中島飛行機(現在の富士重工)の創業者である中島知久平宅は、今までに2度訪れたことがあり、今回が3回目となる。
今回は仕事の一貫で内部を詳細に見学することができたが、一言でいうと豪華絢爛。
建築されたのは、棟札から主屋は昭和5年4月17日。建設費は、当時の金額で約100万円掛かったという。現在の金額に置き換えることは難しいが、同時期の昭和6年に市民の寄付により完成した大阪城の復興天守が約47万円というから、2倍以上は掛かっているということになる。
玄関階段は継目のない長さ4.8mの白御影石、応接間の大理石の暖炉、ステンドグラス、シャンデリア、モザイク模様の床板、どれをとっても超一級品。
今回は普段は入れない客室棟も見せて頂いたが、客室・次の間を合わせる杜49畳の広さになる。
この部屋の襖には下から60センチくらいのところにシミがある。これは昭和22年のカスリン台風の際、床上浸水になった痕跡とのこと。
他の部分も見せて頂いたが、建設当時にすべてを改修するには相当多額の費用が掛かるのは間違いない。
今後、どのように改修され、どのように利用するかが楽しみである。