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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

女性のガムラングループ

2008年07月12日 | バリ
 私が留学していた1980年代には、バリで女性のグループがガムランを演奏するなんて全く考えられなかった。当時の大学の伝統音楽科にはほんの一握りの女性が所属していたが、男性と同様に太鼓を派手に演奏するようなことはなく、椅子に座ってできる楽器をおとなしく演奏しているのが普通だった。90年代になってからウブドという観光地で女性がガムランを演奏している姿に初めて遭遇したとき、とても驚いたことを記憶している。ただし、その演奏褒められたものではなかった。
 ところがジェンダー論の高まりとともに女性組織のガムラン演奏を州政府が後押しするようになってから、バリ各地で女性既婚者によって構成されたガムラン・グループが次々と組織され、男性の指導者のもとに活発に活動を行うようになった。そして今やバリ芸術祭ではそうした女性のグループが野外大ステージで演奏するようになり、当初は面白半分、ひやかし半分で来ていた大勢の観客がそれらを正しく評価するようになった。
 こうした女性のガムラン活動は、バリにおける女性の自立、ガムラン演奏者の性差の撤廃などを物語る。最近はこうした女性のガムランを研究対象にするものも少なくない。しかし、多くの研究者は重要なことを忘れている。女性によるガムラン活動、つまり練習をしてその成果を村の寺院や写真のようなフェスティバルで練習するためには男性の協力が欠かせないという点である。要は男性の存在なしでは女性のガムランは成立しない。指導は当然だが、それよりむしろ大事なのは楽器の運搬である。
 女性がガムランを演奏するようになって、ガムラン演奏という役割の性差がなくなったとはいえ、「楽器を運ぶ」という役割の性差は全くなくなっていない。つまり、私たち日本のように女性がガムランを運ぶなどということは、今直バリ人の女性の仕事としては全く考えられていない。つまり「運ぶ仕事」には性差が存在する。不思議ではないか?私たち日本人にとって男女を問わず演奏することは、運ぶことを意味するのだが、バリでは違うのだ。
 バリの村ではこの運搬をめぐって問題が起きているところがいくつかある。男性達のすべてが、女性たちのガムラン演奏を好意的にとらえているわけではない。それゆえ、女性の演奏活動を阻止するためには楽器を運ばなければいい。女性は自身では運ばないのだから、そうなれば練習場所以外で演奏することはできないのである。女性たちが汗をかきながらトラックへ楽器を運ぶようになったとき、そしてそれを男性が傍観できなくなったとき、真に女性のガムランはバリでその地位を確立するのだと私は思う。