継ぐ命

2007年07月05日 | 日々のこと
 「私の命を考える」は昨夜の佐久法人会の佐久支部女性会の研修の演題である。
講師は佐久市平賀の大林寺のご住職の増田友厚様である。

 当初風林火山ブームであり「平賀源内」の墓所もあるこの寺の住職さんはその当たりのことに詳しいらしいということで「大林寺の開基と歴史」でお願いしてあった。折りしもNHKの先週の放映はこの佐久である。

 しかし、住職さんは歴史家ではないのでとお話しを避けられてしまった。それなりの家にそれぞれの書き物も残っているから、お話されることによりの不具合の発生もあるのかなと秘かに想像してしまった。

 ①「頭がいい。頭がよくない。だから何だというのだ。」「問題はその頭の使い方である」
 ②「お金がある。お金がない。だから何だというんだ。」「問題はそのお金の使い方である。」
 ③健康である。健康ではない。だから何だというんだ。」「問題は命の使い方である。」

③の命についてのお話である。
人は何のために生きるのか。みなさんは何だと思っていらっしゃいますか。

 半年ほど前のNHKラジオの心の時間で、北海道の動物園の園長さんが、人は何のために生きるかというお話を、夢うつつの中で聞いていた。「命を継ぐため」という明解な論理に私は心から納得をしたのだった。再放送があるならば目覚めてきいてみたいと思っている。

 昨夜のお話もやはりそこにあった。命はなぜ大切なのか。
母親が命をかけて生んでくれたその命を大切に。みんな産まれた時父母の「命と願い」をいただいてくる。継ぐ命なのだと。

 朝夫や子供を送り出す時、「入ってらっしゃい」「待っているからね」という気持ちを持って送り出しなさいと、外でどんなに辛いことがあっても待っていてくれる人がいるということがどんなに心強いいものかをお話なされた。

 佐久市の女性ならば、この方のお話を1度から2度はお聞きしているだろう。心洗われるお話であった。
 
                         美恵子
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