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古典の季節表現 冬 十一月上申日 春日祭

2020年11月03日 | 日本古典文学-冬

(応和三年十一月)十二日庚申。平野春日祭。中納言師氏参春日社。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(長徳四年十一月)四日、己未。
内府(藤原公季)の許に参った。右藤中将(藤原実成)が春日祭使となった。そこで参り向かうのを訪ね申す為である。(略)歌舞が行なわれていた頃、内裏に還り参った。秉燭の後に、祭使が弓場殿に参った。天皇の御前に召すようにとの仰せ事が有った。この頃、夕膳を供していた。御膳を撤去するのを待って、すぐに御簾を垂れた。蔵人(藤原)泰通が、仰せを承って使を召した。実成朝臣は仙華門(せんかもん)から入って、長橋に伺候した〈円座(わろうだ)を敷いた。〉。舞人と陪従は、仁寿殿の砌(みぎり)の内に立った。歌舞〈求子(もとめご)。〉が奏されていた頃、衝重(ついがさね)を祭使に賜わった〈あらかじめ泰通に命じて準備させたものである。贄殿が肴、酒殿が酒を出した。〉。私が勧盃を行なった。泰通が酌を取った。舞が終わった頃、大蔵卿(藤原正光)が御衣(おんぞ)を祭使に下給した。祭使はこれを賜わり、拝舞して退出した。(略)
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長保五年十一月)八日、甲午。 春日祭使料を送る
(藤原)陳孝を遣わして、春宮大夫殿(藤原道綱)に被物(かずけもの)三重(かさね)を送り奉った。(藤原)兼綱少将の春日祭使料である。
九日、乙未。 春日祭使の出立所を訪ねる/春日奉幣
左府の許に参った。大夫殿(道綱)の許に参った。春日祭使の出立所である。
春日奉幣を、勘解由判官(藤原)如信に託した〈私の分、女房(藤原行成室)の分、薬助(やくじょ)及び犬(藤原実経)の分、また小女たちの分である。〉。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘四年十一月)八日、辛未。
春日祭に際しての奉幣は、常と同じであった。申剋に、春日祭使(藤原教通)が出立した。内大臣(藤原公季)が、出立の儀に来られた。これは希有な事である。土御門第の西対から出立した。対の西廂に、内大臣の坐る座を設けた。教通が立って拝舞した後、渡殿の南廂に内大臣のために錦端(にしきべり)の畳一枚と土敷(つちしき)の茵(しとね)を敷いた。他は菅(すげ)の円座(わろうだ)を敷いた。二、三献の宴飲の後、近衛番長雀部是国(ささきべのこれくに)を召して、左大将(藤原公季)の盃を下賜した。後に宰相中将(源経房)を介して、是国を府生(ふしょう)に任じるという奏を賜うことを命じた。是国は再拝し、立って拝舞した。この間、盃酌(はいしゃく)が数巡した。私は悦びが身に余り、泥酔して不覚となった。内大臣への引出物は、馬三疋であった。一疋は栗毛の馬であった。内(一条天皇)から賜った馬である。一品宮(脩子内親王)の御着裳(ちゃくも)の日に賜ったものである。一疋は枯尾(かすお)の馬であった。これは我が家の馬の第一のものである。一疋は(藤原)輔公が貢上(こうじょう)した第一の鹿毛の馬であった。蒔絵の野刀(のだち)を右衛門督(藤原斉信)に取らせて、内大臣に贈った。内大臣が土御門第を出られた際、頭中将(藤原実成)が、内大臣の御沓を持って来た。私は、着していた刀を解いて、頭中将に預けた。私は中門の下まで内大臣の御供をして出た。穏座(おんのざ)があった。手長(てなが)は春宮権大夫(藤原頼通)、高坏を取り次ぐ役は、(藤原)頼親と(藤原)公信といった中将が勤めた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和元年十一月)二日、乙未。
内裏から退出した。春日祭に神馬使を出立させた。丹後守(藤原)惟任であった。昨日、近衛府使(藤原)公信朝臣が、代官を申請してきた。右兵衛佐(藤原)通範に命じた。馬寮使(藤原)相尹も、障りであることを申してきた。これは免じられなかった。祭使発遣の上卿の修理大夫(藤原通任)も、障りを申してきた。祭使の出立所に、舞人の下重を送った。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛仁二年十一月)一日、己未。 春日祭奉幣
春日祭使左近少将(源)実基に、舞人の下重(したがさね)、および疋絹(ひっけん)少々を送った。鴨川に出て、奉幣を行なった。例幣(れいへい)、および金銀の幣(ぬさ)であった。私が出立させた奉幣使は、出雲守(藤原)成親であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(安貞元年十一月)九日。天晴れ、霜無し。巳後、大風、沍寒。春日祭の使少将伊成、除目右に任ず。忽ち左に渡されて勤仕すと云々。是れ又他の将勤めざるか。弁蔵人弁(光俊と云々)。申の時許りに前殿仰す。神事に依り西の亭に有り。来たるかと。即ち参入す。節会の習礼、其の志有り。寒風に依り、思ひ止まり了んぬ。夜に入りて退出す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

よにしつみて侍けるころ、かすかの冬のまつりにへいたて侍けるに、*おもひける事を(*おほへけるイ)、みてくらにかきつけ侍ける 左京大夫顕輔 
かれはつる藤の末はのかなしきはたゝ春の日をたのむはかりそ 
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)


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