花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

二宮の「吾妻山公園」ハイキング

2025年02月14日 | ハイキング・散策
2月も早半分が過ぎて、昨日は亡くなった夫の82回目の誕生日、そして今日はバレンタインデー
小太郎の世話に行ったついでに、息子宅にチョコレートを置いてきました。

日本列島、この10日間は1年中で一番寒い日々が続き、ニュースも連日大雪の被害を中継していましたね。


(2月5日撮影)

新潟や山形の友人たちから、モノクロ写真のような大雪の画像が送られてきて
雪かきの大変さの悲鳴交じりのメールが添えてありました。

こちら横浜は朝は氷点下の寒さになるものの、連日綺麗な富士山が見えていて
申し訳ないような晴天の日々が続いていました



前回ご紹介したワンゲルで二宮の「吾妻山公園」とその周辺を歩いてから2週間が過ぎました。

当日の2月1日は曇り空で富士山は見えませんでしたが、リーダーからその二日前(1月30日)に
下見に行った際の、見事な富士山と菜の花のコラボ画像がラインで送られてきました。


ワンゲル「吾妻山公園」と周辺のハイキング(2月1日)
「吾妻山」の菜の花祭りも2月16日で終わります。
その後寒さが続いていたので菜の花や水仙はまだ咲き続けているでしょうか?
興味のある方は最後のこの週末にでもお出かけなさってみては如何でしょうか?


二宮駅にAM10時半集合し、すぐ近くの階段300段の登りを行きます頂上までは約700m、歩いて25分

ただ私たちはリーダに案内されて階段の途中から右手の「展望台」に向かいました。



展望台から先は「満開の水仙ロード」が続いていたのです


眼下には東海道線の「二宮駅」が目の前に見えていて小さな町の先にある相模湾は霞んでいました

私は足元に咲く「水仙」に目を奪われて、小さなコンデジのシャッターを押しまくりました。



ふと気が付くとお仲間の面々の姿が見えません
私にとっては5度目の「吾妻山」、この道を進めば頂上と言う事は知っています。

頂上の手前で「浅間神社」の入り口が現れました。



ワンゲルだから皆行っているに違いないと思いつつ、「以前お参りしてるし、追い着かなかったらきついし」
という事で、昼食タイムの頂上を目指し、途中でお仲間さんに電話して無事合流し・・・

11時半頃漸く136.2mの「吾妻山頂上」に到着です。



残念ながら「富士山」は見えません。海も霞んでいます

過去4回、夫や古い山仲間、そして今回と同じワンゲル仲間とも来ていますがいつも富士山は見えていました。
写真仲間と来た時のゆっくり撮影した画像を参考にご覧くださいこちらです



丹沢連山は良く見えていました。ピラミットのような姿の「大山」の存在感が見事ですね。



頂上にも菜の花以外に沢山の「水仙」が咲いていました
風もなく穏やかな日和の中、各自頂上広場のベンチに座って、🍙を食べながら雄大な風景を満喫です。

12時半過ぎに集合し、頂上直下に建つ「吾妻神社」にお参りしました。



この神社の創建は110年(第12代景行天皇)の時代と伝えられている古い神社で、
縁結びの神様として知られているようです。

私たちはここから吾妻山山頂を巻くように北側の「釜野口」に下り、のどかな田園風景の中を歩いて
「川匂神社」に向かいました。



途中寄った「西光寺」や家々の庭に咲いていた「ロウバイ」が印象的でしたね。



吾妻山を下ってからおよそ1時間歩いて、オリーブの里の看板が現れると
その奥の静かなたたずまいの神社に到着です。

相模の国の二之宮「川匂神社」



創建は11代垂仁天皇の時代(約2000年前)との事で、相模の国13社中の名社です。
二宮町という町の名もこの神社から付いたのでしょうね。私も初めて知りました。



主御祭神の級津彦命(しなつひこのみこと)は風の神様で、困難や逆風に陥っても良き風を吹かせる
という御利益があるそうです。



私がこのワンゲル仲間のOさんとお正月に行った、相模の国の一之宮「寒川神社」のような
大きな神社ではありませんが、風情のある神社です。
この時期には境内に吊り雛が並ぶとの事でした。



「川匂神社」を後にし、国道1号線に出て「旧東海道一里塚跡」を見学
ここ二宮の一里塚は江戸日本橋から18番目の一里塚で、大磯宿と小田原宿の間に位置しているとか・・・

参加者の15人は更に歩いて、旧道に面した「等覚寺」で一休みして午後4時前に「二宮駅」に到着
各自、駅前の「八百屋」で地元産の新鮮で安い冬ミカン等を購入してから無事解散です。

その後有志の10数人がすぐ近くの居酒屋さんで喉を潤しました
高低差の少ないこの日の歩きは「18120歩」で、じんわりと汗をかいた気持ちの良い1日でした。

「速報!!」
我が家近くの舞岡公園の「福寿草」が咲き出しました



北風の冷たい2月5日に撮影してきました
今週は寒さが緩んだのでソロソロ「葉」が出ているかもしれませんが、真冬の公園は
静寂そのものでした。





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やっと行けた藤沢「えびね・やまゆり園」①

2023年05月29日 | ハイキング・散策
5月もいよいよ終わります。
上旬の大型連休の頃はお天気に恵まれ初夏の陽気でしたが
その後は気温の高低差も激しい不安定なお天気が続いた感じの5月でした。

特に強く感じたのは3月並みの冷たい雨が降った先週の火曜日(5月23日)
翌日の「コロナワクチン接種」を控え、風邪ひかないようにとストレッチ体操を休みました



低気圧が去った翌日の5月24日はピンカーンのお天気で、富士山が良く見えました
前日の雨が富士山では雪だったようで、特に右の山梨県側の雪が増えていますね
5月中旬は富士山の白い雪もスジの様に減っていましたが、、、

今年の5月は珍しく我が家の庭の「サツキ」が沢山咲きましたピンクが混じる源平サツキも見事です(5月16日撮影)

緑が鮮やかに茂る5月の庭に「サツキ」がとても映えますね
それも先週の火曜日の冷たい雨で散り始めました。


(5月26日・公園にて撮影)

サツキに代わって咲き出したのは梅雨時の代表的な花「アジサイ」です。
ラジオ体操会場の公園で最初に咲き出したのは白い西洋アジサイ(アナベル?)でしょうか・・・

そして5月最終の今週は我が家のアジサイも色付き始めました。

藤沢「えびね・やまゆり園」散策(5月21日)
40代50代とアルプスの山々を歩き回っていた古い山仲間と3人で、4年ぶりに一緒に歩いてきました。
行った先は藤沢の慶応大学湘南キャンパス近くの山野草の里です。



小田急江ノ島線・相模鉄道・横浜市営地下鉄が乗り入れている藤沢市の「湘南台駅」から
慶応大学行きのバスで9分、終点から歩いて10分程度の山野草が楽しめる里山です
詳しくはこちらのサイトでご覧ください。



入り口で300円の入園料を払って中に入ります。

入るとすぐに木に絡まった葉の上にお花が見えました係りのおじさんが「イワガラミ」が咲いているよ」と・・・

「鎌倉の東慶寺の本堂裏の崖一面に茂る白いイワガラミは何度か見たけど、木に巻き付いたのは初めて」
と言うと、「ここのイワガラミのお花は珍しいピンクだよ」との事



本当だ、薄ピンクの装飾花を付けたイワガラミでした

「私、ヒメサユリが咲いたとネットで見て、それを見に来ましたが、どの辺ですか?」と聞くと
「先日の風の強い日に全部散ってしまったよ」「アレマ、残念

早くに春がやってきた今年のお花は、何もかもが早く終わってしまったようです。

林の中のあちこちに表示板はありましたが・・・可愛いピンクのお花の姿はありません

最初の予定では一週間前の5月14日に来るはずでしたが、雨で延期としました
いいえ本当は3年前のGWに来る予定でしたが、コロナで自粛生活となり延びに延びて
やっと実現した野草園巡りでした。



(2007年6月24日・南会津南郷村の「高清水自然公園」にて撮影)

ヒメサユリの存在を知ったのは山をやるようになってからです。
東北南部と新潟県の山でしか見られないユリと聞き興味を持ちました。


(2007年6月24日・南会津南郷村の「高清水自然公園」にて撮影)

初めて「ヒメサユリ」を見たのは16年前に夫と2泊3日のドライブ旅行で訪ねた福島県の南会津
南郷村に自生する100万本の「日本一のヒメサユリの里・高清水自然公園」での対面でした。
(この時の紹介記事はマイブログのこちら)です。

今では湘南の里山でも見られるようになったのですね。ビックリです
箱根の湿性花園でも、6~7年前に「ヒメサユリの小道」の看板を見た覚えはありますが・・・



この日の見頃のお花は藤沢の里山の林の中にひっそりと咲く「ヤマアジサイ」のようでした。

小さくて地味で趣のあるヤマアジサイ・・・この時期、鎌倉の光則寺では鉢植えのこのお花が並びます

地元の愛好家が咲かせた珍しい「ヤマアジサイ」のあれやこれやを思い出しました



私の大好きな「雪割草」の札が立っている所にたくさんの葉が茂っていました。
「雪割草の咲く頃にも絶対来たい!」と思いましたわ

「その頃エビネも咲いていると良いのにね」「ウーン?エビネは少し先かも」と3人で話しました。



一番手前の林の中の道を突っ切ると少し開けた場所に出て
初夏の高原でよく見る黄色いキスゲとベニバナシモツケが咲いていました
(次回に続く)


今週の日本列島の天気予報は傘マークが並びます
北九州から中国・近畿・東海と「梅雨入り宣言」がありましたね。
関東も間もなく入梅でしょう・・・

大型で強い台風2号は沖縄付近で東にカーブして、太平洋に向かう予報が出ています
台風の被害が少ない事を心から願っています

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富士山と「東口本宮・富士浅間神社」

2022年11月06日 | ハイキング・散策
11月に入り秋晴れの日々が続いています
すっかりご無沙汰してしまって、マイブログも一ヶ月ぶりの更新

幼馴染のtomoちゃんからは「何かあったの」と、心配する電話を何度か頂きました。
私自身は取りあえずぶっ倒れてもいないし、コロナにも罹っていませんが・・・
兎に角忙しい日々が続いているのです


我が家の庭の「南天の実」(11月3日撮影)

雨が多くて寒暖の差が激しかった今年の秋ですが、この所漸く気持ちの良い秋晴れが続いて嬉し限り
庭の南天や千両の実も赤く染まってきました。

9月から咲いていた「秋バラ」がそろそろ終わり・・・
例年なら10月下旬には満開になる「小菊」が今年は遅れているようです。

「富士山」が綺麗に見える季節の到来です
9月30日に沼津に住むブログ仲間から「富士山初冠雪」の画像がLINEに送られてきました。
平年より2日早く、去年より4日遅かったとか・・・


(朝の散歩時、我が住宅地から見えた富士山・10月8日撮影)

初冠雪の雪はすぐに溶けてしまいましたが、春から夏には滅多に見えない富士山です。
見えるだけで嬉しいものですね


(同じく朝の散歩時に見た雪の富士山・10月26日撮影)

この日の前日は北風が冷たくて今にも雨が降り出しそうな寒い日でした。
私は日比谷公園内のレストランで2人の古い友人との4年ぶりの「食事会」でしたが、冬用のコートを着用

翌日の朝の富士山は突然雪の白い衣装に衣替えでとても綺麗でした



丸で囲った所が前回ご紹介した「キノコ狩り」で行った富士山須走口の5合目から歩いて行ける「小富士」
雪のない部分はキノコが採れた樹林帯なのです。



このワンゲルの「キノコ狩り」で行った富士山須走口5合目に向かう「あざみライン」で、10月13日に
日帰りバスツァーのバス横転事故が起きて一人が死亡 ショックを受けました。


事故のあった場所は「馬返し」というバス停のすぐそばで、我々は2016年の9月に須走口5合目から
小富士経由でこのバス停まで歩いているのです

富士山須走口「ふじあざみライン」近くの「静岡のグランドキャニオン」

(2016年9月9日撮影)

「馬返し」の停留所まで歩いて30分位の所にある「静岡のグランドキャニオン」に、6年前我々は圧倒されました。
9月の中旬まで御殿場駅~富士山須走口5合目間、あざみラインを走る路線バスが運行されているのです。



アザミの仲間で一番大きな「ふじアザミ」が周囲に沢山咲いていて・・・
近くを走る五合目通じる道路の名前が「ふじあざみライン」で納得です。

富士山登山口の五合目まで行く自動車道のルートは4つありますが、一番賑わっているのは山梨県側の
「スバルライン」(吉田口)のようです。

今そこに「登山電車」計画があるらしい
壮大なスイスの登山電車は100年前にできているのですから、富士山でも可能かと思います。
登山電車ができたら今回のようなフットブレーキ踏み過ぎの事故も少しは防げるに違いないでしょう。


(朝の散歩時の我が住宅地にて撮影・11月2日)

10月26日の富士山五合目まで積もった雪はその後の暖かさで、頂上付近に僅かな白さを見せているだけ
となりましたが、一週間後に再び雪の綿帽子を被った富士山となりました
でも・・・
翌日の文化の日は南風が強くて夏日に近い暖かさとなり、富士山の雪は再び消え入りそうになっています。


「東口本宮・富士浅間神社」
アザミラインを更に下っていくと「東口本宮・富士浅間神社」(須走浅間神社)があり
ワンゲルでの「キノコ狩り」を終えた我々は見学して行くことにしました。



延暦21(802)年の富士山噴火の折の鎮火祭、大同2(807)年鎮報賽のために創建
その後富士信仰のによる東口=須走口登山道の起点と守護神になりました。



室町時代後半から江戸時代には一般庶民による富士山登拝信仰・富士講や修験道者の信仰を集め
須走口登山道や須走の宿場町は栄え賑わいました。

境内にはこの時代から昭和に至るまでに寄進・奉納された冨士講の記念碑や石塔などが並んでいます。



平成25(2013)年には富士山が世界文化遺産に登録され、その構成資産としてここも登録されるなど
創建から現在に至るまで、富士山と共に時代を歩んできた神社です。



境内は静寂の中にありました。

富士山周辺には9つの浅間神社がありますが、静岡県富士宮市の富士山南麓に鎮座する駿河の国の一之宮
「富士山本宮・浅間大社」が、全国1300 余にのぼる浅間神社の総本宮のようです。
いつの日かそちらにも詣でたいと思いました。



亀の形の石が・・・



この神社での見学時間はおよそ30分でした。



富士浅間神社の根上りモミこの「鎌倉往環」と刻まれた表示にリーダーが見入って

「是非鎌倉からここまで歩く計画を」と嘆願すると、「僕はもう86歳で引退の身だよ」と・・・
でも、今回の「富士山キノコ狩りバスツァー」は全部この旧リーダが仕切ったと聞きましたよ



この神社から貸し切りバスで10分足らずで道の駅「すばしり」です。
トイレタイムとお買い物を済ませて、一路来た道を戻りました。

夫としょっちゅう車で走った東名~圏央道~国道一号線も様変わりしていて
胸に迫るものがありました

日帰りながら久しぶりに旅行気分を味わい楽しい一日でした

大忙しの毎日が続いています
菜園や庭仕事が忙しい中、半年に一回の胆嚢のエコー検査に行ったら、MRIもと言われて予約
インフルエンザや5回目のコロナワクチン接種も加わり、慣れぬ病院通いが増えて・・・

10月に入ったら、交流のある7割の友人達から「会うのは今でしょ」と声がかかり
10月25日の日比谷・松本楼から始まってこの10日間で4回の食事会をこなしました。

来週は高校時代を過ごした山口の親友が上京します。頑張って付き合う予定
コロナの感染者は又増えつつあり、8波襲来もまもなくのような気がしますが・・・

オミクロン株は重症化も少ないしと、皆失われた2年10ヶ月を取り戻すように慌てて動き始めましたね。
今後どうなるか、気になる所です

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富士山須走口5合目の「小富士」周辺でキノコ狩り

2022年10月05日 | ハイキング・散策
春と秋のお彼岸の頃からの2ヶ月間は庭や菜園作業が一番忙しい季節です。

連日草取りに追われ、夏野菜を片付け土を施し石灰や肥料をすき込み、タネ蒔き作業に勤しんでいたら
気が付けば9月も終わり10月に入っていて、半月ぶりの更新となりました


(9月29日・菜園近くの里山で撮影)

週末の10月1日(土)2日(日)の2日間とも晴れたのは9週間ぶりだったそうな・・・
9月は毎週のように台風騒ぎがあり、不安定なお天気が続きましたね


(9月25日・お墓参りのお寺で咲いていた赤い彼岸花)

我が家の庭の白い彼岸花は静岡県に多大な被害を及ぼした台風15号の大雨で、9月24日に終わりましたが・・・
漸く晴れた25日に実家と我が家のお墓参りに行ったら、どちらのお寺でも赤い彼岸花が見られました

富士山五合目でキノコ狩り(9月22日)
ワンゲルのお仲間と「キノコ狩り」に行ってきました。
18人の定員でしたが悪天候の予報でキャンセルが出て、計13人で富士山須走口5合目を目指しました。



戸塚駅7時20分集合で、貸し切りの小型バスに乗り出発です。
この日の関東南部の天気予報は午後から雨
「富士山五合目の山小屋で、キノコの昼飯を食べるだけと言う事になるかも」と一同覚悟しました

国道一号線から圏央道に入り、東名高速に合流して丹沢の山々が見えるころから晴れだした



10時前に須走口5合目に到着し、リーダーが懇意にしている「東富士山荘」でキノコ狩りの身支度を整え
リーダーの説明を受けて10時過ぎに「小富士遊歩道」を歩きだしました。



私たちが到着する寸前まで雨が降っていたせいか? 空気が清冽でシットリとしている。
皆口々に「空気が美味しい、涼しい風も気持ち良いね」と言いながら進みます。



遊歩道脇には小さなキノコの姿もチラホラ
「まずは小富士を目指し、帰路に採りながら戻るからね」とリーダーが大声で伝えます。



およそ30分で視野が開けてガレ場に出ました。



祠が建っています。



振り返って富士山の頂上方向を見上げても、霧で何も見えませんでした。
三角点のある「小富士」はもう少し下った先です。



少し明るくなって、目の前に箱根の山々が連なっているのが見えました。



左に目をやると「山中湖」が眼下に広がっていて・・・



足元にはアザミの中で一番大きな「富士アザミ」が咲いていました。
このお花に出会ったのは2度目です。

2016年の9月に同じ仲間とこの「小富士」から下の馬返しまで下った際
生まれて初めて沢山の「富士アザミ」に出会いましたこちらで紹介しています。



そんな中に富士山寄生火山の「小富士」(標高1979m)の三角点がありました。

皆の笑顔が若者のように輝いていますこの後少し下った林の中でキノコ採りでした

ひたすらキョロキョロと地面を見渡して、キノコを探します。
見つけるとナイフで切り取りビニール袋に入れて行きますので、カメラ撮影は忘れていました

来た道を戻ります。晴れてきました



お仲間のH氏が「これはどう見ても毒キノコに見えるよね」と言いながら収穫物を見せてくれました。
すれ違ったキノコ採りの名人らしきオジ様が「これは美味しいキノコだよ」と

ズルズルのガレ場から木々の茂った遊歩道に戻り、再びキノコ採りに邁進です。
「一人にならないようにグループで行動」「方向が分からなくなったらロープに戻る事」と
リーダーが声を張り上げました。



午後1時近くに、山トリカブトの咲く小富士遊歩道の入り口に戻ってきました。
往復3時間弱のキノコ狩りでした。



「大カメノキ」の赤い実も出迎えてくれましたよ。



収穫したキノコは外のテーブルに並べて、山小屋の方に食べられるキノコを選別してもらいます。
私の収穫の中に「毒キノコ」が一つ混じっていました
ごく普通のシータケに似たキノコでしたが、分からないものですね

それと「食べられるけど、お酒と一緒に食したらダメ」というキノコも選別されました



東富士山荘でようやく昼食です。
キノコ蕎麦にキノコうどん、そしてキノコパスタの3種類から選びました。私はうどん(1300円)です。
全員にサービスの「キノココロッケ」が付きました。

2時半頃に貸し切りバスに乗り、富士山須走口5合目を後にしました。

下ってすぐの「富士山東口本宮・浅間神社」に寄りましたが、長くなりましたので
次回のご紹介といたします。

家に持ち帰ったキノコ
帰宅後、収穫したキノコを塩水に浸してから丁寧に洗いました。

色鮮やかなキノコも食べられるなんて意外でした体内にアルコール成分があると中毒を及ぼすキノコです

私は小さなキノコだけ使ってお味噌汁を作り、他は冷凍しましたよ

生まれて初めての「キノコ狩り体験」は幸い雨にも降られず、一日楽しめて
貸し切りバスで旅行気分も味わえました。

86歳ながらすべての手配をして頂いたリーダーさん、有難うございます

※この記事を記したのは10月5日でしたが、前日まで冷房を入れていました。
見直し作業を6日に延ばして寝ましたが、明け方寒さで目覚めました。
今日は冷たい雨となり、12月中旬の寒さとか
私自律神経が乱れて、クラクラと目が回り「ストレッチ体操」を休みました。


季節の変わり目です。御身大切にいたしましょう

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葉山海岸と「三ガ岡緑地」ハイキング(2)と我が家の庭の花

2022年07月15日 | ハイキング・散策
6月下旬に梅雨が明けて、9日間35度以上の猛暑が続きましたが
その後は湿度が高くてジメジメした「戻り梅雨」のようなハッキリしないお天気が続いています。


(7月8日・撮影)

そんな中、昨年秋に我が家の庭の花壇に移植した「ヤマユリ」が咲き出して一週間
花壇と生け花で楽しみ一昨日の大雨で散りました
このお花は神奈川の県花です



移植前の昨年は一本立で3輪のお花を咲かせていましたが、移植後は4本に分球してすべてお花は1輪のみ。
このヤマユリの近くに、今年春先に球根30個の詰め合わせに入っていた「チグリジア」の球根を植えましたが
見たことがない知らないお花でした

色は白・黄・赤・橙などでヤマユリの横では違和感がありませんが小型のアガパンサスの脇に咲いた朱色は違和感が!

このお花の形はシンプルですが、中心部にユニィークなトラやヒョウを思わせる斑紋があり
とてもインパクトが強くて「アフリカのお花?」という印象です。

それがアガパンサスや桔梗などの日本的な色彩のお花と並ぶと違和感が・・・
その上一日花なので切り花としても使えないのが残念です


7月8日撮影の紫色の桔梗です小型のアガパンサスの間から白い桔梗の花も顔を出しました

真夏バージョンの花壇造りは梅雨の後半でする予定でした。
それが6月下旬に突然梅雨が明けてカンカン照りが続き、とても暑くて庭仕事ができなくなりました

畑に蒔いたお花の苗も花壇に移植できず、百日草やコスモスなどのお花が畑で咲き出して・・・
戻り梅雨の先週今週は終活作業が忙しくて、その上豪雨騒ぎもあり花壇作りはとん挫しています
それだけ今年の6月7月のお天気は激しくて、振り回されている感じですね


(7月6日撮影)

庭の大きな「ヤマモモの樹」の奥で、雨の中ひっそりと咲く「クチナシ」の花は風情がありますね。
一輪挿しに活けてトイレに飾ると「芳香剤」代わりになりる便利なお花ですが、そろそろ終わりです


「三ガ岡緑地から再び葉山海岸へ」(6月25日)
前回紹介したワンゲルで歩いた葉山「森戸海岸」&「森戸神社」から「三ガ岡緑地」の記事の後編です。



「アジサイ公園」から風の通らない林の中の急坂を20分・・・
猛暑の中、マスクをしながらの登りは厳しくてハァ~ハァ~

私の前を歩いていた先輩の女性が「ちょっとタイム」と言いながら立ち止まりました。
水でも飲むのかと思いながら先に進むと、すぐに風景が開けて海が見えてきました。



「アジサイコース」の頂上です。
見上げると「大峰山」と書かれた標識の横に東屋が建っていて、周囲にはベンチが設置され
ここでランチタイムとなりました。



最後部を歩いていた元リーダーと山小屋さんが「Jさんを休めなきゃ、熱中症だよ」と
先輩女性を風が通る木陰のベンチに寝かせました。
何やら目まいがしたそうな・・・


30~40分の休憩で元気になったようでホッとしました。
この日、東京の最高気温が「35度の猛暑日」だったようです。



頂上付近に「ヤマユリ」が咲いていました(我が家のヤマユリはまだ蕾でしたが)
下りは「葉山しおさい公園」を目指して「ツツジコース」を行きました。

300円を支払って入った「しおさい公園」の情報はこちらをご覧ください。
日本庭園の綺麗な公園ですが、私たちは冷房の効いた「博物館」で一息つきました。

かっての「葉山の御用邸付属邸」に整備された海浜公園です。
ワンゲルで以前もここに来た事を思い出しました。

御用邸横の公園には沢山の皇室の歴史があるようです御用邸前を山姿のシニアの団体と、半裸のサーファーの若者が・・・


正面の国道134号の信号を右に曲がります右手には御用邸に渡る橋が見えていました




葉山公園から大浜海岸に出ました。
まるでポスターのような美しいこの画像は今回のリーダーさんからお借りしました。



この日は富士山が見えませんでしたが、大浜海岸越に臨む富士山が素晴らしいらしい・・・

暑い日でしたが、まだ6月下旬で梅雨も明けていなかったので、「イモ洗い状態」の湘南の海ではなく
素晴らしい海岸美が楽しめました。



外人ファミリーの海水浴姿と、独り佇む美女の姿が絵になりました



御用邸近くの橋を渡ります。上皇ご夫妻が散歩に出てくる「扉」がありました。



ここからは「一色海水浴場」です。この頃はまだ「海の家」も工事中でした。

ビキニ姿の女性の近くを異質な山姿のオジサンおばさんの団体が歩く姿に笑ってしまい
思わずパチリとシャッターを押しました。



一色海岸から先は海岸線を離れて車道を歩きます。
ずっと続く湘南の海が思いがけず綺麗で感動しました。



裕次郎灯台と森戸神社の鳥居が見えてきました。



真名瀬の漁港からバスに乗り、16時頃逗子駅に戻りました。
この日の歩きは18000歩でした。



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猛暑の中、葉山の海岸と「三ガ岡緑地」ハイキング(1)

2022年06月30日 | ハイキング・散策
すっかりご無沙汰してしました。
6月6日に梅雨入りがあり、バラが終わってアジサイが色付き・・・


(6月10日・我が家の庭にて撮影)

そして昨年の秋に球根を植えた「スカシユリ」が咲き出して
この明るいビタミンカラーが、陰鬱な梅雨空の中の花壇を明るくしてくれました


(6月15日・我が家の庭にて撮影)

それらがあっと言う間に散って、今はまだ蕾のヤマユリと6個の蕾を付けた「カサブランカ」が
咲き出すのを心待ちにしている所です。


(6月17日・我が家の庭にて撮影)

今年の春先に3色の苗を購入して花壇に植えた「バーベナ」も
6月上旬から咲き出して、この優しい色に癒されています

と・・・
2週間前にマイブログの編集画面にこれらの画像を貼りつけて、ブログの更新準備をしていたら
突然「光回線」がダウンして、インターネット&テレビ&家電話が使えなくなりました

昨年も大風が吹いた翌日に同じ事があり、、、
外のケーブルが遮断されてNTTの工事部が来るまで5日間、世の中の情報から取り残された経験がありますが
今回はルーターの故障が原因で、交換工事まで6日間待たされました

漸く光回線が繋がったのは6月23日の夕方です

この頃から梅雨がどこかに行って、暑い夏空が広がり出しましたね。

「葉山森戸海岸からアジサイ咲く三ガ岡緑地」へ(6月25日)
ワンゲルの森戸海岸~三ガ岡緑地(アジサイコース)~大峰山頂上~「葉山潮騒公園」~
「県立葉山公園」~「葉山御用邸」~一色海岸~真名瀬海岸までの5.5キロを歩くルートに参加してきました。

「森戸海岸から森戸神社」
AM10時に「JR逗子駅」に集合し、バスで15分の「森戸海岸」で下車、土曜日で道路は渋滞気味
小雨でも歩けるコースのはずでしたが、「真夏の太陽」がギラギラと輝いていました



まだ「海開き」前ですから水着姿は少ないですが・・・
あまりもの暑さに、Tシャツ姿で海に入っている家族連れの姿が目立ちます。

沖合には「江の島」が見えていて、たくさんのヨットが浮かんでいました



そんな中、我々シニアの山姿の一行は「森戸神社」を目指します。
赤い「みそぎ橋」を渡って行きました。



この森戸大明神は葉山の総鎮守様として800年以上の歴史を持っていて、、、
現存する源頼朝公創建の数少ない神社の一つです。



静かな葉山森戸の海沿いの少し海に突き出た部分にあり、裏手は抜群の眺望です。
この辺りは何度も車で通っていましたが、私は初めての参拝でした。



この「千貫松」は1181年6月、頼朝が三浦一族の居城であった「衣笠城」に向かう途中
森戸で休憩した際に岩上の松を見て「如何にも珍しい松」と褒めた所
出迎えた和田義盛が「千貫の価値ありとて、千貫松と呼びて候」と答えたという伝説の松です。



「千貫松」の近くに映画「太陽の季節」でデビューした石原裕次郎の記念碑があります。

この映画は1956年(昭和31)の日活作品で、私はまだ小学生でリアルに見た覚えはありませんが
まさにこの辺一帯の海が舞台の映画だったようです。「太陽族」という言葉が流行りましたね。

若い頃のレリーフの顔は私の知っている裕次郎さんと言うより、甥っ子の「石原良純さん」に似ていました。



バックの海には赤い森戸神社の鳥居と、裕次郎さんの3回忌に建てられた灯台が・・・

この日富士山は見えませんでしたが、カメラを趣味とする者にとってはこの赤い鳥居と灯台
その向こうの「江の島」、そして富士山を入れた夕景が有名な撮影スポットなのです。

この「森戸の夕照」が「神奈川の景勝50選」に選ばれています。

「三ガ岡緑地」のアジサイコース
森戸神社を後にして、カンカン照りの中の住宅地を25分かけて登って行きます。この時が一番暑かった 



漸く県立「三ガ岡緑地」のアジサイコースの入り口に着きました。



このハイキングコースの入り口に葉山の町と海が見渡せる「アジサイ公園」があります。



約3000本のアジサイが植えられていて、毎年6月中旬が見頃だそうですが
暑くなったこの日もまだまだ色鮮やかなアジサイが楽しめました。

(暑さの続く今週の我が家のアジサイはドライフラワーと化しましたが)



そんなに広くはありませんが「神奈川花の名所100選」に選定されている公園です。
正面に江の島が見えてい、歩いてきた森戸海岸が望めました。



私たちはこの公園で一休みしてから、標高140mの三が岡山(大峰山)に登って行きました。



三ガ岡録地には3本のハイキングコースがあり、この「アジサイコース」が一番頂上に近くて急坂です。



直射日光の攻撃は少ないものの、風の通りは海岸ほどありません。
頂上までおよそ20分の林の中を喘ぎながら登って行きました。(つづく)

関東地方は6月だと言うのに35度を超える猛暑が続いて
6月27日に「梅雨明け宣言」が出されました
梅雨の期間は僅か21日間だったと聞いています

借りている菜園の地主さんは「田植えが半分残っているので雨待ち状態」と嘆いていて
食糧事情が不安になりました

庭や菜園仕事、そして犬の散歩も含めての戸外活動も最小限にして
エアコンの効いた部屋で小太郎共々ゴロゴロしています

コロナ感染者も増えつつありますね。昨日4回目のワクチン接種券が届きました。
今日ホームドクターの医院から電話があり、7月22の予約が取れました。

コロナ禍の中の3年目の「夏」はラニーニャ現象で「暑い夏」になりそうです
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馬堀海岸から「観音崎公園」までハイキング(その2)

2021年11月24日 | ハイキング・散策
今年の11月はお天気に恵まれて、気持ちの良い「小春日和」が続きました。
朝晩は冷えるけど、日中は20度前後の暖かい日が多かった感じです。

今朝、TV番組の天気予報で「今日(11/24)から冬です」と言っていましたが・・・



まだ薄暗い朝6時20分に家を出て、地域の公園でのラジオ体操に参加・・・
その後40~50分の散歩をしていますが、この11月に入って庭以外で見るお花は圧倒的に「山茶花」が多い


(撮影・11月21日)

最近はあちこちに背の高い「皇帝ダリア」も目につきますね。
このお花のバックは青空が似合いますが・・・



我が家近辺の里山も色付いてきました。一番先に真っ赤に染まるのは「ハゼの木」ですね。
横浜郊外の丘陵地帯に大規模に開発された住宅地の外側に出ると、このような里山が存在しています。

以前は地主さんの昔ながらの大きな家がありましたが、代が変わるとミニ開発されて
今では借りている畑から見える風景も変わりました。



作成中の我が家の花壇には秋の七草の「ナデシコ」が咲いています。

10月11月はガーデニングや菜園作業の繁忙期で、私も大忙しでした。
でも丹精こめて育てれば植物は応えてくれますね。

コロナ感染者も減って、普通の生活に戻りつつある中でワンゲルも再開されましたが、、、
まずは足慣らしで行った「馬堀海岸から観音崎公園」までのハイキングの続きを記したいと思います。

県立「観音崎公園」(10月29日)
東京湾に大きく突き出した観音崎周辺は、房総半島との距離が約7キロの狭い海域で
この浦賀水道を行きかう世界中の船やタンカーとその向こうの房総半島が一望できます。



私たちは「横須賀美術館」裏の芝生広場で昼食後、バスで一駅の終点「観音崎」に直行する6人と別れて
8人で観音崎公園の3軒家園地を登って行きました。



隣接する三軒家砲台跡はもっとも保存状態の良い砲台です。

首都を守るため、明治時代に東京湾口部に日本で最初に建設された西洋式の砲台群は
日本最重要防御拠点として、旧陸軍が明治10年代~20年代にかけて9つの砲台を建設。



日清・日露戦争の時は戦争配備に着いたが、実戦で発砲することはなかったそうです。
その後兵器の進歩や国防方針の変更などにより、多くは大正時代に廃止となりました。



こちらは弾薬庫でしょうか? 
太平洋戦争後、ここは県立公園として整備されたため、手つかずの自然の中に明治期砲台の遺構が
この様に残されているようです。



花の広場に出て(この時期お花は何もなく、造園業者が入って春用花壇の造成中)
左に曲がり「戦没船員の碑」を目指しました。


昭和46年に建立された戦没船員の碑に出ました高さ24mのモニュメント船員と人魚の「群像」

第二次世界大戦や海難事故で犠牲になった6万余数人の民間船員の霊を慰め
かつ永遠の平和への願いをこめてもうけられました。



ここは眼下に多数の船舶が航行する浦賀水道、対岸の房総半島の山々が見渡せる眺望の丘でもありました。
ぎざぎざの山稜は「鋸山」(ノコギリ山)でしょうか?


レンガ遺築物などがあちこちに残っていて一見の価値がありますね100年以上たったとは思えない美しさです

深い緑の自然の中に残る歴史的遺構が見事な「観音崎公園」でした。



道路わきに小さなブルーの宝石のような「実」が生っていました、何の実でしょうか?
少し摘んできましたので菜園に蒔いてみるつもりです。

坂を下って灯台方面に進みましたが、「今回灯台はパスです」とリーダーが言いました
「直行組にバス停横の食事処で1時間前後待つようにと話してあるので、時間がありません」との事

私は20年以上も前に行った覚えはありますが、「観音崎」と言えば神奈川県民は「観音崎灯台」が浮かびます。

明治元年(1866年)にフランス人技師ヴェルーニの指揮で起工・建設
翌年点灯された日本初の洋式灯台です。二度の震災で倒壊して現在は三代目です。

私たちは灯台守が主人公の映画「喜びも悲しみも幾年月」の歌を口ずさみながらバス停に向かいました
佐田啓二と高峰秀子が演じる夫婦が最初に勤務したのがこの「観音崎灯台」でしたね

直行組と合流して、3時過ぎのバスで馬堀海岸駅に出て帰途につきました。
この日の歩きは16728歩、足慣らしとしては丁度良い歩きでした。
「観音崎公園」はまだまだ見所がいっぱいあります。詳しい情報はこちらをご覧ください。

黒芝小太郎との日々
今回の記事はもっと早くUPする予定でしたが、またまたハプニングがあり遅くなりました。
(いつも言い訳ばかりの私です



2週間前から週に3~4日、孫娘が飼っている黒芝小太郎の面倒を見ていて、てんやわんやの日々・・・
毎朝、孫娘が我が家近くの中学校への登校時(朝の8時半)に連れてきて、下校の16時過ぎに連れて帰ります。

事の発端は20日前から始まった小太郎の「心因性の下痢」



長い夏休みから緊急事態宣言が続き、孫たちもリモート授業が続いて家にいる日々・・・
公的な文化施設で仕事をしているお嫁ちゃんも閉鎖が続いて、家にいる日が多かった。
小太郎にとっては嬉しい毎日でした。

それが宣言が解除になって普通の日々が始まって、小太郎はお留守番ばかり
遂に「心因性の下痢」になって痩せてしまった

家ではトイレができない小太郎、お嫁ちゃんがノイローゼ気味となり私の出番となった次第です
最初は見張っていないと心配で、趣味の会のコーラスも体操も休みました。

雨の日も風の日もひたすら散歩をさせて、我が家に来出して3日目で下痢は治りましたが
これからも小太郎の心の安定を考えて、月・水・金と預かる事になりました。
(今まで年に2回位、息子一家の旅行時に預かっていましたが、定期的となると負担が全然違います)

慣れるまで心身ともに疲れますが、孤独を味わった者同士、寄り添って行きましょう
何年ぶりかで「孫は来て良し、帰って尚良し」の心情を、犬の小太郎で味わっていますよ

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馬堀海岸から「観音崎公園」までハイキング(その1)

2021年11月07日 | ハイキング・散策
今年の10月は前半が夏の暑さが続いて冷房を入れ、後半は初冬の寒さで暖房を入れたりして
「秋をジックリ味わう」気持ちになかなかなれませんでしたが・・・

11月に入って小春日和の気持ちの良いお天気が続き、漸く本格的な秋到来を感じます。


(11月3日・文化の日撮影)

我が家の庭の「小菊」が満開になりました。目下我が家の花壇の小菊はこの色だけですが、
朝一緒に散歩をしているご近所仲間のFさんと小菊をトレードし合って、来年は黄色も楽しめそうです



今回ご紹介の富士山はいつもの我が家近くの撮影ポイントから撮った富士山ではありません。
三浦半島の東京湾岸から眺めた富士山です

我が住宅地から見る富士山より、左手の雪のない宝永火口が目立ちますね。

馬堀海岸からハイキングスタート(10月29日・金曜日)
コロナ感染者が劇的に減って、10月から趣味の会が始まりまり少し忙しくなりましたが
ワンゲルの再開は11月からなので、足慣らしにFさんが入っている会のハイキングに参加させてもらいました。



京急「上大岡駅」に10時に集合し「馬堀海岸駅」で下車、閑静な住宅地の中を歩いて15分で海が見えてきます。
東京湾に面した馬堀海岸防波堤遊歩道から富士山が見えました。



この日は風が強くてヤシの木の葉が大きく揺れていて、東京湾には珍しく「白波」が立っていました。
目の前に「猿島」が見えています(この島には3~4年前にワンゲルで行きましたね)



時々波しぶきが遊歩道に押し寄せてきてたので、一本中の道を歩きます。
すっかり綺麗になって整備された遊歩道に驚きました。

この遊歩道横の道路を車で何度も通りましたが、以前の馬堀海岸は普通の防波堤があるだけで
釣り人がたくさんいた思い出しかありません。



花壇には「イソギク」が咲き出していました。ここは横須賀市、温暖な地を感じますね。



目指す先はあの丘の上の「観音崎公園」です。
ここで問題発覚、男性5人が見当たらないらしい・・・

リーダーの女性が携帯電話して、駅前の「スーパー西友」でトイレに入った5人が
海に突き当たる自動車道路でなく、住宅地の中の1本中の道を右折したらしい



遊歩道の終了地点で漸く合流できて、14人揃ってバス道路の丘を登って行きました。
大きなカメラを抱えた殿方が「後ろの海岸線と富士山が絵になる」と教えてくれて撮った写真です

「走水(はしりみず)水源地」
坂の途中で「足が痛い」と言い出した殿方がいたので、リーダーさんがバス乗車を勧めました。

「観音崎行きのバスが来ましたから横須賀美術館停留所で降りて美術館入り口で待ってて下さい」と、、、
半分の7名が乗り、残りの7名で坂道を更に歩いて行きました。



明治9年にフランス人技師ヴェルニーが築造した水源地です。
レンガ造り貯水池と、コンクリート浄水池は「国登録有形文化財」「日本遺産」に指定されていて
現役施設として活躍中です。



坂を下ると「走水漁港」に出ました。港内は波が静かでしたね。



やがて「観音崎京急ホテル」に到着です。



ここのロビーはコーヒーを飲みながら、大型船が行きかう海が眺められる私の大好きな場所
東京湾が一番狭まっている「浦賀水道」で、大きなタンカーが目の前に見えるのです。



「海側にある木道の遊歩道にはベンチがしつらえてあるので、そこで昼食にしたいから様子を見てくる」と
リーダーさんが見に行きましたが・・・
「波が打ち寄せてくるので無理」と戻ってきました。



結局斜め前の「横須賀美術館」で待っていた仲間と合流し、裏の芝生の上で🍙を食べました。

「トンビに狙われるから、できるだけ木の下に居て下さい」と整備員のおじさんに言われたとおり
上空に4~5羽のトンビがやってきて、気が抜けませんでしたが・・・

風が強かったにもかかわらず太陽光線が暖かくて、横須賀美術館の綺麗なトイレも利用できて良かったです。


食後は美術館横の森の中の階段を登って「観音崎公園」へ黄色いツワブキの花が沢山咲いていました

ただ缶ビール持参の殿方が「酔ってもう歩けない」という事で、マタマタバス組が数人出ました
長い長い「緊急事態宣言」で皆さん我慢我慢の生活が続き、「仲間と楽しく飲む時間」に飢えていたのですね。
その気持ち分かりますが、我慢して最後に飲めばもっと楽しめたと思いました

横須賀美術館は2008年の5月に夫と車で訪ねた思い出が蘇りましたこちら(その1)こちら(その2)
紹介しています。ご興味のある方はご覧ください。

特に(その2)では今回波が高くて利用できなかった「木道風景」が沢山UPしてあります。

好奇心旺盛でフットワークの良い夫とはしょっちゅう色々な所に出かけていました。
私は山に熱中していましたから、日常「ちょっと出かけよう!」と言い出すのはいつも彼でしたよ。

横須賀美術館に行った2008年は家を借りていたオーストラリアのパース行きを3月で最後とし
「ロンドンでの日本庭園造りを頼まれているから、今度はロンドンで家を借りよう」と壮大な希望が
彼の中で果てしなく広がっていた年でした。

それも果たすことなく夫は逝ってしまい残念です
夫が居たならコロナ禍での私の生活もまた違っていただろうと思いますが、嘆いても仕方ありません。
私は私なりに少しづつ少しづつ行動半径を広げて行きたいと考えています。

長くなりましたので「観音崎公園」の紹介は次回とさせていただきました。


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父の七回忌法要と、ワンゲル「生田緑地散策」(2)

2020年03月16日 | ハイキング・散策
前回の記事にも記しましたが、コロコロ変わるお天気と気温の高低差の大きさに
体がついていかない感じです。



先週は春本番の陽気の日が多く、快晴に恵まれた3月11日の水曜日に
我が家の庭の「ハクモクレン」が見頃となりました



洗濯物を干し終えて、見上げた青空に映えて咲くこの花を
デジイチ取り出してシャッターを押しました。

6年前の3月18日に、誤嚥性肺炎で5カ月間入院していた父を亡くしましたが
一週間後のお通夜告別式の日に「ハクモクレン」が満開となり・・・

私はその時のブログの記事に「これからはハクモクレンを見ると父を思い出すだろう」と
綴った事を思い出しました。2014/3/25記



父のお通夜・告別式は2014/3/23~3/24でした。今年は12~13日も早い
桜の開花予想も東京&横浜は史上最速の3月14日だった



ハクモクレンとは反対側の、庭の東側に植えている「ヒュウガミズキ」も咲き出しました。
コロナコロナで落ち込んだ心も、春の花々が咲き出すと心浮き立ちますね

私はこの日、1月に購入した「電動自転車」で、駅前の銀行やデパートと
ショッピングセンターに買い出しに行きました

暑くて着ていた皮のジャケットを脱いでペタルをこぎましたよ



春はもうそこまで来ているようでしたが、昨日の3/14(土)は朝から冷たい雨が降っていました

PM3時頃TVでニュース速報が流れ「本日史上最速で、東京地方に桜の開花宣言が出されました」と・・・
でもTV横の窓の外には大きなボタン雪が降っている

すぐにコンデジとスマホで、玄関前からの雪降る風景を撮りました。

父の7回忌法要(3月15日)
雪で我が家のハクモクレンも散りだしましたが、この翌日に父の7回忌法要を行いました。

弟一家と息子一家と合計9人の、ごく内輪での法要でしたが
午前10時からお寺の広い本堂での、和尚さまのお経と御講話の40分はとにかく寒かった



三方は外との仕切りが障子だけです。震えあがりました
障子の向こうは中庭・・・
大きなストーブは置いてありましたが、私はオーバーコートをひざ掛け代わりに巻き付けて座りました。



その後、新しい塔婆札を抱えて9人でお墓に行き、お花とお線香を手向けました。
少し陽が出てきてホッとしましたが・・・

この春は孫二人の進学祝いと妹孫の誕生日祝いもあり、私は銀行で新札をドサリと準備しました。
弟に言われて私の名前で父の戒名が書かれた塔婆板も頼みましたが、ふと母の7回忌をしていないので
母の塔婆も新しくせねば!と気づき弟に電話しました。

(おめでたい事は延ばしてもいいが、仏事はダメと言う常識も知っていますが)お寺と相談するようにと・・・
お寺は「お母さまの7回忌は1年3カ月過ぎましたが、一緒にやりましょう」と言ってくれたようです。

ご塔婆料は3000円から6000円に変更です。慌てて5000円札の新札を求めて銀行に駆け込みましたよ

私は今まで実家の弟のやり方には口は挟むまいとしていましたが、仏事には無知と気づき
長女としてもっと口を出すべきだったと反省です。



コロナ騒ぎの中ですから「会食」は無し、弟夫婦から手渡されたお弁当を一人寂しく我が家で頂きました。
弟夫婦も息子夫婦も働いていて日々人と接しています。いつでもコロナ感染者になりうる可能性はありえる。

感染したら重篤になりがちな70代の私には気を遣って、濃厚接触者にならないようにしている感じ・・・
この孤独な生活はいつまで続くのでしょうか

川崎「生田緑地」散策(2月13日)
ワンゲルで行った「花王(株)の工場見学と生田緑地の梅園」の記事の続きです。
1か月以上も前の話題で恐縮ですが、記録として残しておきたいと思いました。



生田緑地は多摩丘陵の一角に位置する川崎市内最大の緑の宝庫です。

私たちは小田急「向ヶ丘公園駅」から歩いて15分、「東口ビジターセンター」でトイレタイムをとり
この地図をもらって、目的地の「梅園」(左下の丸囲み)を目指し観賞、再びこの場所に戻りました。

ビジターセンター近くの広場に古い客車が・・・ワンゲル仲間と中に入りました

この車両は昭和23年から、常磐線経由の東北本線で37年間555万キロ(地球を約40週)
青森~上野間を走り続け、昭和40年3月廃車になったとプレートに記されていました。

私は父の仕事の関係で昭和26年の8月に、北海道の滝川から家族で上京
父の姉夫婦が持っていた中目黒の鉄筋コンクリートのアパートに引っ越しました。

「私5歳の時、この汽車に乗っているわ~



「生田緑地」と言えば「古民家」と言葉か出てくるくらい、写真を趣味とする者には有名です。
ですから私はデジイチをザックに入れて行きましたが、今回は時間がなくて入りません

ワンゲルですから山登りをすることになりました。



「桝形山の展望台に登ってから、向ヶ丘遊園駅に出ましょう。」とのリーダーの説明です。



「この古民家のお蕎麦屋さんで食べた覚えがあるわ」と仲間の女性が声をあげました。
「風情がありそうね」でも今は工事中で店じまいしていました。



夫が亡くなる前の年の初夏に、車で「ニッコウキスゲ咲く車山からビーナスライン」を通り
美ヶ原温泉で一泊

2日目は松本から上高地に入り、大正池から明神池まで歩き
憧れの「帝国ホテルのバルコニー付きの穂高が見える部屋」で一泊

翌日は「白川郷~五箇山」の合掌作りを見て廻り、下呂温泉に泊まった懐かしい思い出が蘇りました



階段をどんどん登って行くと桝形山の頂上に出ました。

500年以上前の群雄割拠の時代、ここには山城がありました。
枡形城は稲毛三郎重成により築かれた城です。
当初、重成は小沢城を本拠としていましたが、重政に所領を譲ったあと枡形城に移りました。



頂上は広場になっていて、その一角に「桝形城址」の石碑が建っていました。



重成は1504年(永正元年)9月には、山内上杉氏討伐のため扇谷上杉氏の援軍として出陣した。
北条早雲(伊勢宗瑞)と今川氏親が入城し「立河原の戦い」へ向かっています。

戦国時代の1569年(永禄12年)には武田信玄の小田原攻め(三増峠の戦い)に際して
横山式部少輔弘成が土塁を築きましたが、その後は廃城となりました。

現在城址は生田緑地の中に公園として保存されており、枡形山展望台が作られています。



3Fの展望台までエレベータや階段で登ります。

目の前に見えるのは東名高速道路?話題の武蔵小杉のタワーマンション群?

この日は温度が上がって、私もポロシャツの上にライトダウンのベストだけで歩きました。
午後3時過ぎでは日が傾きだし、全体的に霞んで見晴らしはイマイチで残念



澄み切った日は富士山やスカイツリーは勿論、遠く筑波山や赤城連山までもが望めるようです。

帰路は上の地図の一番上の、駅まで20分のコースを行くことになりました。
緑豊かな中を下って行きます「広福寺」前の紅白の梅が見頃でした

このお寺は桝形城主稲毛入道重成が創建した寺のようです。



ミツマタが咲き出していました。この日から一か月以上が過ぎてもう満開は過ぎたでしょうか?

丁度午後4時に小田急の「向ヶ丘遊園駅」に到着、解散でした。
殿方は1杯飲んで帰るようでしたが、私はラッシュの時間の前に家路に着きたいと思い失礼しました。

相模大野から小田急「江ノ島線・急行」に乗ったら座れましたが、混雑は凄かった
この日初めて、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号以外の感染者が2人、神奈川県で出たとのニュース
マスクはしていましたが、朝も含めてラッシュ時の電車に乗った時の怖さがその後のトラウマになりましたよ。

でも、「生田緑地」は思っていた以上に見どころ満載な自然公園で・・・
コロナ騒ぎが一段落したら、良い季節に写真仲間を誘って又訪ねたいと思いました。





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最近の私の日々と、ワンゲル「工場見学と生田緑地」散策(1)

2020年03月08日 | ハイキング・散策
猫の目のように変わる早春の空模様と気温です。例年この時期は自律神経が乱れる私ですが・・・

新型コロナウィルス騒ぎが大きくなりだした2月中旬に、何度か混んだ電車に乗りましたので
横浜市から「地域での催しや集合は避ける事」というお達しがあった日から、人と接するのも5分以内にし
自主的に2週間の自宅待機をして、食品や生活用品の買い物以外ずっと家に籠っていました。疲れました



運動不足と不安感で体中がバリバリにコリ固まり、マサージに行きたいところですが今の状況では躊躇する

3月6日(金)は朝からピカピカのお天気で、ベランダ越しに富士山が綺麗に見えていました。
ド~ンと落ち込んでいた心身も何故かこの日は軽く感じたので、掃除洗濯を済ませてから、
10時過ぎに、小さなコンデジ抱えて散歩に出ました。

借りている菜園の横の森の中を5分登って行くと、視野が開けて
孫のハー君が通っている中学校の校舎の横に富士山が見えていました。

普段なら生徒たちのにぎやかな声が聞こえてくる中学校も、安倍総理のお達しで
横浜は3月3日から臨時休校で、シ~ンと静まり返っているのが淋しかったですね。
卒業式は親の参加なしでやるようですが・・・

自主的巣ごもりの2週間が明ける寸前のこの日から、私は防犯パトロールに復帰し、1時間(6800歩)歩きました。
やはり歩いて汗をかいて、お風呂に入った後が一番気持ちが良いですね


(2月11日写す)
1月3日に初詣に行った「寒川神社」近くの園芸店で購入したプリムラです

2Fの日当たりの良いベランダに置いて、ベッドから起き上がり毎朝寝室のロールカーテンを上げると
すぐに目に入り、この二カ月間楽しませてくれたこの花もそろそろ終わりです。



丁度今の時期は決算期で、コーラスの役員をやっている私と我が家の2軒先のご近所仲間のK子さんとで
「決算書」を作成しなければなりません。

彼女は毎年寒い時期にご夫妻で一ヶ月間滞在する「タイのチェンマイ」から2月下旬に帰国した身
2週間自主的に検疫期間とし自宅待機中というので、連絡はすべてライン電話とPCメールでのやり取りでした。

一人家に居て、TVを点ければ全局「コロナ・コロナ」でノイローゼになりそうで
夫を突然亡くした後に処方されて飲んだ安定剤のお世話に、再びなったりもしましたよ

庭や畑に出て草取りや土起こしをしようとしても、花粉症で目が痒くなり断念
(こじらせるとアレルギー性気管支炎を起こして咳が止まらなくなる事が5~6年に一度ありました)

地域差はありますが、新型コロナウィルス感染者はもう感染経路が追えないくらいの増えようですね。
我が地域近くの大船でも感染者が出たと発表され、噂が色々飛び交います


出口が見えない辛い孤独の日々がまだまだ続きますが、春のお花も咲き出しました。
我が家の庭のハクモクレンも例年にない早さでほころび始めています

安倍さんが出した「学校の臨時休校&人混みを避ける行動要請」はまだ一週間残っているけど・・・
これからはお天気の良い日はカメラ抱えて、自然公園などに「春」を見つけに行こうと思いました。

ワンゲルで行った「工場見学」(2月13日)
"私たちの生活で日頃から馴染みの合成洗剤などのホームケァー製品を主にする「花王(株)」の
工場見学の後、電車で移動し生田緑地散策と観梅を行います"

毎月送られてくるワンゲルの案内書に、このように紹介されたコースに参加してきました。
集合はJR「川崎駅」にAM9:00、我が家近くのJR駅から各駅停車で36分で行けますが
丁度ラッシュ時の電車となりましたわ



川崎駅からバスで30分、京浜工業地帯の海に近い「浮島」まで行きました。

内部はすべて撮影禁止です。
10時より工場の概要・製品等の説明後工場見学に移りました。

この日の参加者は13人、洗剤の充填工程から検査・梱包まですべて自動化されていました。
ロボットも大活躍でしたね。

上の画像は頂いたお土産で、この工場で主に作られている製品です。

「花王」という会社には私自身思い入れがあります。
夫の転勤で行った札幌時代の3年半と、横浜に戻ってからの2年間、私は市場調査という名目の
「花王」の仕事をしていました。

所属は東京本社の販売促進部、札幌の私たち一期生は30代の主婦4人が採用されました。
担当者が本社から来ての、月に一回のミィーティングに参加
私たちの仕事を直接指示してくれたのは苗穂にあった「花王販社・北海道」

仕事の内容は一日10軒の指定されたお店に出向き、新製品や力を入れている商品が
ちゃんとお店に並んでいるか?の調査です。
月に12日、歩いて回り毎回本社にレポート提出でした。

丁度その頃、このボディー用の「ビオレU」が発売されたのを覚えています。

月一の会議は主婦としての意見を求められる場でもあり・・・
全国ブロックの私たちの仲間の希望も色々聞いて、できた製品がこのビオレUだったとか

私も「夏はシャワーを使う事が多く、固形石鹸よりも液体の方が使いやすいと思った」と
述べた記憶がありますわ。

仕事の話は長くなりますので次に行った「生田緑地」の梅林の画像と共に記したいと思います。

午後は「生田緑地」へ
工場見学後は川崎駅に戻り、各自でランチ
女性軍の7人は皆一緒に「洋食屋さん」のお店でパスタやオムライスなどを頂きました。

その後南武線~小田急と乗り継ぎ、「向ヶ丘遊園駅」から歩いて15分
2時過ぎに「生田緑地」に到着しました。



まずは目的地の「梅園」を目指します。

約2,500㎡の梅園には道知辺(みちしるべ)や紅冬至(べにとうじ)など51種、80本以上の紅梅や白梅が
美しさを競っているそうですが・・・



暖冬の今年はすでに見頃が過ぎていたのか?、まだまだこれから咲く種類が多かったのか?イマイチでした。

花王の仕事の話に戻りますが・・・
昭和56年に夫の札幌転勤で、息子が小学4年生になった春、家族も一緒に札幌住いとなりました。
引っ越し荷物を全部整理し終わったとたんに、私は心臓がドキドキしだして目が回りだしました。

医者に行って心電図とっても「異常なし」、結論は自律神経失調症で精神安定剤を処方されましたわ
(私は若い頃から自律神経系が弱かったようです)



我が家の「梅」と同じ種類の「紅梅」かしら?

札幌のお医者さまは「新しい土地での不安と気候の変化が原因」と・・・
「心の疲労をとるには体を動かすことが大事、しっかりと運動するように」との進言でした。
確かに桜咲く季節の羽田を出発し、千歳に着いたら雪でしたものね

私は当時流行っていた「ジャズダンス」に通いましたが、所詮お稽古事はサボれます
何が何でも出かけなくてはならない状況にするには「仕事」しかありません。
それで応募したのが花王の仕事でした。



自分の都合に合わせて月に6コースを2回の12日、歩いてのお店まわり・・・
吹雪の日はやめましたが、雪の日も日中の気温がマイナス14度の日も歩いた覚えがあります。

不思議と寒さは感じませんでした。そしてどんどん元気になりましたよ。
それ以来私の健康の秘訣は「歩くこと」です。

今の私の身体の状況は札幌に引っ越したばかりの頃と似ています。
ただあの頃は家族が居て、生まれ故郷の北海道を楽しみたいという思いも強かった
今は一人暮らしで、見えないコロナ相手に心の恐怖感が大きい

さぁ~お天気の良い日は、花粉対策をバッチリして
大いに歩いて春を感じる事にいたしましょう

広い広い「生田緑地」の画像はまだまだありますが、今回は花王の仕事のお話がメーンになりました。
他の風景の紹介は次回に改めて載せたいと思います

雨の日曜日となった今日は、お米や飲み物などの重い食品類を
息子が車で行って買ってきてくれました。

「俺は毎日仕事で大勢の人に会っているので、コロナ感染の確率は高いから近づかない方が良いよ」
「若者は軽く済むけど、歳寄りは重症化しやすいようだから気を付けて」と言いながら
買ってきた食料品を台所に運んですぐさま帰って行きました。

この騒ぎの早い終息を心から願っています。



コメント (14)
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