暑中、お見舞い申し上げます
暑い毎日が続いております
去年は梅雨明けが8月にズレ込んだようでしたが・・・
今夏、私が住んでいる横浜は7月に入ってからほとんど雨が降らず、蒸し暑い日々がもう3週間以上も続いていて、霧ヶ峰高原の爽やかな風が恋しい日々です。
霧ヶ峰高原の北西部に位置する八島湿原は、一周約3.7km、一時間半で回れる木道に囲まれていますが、前回来た時にY子さんと一周したので、今回は時計と反対廻りに少しだけ歩きました。
日本を代表する高層湿原であるここ「八島湿原」は、その重要性を早くから認められ、1939年(昭和14年)に国の天然記念物の指定を受けました。
また国の文化財としても登録されたそうです。
木道を歩き出してすぐに、ノハナノショウブが迎えてくれました。
この黄色いスジがショウブの特徴でしたね。
他にアカバナシモツケや淡い黄色のミヤマオダマキなども見られました。
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マウスオンで、真横から見たノハナノショウブもご覧下さい
八島湿原には多くの中学生がガイドさんからお花の説明を受けていました。
林間学校の生徒さん達のようです。
私たちも一緒に耳を傾けたり、追い越したり・・・
21年前の夏に、私は初めてここを訪れました。
旧盆の頃、まだまだ元気だった両親と弟一家、そして中学生の息子も一緒の我が家と、私の方の係累全員で軽井沢に泊まり、翌日ここに寄ったような気がします。
あの時はヤナギランが満開で、木道の周りは一面ピンク色に染まっていました。
今回もそのヤナギランに逢いたくてここに寄りましたが、まだ3分咲きのようでした。
下の方から順にお花が開いていくようですね。
強い生命力をもっており、海外でも山火事の後に大群落をつくり「ファイヤ ウィドー」などと呼ばれています。
日本語に訳すと「火の未亡人」
ヤナギランの花園の脇には黄色の「キンバイソウ」がたくさん咲いていました。
他にもここで見られたお花を、non_nonさんのソースで纏めましたのでご覧下さい。
キンバイソウ | ||||
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40分ほど写真を撮りながら軽く歩きました。
今回見た「カラマツソウ」や「ミヤマオダマキ」「カワラナデシコ」「タテヤマウツボグサ」は翌日行った高峰高原でもたくさん見られましたが・・・
「キンバイソウ」はここだけでしたね。
湿原の入り口に歌碑が建っていました。
今の若い方たちは歌えないかもしれませんが、「アザミの歌」は中高年には御馴染みですね♪
あの歌はここの「アザミ」を歌ったらしい・・・
歌碑の周りにはたくさんの「ノアザミ」と、白い「チダケサシ」が咲いていました。
21年前というと、あの時の母は今の私とさして違わない歳だったんだなぁ~・・・
まだまだ元気だった頃の両親の姿を思い出しながら八島湿原を後にして、美ヶ原方面に車を進めました
「18の時に、美ヶ原から霧ヶ峰まで歩いたというけど、結構アップダウンも激しくて距離もあるぞ」と運転していた主人が言いました。
道路標識では24kmと書かれています。
「一日で美ヶ原から霧ヶ峰まで行く予定だったんだけど、とても辿り着かなくて、急遽和田峠のキャンプ場でテント張ったの」
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「和田峠展望台」と書かれた標識が見えたので寄りました。
美ヶ原が見えています。
振り返ると、車山と蓼科山方面がうっすらと・・・
マウスオンでご覧下さい
あの時のキャンプ場はどの辺りだったのでしょうか?
ビーナスラインができてすっかり様変わりしたようです。
ここでテント泊をした時、夜中に雷が鳴り出して豪雨となった覚えがあります。
テント内に雨が流れ出し・・・
男性軍がびしょ濡れになりながら、スコップでテントの周りを掘って溝を作りました。
私から見ればお姉さんのような女性軍の一人が、「今回、頼もしい○○さんが参加したので、私も安心して来たのよ」と言いました。
《男は顔ではなく、危険から身を守る勇気と知恵を持っていることが大事!》と、その時に教えてもらったような気がしました。
翌日はあの豪雨が嘘のようにカラリと晴れ上がり、霧ヶ峰のバス停まで歩きましたが・・・
あの雷鳴が響き渡っていた真夜中のキャンプ場での事だけは、クッキリと私の脳裏に焼きついています。
私の初アウトドァー体験は、一回り大人に成長した3日間でもありました。