9月最後の週の前半(特に25日の朝)は半袖では寒くて、ラジオ体操時も「寒いね~」の
挨拶が飛び交ったのに、週の後半は又真夏日が続きました




(9月18日・ラジオ体操参加の公園で撮影)
彼岸の入り2日前の「敬老の日」に公園で見つけた彼岸花



日の出の時間も遅くなり、自然界は季節の変わり目が感じられるようになりましたが・・・
気温の高低差に私は体が着いて行かずにクラクラ状態です



「敬老の日」の朝(9月18日)
腸炎に罹ってダウンしても、絶食や重湯の日以外は朝のラジオ体操に参加していました。
散歩時間は半分の20~30分程度で、庭や畑仕事は殆どできませんでしたが・・・
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母子で参加のひ孫のような小学生が、お祝いを用意して | 「敬老の日」に98歳の誕生日を迎えたご近所の方を祝福です |
ラジオ体操に参加する足腰丈夫な98歳


グリーンデーではないのに、その後は各自ボランティアで「草取り」作業、、、
この週は雨も降ったので、土が柔らかで絶好の草取り日和、殿方たちも頑張っています。
元気の秘訣はこうした社会参加なのかもしれませんね。
お彼岸のお墓参り(9月24日)
私の体調も「腸」は良くなっても「胃」が小さくなり、以前のようには食べられない

夏太りが解消されたのは嬉しいが、お腹に力が入らず中々元気が出ないです


腸炎を発症して3週間のお彼岸の中日には普通の生活に戻っていたのでお墓参りに出かけました。
鎌倉市大船町にある「多門院」まで、車なら20分足らずで行けますが
自転車とバスを乗り継いていくと40分かかります。

真言宗大谷派の寺院で、ご本尊は「毘沙門天」。山号は「天衛山」創建は天正7年(1579年)です。
ただ我が家は無宗教で檀家ではありません。
それでも私は来た時は必ず仏殿に寄り、お賽銭をあげて拝んでいます。

添えるお花は大船駅前の「グランドシップ」内の「ライフ」で冷えたビールと一緒に買って行きます。
今回は秋らしい菊とリンドウを選びました。この店のお花が一番新鮮で気に入っていますね。

無宗教とはいえ、夫の知り合いもお参りに来てくれる事を考えると、お彼岸やお盆など年に5~6回は訪ねて
今回は8月の旧盆に息子一家と来た祥月命日から一カ月ぶりでした。
この日は朝から富士山が見えて、わりと爽やかな日和でした。
私は墓石を磨きお線香をあげてから、古いお墓が並ぶ上の方まで歩いて行き富士山を撮影


お隣に「熊野神社」があるこのお寺の入り口近くに庚申塚の石塔が並んでいます。
ガイドさんのような方から「この真ん中の4本の手のあるのが珍しい」との説明を受けました。
フムフム・・・
「我が家近くにもこうした庚申塚はありますが」と答えると、昔は町や村の境目にあったそうな
今では道路開発などでこうしてお寺や神社が引き取っているそうです。
名刹「常楽寺」で大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の悲劇を思う
多門院には終わりに近い「白い彼岸花」のみで、赤が無かったので近くの「常楽寺」に向かいました。

茅葺屋根の山門が趣ありますね。

臨済宗「建長寺派」の寺院で山号は「粟船山」、ご本尊は阿弥陀三尊。
1237年創建で開祖は鎌倉幕府3代目執権の北条泰時、、、
仏殿の天井には狩野雪信が描いた龍の図が描かれています。

そして仏殿の裏には北条泰時のお墓があります(一番手前)

昨年の大河ドラマで、主人公北条義時の嫡男泰時を演じた「坂口健太郎君」の顔が浮かびました。
母親は新垣結衣さん演じた八重姫?、あれはフィクションだと思いますが・・・
泰時のお墓の前で、多門院で会ったガイドさんと再び会いました。
「この裏の山を登ると木曽義仲の息子義高のお墓がありますよ」と教えてくれました。

春夏秋冬何度も来ていて、ワンゲルの「鎌倉88か所お寺巡り」でも訪ねている「常楽寺」
でも「木曽義高の首塚」は知らなかった

教えられた通り、境内の向かって左側の柵の外の道を進むと階段がありました。
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階段脇に待望の赤い彼岸花に出会えました | 我が家近辺では終わりに近い白い彼岸花も見られました |
階段を5~6分登っていくとお稲荷さんと泰時の姫宮のお墓があり
(大姫の墓という説もあり)と書かれた表記を見ながら更に進むと・・・
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3~4分で木曽義高のお墓が現れました | その背後には何枚もの塔婆の建った首塚・・・・ |
木曽義仲の嫡男義高は頼朝の姫君(大姫)の許嫁という名目で差し出された人質でした。
木曽義仲は平家を西国に追い出し入京したが、後白河法王の要請で頼朝が義仲追討の兵を派遣
1184年正月に討ち取られました。
そして4月、頼朝は義高を誅殺するよう命を下す。
これを知った大姫は義高を逃すのだが・・・
ドラマでは初々しい染五郎さんが義高を演じましたね。

大姫の願いは叶わず、義高は武蔵野国の入間川で討ち取られました(享年12歳)
悲しい物語でしたね。
嘆き悲しむ大姫の母政子は義高の終焉の地に供養の神社を建て手厚く保護したとか
私もいつか狭山市にあるその地を訪ねてみたいと思いました。
そんな思いにかられて常楽寺を後にし、バス停5か所分の大船まで歩いて行きました。
この日の歩きは久しぶりに1万歩超えの13300歩

爽やかなお天気にも恵まれ、満足した一日でした。