21日の春分の日には桜の開花宣言もあったりで、春本番を迎えたような一週間でした。
ただ週末は一転寒くなり、土曜日は朝から冷たい目が降っています
我が家のお墓参り(3月18日)
彼岸の入りの3月18日は私の父の丸5年目の祥月命日であり、夫の月命日でもあります。
午前中にお花を4束買って、まず車で20分の我が家のお墓がある大船のお寺に行きました
この日は快晴で、墓地からも富士山が綺麗に見えていました
このお寺は真言宗大覚寺派の寺院で、創建は天正7年(1579年)
我が家はこの境内にあるミニ霊園を購入しただけで「檀家」ではありません。
檀家さんたちの古いお墓が並ぶ坂を登っていくと、鎌倉ではよく見られる「やぐら」があります。
このお寺のご本尊は「毘沙門天」ですが、境内のあちこちにお地蔵さまが見られ
いつ来ても季節の花々が楽しめます
そろそろ終わりの「ミツバツツジ」
香りでその存在感を示す「沈丁花」
下の画像は今が見頃の「馬酔木(アセビ)」
この翌日の19日に高校時代のクラスメートを案内して、鎌倉の「瑞泉寺」に行きましたが・・・
瑞泉寺は水仙と梅が終わって、白いアセビがたくさん見られましたね。
そして早くも咲きだしたボケとシャクナゲ
シャクナゲが咲くのは5月初めの頃のはずですが?
ひときわ目を惹く早咲きの「桜」?、それとも桃かしら?
さほど広いお庭ではありませんが、お墓のあるお寺でいつもお花が楽しめるのは嬉しい事ですね
午後からは実家のお墓へ・・・
父が亡くなった5年前の3月18日に、我が家の庭の「ハクモクレン」が咲きだして
通夜&告別式が行われた3月23~24日に丁度満開になり・・・
”この花が咲きだすと私は父を見送った日を思い出すだろう”と
私はこのブログに記した覚えがあります。
今年のハクモクレンは早く咲き、父の祥月命日には満開を過ぎていました。
その上、暮れに息子がバッサリと枝を切ったので、お花の数も少なかったです
両親が眠る実家のお墓は、我が家から北へ車で15分の舞岡にあり
3月18日の月曜日は午前中と午後とで、お墓参りのハシゴでした。
円覚寺派臨済宗の長福寺は、応永7年(1400)の創建と伝えられる古いお寺です。
慶安2年(1649)には観音堂領として、寺領5石の御朱印状を拝領、観音像は北条政子の守護仏だったといわれ
観音堂は桜堂と称し鎌倉三十三観音霊場19番でした。
実家はこのお寺の檀家です。
母は弟が住んでいたマンション近くのこのお寺が気に入り、曹洞宗から臨済宗に宗旨替えして
墓地を購入しました。
この大仏立像の前で姪(弟の長女)にバッタリ会いました。
彼氏と一緒だったので紹介してくれましたよ
姪も30代後半、「吉報を待っているわよ」と言っておきましたわ。
私の実家はJRで一駅、車でも20分で行ける近場で・・・
父が現役を引退した72歳の頃、両親は弟一家と二世帯住宅を建てて一緒に住むようになりましたが
母が弟に頼りすぎて嫁姑問題が上手くいかず、晩年の10年間は施設にお世話になりました。
今では私も母の気持ちが分かりますが、同じ過ちは犯したくないので反面教師として戒めています。
両親の亡きあと、女同士の姉妹ならもっとべったりと付き合っていたかもしれませんが
まだ現役で働いている弟とはサッパリした関係です
お彼岸の中日(21日)は夫の実家のお墓参り
夫の実家のお墓はJRの高尾駅から歩いて30分(バスで7~8分)の、「東京霊園」の一角にあります。
この日はバスロータリーも大混雑で、我が家から2時間半かかりました。
夫の長兄の嫁・二人の義姉・義弟夫婦と私の6人で、お墓を掃除しツゲの木を丸く刈込
賑やかにお参りしました。
年に2回のお彼岸の時期の恒例行事です。
昨年の11月に義母の33回忌の法要で、息子一家も一緒に夫の実家に集まって顔を合わせていますが
65歳から81歳までの義理の仲の女同士、キャッキャとお喋りに花が咲きました。
高尾駅前「大光寺」の桜
いつも8人乗りの車で千葉からやって来る弟夫婦の車で、ちょっと遠出して
ランチをするのですが、この日はお彼岸の中日でどこも道路は大渋滞なので電車で来たらしい・・・
高尾駅前のお蕎麦屋さんで食事をすることになりました。
食事処近くのお寺の桜が綺麗に咲いていたのが見えたので、寄りました。
樹齢200年の「江戸彼岸桜」は、ソメイヨシノよりもちょっとピンクが濃い感じ・・・
青空に映えて美しいですね
この日の朝、我が家のある横浜は雨が降っていましたが、横浜線で八王子近くまで来ると晴れ出して
上着の要らない暖かさ・・・
お墓参りも無事済ませることができて良かった、良かった
こちらは樹齢400年の枝垂れ桜です。
しめ縄が巻かれていたのでこのお寺の「ご神木」?
逆光だったので、小さなコンデジでは綺麗な色合いが出ませんでした。
義理の姉弟同士がお食事をしながら、お喋りにいそしみ・・・
息子に「親父の履歴を聞いてきてくれ」と言われていたので、義姉に聞いたりで
気が付いたら3時半
「先祖は静岡の出で、仕えていた藩の国替えで江戸時代は千葉の館山に移住」
「マーちゃん(夫)は昭和18年に赤羽の社宅で生まれたけど、強制疎開の連続であちこち点々・・・」
次回は録音機が必要と感じましたわ。
朝8時半に家を出て、買い物などして帰宅したのが夕方の6時半過ぎ・・・
入浴してからビールを飲んでお寿司を食べたらドット疲れが出て、バタンキューでした
お彼岸のお墓参りとは故人を偲び、家のルーツを学び・・・
生きている親戚同士の交流を高める良い機会なのですね。