洗心 senshin

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二年前の記事。「自然界のサイン。」

2024-09-09 10:34:15 | つぶやき

一年前の記事。

 自然界のサイン。昨日は『蝶』の投稿をして また逢えることを当然のように期待し今日も車で出かけたのだが一向に蝶は姿を見せない。 あの記事は蝶にしてみれば書いて......

昨日は『蝶』の投稿をして また逢えることを当然のように期待し
今日も車で出かけたのだが一向に蝶は姿を見せない。
 
あの記事は蝶にしてみれば書いて欲しくはなかったのかな。
用事を終えて帰り道 そんな心境になり色々と反省をしていた。
 
私個人にダイレクトにわかってほしいから命がけのパフォーマンスをする。
彼女はその一瞬間のために懸けている。
本当にわかってほしい伝えるべき『人』がいれば(私がそこに居なくとも)
『蝶』は間違いなくその人に伝わる形で行動するだろう。
 
それは『蝶』だけではなく 他の生命体たちも同じなのだ。
自然量子のネットワークに根差す魂たちはそれぞれの受信容量で
相互に深く感応し合って生存しているのだ。
 
そんなことを考えながら走行していると突然
キチョウが立て続けに3匹(3頭)ゆっくりと車の前を横切った。
キッチリと数秒間隔で何かの合図のように。
 
これが答えなんだろうな。
人間の言葉ではない彼ら独特の自然界のサインだ。
 
… … … … … 

(一年前の感想)
 
まさに そういうことなのだ。表層で平面の資料を平面の五感であれこれ捏ね回している限り眞實なんて判らない。「人間」という単なる生体端末を生き永らえてる限りその根源目的は自覚出来る筈もない。『人』として偽神でも悪魔でもない本物の自然創造神と親しくクライン環共鳴する時 見えない創造次元も見える被創造次元も共通波長により立体共振が叶う惑星自然となっているのである。

(本年の感想)
今年も『蝶』に出逢う機会は極めて少ない。憂いはあるが 出逢った瞬間の周波数インパクトは半端なものではない。出逢えなくとも 何時も何時の瞬間も逢う以上の緊密感に満たされているのだ。

だから 今日も『蝶』たちは 嘗ての私のような迷える善人にその姿を魅せて心の跳躍を促して翔び羽ばたいているのだろう。心静かに原初光に輝く未来を夢見て過ごすことにしよう。