洗心 senshin

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二年前の記事。「蝶と私。」

2024-09-21 23:13:01 | つぶやき

一年前の記事。

 蝶と私。いつものことだが まず最初に断っておかねばならない。『蝶』と『私』に起きている現象はまごう事なき事実だが その背後に存在する自然量子ネットワークにま......

いつものことだが まず最初に断っておかねばならない。
『蝶』と『私』に起きている現象はまごう事なき事実だが その背後に存在する自然量子ネットワークにまでつながる真実領域を波長透過し浮上させるのは
至難の業である。
 
私とて生身の身体 低迷混乱劣化迷走する日本社会の中で日々の生活を
維持せねばならない現実もある。確かに他人の常識からみれば「アタオカ」にしか映らない『蝶と私の考察』など何の因果で継続するのかと自問せざるを得ないそんな哀しい瞬間もある。
 
しかし そこは地球人ひとりひとりに応分の本質課題があるように
これも天から与えられ且つ喜んで引き受けた天命ゆえの一つの具象なのであろう。
 
要所要所で考えるそんな時には必ず『蝶』が現れて天然抽出の『舞い』を
披露してくれる。それは私にとっては天女の舞いを享受するに等しく あらゆる思考の垢も吹っ飛び未来の自然量子ネットワーク社会でさまざまな有用(優良)生命体たちと創造源光波に身も心も内面照射され5次元連動で舞い躍るその様をありありと何度でも更新して描くことが出来るのである。
 
… … … … … 

(一年前の感想) 
『蝶』に纏わるエピソードは数限りない。それらの実体験でこのブログの根幹は創られている。一昔前ならオカルト話の一話として歴史の片隅に埋もれるところであった。 如何に一個人が確証を得ていたとしても再現性を客観的に示せない以上 市民権を得ることはなかった。
しかし 今では吾が愛妻が『蝶』に何故か縁が深く そればかりか蝶たちに慕われ 何気なく(おそらくはインスピレーション)植えたレモンの樹にナミアゲハの幼虫が宿り 荘厳な羽化の一部始終を魅せてくれた。これほどの栄誉はない。愛妻共々手を取り歓喜に咽んだものである。彼ら『蝶』たちの奇跡の変化(へんげ)を一部始終見せて貰えたのである。自然人としてこれほどの幸せはない。

(本年の感想)
今年は去年ほどのレモンの樹での大繁殖はなかったが それでも早い時期に幼虫が来てくれていた。ただ 今年は何故かそれ以降の大繁殖はなく静かなものであった。去年はレモンの葉も大量に食され花も咲かなかったようで 蝶もさすがにレモンの樹の生育を考慮してくれたのかもしれない。自然界の共生は人間が考える以上に深淵な摂理に満たされているようである。
来年こそはレモンの花が咲き やがて幾つかの実がなることだろう。

一年前の記事。「意義価値は莫大。」

2024-09-21 07:30:45 | つぶやき

意義価値は莫大。

昨日は草刈り仕事に精を出した。途中 キチョウが集団で寄って来て乱舞で魅せてくれた。しかも 二度もの開催であった。本当に自然からの贈り物は魂まで打ち震わせその三位を癒し......

昨日は草刈り仕事に精を出した。途中 キチョウが集団で寄って来て乱舞で魅せてくれた。しかも 二度もの開催であった。本当に自然からの贈り物は魂まで打ち震わせその三位を癒してくれる。お蔭で身体にエネルギーが満ちて予定よりも広く早く草刈りを完了させることが出来た。
 
まだまだ 人間社会がこの種のエネルギー共振に目覚めるのは相当の時間経過が必要だろうが たとえ僅かな『人』であろうと自然原初のエネルギー層に先駆的に繋いでいく意義価値は莫大なものがある。今は目に見えなく五感に感じなくとも『自然クライン環』の実稼働効率は数次元を網羅するエネルギー深度がある筈である。

… … … … … 

もちろん何千年 いやそれ以上『人』は自然エネルギーと共振し その意義価値に打ち震え満たされ護られて来た。ちょっとした自然との触れ合いもわたしたち『人』の三位には莫大な意義価値を示してくれるのだ。

さらなる意義価値を享受しようと欲するならば 『自然クライン環』をその自らの三位に浮上稼働させることである。大自然もそれを今かと待ってくれている。そのために『蝶』は天の意を載せて今日も飛翔するのである。