マラソンなかちゃん

マラソンのことを中心に、農業、環境、健康、パソコン、小旅行などを気ままに書いています。

健康のありがたさ

2012-04-07 12:42:34 | 日記・エッセイ・コラム

新職場になったので関係者のところへ挨拶回りに出かけた。企画課は以前いたことのある職場なので、回っていくと昔ながらの付き合いのあった人に久しぶりに会えたりもする。
まず、周辺の市町村と県の出先機関に挨拶に行った。
「まだ走っているかい? 昔企画課にいた頃は、別府大分マラソンにに行ったね。」とか、「企画にまた戻ったね。ぴったりだよ。」などと言って貰えると、懐かしむもあり、嬉しくもある。
しかし、隣町に行ったとき、私の同級生の横ちゃんの近況を尋ねると、3月で退職したと聞かされた。以前通勤途中、自転車で通事故にあい頭を強く打ち、過去の記憶が無くなってしまった。その後は、大部回復し、職場にも復帰できたのだが、後遺症があったらしく、この3月で退職したとのことだ。
自分も、帰宅途中、自転車で転倒し、頭を打った。また木からも落ち、全身を強打、肋骨を折る事故を起こしたこともある。
それ以来、マラソンは本調子でないが、それでも普段の生活は支障がない。
「人生80年、第二の人生を謳歌しよう」などというが、健康あってのこと。多少不具合はあるが、横ちゃんに比較すれば健康。神に感謝したい。
ところで、息子の中学卒業に時に買ったデジカメがついに壊れた。ブログ用カメラがもう1台あるので当面はそちらを使いたい。

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新たな職場で

2012-04-07 12:01:29 | 日記・エッセイ・コラム

「郷に入っては郷に従え」、新たな職場に馴染むことは重要なことだ。
新職場で始めたことはマイボトル。今までの職場は「お茶代」と称して月に500円くらい集め朝や3時にお茶を入れてくれた。しかし新職場ではその習慣がなく、各自が用意している。
殆どの人は「カフェクラブ」というものに入ってドリップ式のコーヒーを飲んでいるらしいが、私は1杯程度なら飲むが、コーヒーは何杯も飲まない。そこでマイボトルを用意し、紅茶を持参し始めた。
もともと、お茶をいれる習慣に疑問を感じていたので良かったと思っている。
ほかに始めたことは、日々のメモを課職員にグループウェアで回覧すること。各課からの問い合わせや、それに関する私の考え、また会議の結果やそのときの感じた疑問、解決方針などを、A4サイズ1枚程度にまとめ、毎日電子回覧に掛ける。いつまで続くか、見るほうもどこまで見られるか分からないが、当面は続けてみたい。

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タイヤがバースト

2012-04-01 21:51:35 | 日記・エッセイ・コラム

土日に自転車で職場に行き、帰ってくるときタイヤが大きな音をたてバースト。パンクはよくあるがバーストは滅多にない。以前からタイヤに亀裂が入り中からチューブが出そうになっていた。それがついに爆発。
ということで、今日はタイヤの修理。
やったことのある人なら分かるが、ママチャリの後輪は結構面倒。ブレーキとチェーンを外さないと取り替えられない。
無事終了。これで当分は大丈夫。明日は新年度だからね。

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新年度、企画課へ

2012-04-01 19:21:01 | 日記・エッセイ・コラム
今日は4月1日。いつもなら年度区切りの初日。ランニングでもしているところだが、腸骨付近の痛みに加え、また風邪がぶり返して走れない。したがって予定変更でブログ。
人事異動があったので市役所に就職してからの異動の履歴を振り返ってみた。
 

西暦

和暦

年齢

年齢

所属

在籍期間

1981

S56

22

主事補

農政課

6

1983

S58

24

主事

1987

S62

28

 

税政課

2

1989

H01

30

主任

企画課

12

1992

H04

33

 

(農村活性化プロ)

1993

H05

34

 

企画課

1995

H07

36

主査

2001

H13

42

係長代理

環境課

6

2005

H17

46

係長

2007

H19

48

 

市民活動推進課

(市民協働課)

3

2008

H20

49

主幹

2010

H22

51

課長

社会福祉課

2

2012

H24

53

 

企画課

7⇒?

2019

H31

60

 

定年

38

 
◎農政課時代
22歳で就職。最初の職場は農政課だった。大学時代に応用生物化学をやっていたこともあり農政へ配属。その時の多々良沼土地改良事業で非農用地を生み出したが、不思議な縁で、後に企画課に異動し、そこに県立美術館を建設することになる。
 
◎税政課時代
28歳で税政課に異動。結婚した翌年だった。担当したは国保税と電気ガス税など。税の仕事は税法に基づいており覚えやすかった。しかし2年でまさかの異動。
 
◎企画課時代
企画課は、途中で農村活性化対策プロジェクトへの配属もあったが、あわせて12年間在籍することになった。企画で手がけた事業は多い。
①まず総合計画。第三次の前期と後期。更に第四次の前期と3つの計画を策定した。
②次に財務会計の電算化。手書きが当たり前の時代、それをコンピュータ化したが、電算会社にノウハウがなく大変な思いをした。一緒にチームを組んだのが今度の部長だ。
③途中で農村活性対策プロジェクトに。会議室のこもって農地にゴルフ場を作ることをやったが、1年で資金繰りに問題があることが判明。結論として事業化不能と助役に報告した。あの頃あちこちで市営ゴルフ場を造ったところもあったが、現在行き詰まっているところが多く、今となっては適切な判断だったと思う。あのプロジェクトではゴルフ場は出来なかったが、方向を転換し市北部に住宅団地を造成した。
④プロジェクトから戻って行ったのは、市制40周年記念事業。ちょうど本市出身の向井千秋さんがスペースシャトルコロンビア号で宇宙に行った年で、式典ではメッセージ映像を映したのを覚えている。
⑤その頃は箱物もよく造った。手がけた一つが総合福祉センターで財源措置をした。もう一つが県立美術館だ。これは県との調整が結構大変だった。
⑥最後にやったのが環境ISO。県内市町村では初の認証で、自分も審査員の資格を取得した。
企画課時代の良かったことは人に恵まれたこと。当時の職場の仲間は今でも付き合いが続いているし、両毛地域の市町村の付き合いもあったため、その後、他市との連絡が非常に楽だった。本当に宝である。
 
◎環境課時代
企画課でISO14001を取得した関係で、その後は環境課に異動。ISOとともに地球温暖化対策など暑さ対策を行った。暑い暑いといわれる館林の市内全域の気温を一斉に測ったり、NHKの「難問解決、ご近所の底力」にも出演。当時は結構話題になった。そのほか、毎日地方自治体賞特別賞や環境大臣表彰まで受賞した。大臣表彰の時は小池百合子さんが大臣で、大臣室で握手をさせていただいた。当時始めた緑のカーテンは今でも続いている。
 
◎市民協働課時代
環境の後は、市民活動推進課(後に市民協働課)。この時に行ったのは「歴史の小径事業」につきる。平成16年に開始したこの事業は1年で休止、内部的な問題もあり19年度から再開。何とその年に行ったのが私である。任されたのは館林の歴史的景観の再生。歴史の小径としての道路整備のほか、白壁のある石庭風の公園や古井戸、長屋門を再生した。あっという間の3年間だった。
 
◎社会福祉課時代
福祉に異動するとは思わなかったが、51歳にして始めて保健福祉部に異動。課長になった年でもあったので、勉強することが多かった。ここでは地域福祉計画や障がい者計画など3つの計画を策定。しかし最も印象に残ったのは3.11である。東日本大震災の被災者が本市にも多数避難して来たため、その総合窓口を社会福祉課に設置した。本当に良い経験だった。2番目は、養護老人ホームの跡地に建設する予定の障がい者総合支援センターの建設である。基本設計まで終え、方向性は見出したもののまだ課題が多く、もう少しやりたかった。しかし人事だけは分からない。
 
◎第二期企画課時代
明日の辞令以降が企画課の第二期となる。この先どうなるか全く見えないが、これだけは言える。まず健康に留意すること。最近すこぶる体調が悪い。とりあえず不審な点は医者に見てもらうことにしよう。
始めの頃は腸骨の痛みは、骨の表面だったような気がするが、最近は内臓なのかよく分からない。それに3月の風邪がまたぶり返しているような。それをすっきりしたい。
 
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