住民運動福井県連絡会で、福井大学名誉教授の庄野義之先生を講師に福井県の原発の歴史などをお聞きした。

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  1970年に敦賀1号、美浜1号が稼動しているので、福井県の原発は40年を迎える。その当時は、いまと違って情報公開などはほとんどなかった、という。安全の説明がないまま急速に増設されたのが福井の原発。
   先生ご自身、なぜ批判的なのか。技術的問題として安全が確立していない。高レベルの放射能のゴミなどどうするか。トータルシステムの安全性が不十分。
  地域では、結局「カネ」の問題になってしまい、原発依存になってしまった。
  振り返れば、戦争に利用されたということで原子力は不幸なスタートだった。日本でも、中曽根が学者の頬を札束でたたくような手法で推進した、と批判された。
  いま、平和利用といいながら、プルトニュウムの取り出し。もんじゅ・プルトニュウムリサイクル路線。・・・・この流れで原発をどんどんすすめるのがいいのか。

  これまで、美浜1号の蒸気発生器細管破断、敦賀の放射能ふくんだ廃液たれ流し、大飯1号の緊急冷却装置の誤作動、もんじゅのナトリウム火災事故、美浜3号機の配管破断事故・・・・地震による柏崎原発被災。大きな事故が繰り返されてきた。

   日本の原子力行政に、独立した規制機関がないのは大問題。
   国や福井県がすすめるプルトニュウム路線は安全にモノになるか、は疑問。もんじゅのナトリウム冷却にも無理がある。再処理問題ふくめて、よほどの技術の大飛躍がないと難しい。
   こういう点で、日本は地道に原子力をやっていく、という姿勢に欠けている。また、アメリカとの深い関係に拘束された原子力行政であり、日本独自の発展が妨げられている。

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  「いけいけどんどん」で福井県も国の原発推進に丸ごと協力しているが、あらためて、批判的な検証が必要でしょう。
  事故が起こったときだけ、こぶしをふりあげるような「場当たり」的な対応は、本当に県民の命と安全に責任をもつ態度とはいえないのではないでしょうか。


地域住民の疲弊に真剣に手を打て

2009年05月10日 | Weblog
   昨日は昼の会合では財団法人の今後の課題などをお聞きしました。
宣伝活動は、消費税増税反対の宣伝署名。まだ、増税計画が知られてなく、関心が低いなあ、という感じ。いまの給付金などのバラマキの付けは消費税大増税であることを多くの県民に知らせなくては。公明党は総選挙の投票日は8月9日、もしくは8月30日、と踏んでいるそうだ。時間はあまりない・・・・。

   夜の地域の会合では、福井県政、福井市政問題も議論に。東村市長の地元ですが、結構評価は厳しいようです。まあ、市民の意見も聞かずに保育園民営化などをごり押ししようとしていますから。
  「佐藤さんは湊公園の問題でもすぐに見に来てくれ、剪定などすぐ実現してくれた。地域のために働く議員がやはり必要だ」と激励もされました。
  話のなかでは、「会社の休みが増えて、バイトをはじめた」「収入が減る中、月8万の住宅ローンは大変」「仕事がないのなら、コンビニでバイトしたら、と妻に言われた」などいまの景気悪化の問題も。国・県・市が一体となって、大企業に社会的責任を果たさせ、地域経済と雇用を守る大胆な取り組みが必要です。
 ある社長さんは「うちは雇用助成金を受けているが、給与は全額支給している。役所からも驚かれた」と。セーレンの川田さんも学んでほしい町の社長さんの姿勢です。
   いずれにしても、地域の雇用と生活の地盤沈下がどんどんすすんでいるなか、今年限りのバラマキ給付金などで国民をごまかす政治は許されません。

あいすくりん

2009年05月09日 | Weblog
  昨日は、母が自転車でこけた、というわけで急きょ医者へ。福井市有楽町の佐藤整形。親戚筋にあたる。先代は最初、坂井町徳分田で開業した。その後、福井市地蔵堂にでて、かなり名を馳せた。政治も好きだった、と聞いた。
  もう随分前のことになるが、いまの先生が開業するとき、ユアーズホテルでお祝いの会が開かれ父と参加した。わたしの住む湊地区でも評判がいいのは嬉しいことです。
  その後、かねもと幸枝さんと福井市内で街頭宣伝をおこないました。

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  雷鳴とどろく・・・・いまは滅多にないが、こどもの頃は雷鳴とともによく停電した。楽しいテレビも、「今日はそこまで」。そうなると、懐中電灯かろうそくの出番。いまは、非常用にろうそくを準備している家は少ないのではないか。
  しかし、家の中から見る雷にはわくわくした。稲妻のパワーにあこがれていたのかもしれない。
雷の雨は、窒素をふくみ、稲の成長を助ける。だから「稲妻」。稲の成長にいい、と聞いていたかどうか、記憶にない。


   5月9日は明治2年に横浜で初めてアイスクリームが製造販売された日。当時は「あいすくりん」と呼んだという。日本共産党の勉強会で訪ねた夏の高知の桂浜で売っていたのも「あいすくりん」という名称ではなかったか。
  福井では、店が近かったこともあり青年運動時代に「田中屋」のアイスクリームを時々食べた。
暑い日、「駅東」で街頭演説した後に、ふっと食べたくなり買い求めたことも。
  

死刑からの生還・・・松川60年

2009年05月08日 | Weblog
  「大変おそくなりまして申訳けありません。私達実は3月から松川後援会を作り、別紙の通りの金額が集まりました。月々に送れるとよろしいんですけれどあまりにも少ない為今日までのびのびになりました。しかしこれより少なくなるということはないと思います。真実が通されて明るい勝利の日まで続けるつもりです」・・・・これは、昭和29年6月に発行された「まつかわ」第十号に掲載された「福井懸松川後援会遠敷支部」からの便りです。
  ガリ版刷りの40ページほどの小冊子ですが、全国からの便りや、弁護士、労働組合などの訴えで熱い。表紙には「第25回メーデー万才!松川の裁判やりなおせ! 国民救援会」の旗を掲げた人たちが描かれています。
   遠敷、は小浜市の一地域。わたしも嶺南地域で共産党の仕事をしていた時は何度もたずねたことがあります。人間のあったかさを感じた地域です。さて、「松川」とは・・・・・

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   1949年8月17日、東北本線・松川駅に向かっていた列車が脱線・転覆、乗務員3名が死亡。その犯人として国鉄や東芝の労働者20人が逮捕・起訴された「松川事件」。今年は60周年。
  最初は全員が死刑・無期懲役をふくむ全員有罪。それが、14年間の歳月のたたかいを経て、全員無罪、となりました。「外国人か」ともいわれた真犯人は捕まっていません。
  無罪をかちとった時は、私はまだ4歳ですから、まったく記憶はなく、松川事件は、文字通り「歴史」としてしか知らないのです。しかし、改めてこの歴史的事件から学ぶ事は大きいのではないかと思います。

  
   この事件の教訓として、伊部正之・福島大学名誉教授は、「国民は裁判に疑問があれば大いに発言し、無実であるという事実を天下に突きつけるべき」「無実の人たちが死刑にされようとしていることを知った以上、逃げ出すわけにはいかなくなる。それにしても、自分の命に関わらないことに、人間があえて関わるというのは、やはり大変な決断。下手をすれば自分に不利益が及ぶかもしれないし、警察に付回されるかもしれない。だから、そういう意味で松川運動は勇気を発揮して被告の命と人権、そして裁判の権威を救ったのだといえる」と国民救援会が発行する雑誌のインタビューで述べています。
   また、「松川裁判では、被告が無実であることをしめす証拠のかなりの部分が終盤になってようやく提出されましたが、真犯人についての証拠は一切出されませんでした。あれだけシラミ潰しに捜査したわけですから、真犯人に繋がるものが一切ないということは有り得ない」とも述べています。

    国民参加の裁判員制度がはじまろうとしていますが、検察側の有罪の意図と証拠に偏らず、すべての証拠の開示こそが前提にならなければ、私たち国民を巻き込んで「冤罪事件」を新たにつくりだすことにもなりかねません。
   こういう局面でもあるだけに、松川事件から汲み取るべき今日的意義はますます大きいと思うのです。




小三治と吉坊

2009年05月07日 | Weblog
昨日は、福井西武前で、原水爆禁止福井県協議会がよびかけた核兵器廃絶署名行動に参加。あいにくの天気のためか、不景気か、人どおりも少なかったが、200名を超える署名が集まりました。

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   さて、今日は落語の話題三題。
生の落語との出会いは、仕事の「卒業旅行」でぶらり浅草。ぶらり「演芸ホール」。これが出会い。落語も、漫才も、手品も、紙きりも、どんなDVDも生には勝てない。小三治師匠も、記録は嫌がったという。それは、まったく別の「作品」になるからではないか。
  県内でもこれまで芸文フォーラムなどの熱心な取り組みで落語会もあった。以前、福井市文化会館で開かれた寄席が、お客が少なく主催者も「東京ではチケットが取れないのに」と嘆いた。先般の「ちりとてちん」以降、福井県内でも大小さまざまの会が開かれ好評なようだ。
行政もいろいろ手をだしはじめているが、こういう分野は、「先をみた取り組み」「人に投資」「成果を焦らない」ということで、長いスパンで支援いただきたいものです。最近の企業の「文化ギリ」「スポーツぎり」の轍を踏まないように。

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   先日、映画「小三治」を観た。実に良かった。機会があれば、多くの方に観ていただきたい。北陸では金沢ではかかるようですが・・・。
   寺脇研氏が書いている。「落語家という生き方、その持つ業が鮮やかに示されている。それも、浅薄になりがちな作り手の側の理解レベルでしめすのではなく、柳家小三治という一流の落語家の実像を素直に映し出した結果のことだ。」・・・・
   感じたのは、「つくりごと」ではない落語家の生活、仕事、人柄を描いている。福井でもおなじみになっている三三さん「出演」。裏側は面白い。
入船亭扇橋師との「とぼけた」やり取りも絶妙。弟子の生々しい姿は、「よくぞここまで」という感じ。
   小三治師匠は共産党の赤旗まつり「青空寄席」の常連ですが、・・・まだ毎年の選挙がつづくと、いつ会えるのか。ちょっと、不安。

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   本と色紙付きで3000円、のお得感につられて入りましたが、本当にお得でした。『桂吉坊がきく 藝』出版記念落語会。
しかもゲストは文学座の加藤武氏。2人の「対談」に抱腹絶倒。
 桂吉坊は2席。まだ20代だが、話芸とセンスもなかなかのもの。隣に座っていた「通」らしき人も「東京には若手でこれだけの実力ある噺家はいない」と力説していましたが・・・
   血のにじむような精進をされているのだと思います。
ちなみに本そのものは、小沢昭一、茂山千作、市川團十郎、竹本住大夫、立川談志、喜味こいし、宝生閑、坂田藤十郎、伊東四朗、桂米朝。東西の各ジャンルの第一人者10人へのインタビューです。朝日新聞の「論座」が途中で廃刊になったので、加藤武氏を舞台に呼んだとか。杉村春子との思い出話に会場爆笑。
   どの分野でも勉強している人が一番だなあ、とあらためて感じました。