ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

大阪と奈良へ、ちょっとだけ文化的な週末

2009-11-29 00:29:15 | Private・雑感
大阪と奈良に行ってきました。三重では触れにくい文化を求めて(?)。
初体験もなかなか盛りだくさんで、楽しかった~。

日程は、
21日 大阪駅→サントリーミュージアム@天保山でクリムト・シーレ展
    →西成を散歩→大阪劇団四季劇場でWICKED→ワイン→奈良のホテル

22日 奈良駅前でモーニング→東大寺で大仏→興福寺境内を散歩・資料館
    →雨の法隆寺→四日市で鍋と日本酒

四日市から近鉄特急で2時間ちょっと。
鶴橋乗り換えで、大阪駅に。
最初の目的地は「サントリーミュージアム天保山」。
企業お抱えの美術館は、不景気の折に閉館の潮流、なんていう感じの
日経記事(文化欄)を読んだ記憶がある。
このサントリーミュージアムは、2010年12月末で閉館するとのこと。
http://www.suntory.co.jp/culture/smt/about/index.html
「クリムト・シーレ ウィーンの世紀末展」に行きました。

結果的には、クリムトの絵はほんとに少なくて。
ただ、「ウィーンの世紀末展」としては成功しています。
19世紀、プロイセンかそこらへんの脅威がなくなり、
市街地を囲む塀を壊し、大通りを造った(リングシュトラッセ)。
オペラ劇場や市庁舎など(確か)大規模な建物を次々と建設。
そこに「古典的芸術」の需要が生まれ、多くの画家たちが
その仕事に集中していくのだけど、
その古典回帰的な雰囲気から逃れようとして芸術協会を脱退し、
「分離派」をつくったのがクリムトたちなのです。
芸術が事業として成り立つというのは、ほとんどが公共事業の場合のみなんだよな、
と改めて思いました。
体育協会と同じく、芸術文化協会の要職を政治家(市議とかを含めて)が
やってるケースって多いでしょうね。

その後、「あいりん地区」がある西成で途中下車して、
時間もあまりなかったのでただ歩いてきた。
ホテル業がさかんでしたね、一泊700円台くらいから。
カップ酒の自販機もやたら多かった。

夜。大阪四季劇場に足を踏み入れる。
ミュージカル初体験は、「ウィキッド」でした。
とにかく、脚本展開に「やられたぁっ!」の連続。
オズの魔法使いに登場する良い魔女、悪い魔女の誕生秘話風なのだけど・・・
めくりめく展開を可能にするのは、ミュージカルの特性だなと実感。
というのも、ミュージカルだと、歌や踊りや照明で
「これは恐怖の場面」「これは喜びの場面」と一目瞭然。
だから、3時間半くらいであれだけの場面展開ができるのだと思う。
ミュージカルはまた、きっと見てみたいねと言って会場を出ました。

奈良ロイヤルホテルで就寝。

22日は、最初は晴れ間が覗いていたのだけど、徐々に曇っていきました。
モーニングを食べたカフェでは、店員が余裕で客を待たせていて、
のんびりしたとこなのかなと想像。
初めての東大寺に入る。
華厳経を学ぶ大学だったと、『街道をゆく』にありました。
それにしても、聖武天皇と光明皇后は、それまでの「天皇による統治」を、
自ら天皇の立場でありながら「仏教による統治」を大きく進めたのは
大転換ですね。
大仏より、それを納める東大寺の木造建築の大きさが
なかなか立派だなと感心しました。

興福寺は、藤原氏の寺。法相学を修める大学だったのかな。
それでも、ある一本の経本をずーっと、明治前に廃仏毀釈になるまで
繰り返し研究した、学問的には味気ない感じの拠点だったみたい。
それでも、(それだから?)栄え、境内は奈良駅周辺をすっぽり
覆うほどだったとか。
学問にさほど興味のなかった江戸末期の僧たちは、
廃仏毀釈をすんなりと受け入れたらしいです。
阿修羅展があるため、特別展示の場所はものすごい列でした。

法隆寺も初めて。
聖徳太子が、用明天皇の体を治してほしいと、薬師如来像を
置くために作ったのだそうだ。
現在は「聖徳宗」なるもの(1950年に法相宗から独立らしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%AE%97
ずいぶん新しいな)
の総本山となっています。
雨が強くなってきて寒かった。
法隆寺自体は宝物庫のような印象ですね。

奈良は来年、遷都1300年。
日経TRENDYでは、「2010年のブーム」のひとつになっています。
さあどうなるでしょう、奈良市や奈良市民らの取り組みが
成功するか期待です。

長々と失礼。だんだんと「ですます」調になったのは、
歴史に触れる部分で自信がないからかも。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿