今週は暖かい日和が続いて雪融けも進み、「梅」がいっせいに咲きだしました。
今年のブログ仲間との「新年会」は、ちょっと遅くなりましたが
2月26日(水)梅の香り豊かな北鎌倉で催しました。
この2月、私は2度の食事会が大雪のために流れましたが
果たして2月最後の「新年会」は三度目の正直となるでしょうか
北鎌倉「円覚寺」
流石にブログ仲間の皆さまの、日頃の行いが良いと見えて
当日はサイコーのお天気に恵まれました
遠路はるばるやって来たラッシーママさん、だんだんさん、銀河さんと
まずは北鎌倉駅前の円覚寺散策です。
梅がもう7~8分の咲き具合になっていました
私にとっての円覚寺は、何かにつけて心癒しに来るところ・・・
前回の雪の日もやってきましたが、あの時は雪に埋もれていた方丈の庭も
今回は池の水もぬるみ、木々や建物を映していました。
まだ片隅には雪が残っていますね。
カワセミやサギが見られる「妙香池」も、早春の陽に照らされていました。
円覚寺と言えば、歴史の教科書にも載っている「舎利殿」が有名です。
この「舎利殿」は、鎌倉で唯一の国宝建造物。
三代将軍源実朝が宋の能仁寺より請来した
釈迦の歯(仏舎利)を納めていることから「舎利殿」というそうです。
室町時代中期(15世紀)頃の建築物と推定され
日本最古の唐様(禅宗様)建築物です。
今回はこの「舎利殿」を見て戻りましたが
その奥には開祖北条時宗の廟「仏日庵」があります(拝観料は別途)
鎌倉五山第二位の円覚寺は、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が
弘安五年(1282)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山です。
文永・弘安の役で蒙古の大軍を撃破した時宗は、両軍戦死者の菩提を弔い
己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと願い、
その師祖元を開祖に円覚寺を建立しました。
円覚寺には他にも国宝があります。
円覚寺仏殿の東側の急な階段を上っていくと
洪鐘(おおがね)のかかる鐘楼があります。
高さ259.4cm、口径142cmもある鎌倉一大きなものです。
今回は膝を痛めている仲間もいて登りませんでしたが
隣には弁天堂があり、その横の茶店では景色を見ながら
お茶や甘味をいただくことができます。
24日には新年会のあとに行く予定の「東慶寺」が良く見えていました。
北鎌倉茶寮「幻董庵」で新年会
北鎌倉駅に戻り、勘違いで遅れた夢路さんも合流し
歩いて10分の住宅地の中にある隠れ家的な和風懐石のお店で
遅まきながらの新年会です。
いつもたくさんの刺激をいただいているブログ仲間達です。
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撮り忘れたメニューもありますが・・・
このお店は『ミシュランガイド東京・横浜・湘南2014』で、
3年連続で一つ星を獲得したそうです。
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ブログ仲間って、日常生活ではそんなにかかわっていないのに
お互いの考え方や境遇は分かり過ぎるくらいに知っている・・・
この関係は、何故かとても不思議です
梅の名所「東慶寺」
食事のあとは縁きり寺で有名な「東慶寺」に行きました。
前回1月16日にカメラ仲間のSさんと来た時は
ロウバイと10月桜が咲いていましたがこちらです。
今回は梅が咲き出していました。
紅梅、白梅、枝垂れ梅が約120本咲く北鎌倉随一の梅の名所
参道の両脇が紅白の梅で埋め尽くされ、満開時には梅のトンネルとなるらしい
北条時宗夫人だった覚山尼が時宗の没した翌年1285年に出家し開創。
女性から離婚を請求できなかった時代に、ここで修行することで
離縁できる権利を得る縁切寺法をつくったそうです。
明治時代まで離縁を求める女性たちが訪れ
「縁切り寺」または「駆け込み寺」とも呼ばれていました。
今でも尼寺の風情を残す美しい禅寺です。
花の寺としても有名で、5月に本堂の裏の崖一面に咲く「イワガラミ」や
後醍醐天皇の皇女の墓の周辺の崖に咲く「イワタバコ」が圧巻です。
この日も梅の他にマンサクやボケの花、
そしてミツマタも咲き出していました。
このお寺はOL時代に勤めていた会社と縁があり
私は娘時代から良く通いました。
尼寺にふさわしい奥様たち・・・
鎌倉には着物姿が特に似合いますね。
いつもステキに着物を着こなしている銀河さんに、
最後に寄った甘味処のお庭に立ってもらいました。
そして我々だけの貸しきり状態の店内で、クリームあんみつや
ぜんざいを食べながら、今の私の揺れる心情を皆さまに吐露しました。
4ヶ月にわたる父の終末医療での心労が溜まって、
最後は今の医療システムへの愚痴になりました。
新年会には相応しくないお話しでご迷惑でしたでしょうが、
聞いていただきありがとうございます
お陰様で良い気分転換となりました。
明日からは弥生3月「春」ですね
私も心機一転前を向いて、元気に活動したいと思います。