1月10日、東京上野に行ってきた。
公園の一角に白バイやパトカーが展示され、そこに多くの親子が集まっていた。
何かと思ったら、1月10日で「110番の日」で、そのイベントらしい。そういえば、110番通報も、最近は緊急性のない電話が多く、例えば「免許証の更新はどうすればいいんですか?」などという普通の電話に使用されてしまうという話も聞く。
ところで、今回の上野の目的は「110番の日」でなく、国立西洋美術館で開催中の黄金伝説展「古代地中海世界の秘宝」を鑑賞すること。
最終日の直前に行ってきたが、黄金の国ジパングも真っ青の豪華絢爛の装飾品の数々。
特に、粒金細工はすごい。
下世話な話だが、展示総額はどれくらいか考えてしまったが、値段がつかないというのが正解だろう。
出展品の所蔵者は、ヴァチカン美術館、オルセー美術館、プラド美術館などの美術館に加え、ソフィア国立考古学研究所・博物館、フィレンツェ国立考古学博物館、ヴィラ・ジュリア国立考古学博物館などの博物館。まさに総合芸術展である。
帰りに、館林ゆかりの将軍、徳川綱吉の墓を見ようと寛永寺に行ってきた。
寺のHPに、次のように書いてある。
寛永寺は、寛永二年(1625)慈眼大師天海大僧正によって創建。徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受け、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野に建立された。これは比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門に位置したことにならったもので、東の比叡山という意味で東叡山とされ、寺号も延暦寺同様、創建時の元号を使用し、寛永寺と命名された。
まず、山門をくぐると根本中堂があり、ここで御朱印を頂いた。書かれている文字は「瑠璃殿」。
根本中堂は寛永寺の中心となるお堂だが、現在のものは、明治12年、川越喜多院より本地堂を移築したもの。
寛永寺は、最盛期には上野公園を中心に約30万5000坪、さらに1万2000石の寺領を有していた大寺だったが、幕末の戊辰戦争で、戦場と化し、大部分が灰燼に帰してしまった。
今回、寛永寺を訪れた目的は2つあり、1つは御朱印を頂くことで、もう1つは、徳川歴代将軍霊廟を観ること。
寛永寺には、四代家綱公、五代綱吉公、八代吉宗公、十代家治公、十一代家斉公、十三代家定公の御霊廟がある。
ところが、寛永寺の徳川歴代将軍霊廟は非公開で観ることが出来なかった。
増上寺の御霊廟は参拝可能だったので、ここも同じように観ることが出来ると思って行ったのだが残念である。でも五代綱吉公の勅額門は外からでも見ることが出来た。
調べてみると、以前は全くの非公開だったが、現在は「上野の山文化ゾーンフェスティバル」や「特別参拝」のときに、公開しているとのこと。
これに併せて、是非見たいものだ。