花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

別所温泉・「常楽寺」&「安楽寺」

2009年07月30日 | 旅日記

7月も末だというのに「梅雨前線」は未だに日本列島に居座り、西は豪雨で東は竜巻・・・
異常な長雨続きの北海道は農作物に被害が出ていると聞きました。。

早々と「梅雨明け宣言」が出された関東南部も、たま~に真夏の太陽が顔を見せるだけで長続きせず、ジメジメジトジトと不安定なお天気が続いています。
ちょっとおかしい今年の「夏」ですね。

我家の庭に咲いているそろそろ終りの「ヤブカンソウ」・・・
今まで写真に収めたこともありませんでしたが、今年は何故かこの色が眩しい


蝶もセミもトンボも、青空の下で飛んでこそ「夏の風物詩」となるはずですが、これから本格的な夏はやってくるのでしょうか?

仕事が休みの来週は、山仲間と2人で「立山三山」を歩いて「釼岳」を見に行く予定。
もっか天気予報を見ながら出発日を決めようと思っていますが、のマークに遮られ、未だに中々決まらな~い


長々と神社仏閣めぐりの紹介が続き、流石に書き手の私も少々飽きてきましたが、自分自身のための保存版と割り切って、引き続きUP致します。
ご興味のない方はスルーして下さいね。

                         @@@@@@@@@@@@@@@@

「常楽寺」  

常楽寺は、別所温泉にある天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つです。
平安時代のはじめ624~834(天長年間)、慈覚大師という方によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれています。
「北向観音」をお守りする寺で、今は天台宗の別格本山となっているそうです。

茅葺屋根の今の本堂は江戸中期の享保年間(1716-1736)に建立されたものだとか。

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本堂前の境内に、横に広がりを見せる「お船の松」が植わっていました。
マウスオンでご覧下さい
本当に帆掛け舟のような形に刈り込まれています。


ここは昔、大きな火柱といっしょに観音様の本尊が現われた尊い場所だといい伝えられています。
代々の寺の住職さんたちの石塔や、たくさんの小さな五輪塔・宝篋印塔などが「石造多宝塔」を守っているように並んでいますが、昔はこのあたり全体が、とても大切な尊い場所であったことを物語っているようです。

ひんやりとした空気の中、木の精霊や高僧たちの精霊が混じり合い、如何にもたくさんの霊気が漂っていそうな場所でした。

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昼なお暗い木立の中の正面に建っているのが「常楽寺宿造多宝塔」(国指定重要文化財)です。
マウスオンでご覧下さい

多宝塔というのは、上下二重の屋根がある塔です。
下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上にまるい塔身があり、二つの屋根がその上にのっています。
そしてその上に、相輪という柱のようなものが立っています。


この多宝塔には木造のものと石造のものがあり、木造のものでは重要文化財になっているものがいくつもありますが、石造で重要文化財のものは、常楽寺のこの塔の外には滋賀県にある塔だけだそうです。


「安楽寺」

私たちは昼食を共にし、常楽寺を一緒に見学したご夫妻と別れて、お隣の「安楽寺」に歩いていきました。
階段を登ると茅葺屋根の本堂が見えてきました。

常楽寺、長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称されていた古刹。
天長年間(824~834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという歴史ある禅寺です。
鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、信州の仏教の中心地となっているという意味の記事が書物に残っているそうです。


このお寺の見どころは何と言っても国宝の「八角三重塔」・・・
お昼をご一緒したご夫妻は先に見学したそうで「あれは一見の価値があるから是非行った方が良い」と勧められました。
これは見逃せませんね。300円を払って山の斜面に建つ塔を見に行きました。


檜や杉が茂る林の中の階段を登って行きます。


途中の伝芳堂(開山堂)に安置されている開山・樵谷惟仙[しょうこくいせん]和尚坐像(重要文化財)と、二世・幼牛恵仁[ようぎゅうえにん]和尚坐像(重要文化財)は、玉眼でまるで生きているかのように威厳があるお姿が見られますが、暗い中でのガラス張りで・・・
写真撮影はとても無理でした。

上の方に何やら見えてきました


階段を登りつくと・・・
ドカンと迫力のある国宝の「八角三重塔」が全体の姿を現しました

ふつうの塔は四角形ですが、この塔は八角形であることが珍しく、この形は全国にこの塔一つだけしかないそうです。
この塔の一番下に裳階(ひさし)がついていて、一見、四重塔にみえますが、正確には「裳階付三重塔」というのが正しいとか・・・


屋根を支える垂木が扇の骨のように放射状に外側に出ています。
そのほかいろいろの点からこの塔は、ふつうの塔とかなりちがった形をしているらしい・・・


八角の塔は古代には日本にもあったという記録は残っていますが、いずれも現在はないそうです。
ところが中国の塔というのは八角が普通なのです。
禅宗の安楽寺の二代目の住職の幼牛恵仁さんは中国生まれの人といわれていますので、その影響が充分考えられるようです。


この堂々とした風格ある名塔が、鎌倉時代に塩田平に居館を構えて、信濃に威を張っていた北条氏の力によって造られたものと推察されるようです。
この辺り一帯が「信濃の鎌倉」と言われる意味が少し判ったような気がしました。

思いがけず「国宝」や「重文」を堪能して、駐車場に戻った時は三時半を過ぎていました。
名湯「別所温泉」に入っていきたかったのですが、宿のある軽井沢まではここから1時間半はかかります。
そしてこの「暑さ」、この日は30度を越えているようでした。

温泉はパスして、上田城見学もパスして、一緒に常楽寺を歩いたご夫妻から紹介されたラベンダー畑もパスして・・・
私たちは一路軽井沢に向かいました。

歩行計は9000歩近くを示していました。
「お寺めぐりは年をとってから」なんて言ってられませんね。


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別所温泉・「北向観音」

2009年07月25日 | 旅日記
昨年の秋、紅葉の「妙高高原」を旅しましたが、最終日には長野に出て「善光寺」をお参りしました。
その様子をUPした時、ブログ仲間のmarriさんから「善光寺は来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では片参りになってしまいます」とのご指摘を受けました。

今回のドライブ旅行を決めたとき、主人は真っ先に「北向観音に行こう!」と・・・
「まずは現世のご利益が大事!」とずっと気になっていたようです。


「北向観音」は”信州の鎌倉”と呼ばれている長野県上田市の「別所温泉」にあり、正式には「北向山常楽寺」という天台宗の寺院です。
平安時代初期の天長2年(825年)慈覚大師円仁によって開創された古い古いお寺です。

私たちは「別所温泉」にお昼過ぎに到着・・・
駐車場(500円)に車を入れて、狭いお土産屋さんの並ぶ道を進みました。


別所温泉は上田市の塩田平の西側に位置し、古くは「七久里の湯」と呼ばれ枕草子にも登場する信州最古の温泉だそうです。
鎌倉時代、北条氏が別院として使っていたことから「別所」という名前がついたといわれ、肌がなめらかになることから「美人の湯」とも呼ばれています。

正面に「北向観音」が見えてきましたね。


階段を登ると正面が「観音堂」でした(内部は撮影禁止)
ご本尊は千手観音菩薩で、昔からこの地方はもちろん広く県内外の信者が多く訪れ、厄除の観音様として親しまれていたようです。
「北向」の名は長野の善光寺の南向きと、向きあっているところから名づけられたもの・・・
善光寺と北向観音のご利益は一体のものなんですね。

ほとんどの神社仏閣は南向きに建てられているので、このような名前の由来になったのでしょう。
他には北の守りの鎮守様、札幌にある「北海道神宮」が北向きだったような気がします。


こちらが「北向観音」のご朱印です、「厄除け」とは嬉しい・・・
今年の私の運勢は”八方ふさがり”と出ましたもの


境内の鐘楼の裏に、この地方では珍しい大木のカツラの雄木がありました。
高さ22m、目通り5.5m、枝張り14mという大きなもので、北向観音の霊木とされています。
縁結びの霊木としてしたしまれているようですね。


戦前に発表された川口松太郎の長編小説「愛染かつら」で、ヒロインの高石かつ枝が津村浩三と、菩提寺のカツラの木の下で永遠の愛を誓う・・・
そのモデルとなった木として一躍有名になったらしい。映画も公開されて大ヒットだったようです。

「そんな物語は知らないわ」という方が多いかも知れませんね。
私だって戦前に公開された映画など観た事ありませんよ。
でも何となく知っている
♪花も嵐も踏み越えて~♪という歌も何故か唄える・・・


両親がお世話になっている施設に行くと、時々みんなで古い歌を唄っています。
その時は私も参加するのですが、若いスタッフさんはほとんど知らないのね。
気がついたら私が指導しています。
「青い山脈」「りんごの歌」「越後獅子」「君恋し」「月がとっても青いから」等など
オット、話しがそれました。


こちらは観音堂の西方崖の上に建てられた薬師堂で「医王尊瑠璃殿」と呼ばれています
現在の建物ははじめの建物が焼けた後、1809年(文化6年)に地元の薬師講の人たちによって再建されたものだそうです。
温泉の効き目にあわせて病気を除き解脱(なおすこと)するという深い温泉薬師信仰によるものとか・・・

午後1時を過ぎてそろそろお腹がすいてきました。
どこか探して「お蕎麦」を食べようと・・・


何の資料も持たずにウロウロ。オーストラリアを旅したときは、必ず最初に寄った「インフォメーション」も、日本ならどうにかなるさ!と通り過ぎてきましたものね。

どこで食事をしようかと迷い迷い「安楽寺」の表門まで来ると、「観光案内所」でもらったらしきパンフレットを眺めている中高年のご夫婦がいました。
ここは聞くのが一番手っ取り早い。
あちらもお蕎麦屋さんを探しているところでした。


4人で、一番近い「常楽寺」の門前近くにある「そば久」というお店に行き、みんなで「天ざるセット」をいただきました。
自家製の10割蕎麦が繊細な味を出していましたね。
ふる里の実家のお座敷で食しているような、素朴なやすらぎが感じられるお蕎麦屋さんでした。

東京の下町からやって来たというご夫妻は、「鹿教湯温泉」に三連泊しているそうです。
「宿は前日にネットで申し込むと凄く安いのよ。夜中の12時過ぎると当日申し込みと成り更に千円安くなる。平日だとほとんど取れるわよ。その上三連泊すると1日ごとに安くなって、信じられないお値段で日々温泉三昧を楽しんでいるの。」

私たちは会員制のホテルを使っているけど、それでも1万円近くはかかります。
この時です。「会員権の購入希望者が現れたことだし、手放そうかなァ~」と思ったのは、結局は売りませんでしたけど・・・

もう一つ結果報告
6月に鎌倉の「文学館」でNHKのインタビューを受けましたが、それが2週間も経ってからお昼の12時のニュースのローカル版で流れたようです。
ご近所の方々や仕事仲間、地区センターの利用者から言われて知りました。
本人の私は見ていないのですよ
おっとまたまた話しがそれました。


この日は30度を越える夏日でした。
4人で食後一緒に、「北向観音」の護り寺である「常楽寺」に向かいました。
旅は道づれ・・・ですね
道端にたくさんの花々が咲いていましたが、こちらは一体何というお花でしょうか?
スッキリとした青紫色に心が奪われました


常楽寺に向かう長い階段を登りながら「お二人のご趣味は山登りと聞きましたが、さっき安養寺前で最初に会ったとき、もう歩くのは嫌だから車で行こうという会話が聴こえてきましたよ」と冷やかされました。
「腹が減ると一歩も歩けなくなるのですよ」と主人。
「コンクリートの道路は弱いのですよ。昨日の山登りで足の筋肉が張っていて・・・」と私もいい訳です。

特に筋肉痛はありませんでしたが、膝に若干の違和感がありました
どうなる、夏山


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「諏訪大社」・上社と下社

2009年07月22日 | 旅日記
私が父の転勤で高校時代の2年間を過ごした山口県では、凄まじい豪雨の影響で多大な被害が出たようです。
TVのニュース画面では目を被いたくなるような土石流の大災害。
被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
同級生のみなさんの所は、大丈夫ですか~?

関東地方は14日に「梅雨明け宣言」が出され、3日間ほど真夏の青空と暑さが続きましたが、その後再び梅雨に逆戻りしたようなお天気が続いています。

昨日の太陽の天文ショーが始まる頃も、一部ではうす雲を通して部分的に欠ける太陽が見られたようですが、我家の上空は厚い雲に覆われていました
それでもTV画面を通して観た「硫黄島や太平洋上の皆既日食」は素晴らしかったですね。
あのダイヤモンドリング、そして周囲360度に輝く夕陽のような光・・・
一度でいいからあの場に立って見たいです

さて途中で途切れていた「甲信越・ドライブ旅行」の続きを、遅まきながら再開したいと思います。

6月26日
「諏訪大社・上社本宮」

前日「甘利山&千頭星山」を歩いた私たち、翌日は主人が希望する神社仏閣めぐりです。
一晩泊まった「八ヶ岳リゾート」のロッジを後にして、最初は「諏訪大社・上社(本宮)」に向かいました。

昔「高遠の桜」を見に行ったバスツァーで帰路に寄りましたが、あの時は往路の大渋滞で時間がなくて、ほんの入り口をウロウロしただけです。


「諏訪大社は」我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りがなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社なのだそうです(諏訪大社のホームページより)

「諏訪大社」と言えば「おんばしら」、入ってすぐのところに祀ってありました


幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式だそうで、徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定されているとか。
ボランティアの案内人さんが親切丁寧に教えてくれました


おごそかで神聖なる空気の中で、家族みんなの健康と幸せを祈願しました。
ここの「神紋」は「穀の木」(梶の木)ですが・・・

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カジノキは神道では神聖な樹木のひとつであり、クワ科コウゾ属の落葉高木。
マウスオンでご覧下さい

「樹高はあまり高くならず、10mほど。葉は大きく、浅く三裂するか、楕円形で毛が一面に生える。左右どちらかしか裂けない葉も存在し、同じ株でも葉の変異は多い。雌雄異株。」(フリー百科事典・ウィキベディアより)
確かに神紋の図柄のように、裂けている葉もあれば楕円形もありで納得ですね。

古代から神に捧げる神木として尊ばれていた為、神社の境内などに多く植えられ、主として神事に用い供え物の敷物に使われたそうです。


諏訪大社・上社(本宮)は守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しております。

私たちは行きませんでしたが、実は「諏訪大社・上社」にはここの本宮の他に前宮もあるとのこと・・・
本宮の東約2キロの所に鎮座しているようです。

神楽殿は1827年の建立中の大太鼓は江戸時代のもの
江戸時代の力士「雷電」の銅像が・・・その手形はとてつもなく大きい!

上社・本宮を一回りしてから、車を置かせてもらっているお土産屋さんに行きました。
お酒のおつまみなどを買って、ついでに下社の行き方を聞きくと・・・
「ここの上社は二代目の大黒様が建てたもの、最初は奥様と一緒にここに住んでいたけど2人は別れちゃって、その後に奥様が住んだのが下社・・・、その奥様の涙でできたのが諏訪湖なのよ」というお話を伺いました。
確かにそれによく似た神話があるようですが

上社は男神、下社は女神・・・
男神が女神に会いに行くときに起こるのが「諏訪湖の神渡り」・・・
こちらのお話しの方がロマンが感じられますね

「諏訪大社・下社」

「上社」から約10km、JR中央線下諏訪駅の東北約1km、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しているのが「諏訪大社・下社(秋宮)」です。

「昔、高速道路が走っていない頃、上高地に行く度にこの前を車で通ったけど、この「下社」を見るのは初めてなんだ」と主人がつぶやきました。
モチロン私も初めてです。
鳥居の前の非常に分りやすい駐車場に車を入れました。

鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は根入の杉と呼ばれ樹令は約八百年の御神木。
正面に見えています。
上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しているそうです。

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マウスオンでご覧下さい
身長1.7m、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保六年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。

ここでも「家内みんなの健康と幸せ」を祈願しました。


御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。
これら現在の建物は安永十年(1781)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成しました。


ここにも「御柱」が祀られていました。

おんばしらの用材はモミの木が使われ、三年前から御用材の選定等準備が始まり、上社関係は20km隔たる八ケ岳の中腹から、下社関係は八島高原の近くから 約10kの里程を曳き出します。
大きな柱は周囲3m、長さ16m余、重さ12~13トンにも及び、独特の木遣り歌と共に2000~3000人の人々により曳行されるそうです。

御柱祭(おんばしら)は7年目毎、寅と申の年に行われ、次回は来年・・・
正式名称は「式年造営御柱大祭」といい神殿の造り替え、その四隅に建てる、諏訪大社で最大の神事です(諏訪大社・ホームページより)


3年前に訪ねた「出雲大社」にもさざれ石がありましたが、ここにも立派なさざれ石が・・・
♪君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて・・・♪
日本国民のうち、果たしてどれだけの人がこの意味が理解できるでしょうか???


竜の口から出てるのはナント!お湯!
温泉かな?、諏訪温泉は有名で、高速道路のサービスエリアでも入れるようですね

ところで今回訪ねた「下社」の鳥居横には、大きく(秋宮)と書かれていました。
その意味も知らずに、この後は目的地の「別所温泉」に車を走らせましたが・・・

今回色々調べてみると、ナント「諏訪大社・下社」には(秋宮)と(春宮)があるらしい
「春宮」は中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座とか・・・
「諏訪大社」は諏訪湖の南北に二社ずつ、四ケ所に鎮座する変わった形の神社だったのです。

「上社」と「下社」の両方をお参りしたけど、まだまだ半分残っていました。
もう一度是非行かなくてはなりませんね。
来年の「御柱祭」の頃を目標に考えてみようかしら?
それとも上社例大祭の「御頭祭」の4月15日か、下社例大祭の「お船祭」の8月1日・・・
このどちらかにしようかしら?


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遥かなる「トムラウシ」

2009年07月19日 | 山シリーズ

「トムラウシは毅然として、その独自を主張する個性的な山である」
「日本百名山」の筆者・深田久弥は大雪山系のトムラウシ山をこう紹介しています。
そして・・・
「登って行くと、あたり一面、白、赤、黄、紫の高山植物のしとねであった。あちこちに雪の溶けた池があり、その原が果てしなく広がっている。この雄大、この開豁、こんな大らかな風景は内地では求められない」と・・・

そのトムラウシで悲惨な遭難事故が起きました。
大雪山系はアイヌ語で「カムイミンタラ」(神神の遊ぶ場所)と呼ばれていますが、あの日現地は、神ならぬ悪魔のような冷たい風雨が吹き荒れていたようですね。

その寒さはいかばかりかと・・・
札幌での生活経験のある私が思うには、夏でもストーブを焚く日がある北海道、その夏山は、本州の夏山登山とは根本的に異なるという事でしょうか。
亡くなった10人の方々への深いお悔やみを申し上げます。


大雪山と十勝連峰の中間に、どっしりと座す「トムラウシ」は旭岳につぐ北海道第二の高峰(2141m)です。
山名はアイヌ語の「水垢が多い」という意味らしい・・
「大雪の奥座敷」とも呼ばれていて、大雪山系の中でももっともアプローチの長い奥深い名山です。

私が初めて「トムラウシ」という山の名前を知ったのは、今から25年以上も前の事・・・
当時主人の転勤で札幌に住んでいましたが、春夏秋と家族で北海道の大自然と温泉を巡る旅を楽しんでいました(冬はもっぱらスキーでした)

秋の「紅葉ドライブ旅行」で然別湖の奥にある、一軒宿の「菅野温泉」に泊まった時に、カラマツ林の間からトムラウシを仰ぎ見て、宿のご主人にその名を聞いたのが最初です。
そしてその山の雄大な姿を目の当たりにしたのは「大雪山」を縦走したときです。


H5年の丁度今頃、私たち夫婦は札幌に住む伯母のお見舞い方々北海道を訪ねて、そして南暑寒別岳の中腹に広がる「雨竜沼湿原」を歩いてから、旭岳温泉に一泊し、大雪山縦走を試みました。
その時に、旭岳や白雲岳から望んだ「トムラウシ」が忘れられません。

今から16年前の古いアルバムをひも解くと「あこがれのトムラウシにいつか行きたい!H5年7月18日」と記されています。


今回の遭難事故でショックなのは、「ガイドが3人もいるツァー登山なのに何故」というところです。
参加者15人にガイド3人のツァーと言えばとても恵まれているはず、一人15万円以上のお値段だけのことはあるなぁ~と・・・
(もっとも今回は食事の付かない避難小屋泊まりだったので、2名はガイドというよりも食料運びのポーターだったと理解していますが)

私も山を始めた最初の頃にツァーを時々利用しました。
その後、山に慣れてきてからは個人で出かけることが多くなりましたが、去年、仲間の一人が介護関係のケァマネージャーとなり、ほとんど休みが取れなくなりました。
残りの女2人での山行きは不安なので、今年はツァーを利用して「北岳行き」を考えてみようかと電話で話したばかりだったのです。
「ツァーなら何かと心強いものね」と・・・
ですから、今回の遭難事故は他人事とは思えないのです。


私たち夫婦が「旭岳~北鎮岳~黒岳~北海岳~白雲岳」と縦走した時の7月17日はまだこんなに雪がありました。
夏山とはいえ、北海道の山は内地の山とは違います。

この時は、4人の女性グループが怖くて下れずに、私たち夫婦が通るまで人待ちをしていました。
主人を先頭に恐る恐る下ったのを覚えています。


「山小屋の施設が完備されていない」という点も、内地の山との大きな違いです。
「旭岳~黒岳」という大雪山の中のゴールデンルートも、小屋は「黒岳石室」だけ・・・
夏だけ管理人が居て、毛布の貸し出しはしてくれますが食事はなし・・・
食材を自分で担いでいかなくてはなりません。
そして私たちが泊まった日は天候に恵まれましたが、避難小屋はとにかく寒かった
持参した夏物のシラフと貸し毛布で震えて寝ました。
カシミヤの山用のセーターを着て、その上にヤッケを羽織っていますが、それでも寒くてダウンが欲しかったくらいです。

親しくなった4人グループの女性たちは、一旦黒岳のロープウェーで層雲峡に下って温泉に泊まり、翌日再びロープウェーで上がってきて、私たちと同じコースを歩くとか・・・
それが賢明ですね。


北海道の屋根と呼ばれている大雪山
本州の山では見られない原始の姿と雄大さに感動しながら歩きました。

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そして北海道固有の多くの高山植物も出迎えてくれました
この黄色いお花は「チシマキンレイカ」マウスオンでご覧下さい
私の大好きなハクサンコザクラよりもお花の大きな「エゾコザクラ」の群落に感激しました。

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たくさんの「コマクサ」もみられました。
マウスオンでご覧下さい
本州では白馬と八ヶ岳でしか見られない「ウルップソウ」の仲間の「ホソバウルップソウ」も・・・
16年前の紙焼きの色あせた写真ばかりで恐縮です

他にもエゾハクサンイチゲやエゾリュウキンカ、キバナシオガマにキバナシャクナゲと、数え切れない花々に迎えられ、私は歓声を上げながら、神神と一緒に舞うように歩いていたかもしれません


大雪山での2日目の宿泊は「白雲岳避難小屋」
その後建て替えられたかも知れませんが、今でも食事は付かないはず・・・
今回遭難したアミューズトラベルのツァーの方々も、最初はここに泊まったと聞いています。
ここの次は「ヒサゴ沼避難小屋」泊まりだったとか。
トムラウシはここからまだまだ30km近くも南に離れた、遥か彼方の山なのです。


好天に恵まれた山歩きでしたが、寒くて着膨れしている私・・・
これで風雨が強かったらスキーウエアーが丁度いいかも知れません。

ここで靴擦れに悩んでいた主人が
「もう避難小屋泊まりはコリゴリだから、下の高原温泉にいっきに下りて温泉に入りたい!、明日登る予定の小泉岳や緑岳は又の機会に来よう」と言い出しました。
まだお昼だから大丈夫?
「三笠新道を使うとおよそ三時間半で高原温泉です。熊が出ると閉鎖になりますが今はまだ通れます。北大のグループがたった今、そこを下るといって出発しましたよ」と小屋の管理人さんに言われて慌てて我々も小屋を出ました。


写真上の台地が「ヒグマの運動場」と言われている「高根ヶ原」
カウベルだけでは心もとないので、トランジスターラジオを鳴らしながら歩きました。
大自然の真っ只中で、NHK「お昼のノド自慢」が流れていたのが忘れられません。
学生さんたちとの距離はどんどん離されていきましたが、我々もまだ40代の若さがあり、熊は夕方になると活動しだすので、頑張っていっきに雪の中を下りましたよ。

今回亡くなった方々は59歳から69歳のシニアばかりと聞いています。
何だか身につまされますね
トムラウシに登る前に、すでに過酷な二泊の「避難小屋」泊まりと、長距離を歩いての体力消耗
その上の悪天候なら、ヒサゴ沼避難小屋にもう一日滞在するのが懸命だったと思いますが・・・
ツァーだと、最終日のトムラウシ温泉の宿や帰りの飛行機も決まっていて、それができなかった事が悲劇の始まりのような気がします。


雪の急斜面を必死で下ると「空沼」が見えてきました。
ここで足を滑らすと沼にそのままドボ~ン!です。

この先は高原の沼めぐりをしながら我々は無事に「高原温泉」に下り、その日はユックリと温泉に浸かって畳の上のフカフカお布団で眠る事ができました。
個人で行ったのでいかようにも計画の変更は出来ましたが、ツァーとなるとそこが難しいのでしょうか?
今回の遭難は、ガイドの判断ミスとマスコミでは流れていますが・・・

私が初めての北アルプスのツァー登山をした時に、二泊目の常念小屋で台風の直撃を受けました。
その時は流石にガイドさんも一日停滞の決断をしましたよ。
そして次の燕岳まで行ける人と、日程に余裕が無くて常念から下る人の二班に分かれました。
幸い常念小屋は無線の電話が使えて(食事はモチロン、生ビールもあり)、我々三人は仕事の段取りと帰路のバスの手配も出来、翌日の台風一過の晴天の中、槍・穂高を眺めながらの空中漫歩が楽しめました。

それにしても今回は想像もできないようなお天気の変化があったのでしょうが・・・
近年「トムラウシ山」には東大雪側に短縮コースが整備されて、ほとんどの登山客やツァー登山はそちらの日帰りコースを行きます。
往復9時間以上かかるらしいのですが、私ももう5歳若かったら行ってたかもしれません。

山の醍醐味は断然「旭岳」から行く方が大きいのですが、これを踏破するのはよほどの健脚者でないと無理
アミューズトラベルは利用した事はありませんが、このコースを実施していた事自体が驚きでしたね。

16年前の私の「大雪山縦走」の古い写真の数々を並べて、その時の思い出と、今回のトムラウシ山遭難事故の私の思いを絡めて、長い文章になりましたが、お付き合いくださいました方々には御礼申し上げます。


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真夏の到来!

2009年07月16日 | 日常の日記

思いがけず14日に「関東甲信地方」の梅雨明け宣言が出されて、暑い暑い三日間が続きました
突然「真夏!」がやって来た感じです。

我家の夏の花、「ムクゲ」も咲き出しました。

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6月から咲き出していたお隣の「ノウセンカズラ」も、夏空に映えてピッタリです。
マウスオンでご覧下さい
このオレンジ色は太陽の光にいっそう輝やいて、見ているだけで元気が出てくる色ですね


植えた覚えが無いのに、庭のあちこちに咲きだしているオレンジ色の花・・・
キツネノカミソリに似ていますが、咲き方がちょっと違うような?
横浜のおーちゃんに教えていただき「ヒメヒオウギスイセン」と分りました。

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夏色のお花の奥にひっそりと咲く小さな白いお花・・・
なんと「万両」の葉っぱの下に見え隠れしています。しげしげと眺めたのは初めてですね。
それでは「千両」は? もう実が出来ていました。マウスオンでご覧下さい

バラやアジサイを始め、白いカラーやクチナシのお花が終り、玄関横の水盤の中で咲いている「スイレン」もそろそろ終りです。


デッキでコーヒーを飲みながら、スイレンを眺め、メダカの姿を追い、水音を聞いていると暑さも忘れ心が癒されます。
ふと今年の2月に行った「バリ島」を思い出しました。


ホテルのエクステリアに広がる池には「スイレン」が咲き誇っていました。
門からフロントに通じる石廊を吹き抜ける風が心地よかった・・・


この時の旅行で買った「ジャワサラサ」のテーブルクロスをかけました。
暑い夏にはピッタリの涼しげな色・・・
藍染のノレンもレースのものに替えました。
酷暑の夏を乗り切るには、クーラーだけでは味気ない・・・
視覚的にも涼しさの感じられるものが周りにあると、少しは暑さもしのげるような気がしますね。


ジャワ更紗が大好きで、ジャワ島の「ボロブドゥール・仏教遺跡」を見たあとに訪ねた工房で、たくさん買いました。
テーブルクロス以外にも、バンダナ3枚にハンカチ5枚・・・
中でもお気に入りのこの2枚は大事にとってあります。

ジャワ島の薄暗い工房内で高級更紗は手描きです
たくさんの型押しもあり昔ながらの方法で染色されます



こちらはTシャツと更紗の巻きスカート・・・
型押しでプリントされたリーズナブルな品物なので、この夏には普段着として楽しみましょう。


バリ島で買ったバッグと帽子もしまい込んだ棚から取り出しました。
チョット待てよ・・・
これらを身に付けて歩いたら、私、やっぱりインドネシアの女性に間違えられそうですわ


夏の太陽には「向日葵」がピッタリですが、我家近くの公園の向日葵はまだまだ蕾み・・・
チョット早い梅雨明けに、バンザイをしているようでした。


マリーゴールドにニチニチソウ、ブルーサルビアなどなどが咲き乱れ、花壇はもう夏色で溢れています。

「楽しい夏休みの計画」を・・・
と思いながらも今年はちょっと忙しくなりそうです。

我家から歩いて10分のところに建築中の、息子が新しく買った家がもうすぐ出来上がります。
お盆休みには引越しの予定とか・・・
毎週家を見にやって来て、みんなで楽しみにしているのですが、なんだかとても忙しくなりそうな予感がします。

先日、上の孫のハー君が玩具の刀を口にくわえて転び、救急車騒ぎになったとか・・・
幸い、大事には至りませんでしたが、とても心配しました。
これが私が預かっているときに起きたらと、考えただけでもゾ~
夫婦2人で気ままに暮らしてきましたが、これからはそうも行かなくなりそうで・・・
孫達が近くにやってくるのはとても嬉しいけど、反面恐ろしいような、そんな気持ちになっている私です


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映画「劔岳・点の記」を観て・・・

2009年07月12日 | 映画、観劇

「甘利山&千頭星山」登山の前日に、ご近所仲間と三人で映画を観に行きました。
「劔岳・点の記」と「愛を読むひと」の二本でしたが、今回は「劔岳」のお話です。

あらすじ
明治40年、地図の測量手として、実績を上げていた柴崎芳太郎は、突然、陸軍参謀本部から呼び出される。「日本地図最後の空白地点、劔岳の頂点を目指せ」―当時、ほとんどの山は陸地測量部によって初登頂されてきたが、未だに登頂されていないのは劔岳だけだった。柴崎らは山の案内人、宇治長次郎や助手の生田信らと頂への登り口を探す。その頃、創立間もない日本山岳会の小島鳥水も剱岳の登頂を計画していた。

原作は「孤高の人」や「強力伝」、「八甲田山死の彷徨」などで御馴染みの新田次郎による同名小説で、劔・立山連峰の山中27ヶ所に三角点を設置した実在の人物、柴崎芳太郎の仕事への熱意、生き様を描いた作品です。

映画化の監督・脚本は、「八甲田山」など数多くの作品でカメラマンを務めてきた木村大作氏・・・
50年の映画人生で初めての監督作品だそうです。
リアリズムにこだわり、いっさいのCGは使わず、およそ100年前に柴崎たち測量隊がたどった劔岳への険しいルートを、ほぼ順を追いながら行なわれたという現地撮影。その時間は延べ200日を越えたそうです。


久しぶりに観た日本映画でした。
少々脚本が消化不良気味かな?屋内の描写が弱いかな?
そんな思いも、岩の殿堂「劔岳」の圧倒的な迫力ある姿に吹き飛びます。
熊・猿・雷鳥など、たくさんの動物達も登場し、自然の驚異とそしてその神秘的なまでの美しさに感動させられます。

一列になって歩く人々が山の自然の中に溶け込んで、人間も自然の一部なんだと感じるような描写の連続で・・・
さすがカメラマン出身の監督さんのカメラワークは冴えています

物語は断崖絶壁の続く「劔岳」の頂上に向かって、ろくな装備もない時代、道なき道をたどりながら、山岳会よりも早く頂上にたどり付き「三角点・設置」をするようにとの軍の命令の元、難儀を重ねる柴崎と長次郎の人間模様が描かれています。

沈着冷静な柴崎を演じた浅野忠信さんも良かったけど、断然光っていたのが劔岳測量登山の案内人・宇治長次郎役の香川照之さん。上手いですね~、役者です

上映中、隣の席に座った友人のNさんが「こんな怖い山にわざわざ登るなんて、私には考えられない」と話しかけてきました。
確かに、山を知らない人には理解できないかも知れません。
柴崎のように仕事ならイザ知らず、遊びで山に行くなんて
晴れの日ばかりではありません。
強風や大雨に見舞われ、滑落や雪崩などの命の危険とも常に隣り合わせ・・・

でもね、あの雄大な風景の中に身を置いたときの、心昂ぶる清冽なる気持ちを一度味わってしまうと、どんなに苦しくても叉行きたくなるのが「山」なんですね。
そして圧倒的なまでに大きな自然の中で、自分の小ささを痛感し、クヨクヨ悩んだりする事が無意味に思えてきます。
つまり「無の境地」になれるということでしょうか・・・

ですから日本では昔から「山岳信仰」が栄えたのでしょう。
この映画も、最後は思わぬ展開となりますが、山の世界では有名なお話です。


こちらは北アルプスに通いだしてすぐに登った「唐松岳」頂上から眺めた「劔岳」です。
この時は「五竜岳」まで縦走しましたが、午後はずっとガスの中でした。

同じ職場の仲間たちと月に一回は山に行き、夏のアルプスと秋の紅葉登山が一大イベントでした。
40代前半のこの頃は、技術さえ身に付けたら登れない山はないと思っていました。
「いつかは必ず行こうね、劔岳へ」、そんな会話をしたのを覚えています。


同じく後立山連峰の「蓮華岳~針の木岳~赤沢岳~爺岳」と縦走した時の「鳴沢岳頂上」から見た劔岳です。
黒部湖を挟んで正面に見えました。
測量隊山案内人の長次郎さんの名前の付いた頭や谷もあるはずです。

断崖と絶壁が続く中での最後の難関、有名な鎖場「カニの立てばい」「横ばい」は頂上直下のどの辺でしょうか?
最初の一歩さえ足が置ければ大丈夫!と聞いていますが・・・


このコースを歩いた数年後に「白馬から雪倉~朝日」と縦走して、後立山連峰がほとんど繫がりました。
色々な角度から「劔岳」を見ましたが、ここからの姿が一番豪快に見えますね。
そして白馬から望む「劔岳」は優美でした。

この頃は、三人揃って「白馬山荘」で買った山のお花がプリントされたTシャツを着て・・・
すれ違う登山者を振り返えらせる若さも体力もありましたね。
モチロン劔岳もトーゼン登れるものと信じておりました。
山を一番楽しんでいた頃の私たちです



こちらは立山の「奥大日岳」付近から見た「劔岳」です。
三人とも同じ職場を退職した後は、それぞれ違う道に進み、年老いた親のことや孫の誕生などでも忙しくなり、中々スケジュールが合わなくなりました。
50代後半に行った立山「大日三山登山」以後、三人一緒のアルプスは遠のいています

この前年に行った「雪倉~朝日」の縦走でヘロヘロと成り、体力の限界を感じて自信をなくし、「もう劔は無理ね」と口に出ました
「劔岳」は私たちが一番最初に諦めた山なのです。


つぎはぎだらけの古い紙焼きの連続写真で恐縮ですが、一番左が劔岳、そして真ん中が「別山」、右端が「雄山・大汝・富士ノ折立」です
今年はせめて、立山の雄山から歩いて「劔岳」が目の前に迫る「別山」まで行ってみようかしらと思う今日この頃なんですよ。

7月13日追記
もう1本の映画「愛を読むひと」は、世界中が涙した小説『朗読者』を映画化したものです。
今年のアカデミー賞で、主人公ハンナ役のケイト・ウィンスレットは主演女優賞を獲得しました。
哀しい女の生き様を、見事にそして淡々と演じていましたね。
彼女の秘密は、命をかけるほどに守らなくてはならなかったのか?
余韻の残る上質な作品でした。
詳しい内容や感想などはブログ仲間のmarriさんが6月26日の記事で語っていますので、ご興味のある方はご覧下さい。

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「八ヶ岳山麓のリゾート地」で思ったこと・・・

2009年07月08日 | 旅日記

山梨県北杜市の八ヶ岳山麓にあるリゾート地から仰いだ南アルプスの風景です。
右側が圧倒的な存在感を示すピラミダルな姿の「甲斐駒ケ岳」(2967m)

左側の尖った頭だけ覗かせているのが、富士山に次いで二番目に高い「北岳」(3193m)
「日本百名山」の著者・深田久弥さんはこの北岳を”いつも前山のうしろに、つつましく、しかし凛とした気概を持って立っている奥ゆかしい山である”と記しています。
丁度6月下旬のこの頃は、氷河時代の生き残りの花と言われる「キタダケソウ」が咲いている頃でしょう・・・

主人は若い頃に登っているそうですが、私と山仲間はこの「花の名山・北岳」にはトコトン見放されて、三度計画して三回とも流れました。
二度目などは、あと10分で家を出て「北岳」に向かうという朝、山仲間から「母親が倒れたので急遽九州に帰る」との連絡を受け頓挫しました。
残りの女二人で登るには「北岳~間ノ岳~農鳥岳」の白峰三山は厳しすぎて、尾瀬の「至仏山」に変更しました。

三度目は一昨年の夏、主人と行った北アルプスの「燕岳~常念岳」縦走の10日後が、山仲間三人で行く「北岳」登山でしたが、台風襲来で諦めたのはまだ記憶に新しいところです。


この「北岳」の左側手前に連なっているのが、薬師・観音・地蔵の三山からなる「鳳凰山」です。
地蔵岳の頂上にそびえる尖った「オベリスク」が有名ですね。
今回、私たちが登った「甘利山&千頭星山」は鳳凰山の東側、この画像では左に見えているはずですが・・・

この「鳳凰三山」はかれこれ15年位前に、主人と大雪山を縦走してきた2週間後に登りました。
南アルプスでしか見られない可愛い「タカネビランジ」のお花に出会えて大感激
アノ頃は「登れない山はない」と思っていましたが・・・
今では「登れる山はないかしら?」と探している自分に唖然とさせられますね


反対側に目をやれば、八ヶ岳の山々が頂上だけ顔を見せていました。
ここは「編笠山」の山麓に広がるリゾート地なので、八ヶ岳は近すぎて逆によく見えない感じです

今年の8月には、我が家近くに建築中の家に、息子一家が引っ越してきます。
更に忙しくなるのは必至で・・・
時間的にも体力的にも、南北のアルプス登山が無理なら、せめて八ヶ岳登山でも計画したいと思いますが、鋭い岩峰が連なる南八ヶ岳も厳しいものがあり、せめて北八ヶ岳くらいなら歩けるでしょうか・・・?

「来年行こう」なんてもう言えない・・・
歳をとると言うことは、一つ一つを諦めていくことなんですね。淋しい事です


急遽決めた「甘利山&千頭星山」登山のドライブ旅行
山登りの後は、山あいの鄙びた温泉宿泊まりがピッタリなのですが、予約が簡単な会員制ホテルの利用となりました。
今回は甘利山近くの「八ヶ岳高原ロッジ」を選んでやってきましたが・・・


入り口には大掛かりな噴水がしつらえてあり、広い敷地内のメイン通りには洋風の庭園が次々と現れ、バラが咲き、水が流れ・・・
この仰々しい設備はなぁ~~に
主人の説明ではこれが「イタリアンガーデン」なのだそうです。

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マウスオンで、ヤナギランンのアップもご覧下さい


花々を鑑賞しながら歩いて行くと、ここがフロント&インフォメーション&レストラン&露天風呂付き温泉大浴場&お土産センターなどが揃った中心施設でした。


まずはユックリと温泉に入り汗を流しました。
それから「鳳凰三山」が望めるレストランでお食事です。
焼肉コースと、和食コースが選べますが、我々は当然「和食」をいただきました


前菜と食前酒の「梅酒」がまず出てきます
この日は朝からオニギリとパンしか食べていませんでしたので、お腹もペコペコでした。
登山で体力も使い、流石に優雅というよりもガツガツ食べたい所ですが、そこはグッと自重して、お行儀良くいただきました。

ジュンサイ入り冷汁お刺身
揚げ物甲州牛のシャブシャブ

イワナと湯葉と野菜の煮物デザートは桃のシャーベット

これらに、グリンピースご飯と香の物、味噌汁が付いたコースで、それなりにお腹は満たされました。
日本料理ってまさに一つの芸術作品ですね

オーストラリアを旅したときに出てきた、ドカンとボリュームのあるグリル料理を思い出し「オージーから見れば、すべてが少量で絶対に足りないわね」と話していたら・・・

レストランの隣の部屋でお食事中の、15名くらいの中国の団体様一行の添乗員さんがやって来て、支配人さんと話している声が聞こえてきました。
「グリンピースご飯」をお替り自由にして欲しいとのご希望で
「それは人数分しかないので、お粥ならご用意できます」と支配人さんは返事していました。

残すほど大量に盛ったお皿をテーブルに並べる「中国料理」の国からやってきたお客様にとっては、少々物足りない感じがするかもしれませんが・・・
これも文化の違いの一つなんでしょうね。

中国の方たちは「ディズニーランド」で遊んで、御殿場の「アウトレット」でお買い物、そして富士五湖を廻ってから日本料理を食べる宿に泊まるという旅のようでした。
この日は富士山が見えていて良かったですね


山歩きを楽しみ、温泉に入って日本料理に舌鼓をうち、ビールも美味しくて良い気持ちになりました。
昼間見ると「んん?」と思う「イタリアンガーデン」も、ライトアップに照らされると「ステキ!」と感じてしまいますね。
一瞬、外国のリゾート地に居るような錯覚を覚えました
心身ともに大満足して、歩いて4~5分の所にあるロッジに戻りました。


こちらが私たちが泊まった「ロッジ」です
オーナーがいて、使わない時は貸し出す「コンドミニアム」システムなのでしょう。
私たちも一日だけ「別荘」気分を味わいました。

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翌日は、高原の澄んだ空気を吸いながら早朝の散歩を楽しみました。
「ルピナス」がたくさん咲いている一角が・・・
マウスオンでご覧下さい

広い敷地内に、何百棟もの「別荘」が緑の中に点在しています。
梅雨時の平日は人の姿もほとんど見えません。
中国の旅行者の方々が早朝からお食事処に向かっていました。

「ガーデンの管理だけでも、多額のお金がかかるだろうし・・・、別荘の持ち主の管理費も結構高いに違いない」
「だから我々のような会員だけでなく、中国人の旅行ツァーも受け入れているのね」


「別荘とオメカケさんは、持つとそれなりに大変」と聞きますが・・・
それでも煩雑な日常から逃れて、こんな所でノンビリと一週間も滞在できたらと、憧れます。
そんな私も、今迷っている問題が

父から引き継いだ「会員制ホテル」も、月々の管理費は5000円近くかかります。
その上固定資産税も払わなければならない金食い虫
我々のようにウィークデーに旅ができる身にとっては、もっと安くて良い宿はいくらでも見つかりそう・・・

買い手が居なくて仕方なく持っていましたが、希望者が現れました。
売ろうかどうしようかと迷いに迷っている私です。


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「甘利山&千頭星山」登山・その2

2009年07月05日 | 山シリーズ

喘ぎながら登って行くと視界が開け、笹が茂る稜線に出ました。
レンゲツツジを弱らせる厄介な笹も、ここではツガやカラマツの緑とコラボしてアルペン的なムードを醸し出しています。
やがて正面にこんもりと茂った「千頭星山」(せんとうぼしやま)の頂上が見えてきました。

千頭(せんず)とは獣が多い狩猟地を表す言葉で、星(ぼし)は境界線を表す言葉だそうです。
狩猟の盛んな山だったのでしょう、「熊」が多いのも頷けますね。


気持ちが良さそうな笹の原でお食事中のご夫妻に「こんにちわ~」と挨拶したら、「ねぇ~キューリを食べていかない?」と呼び止められました。
埼玉からやって来たという同年代のご夫婦です。
「我が家の畑のキューリよ。この味噌も私の特製なのよ」と奥様。
山で食べるキューリはとても美味しい、でも重いのが難点です。ありがたくいただきました。


最後の急登を15分頑張ると、二等三角点のある頂上でした。標高は2139m・・・
思った以上に高い山でしたが、周囲に木が茂っていて見晴らしは利きません。

単なる通過点にしか見えない頂上ですが、ここから2~3分下ったところが開けていて、皆そこで休憩をしていました。
時計の針は11時を廻っていて、予定どうり2時間で登ってきたことになります。
私たちも腰を下ろして、オニギリを食べました。

この登山道をそのまま進むと、4時間弱で日本百名山「南アルプス・鳳凰三山」の南御室小屋に出るようです。
そう・・・
「千頭星山」は「鳳凰山」の東側にコブのようにくっついた南アルプス前衛の山で、お天気が良ければドカン!と目の前に鳳凰三山「地蔵岳」のオベリスクが見えるはずなのです。

この日は残念ながら「鳳凰三山」は見えません。
頂上で30分休憩してから来た道を戻りました。


行きには見えなかった富士山が、帰路には頭だけ姿を現していて、私たちはそれだけで大満足でした。


青空が広がり陽も照りだして、マタタビの白い葉の色が眩しく輝いて見えました。
下り道は苦しさはありませんが、膝に負担がかかり中高年は登りよりも要注意なのです。
転倒事故は下りの方が断然多いと聞きますね。


分岐から2~3分で行ける「奥甘利山」は木々が茂った丘の様なところでしたが、「櫛形山」が良く見えていました。

田中澄江さんの「花の百名山」ではアヤメの大群落が素晴らしいと紹介されていて、14~15年前に主人と登った「櫛形山」です。
霧の中に広がる、白樺とアヤメの幻想的な風景が忘れられませんが、今では鹿にやられてアヤメは一本も咲いていないと聞きました
恐るべし!鹿軍団!


1時近くに「甘利山」に戻ってきましたが・・・
朝の静けさとはうって変わって、そこは同じワッペンを付けた大勢の団体様たちで溢れる世界でした。


甲府盆地の向こうにそびえる「富士山」は姿を見せたり隠れたり・・・
レンゲツツジ越しに「富士山」を写したかったのですが、これが精一杯でした

<>

木道を歩きながら振り返ると、登ってきた「千頭星山」がはっきりと見えていました。
マウスオンでご覧下さい


こちらは木道に羽を休めている「孔雀蝶」でしょうか・・・

駐車場までの道の両側には、たくさんの花々と木が目を楽しませてくれました。
名前の書かれた表示板もありとても分り易かったです。

丁度見頃の黄色いキンポウゲは別名の「ウマノアシガタ」と紹介されていました。
non_nonさんのソースをお借りして纏めましたので、マウスオンでご覧下さい
<
ウマノアシガタ
< < < < <

レンゲツツジが終り、アヤメが咲きだし、そしてたくさんのヤナギランの蕾が見られました。
高山植物の写真を撮るだけなら「甘利山」だけでも充分楽しめるようです。


この山にも鹿が増えていると聞きました。この花園もいつまで守られるでしょうか?
ボランティアさんたちの苦労はまだまだ続きそうです。
自然と動物と人間との共存を考えさせられた今回の「甘利山&千頭星山」登山でした。

それでもつつがなく往復4時間の山登りを終えて、少し自信が湧いてきました。
今年の夏山は、アルプスの山々に登れるかしら?



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「甘利山&千頭星山」登山・その1

2009年07月02日 | 山シリーズ
6月25日(木曜日)
早朝5時半に横浜の我が家を車で出発し、八王子から中央高速道路に入ります。
お天気は「曇り」、梅雨の真っ只中の山登りです。予報にマークが無いだけでもヨシとしましょう。
「韮崎IC」で降りて一般道を走ると「甘利山登山口」と書かれた標識が出てきました。
「甘利山」は頂上直下に駐車場があり、車で入れます。
頂上に向かうこの林道でナント「熊」が飛び出してきたのです
「熊」も私たちの車にビックリして落石よけの金網に激突、再び車の前を横切って森の中に戻っていきました。


8時過ぎに駐車場に着きました。
レンゲツツジの盛りの頃の土日は、横浜を朝の4時に出ても駐車場に入れなかったと聞きましたが、この日はスンナリと駐車することができました。
駐車場の周りに咲いているレンゲツツジも終りに近く、代わりにアヤメがたくさん咲き出していました。

歩く前から熊を見てしまった私たち・・・
車から降りて山仕度を整えましたが、主人のザックに昔「大雪山縦走」をした時に買った大きな「カウベル」をぶら下げました。


頂上に向かう途中にレンゲツツジの群落が見られます。
一時は笹や霜の被害で激減した「甘利山のレンゲツツジ」
ボランティアさんたちのたゆまぬ努力の結果、少しずつ回復しているようです。

もっともこの日はもう終りに近くて、この中でのアップに耐えるレンゲツツジは見つかりません
そして、これから目ざす「千頭星山」は左手雲の中でした。


駐車場から軽い登りで30分歩くと「甘利山頂上」に到着します。
「山梨百名山」も、ようやく三分の一くらいは踏破したでしょうか・・・?


木々の間から「八ヶ岳連峰」が見えていました。
左手のなだらかな山が「編笠山」、真ん中のゴツゴツした山が「権現岳」、そして右側の尖がった山が主峰「赤岳」です。

5年位前の秋に「天狗岳」から縦走して「赤岳」の頂上小屋に泊まったことがあります。
富士山や北アルプスまでが見える大展望を満喫しました。

編笠山から権現岳には7~8年前の秋に登りましたが、最後はヘロヘロになった想い出があります。


「甘利山」頂上から眺めた、歩いてきた木道・・・
レンゲツツジは回復しつつありますが、翌々日に見た「五味池破風高原」のレンゲツツジから見るとまだまだ小さいですね。
進入してくる笹との戦いと聞きました。

9時5分、登り2時間の予定でいよいよ「千頭星山」に向かいます。


少し下って、まずは「奥甘利山」への登りが始まります。
木々の間から「千頭星山」が見えてきました。お天気は回復に向かっているようです

レンゲツツジと同じようなオレンジ色のツツジは「山ツツジ」ですね。


ヤマツツジを近くで見るとお花の形が違います。花も葉っぱもレンゲツツジより丸い感じがしますね


こちらはレンゲツツジです
山ツツジと並んで咲いているところがありました。
レンゲツツジのお花は花びらが少し尖っていてフリルがよっています。
葉っぱも山ツツジより尖って細い感じがしました。


足元には小さな高山植物がたくさん咲いていました
こちらは「サワオトギリ」でしょうか?


そしてこちらは「グンナイフウロ」
他にもマイズルソウやキンポウゲ、オオヤマフスマ、シロバナヘビイチゴなどが咲き乱れていました。

本格的な山は自信が無いけど「甘利山」だけでは物足りないと思う方は、少々の急登はありますが、更に30分歩いて「奥甘利山」まで行かれる事をお勧めします。
途中の山道で高山植物が楽しめますし、お天気のいい日はレンゲツツジや山ツツジ越しに富士山も堪能できますよ


奥甘利山から少し下って叉登り返し、御在所山経由で鳳凰三山・地蔵岳の麓の青木鉱泉に行く道を右に分ける頃から登りはどんどんきつくなっていきます
森林も深くなって、もう「レンゲツツジ」の姿は見えません。
日影に強い「サラサドウダン」が見頃でした。


そして木々の間には「ヤマツツジ」の明るいオレンジ色が彩りを添えています。
明るい草原に咲く「レンゲツツジ」と違って、このヤマツツジは日影に強いようですね。

一面に咲く「ヤマツツジ」を見たのは奥多摩の「鷹ノ巣山」から「七ツ石山」に向かう途中の「千本ツツジ」でした
それはそれは素晴らしいヤマツツジの大群落でしたが、あそこの下りで私は膝を痛めてしまって
苦い想い出のヤマツツジとなりました


急登にあえぎながらも、ダケカンバやカラマツの美しい緑が心を癒してくれました。


なだらかな道になるとカメラを向けましたが・・・
必死に歩いている時はそんな余裕もありません

そしてやっぱりありました「熊の爪あと」があちこちに


ガランガランとうるさいカウベルの音ですが、この時は音が更に強く出るようにと位置を移動させました。
他にも鹿が食べた後なのか?幹がはがれている木がたくさん見られました。


そしてこちらのトロロコンブのようなものは、カラマツに絡みついた「サルオガセ」という寄生植物です。
北海道では「霧藻」と呼ばれていました。

このサルオガセが木を枯らすのではなく、枯れて湿り気を帯びた枝に絡みつくようです。
このコースにはたくさんの「サルオガセ」が見られました。

汗をかきかき上を見たり足元を見たり・・・
キョロキョロしながら登って行くと、やがて稜線に出て視界が開けてきました。
「千頭星山」の頂上ももうすぐです。
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