マクロビオティックな歯医者さんの食と暮らし                   食養塾 無何有庵の日々

無(む)と空(くう)の癒しの時間の中で、心食動息の一つ一つを共に考えていきたいマクロビオティックなスペース。

マクロビオティックな<精進 茶懐石 料理>

2008年10月21日 17時43分36秒 | マクロビおもてなし料理 霽華(さいか)


昨年から、養のコースにて、<マクロビオティックとお作法>を担当してくださっていました片岡秀子先生が、新しい講座を開講してくださることになりました。

今日はその試作試食会。

朝から、片岡先生が腕をふるってくださいましたよ~。
お味はとってもおいしかったです。

再度、ご案内とお料理の写真をお届けいたします。
実際の本番には、器も本格的にもう少し盛り付けが華やかに、そして丁寧な仕事で美しくなりますよ。(今日は、試作で時間に追われながら、お一人で作られていましたのでご案内とは少し違いますが・・・)



マクロビオティックとお作法
<精進 茶懐石料理>

(霜月のご案内)

日 時 11月9日(日) 10:00~15:00(終了予定)

受講料 4000円

テーマ 口切(茶事のお正月)


お献立

1.向   鯛もどきと菊花、岩茸の数酢



2.汁   玄米白玉団子おとし辛子

3.飯   玄米ごはん



4.椀盛  蓮しんじょう 結び三つ葉



5.焼物  豆腐の幽庵漬焼き



6.進め肴 蕪の風呂吹き


  
  柚子釜



7.箸洗い 銀杏のこまごまと針生姜



8.八寸  えびもどきの葛衣  百合根の茶巾絞り




片岡先生はお茶の師範で、うちのスタッフもお稽古に通わせていただいております。詩吟など趣味も多彩で、何より、食事が大切ということをご自身の体験から学ばれて、今では婦人会などたくさんの方のお料理の指導をなさっております。



マクロビオティックは無何有庵で習われました。
華やかになった茶懐石のお料理を、もともとの精進なスタイルに練り直してくださり、皆さんに手ほどきをしてくださいます。

懐石の後は、お濃茶とお茶菓子でおもてなしいたします。
お茶菓子は、私が担当いたしますね。


●茶懐石につきましては、下記にインターネットから引用いたしましたので
ご覧ください。


茶懐石料理の沿革

古くから、寺院では、獣肉、魚、鳥をさけた料理がつくられてはいたが、精進料理として確立を見たのは、鎌倉時代の禅宗においてであった。
これには、道元禅師の功績も大きかった。
この料理は、禅宗とともに、中国から輸入されたものであったが、その禅宗とともに、日本的なものとなった。


禅僧は、修業中、寒さと空腹を、少しでもいやし、胃をひやさないように、温石(おんじゃく)、すなわち、石を僧衣の中の帯の上に置いていた。
これから、懐石(かいせき )と申せば、禅僧を指した。
で、この禅僧が作り、喫食する精進料理を、一名、「懐石料理」とも呼んだ。
(こん日の茶懐石料理と異なる )
この懐石料理は、こん日の精進料理と同じく、植物性蛋白質と、植物性脂肪を多く含むものである。


茶は、唐の時代から、中国で、禅宗と結びつき、平安末期に、日本に禅宗の入ったとき、それをもたらした人物、栄西の手によって、「茶の種」も輸入された。
それ以来、日本でも、禅と茶の湯は不可分の関係を持って進んできた。


で、千利休は、茶道の会合に供する懐石料理ということで、「茶懐石料理」をつくり出した。
このものは、禅門本来の懐石料理(精進料理)の心持ちを、さらに、いっそう追求し、いっそう、枯淡を愛し、自然の風味を愛するものであったと同時に、いっさいの格式をも去ろうとするものであった。


つまり、狭い茶室や侘び茶が、広間をとり、手間ひまのかかる華美な本膳料理を1つの方向に変え、一汁三菜の簡素な侘びを主体とした料理を作りだしたわけである。


このように、茶懐石というのは、室町時代、中国から茶道とともに、禅宗の心が入り、新しい禅宗風の食事のしかたが確立したものである。
しかし、茶懐石料理は、日本に育ったので、いくばく本膳料理の影をやどしている。


最初に出される「向付け」、「汁」、「飯」は、本膳に相応し、次の椀盛、焼物以下の料理は、二の膳に当たると考えられる。


また、禅宗の影響を多分に受け、禅僧が托鉢(たくはつ)の途中、食事をするときに使う、鉢単(はったん)と呼ぶ堅い油紙は、折敷(おしき )と呼ぶ足のない平膳のもとになった。
また、使われる食器は、こん日でも、禅僧が常用している飯碗と汁椀とがひとつになる、応量器(自分の食べ量に応じて器の大きさが違う )と呼ばれる食器を参考にしたものである。
喫茶、喫食の心構えは、禅の真髄を求めて修業する僧堂での座禅生活となんら変わりないとするものであった。


現在の茶懐石料理には、ある面において、西洋料理の影響が見られる。
前菜、汁物、最後に後甘というように一品ずつ料理が出される点がそれである。
これは、江戸時代初期にオランダの影響をうけ確立されたものである。


茶懐石料理と宴会料理の、もっとも大きな違いは、「宴会料理は、食前に、酒と何品かの肴を出される」が、「茶懐石料理は、はじめから、ご飯と汁が出てきて、そのあい間に酒がつがれる」ことである。


宴会料理の場合は、どちらかと言えば、酒をおいしく飲むための料理である。
そのため、ご飯は、最後に漬けものでということになる。


茶懐石料理は、その点、はじめから食事のテンポに合わせて、次々と料理そのものを味わえるように考えられている。


客をもてなすということは、なかなか、むずかしいことである。
おいしい料理を作ってもてなすことは言うまでもない。
が、客のもてなしとは、それだけでない。おいしい料理を作って、もてなす上で大切なことは、その料理を運ぶ「間」である。
膳を運び出して、給仕口のふすまを閉め、次に、ふたたび、ふすまを開ける。
その間の呼吸、これが「間」である。そののち、酒、煮もの、焼ものと続くが、その間の微妙な間に神経を集中しなければならない。
間が早すぎても、店をせわしくし、客を追いたててしまう。
また、間があきすぎても、席をだれさせる。その「間」ということは、実に、大切なことである。


四季おりおりの旬の材料だけで献立を作り、季節感を盛り上げると同時に、材料の持つ色、形、香り、味を重んじて、これを素直に生かす。
そして、切れ端まで、けっして、粗末に扱わない簡素な心を厳しく守る態度、季節の寒暖にかかわらず、「温かい料理は、あくまでも温かく」、「冷たいものは、それを盛る器まで十分に冷たくして供する」、こうした心がまえ、心くばりは、家庭料理や専門料理の中でも、大いに、見習わなければならない。


茶は、季節の移り変わりを厳しくとらえている。“ 4月、5月は、炉から風炉への時期”“10月は、風炉の名残(なごり)の月”“11月は、炉開き”と、茶懐石の献立の上にも、この季節をはっきり選び分けることが、大切である。


茶懐石料理の献立は、海、山、里の幸を重複しないように組み合わせて、それを、できるだけ質の異なるものを組み入れて構成する。
野菜もの、根のもの、軸のもの、茎のもの、葉のもの、実のものなどを、1種ずつそろえる。およそ、植物性と動物性のもの半々くらいで構成するのが、理想である。


食べにくいものには、隠し包丁を入れ、骨のあるものは、丁ねいに、骨を取りのぞいておく。
また、たくあんのように、かむ音のはっきり出るようなものは、細かく包丁を入れておくなどの心くばりを忘れないこと。
それが、もてなしの真髄なのである。


また、料理の着物ともいうべき食器の取り合わせにいたっては、細心の心くばりを必要とすることは、言うまでもない。

明治時代は、料理を作るとき、ろうそくを灯りとした。
また、材料も、現在のように豊富でなかったので、質素な、本来の茶懐石料理の献立内容であった。
しかし、大正時代になると、電灯を使用するようになり、また、外国からも、多量の肉、その他の山海の珍味が入荷するようになり、次第に、現在のような豪華絢爛たる茶懐石料理になったが、一汁三菜が基本であることには、かわりない。


調べてみると、茶懐石ってマクロビオティックに繋がるところがありますよね~。
日本のおもてなし料理として、ちょっと紐解いてみませんか?

器やおもてなしの品数の都合もありますので、少人数で開催したいと思います。
お早めに、お申し込みくださいね。

尚、12月はマクロビオティックお節を開催いたします。
12月16日(火)の予定です。