花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

ちょっと切ない「青空と銀杏の黄葉」

2010年11月26日 | 私の呟き

23日の勤労感謝の日は、前日から降っていた冷たい雨が午前中にはあがり
午後から、青空が広がりました

「今日の夜は孫たちも一緒に皆でお食事をしよう・・・」と、主人と話していた所に
両親がお世話になってる介護施設から、母を病院へ救急搬送する旨の連絡が入りました。

熱が下がってホッとしたのもつかの間、酸素濃度が低下し、意識の反応がなくなったそうです。

母は結局肺炎を起こしていて、
全体的にも老衰の症状がひどいということで、入院となりました。


翌24日は朝から待ちに待った快晴となりました
カメラを抱えて「鎌倉」に繰り出したいところですが・・・

私は病院と施設をせわしなく行ったり来たり
その道の両側には、眩しいばかりの黄金色の「銀杏並木」が続いています。


母が入院している総合病院は、大船の1つ手前の駅近くの新興住宅地にあります。
我が家からは車で10分、私の住む住宅地の隣町と言う感じ・・・
もう一本南の道路はもう鎌倉市です。

昭和40年代中ごろに開発されたこの横浜南部の住宅地はどこも「銀杏並木」が多いのですね。

今の季節、車で走ると、ゴールドの道の中を行くような鮮やかさ
「銀杏」は横浜市の木でもありますからね。

高度成長期時代の大開発から40年以上が経ち、その銀杏の木も大きく育ちました。


母はもう食べる事もできず、ただ点滴でその命を繋いでいます。

熱が出るのは元気な証拠なのだそうです。
体力がなくなると、熱も出なくなり、物を飲み込む力はもちろん、呼吸も浅くなるようです。

母は心臓が丈夫なので「点滴で体力さえ付けば再び父のいる所へ帰れるかな~」と、
いちるの望みを持って・・・
私は毎日母の顔を見に病院に通うことになりそうです。


一昨日は点滴が効いて、母は酸素値が上がると少し元気になって、
「お母さん!」と呼びかけると「ハイ」と、か細い返事が返ってきたのですが・・・
昨日は反応がありませんでした


病院の前の銀杏並木を見上げると、青空に映えて眩しいばかりの黄金色に輝いていましたが
その明るさが逆に切なくて・・・


そして今日、朝の9時過ぎに弟から電話

「もしや母の急変」と構えたら
オヤジが38度の熱を出して、血尿も見られるので病院に搬送するとの連絡があったんだ」
「姉貴立ち会えるかな~?」と

「ひぇ~、今度はお父さん
洗濯物を干すのも途中でやめて、化粧もそこそこに飛び出しました。


父は意識もシッカリしていて、食慾もあるので点滴を受けて抗生物質を一週間分処方してもらい
様子見となりました。

一週間後の再診検査でも良くなってなかったら入院だそうです。

私は強力パンチを二発食らったようなショックと疲れを感じながら、今日も施設と病院を掛け持ちしました。


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鎌倉紅葉情報・「長谷寺」&「鎌倉大仏」

2010年11月21日 | 鎌倉散策
この所の寒さで、富士山の白い帽子があっと言う間に大きくなりました。
山の紅葉も終わりとなり、いよいよ街の紅葉が楽しめる季節ですね。

母の高熱も下がりましたので、私の落着かない気持ちも一段落
早速視察を兼ねて、一人でカメラを抱えて「鎌倉」に行ってきました。

「長谷寺」(長谷観音)

鎌倉の数あるお寺の中で「紅葉が綺麗な所はどこかなぁ~?」と考えた時
私が最初に浮ぶのが長谷観音でお馴染みの「長谷寺」です。

山門からご本尊の「十一面観音」が祭られている「観音堂」や「宝物殿」に向う階段の両脇がモミジで
晩秋になると真っ赤に色付くのです。

撮りたてほやほやの、本日11月21日(日)の「紅葉」の様子をUPします。


こちらは視線を右に移した紅葉の様子です。

私が自由に動ける時間と、太陽が照る時が一致すれば良いのですが
これが案外難しい
以前は「晴れ女」で鳴らした私も、最近はトンと威力が落ちました。

今日の日曜日、朝は晴れていたのに、午前10時半にはすでにご覧の通りの曇り空でした

「われに光をと叫びたい心境でしたよ。


太陽の光があたれば、色鮮やかに輝くのですが・・・

一眼レフカメラを使うようになって3年目、今までずっと自己流で写してきましたが、
最近、光の重要性が何となく判ってきました。


鎌倉の紅葉は、まだまだこれからが本番ですが
この「長谷寺」は11月20日からライトアップが始まり、
12月5日まで夜間の紅葉見物も楽しめます



夜の幻想的な紅葉も見てみたいですね。

尚、日々の紅葉情報やライトアップの画像などはこちらのホームページをご覧下さい。

庭園に咲いていた花々を纏めてみました

ボケホトトギス
良縁地蔵イソギク

ツワブキキチジョウソウ?



階段の上の「宝物殿」横には「冬桜」が楚々と咲いていました。

3年前の12月7日にも、私はこの「長谷寺」の紅葉を見に来ていますこちらです
あの時は、この「観音堂」や「宝物殿」の周りの紅葉が素晴らしかったのですが
今回はまだあまり色付いていませんでした。


階段の上から見下ろすと、燃えるようなモミジが見えていました。

あまり広くない「長谷寺」の境内に、団体客もどんどんやってきます。

私は太陽が照るのを待ちましたが、諦めて次の「大仏」に向いました。


鎌倉大仏殿「高徳院」

先日、APECに出席したアメリカ大統領のオバマさんが来たことで話題となった
「鎌倉・大仏」です。

与謝野晶子が「美男におわす」と歌で詠んだお顔をとくとご覧下さい。   


「鎌倉・大仏」の名で親しまれている高徳院の本尊「国宝・銅造阿弥陀如来坐像」
1252年から10年の歳月をかけて造立されたものだそうです。

少し陽が照り出したので、大仏の左奥にあるモミジを写してみました。


やはり鮮やかさが出ますね


更にもう1枚・・・
腕の悪さを数で補います。


んん~?、赤いモミジの中に白い葉っぱも見えていますが・・・

<<

「大仏」の後方には黄金色に色付いた「銀杏の木」がたくさんありました。
マウスオンでご覧下さい

この建物は15世紀中頃、漢陽(今日のソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる「観月堂」です。


旬の話題の「抹茶アイス」を食べようかと思いましたが 、とにかくどこもかしこも凄い人出で長い行列
「オバマさん効果」をとくと見せられた感じです。

午後になるとますます混んできたので、私は来たバスに飛び乗り帰宅する事にしました。

今回はあくまでも「紅葉の様子見」です。
お天気の良い日に出直しましょう・・・




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紅葉の裏高尾・「景信山」から「高尾山」へ

2010年11月19日 | 山シリーズ

「裏高尾」は、
春には一丁平のサクラやスミレなどの可憐な花々を愛でながらのハイキング
そして秋には目にも鮮やかなモミジや白樺の紅葉&黄葉が楽しめます。


上の写真は「モミジ台」の丁度見頃の紅葉です(11月14日)


今回、私たちは小仏のバス停から、オレンジ色に塗ったルートを歩きました

高尾山周辺のコースの中でも、高尾山~陣馬山の縦走は最も充実した歩きがいのあるコース
いくつものピークを越えて行く楽しさや展望の良さなど、縦走の楽しみが充分味わえます。

私たちがお餅つきを楽しんだ「景信山」は、距離的にも丁度高尾山と陣馬山の
真ん中あたりに位置する山と言えるでしょう。

ただし陣馬山に向った場合、バス停のある陣馬高原下から八王子に出るバスは一時間に一本しかないらしい・・・


”秋の陽はつるべ落とし・・・”
ヘッドランプはザックに入っていますが、女二人で暗い中を行くのはちょっと心細い
私とK子さんは交通の便が良い「高尾山」を目指すことにしました。

まずは「城山」に向けて急な下りを行きました。
およそ30分で「小仏峠」です。


再び登り返して30分頑張ると、パラボラアンテナの立つ「城山」頂上です。

ここにも「茶店」があって、賑わっていました。
私たちもベンチに座って一休み、おミカンを食べました。

ここには去年の春のサクラの時に、中学時代の友人と・・・
そして一昨年の真冬には、もう一人の山仲間のYさんと「シモバシラの氷花」を見に来たときに寄りました。


ナント、曇っているのに「富士山」が見えていました
チョコンとかぶった、白い帽子が可愛いですね。


「城山」から「一丁平」までは大きなソメイヨシノの並木道が続きます。
サクラの紅葉はそろそろ終わりのようでした。


Kさんは快調に歩いています。
どうやら腰は大丈夫のようですね。

私と同じ歳なのに、20年以上も前に歯科医師だったご主人を亡くしたKさん・・・
3年前にはお母様、そして今年はお父様を亡くしました。

ケアマネの国家資格を取り、介護事務所の副社長をしている忙しい身なのに
ここ数年はご両親の居る福岡にトンボ返りすることが多く
なかなか私たちと一緒の「山」には行けなくなりました。

やっと一段落したとたん、今度は彼女本人が腰を痛めたのです

<>

お花はほとんど見られませんが、辛うじて「ノハラアザミ?」が咲いているだけでした。
マウスオンでご覧下さい


すれ違った「山ガール」たちが、
♪秋の~夕日に~、照る山モミジ~♪と輪唱をしていました

三ツ星が与えられた近年の「高尾山」は人が殺到していますが
ご多分にもれず、この「裏高尾」にもたくさんの「山ガール」の姿が見られました。



高尾山頂上近くの「モミジ台」周辺は特に若い人が多かったですね。


針治療とマッサージで「腰」の痛みを治したというkさんも・・・


そして肩からカメラをぶら下げた私も、長い長い階段を、若い方々に負けずに頑張って登ります。


燃えるような色彩のモミジが元気をくれました。


登った先にも、更に鮮やかな赤や黄色のモミジが見られましたが
たくさんの人出でビックリです。


そして、ここでも墨絵のような「富士山」が見えていました。

「高尾山」の頂上をまいて、黄色く色ついたブナ林の中の吊り橋コースの「4号路」を通り
リフトで降りようとしたのですが、生憎「4号路」は倒木で通行禁止
そのまま薬王院表参道の「1号路」を行くと、銀座通りよりも人の多い行列状態


そしてこちらは新名所のパワースポットか何かでしょうか?
大勢の方々が列を成し、順番に真ん中の「輪」をくぐっていました。

もう3時半を廻っていたのに、まだまだたくさんの人が登ってきます。
彼らたちはライトは持っているのでしょうか?

リフトの山頂駅にたどり着くと、大勢の人で溢れていて、整理券を配っての40分待ちでした。

40分あれば歩いて下まで降りられますが・・・
コンクリート歩きはKさんの腰に良くないと判断し、2人で温かいお団子を食べながら待ちました。
暗くなる寸前の4時半過ぎに、ようやく京王線の「高尾山口」の駅に到着した次第です。

景信山のお餅つきも楽しかったけど・・・」
山ガールと35年ぶりに訪ねた薬王院も印象的だったわ」と
Kさんは最後まで歩けたことに満足そうでした

前回の画像とあわせて、デジブックに編集しました。
お時間のある方は「裏高尾」の紅葉を大きな画面でご覧下さい。

デジブック 『紅葉の裏高尾』


      

母がマタマタ39度の熱を出しました。
食欲もなくグッタリしています。
しばらく私は携帯電話を肌身離さず持っていなくては・・・

入院するかどうかは明日施設のお医者様と相談する予定です。

父は幸い元気で、三ヶ月に一度の診察で、腫瘍マーカーが0近くに下がりました。

一喜一憂の日が続きます

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裏高尾「景信山・頂上」でお餅つき

2010年11月15日 | 山シリーズ

14日の日曜日、高尾駅から「小仏」行きのバスに乗り、終点の「小仏」から「景信山」に登って
「景信山」~「城山」~「一丁平」~「モミジ台」~「高尾山」~「薬王院」
と歩いてきました。

トップの画像は「景信山」(727m)頂上から望んだ「丹沢山塊」です。

この日のお天気は生憎の曇り空・・・
せっかくの紅葉が鮮やかさに欠けて残念でしたが、
遠くに見える山々は水墨画のようなモノトーンの世界でした。

去年の6月初めに鎌倉の「東慶寺」のイワタバコを見に行った時に知り合ったあざみさんから
「11月14日(日)、景信山頂上でお餅つきをしますのでいらっしゃいませんか?」
という趣旨のメールを戴き、山仲間のKさんと一緒に参加してきました。


高尾駅北口発9:12発のバスは2台の増便、満員のハイカーを乗せて終点の「小仏」まで行きました。

しばらくコンクリート道を歩いて、小仏の駐車場の先からいよいよ登山道に入ります。
そのまま進めば「小仏峠」ですが、私たちは右手の「景信山」方面の道をたどります。

植林された杉林の中をひたすら登りました。


30分で水場に出ました。ここで一休み・・・
あざみさんの山仲間、老若男女19人の方々と一緒です。


途中で小下沢コースと交わり、およそ50分で視界が開けて尾根道に出ました。

夏の初めから腰を痛めていたKさんにとっては、復帰第一号の久しぶりの山登りでしたが
ユッタリペースで登ったので「腰」は大丈夫だったようです

裏高尾の山々は紅葉していましたが、残念ながら太陽の光がなくて輝きが足りません


高尾山からの縦走路は展望を良くするために、最近木々が伐採されました。


そのせいか?
日当たりがよくなり「ヒナスミレ?」が狂い咲き
「高尾」はスミレで有名な山ですものね。


紅葉はそろそろ終わりに近いのか?微妙な色合いです。


11時過ぎに「景信山」頂上に到着。
予約してあった「茶店」のベンチに一同が集合しました。

山菜類をおつまみに、まずは皆で乾杯です。
そして始まりました!「お餅つき」!
最初のこねくりが肝心なんだそうです。あとは皆でペッタン・ペッタンお餅つきです。

ついたお餅にアンコやおろし大根をつけて食しますギターと歌の演奏もありの楽しい宴でした。

女三人での山旅が多かった私とKさんは、山の上での宴会の経験がありません。
お餅つきも初めてです。
(杵と臼の貸し出し、そしてもち米を蒸す所まではここの茶店でやってくれるそうです)

つきたてのお餅に付けた納豆やキナ粉も美味しかったけど、一番は柚子葱の醤油とお酒のタレでしたね
最後にKさんと買って食べた温かい「ナメコ汁」も絶品でした。

そして「景信山が好きだから♪」という甘い歌声にウットリ
1時近くまで、皆様と楽しいひと時を過ごしました。


Kさんの腰が大丈夫で、その上時間があったら、私たち二人は「陣馬山」に抜ける予定でしたが
日の短い時期ではちょっと無理と判断し、「高尾山」を目指すことにして、
親子山の会の皆様と別れました。

あざみさん、お世話になりました。
お声をかけて戴きありがとうございます


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赤レンガ倉庫・「木のきいた展覧会」

2010年11月09日 | 我が街・横浜

雨台風が去った翌日の10月31日の日曜日、ご近所仲間のK子さんご夫妻の作品が出展されている
「赤レンガ倉庫」に、親しくしている仲間3人で行ってきました。


題して「木のきいた展覧会」
木工職人となったご主人Mさんの仲間同士の合同作品展です。

今までも何度かK子さんご夫妻の事はこのブログでも紹介していますが、
お二人は定年後2年間、タイのチェンマイに家を借りて、
ケミカルエンジニアだったご主人は趣味の木工
ファイナンシャルアドバイザーだったK子さんは、好きな染と織物を学びました。

そして昨年春、K子さんのお父様が危篤となったのを機会に、日本に戻ってきましたが、
それからはご夫妻コラボで、精力的に作品展を開いています。


こちらの画像は、昨年秋の「鎌倉芸術館」での作品展の模様ですが
ご主人製作のチェストや机と、彼女の染め織物が見事に融けあっていますね。

そして、今年の3月は北鎌倉の「古陶美術館」で、K子さんと女性のお仲間の展示会がありました。
その時の記事はこちらでご紹介しましたね。

今秋もご夫婦コラボで出展です。私が買い求めたK子さんの手作りストール♪
こちらはお仲間の「枯葉絵」、センスが光る!他に焼物の展示もありました。

私が3月に買ったサーモンピンクのストールは、タイシルクを彼女がチェンマイで染めたもの・・・

そして今回買い求めた渋い色合いのストールは、彼女がタイで染めたシルクの糸を織り込んだ物です
わりとザックリ感がありますね。

彼女の自宅では一階の和室がご主人の工房となり、
2Fの元子供部屋に大きな足踏みの織機を入れて、
周りの壁にはタイシルクの糸がワンサと下がっているK子さんの仕事部屋です。

展示会が近づくと、ご夫婦で一日中それぞれの部屋で夜なべの手仕事・・・
そして展示会が終れば気晴らしに、しょっちゅう2週間単位で海外旅行に行っているご夫妻です。
見事な老後設計を実践していますね

さて、この赤レンガ館の展示会場に行く前に・・・
「久しぶりに中華街でお食事をしたいわ」
というのんちゃんのご希望で、私たち3人は中華のランチを戴きました。

休日は相変らず人出が多い横浜中華街・・・いつもどのお店に入ろうか?と迷います。

今回は飲食店を経営している(今は息子さんに任せて隠居の身の)仕事仲間に聞いて
「456菜館」という上海料理のお店に行きました。

上の画像の「善燐門」の先の交差点の角にある別館です詳しい情報はこちらでどうぞ。


孫さんというオーナーシェフが、TVの鉄人対決に出て準グランプリになったらしい?
TVで紹介されると味が落ちるというのが私の勝手な持論ですが・・・

「中華街の職人さんたちが食べに行く店」ということで、
ちょっと濃い目の味付けですが、まぁ~まぁ~というところでしょうか・・・?

休日のランチのコースが一人1900円という安さでこの量
とても全部は食べ切れませんでした

私たちはマンプクリンのお腹を抱えて「山下公園」を通り抜けます

氷川丸は2年前、リニューアル・オープン♪休日は大道芸人もお馴染みですが・・・

この日は観光客の姿よりも、警察官の姿の方が多かった

「秋田県警」に「北海道警」・・・
横浜で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の警備に供えて、
日本全国から集まってきているようです。


シルクセンターの四つ角を右に曲がり、鉄軌道の下に新しく出来た「象の鼻パーク」経由で
私たちは「赤レンガ倉庫」を目指します。
街路樹が色付き始めていましたね


そしてこちらが「象の鼻パーク」の一角・・・
このガラスの中を覗くと、古い転車台が見えます。
ここの公園整備の工事中に見つかったものだとか・・・

横浜の港はここ象の鼻地区から始まりました。

横浜市では、この貴重な地区の歴史性や象徴性を活かしながら賑わいや交流の場を生み出すため、
広場や緑地を基本とした段階的な整備を進め、開港150周年の平成21年6月2日(開港記念日)に
「象の鼻パーク」がオープンしました。


この場所は、1854年3月31日、アメリカ合衆国のペリー提督が2度目の来日で初めて横浜に上陸した場所です。

1859年、日米修好通商条約により横浜が5つの開港場の一つに指定されて以降、
この地区は横浜で最初の本格的な波止場となりました。、

「象の鼻」の名称は、時代と共に少しずつ形を変えてきた堤防の形状が、象の鼻に似ていたことに由来しています。


目の前は「横浜税関」です。
そしてその向うは「神奈川県警本部」
今、この地区は11月13~14日に開催される「APEC」に向けて大警備網が敷かれています。


「赤レンガ倉庫」が見えていますね。
丁度レンガ倉庫と大桟橋を結ぶ途中にあるプロムナードの一角が「象の鼻テラス」となっているようです。

こうして私たちは横浜の中心部を散策しながら、K子さんご夫妻の作品展に行ってきました。


「木のきいた展覧会」を拝見し、K子さんの手作りのストールやテーブルセンターを購入してから
レンガ館内の喫茶店でお茶して、しばし3人でお喋りを楽しみました。

気がついたら5時を廻っていて、もう日が暮れて・・・
赤レンガ館も綺麗にライトアップ
左奥に「ベィブリッジ」も見えていますね

この日は「ハロウィン」のお祭りの日で、お姫様や魔女のような姿の人々がたくさんいました
そんな人々を眺めているだけでも楽しいひと時でした。

@ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @ @

家に帰って主人にこの日のことを報告すると
「ナニィ~、中華街で中華料理だと~、許せ~ん
と烈火のごとく怒り出しました。

「俺は最近の中国の態度に腹を立てているんだ。中国製品はボイコットする
といきまいています。

中国製品を買わないという事は、あなたが昼食で利用するファミレスの食事やコンビ二弁当も食べられないし
作業着などの衣類も買わないということよ・・・

その後、尖閣諸島沖の中国漁船衝突を巡る「ビデオ流出」のニュースが出るに及んでは
「こんなに明白な証拠があるのに、これを伏せての弱腰外交は何たることか~
「もうこれで菅政権は見放した」
民主党には期待をしていただけに落胆も大きいようで・・・
主人はTV画面に向ってブツブツと怒っている日々ですわ

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紅葉の奥日光・「丸沼」と「湯の湖」

2010年11月04日 | ドライブ

11月に入って爽やかな「秋晴れ」が続いています
我が家からも富士山がクッキリと見えました。

こちらは11月2日、朝7時半の富士山、雪の帽子が北側に垂れ下がるように見えていますね。


こちらは同じ日の朝10時半の富士山です。雲が少し沸いてきました。
この日は午後から曇り富士山は姿を隠しましたが、湿度が低くかったせいか?
夕方再びシルエットの富士山が見えていました。

昨日の文化の日は、晴天に恵まれましたが、何故か?
富士山は終始姿を見せませんでした。

<>

そしてこちらが今日4日の朝10時、我が家の2Fのベランダから見た富士山です。
天気予報は晴れマークですが、手前には黒い雲が・・・

我が家上空も北東の東京方面も雲に覆われていました

マウスオンでご覧下さい
300mmのズームレンズで見てみると、富士山も箱根連山も明るく輝いていますから
きっと午後からは晴れるでしょう・・・


案の定、午後から晴れて、夕方5時過ぎにはご覧のような富士山が見えましたよ
変りやすい秋の空の移り変わりを、私の部屋から垣間見させてもらいました。

            

さて、私たちは「奥利根ゆけむり街道・モミジライン」「照葉峡」から尾瀬・戸倉までの
素晴らしい紅葉を満喫し、片品村に出て、国道120号線(通称・日本のロマンチック街道)に入り
日光の金精峠に向いました

奥日光「丸沼」

お天気が良ければ、丸沼高原からロープウェーに乗り「日光白根山」に登りたかったのですが・・・
この日もガスがかかり「日光白根山」の姿は見えず、時間も11時近くなっていたので諦めました

そして行ったのが「丸沼」湖畔です。


標高1428mに位置する「丸沼」は日光白根山が大噴火した時、
流れ出た溶岩によってできたせき止め湖です。

秋にはブナや白樺の紅葉が美しいところですが、そろそろ紅葉も終わりでした


枯葉の絨毯の上を歩き、白樺やダケカンバの森を抜けて湖畔を半周し、
「大尻沼」まで2時間で行く散策路があります。

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晩秋の湖畔は寒いくらいです。少し歩いて引き返しました。
そんな中を釣り人が沼の中で釣り糸を垂れています。
マウスオンでご覧下さい

手足も冷えたので、車のエアコンのヒーターを入れて「金精峠」に向いました。


「金精峠」の手前の、標高1731mの所に「菅沼」があります。
この辺りはもう紅葉も終っていましたので、そのまま車を止めずに進みましたが・・・
ここには印象深い思い出があるのです。

今から14~15年くらい前の夏、夏山登山に北アルプスの「黒部五郎~三俣蓮華~双六岳」縦走を決め
山仲間のKさんと足馴らし登山にこの「日光白根山」を登りました。

浅草出発の夜行電車に乗り、早朝「東武・鬼怒川駅」から湯元温泉までバスで入りました。
そして5時間半かけて、標高差1100mの「日光白根山」頂上に立ったのです。

その頃の「日光白根山」登山のメーンルートは標高差800mの「菅沼」からの登山道でした。
でも「菅沼」まではバス便がなかったので、私とKさんは湯元温泉からの古い登山道を頑張りました。

人が殆んど歩いていなくて、出会った登山者は同じ年頃のご夫妻のみ・・・
登山道も全く整備されていなくて、倒木がゴロゴロ、
その中をまたいだりくぐったりしながら登った「前白根山」経由の「日光白根山」は
とてもきつくて苦しい山でした


<>

今では「丸沼高原」のロープウェーを使えば、標高2000mまで登れてしまうらしい。
画像はロープウエーの山頂駅から見える「日光白根山」の姿だそうです。

関東以北では一番高い標高2578mのこの活火山も、往復4時間半で行ってこられるようになりました。
マウスオンでご覧下さい

私とKさんは「白根山頂上」から再び、
「五色山」経由でバス便のある湯元温泉を目指しましたが、その頃から私の膝が痛み出しました

一緒に歩いた千葉から来たというF夫妻と別れて、急遽私たちは楽なコースの「菅沼」に下る事にしました。
そして「菅沼」の駐車場でタクシーを呼ぶと、「渋滞しているので行けない」という返事

Kさんと2人で呆然としていると、「あら!私の登山靴と同じだわ!」と、私のシリオの登山靴を見て
中高年の女性が声をかけてきました。
尾瀬を歩いてきたご夫婦でした。

カクカクしかじかで帰れないでいると話すと、そのご夫妻は「どうせ帰り道だから」と
親切にも高級乗用車のクラウンで「東武・鬼怒川駅」まで送ってくれました。

忘れられない「日光白根山」の思い出です。

それ以後「何処の山が一番きつかった?」と聞かれると
「断然日光白根山!」と答える私とKさんです。

この10日後に、有峰口から太郎平の小屋まで登り、「黒部五郎岳」から新穂高まで縦走した
3泊4日の北アルプス・ダイヤモンドコースよりも苦しかった!ですね

奥日光「湯の湖」

金精峠の紅葉は終っていましたが、「湯元温泉」に近い「湯の湖」の紅葉が丁度見頃でした。


流石に人気のある「日光の紅葉」は絵になります
平日でしたが人もいっぱいでした。

<<

マウスオンでご覧下さい

本当はこの「湯の湖」湖畔で昼食をとるつもりでしたが、駐車場がいっぱいで諦めました。
主人は何故か?ホッとしたようです。
日光と言えば、3年前の秋の一歩間違っていたら私の命も危なかった自損事故
思い出が拭い去らないようです。

あの時もこの「湯の湖」湖畔で昼食を食べて、それから事故ったのでした


最近では、新しい思い出を作るよりも、あの山・この温泉と懐かしい思い出をたどる事の方が多くなってきました。
でも、交通事故の思い出はゴメンですね。

この時の紅葉は竜頭の滝くらいまでで、中禅寺湖から下は濃い霧の中でした。
私がイネムリをすると運転する主人も危ないので、ひたすら眠らずに頑張り
東北自動車道では私が食後の運転を交代して、どうにか無事で我が家にたどり着きました。
つかれたぁぁ~

山を登って温泉に浸かり、後はビールを飲んで寝て帰るツァーの方が気楽ですが
思い出としたら今回の旅の方が断然残るのでしょうね。




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