東京地方は昨夜でついに48日の熱帯という新記録となったようですね。
昨夜は蒸し暑くて風もなく、私の部屋のクーラーは壊れたままなのでほとんどリビングで寝ました
ふぅぅ~
清里「清泉寮」
さて、私たちの行き当たりバッタリのドライブ旅行の続きです。
清里の「道の駅」で昼食を終えた時、主人が「温泉に入りたい」と言い出しました。
「この暑いのに」とも思いましたが、
彼はずっと仕事がたて込んでいて、筋肉がパンパンに張っていたようです。
「清里と言えば清泉寮のソフトクリームが懐かしいわ。温泉に入ってから食べに行こう」
八ヶ岳の麓にはアチコチに豊富な温泉が湧き出しています
私たちはアクアリゾート清里「天女の湯」で汗を流してから
赤い屋根の「清泉寮」に向いました。
高原のリゾート地としてお馴染みの「清里」ですが、
軽井沢のように最初からリゾート地として開発された所ではありません。
昭和初期、小河内ダムの建設により半ば強制的に移住させられた丹波山、小菅村の人々が
大変な苦労の末開拓した場所なのです。
そしてもう一人「清里開拓の父」と呼ばれたポール・ラッシュ博士の存在があります。
博士は、当時教鞭をとっていた立教大学を中心とした若い学生たちと道なき道を切り開き、
材木を運び、昭和13年に念願の「清泉寮」を創設しました。
そして戦後の厳しい中で「モデル農村」を築き上げたのです。
その初代清泉寮は昭和30年に焼失してしまいましたが、
大勢の支援者の善意により、2年後の昭和32年に再建されました。
清泉寮の前に立つポール・ラッシュ博士の銅像は、大好きだった富士山の方向を向いているそうです。
私が山梨出身の友人に連れられて初めて「清里」を訪ねたのは、22歳の時でした。
その後、バブル期になって清里の駅前はメリーゴーランドのようなケバケバしい町になり
すっかり変って失望し、足が遠のきましたが
こうして昔からある「清泉寮」を前にすると懐かしさでいっぱいになりますね。
温泉に入った後に食べた「ソフトクリーム」も、昔ながらのコクのある味で満足でした。
私にとっての「清里」は、牧場、清泉寮、美しの森、八ヶ岳の登山口・・・
駅前の変貌は見たくありませんでしたね。
「軽井沢」
今回の旅の宿は、いつもの軽井沢にある会員制ホテル「オーナーズ・ビラ」
前日に申し込みました。
清里から佐久経由で、3時半にはホテルに到着しました。
部屋でビールを飲んで一休み・・・
そして上げ膳据え膳のお食事です
主婦にはこれが一番嬉しいですね。
飲み物は地元長野県産のワイン | 「先付」はトウモロコシのすり流し |
「前菜」は鯖寿司などバラエティー豊か | 上品な「お造り」です |
「焼物」は黒毛和牛ロースと海の幸 | 「冷し鉢」はトロロの信州そば |
フカひれ姿煮の「焚合せ」 | 「デザート」はクリーム&フルーツアンミツです |
これだけ食べればお腹がいっぱいで、とてもご飯は入りません
食後はバタンキュー8時過ぎには眠りにつきました。
時々目覚めては枕元に置いた携帯電話をチェック
前回の箱根のように、母の急変を知らせる弟からの緊急連絡がないことを確認しました。
翌朝は旧軽沢の別荘地の中を、鳥のさえずりを聞きながら散歩しました。
今年の軽井沢は、連日30度を越す真夏日が続いているそうですが、
さすがに朝の唐松林は爽やかな風が吹き渡り、コンクリートの中の都会とは違う
気持ちの良い散歩が楽しめました
「憧れの軽井沢の別荘」はとても庶民の我家には手が届きません。
夢の叉夢です・・・
江戸時代は中山道・浅間の主要な宿場町のひとつとして栄えた軽井沢ですが
雑穀しか育たない痩せた土地であったため、明治時代に入り、宿場町としての機能が消失したとたん
寂れてしまいました。
そんな軽井沢を復興させたのは英国聖公会司祭アレキサンダー・C・ショーでした。
彼は明治19年にこの地に立ち寄った際、幼い時に過した故郷スコットランドに似た軽井沢の風情に感動し、
明治21年に現在の旧軽にある大塚山に最初の別荘となる建物を建てたのです。
ショーはその後、知り合いの宣教師、知識人、文化人にこの地の良さを宣伝し紹介しました。
今では日本で最も有名な避暑地として知られるようになりましたね。
私は会社務めを始めた20歳の夏から、もっぱら会社の保養所を利用しての軽井沢を楽しんでいました。
仕事仲間と、仕事と遊びを兼ねての軽井沢行きが毎年ありました。
今では旧軽井沢の緑の中に建つこの会員制ホテルで満足です。
何しろすべての家事から解放されますものね。
20年前に父が買い求めたもので、8年前から管理費など私が引き継いでいます。
去年手放すことも考えましたが、両親が元気だった頃、皆で軽井沢の夏を楽しんだ思い出も
たくさん残っているので、維持することにしました。
緑の中でコーヒーを飲みながらノンビリするのもよし・・・
テニスに興じるのもよし・・・
じっとしていられない私たち夫婦は、ハイキングに出かけることにして、
朝ごはんを済ませるとすぐに出発しました。