花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

夏雲を追いかけて・「八島湿原」

2008年07月29日 | 花シリーズ

   暑中、お見舞い申し上げます
   
暑い毎日が続いております
去年は梅雨明けが8月にズレ込んだようでしたが・・・
今夏、私が住んでいる横浜は7月に入ってからほとんど雨が降らず、蒸し暑い日々がもう3週間以上も続いていて、霧ヶ峰高原の爽やかな風が恋しい日々です。



霧ヶ峰高原の北西部に位置する八島湿原は、一周約3.7km、一時間半で回れる木道に囲まれていますが、前回来た時にY子さんと一周したので、今回は時計と反対廻りに少しだけ歩きました。

日本を代表する高層湿原であるここ「八島湿原」は、その重要性を早くから認められ、1939年(昭和14年)に国の天然記念物の指定を受けました。
また国の文化財としても登録されたそうです。



木道を歩き出してすぐに、ノハナノショウブが迎えてくれました。
この黄色いスジがショウブの特徴でしたね。
他にアカバナシモツケや淡い黄色のミヤマオダマキなども見られました。


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マウスオンで、真横から見たノハナノショウブもご覧下さい



八島湿原には多くの中学生がガイドさんからお花の説明を受けていました。
林間学校の生徒さん達のようです。
私たちも一緒に耳を傾けたり、追い越したり・・・



21年前の夏に、私は初めてここを訪れました。
旧盆の頃、まだまだ元気だった両親と弟一家、そして中学生の息子も一緒の我が家と、私の方の係累全員で軽井沢に泊まり、翌日ここに寄ったような気がします。
あの時はヤナギランが満開で、木道の周りは一面ピンク色に染まっていました。



今回もそのヤナギランに逢いたくてここに寄りましたが、まだ3分咲きのようでした。
下の方から順にお花が開いていくようですね。

強い生命力をもっており、海外でも山火事の後に大群落をつくり「ファイヤ ウィドー」などと呼ばれています。
日本語に訳すと「火の未亡人」

ヤナギランの花園の脇には黄色の「キンバイソウ」がたくさん咲いていました。
他にもここで見られたお花を、non_nonさんのソースで纏めましたのでご覧下さい。

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キンバイソウ
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40分ほど写真を撮りながら軽く歩きました。
今回見た「カラマツソウ」や「ミヤマオダマキ」「カワラナデシコ」「タテヤマウツボグサ」は翌日行った高峰高原でもたくさん見られましたが・・・
「キンバイソウ」はここだけでしたね。


湿原の入り口に歌碑が建っていました。
今の若い方たちは歌えないかもしれませんが、「アザミの歌」は中高年には御馴染みですね♪
あの歌はここの「アザミ」を歌ったらしい・・・


歌碑の周りにはたくさんの「ノアザミ」と、白い「チダケサシ」が咲いていました。

21年前というと、あの時の母は今の私とさして違わない歳だったんだなぁ~・・・
まだまだ元気だった頃の両親の姿を思い出しながら八島湿原を後にして、美ヶ原方面に車を進めました

「18の時に、美ヶ原から霧ヶ峰まで歩いたというけど、結構アップダウンも激しくて距離もあるぞ」と運転していた主人が言いました。
道路標識では24kmと書かれています。

「一日で美ヶ原から霧ヶ峰まで行く予定だったんだけど、とても辿り着かなくて、急遽和田峠のキャンプ場でテント張ったの」


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「和田峠展望台」と書かれた標識が見えたので寄りました。
美ヶ原が見えています。
振り返ると、車山と蓼科山方面がうっすらと・・・
マウスオンでご覧下さい

あの時のキャンプ場はどの辺りだったのでしょうか?
ビーナスラインができてすっかり様変わりしたようです。

ここでテント泊をした時、夜中に雷が鳴り出して豪雨となった覚えがあります。
テント内に雨が流れ出し・・・
男性軍がびしょ濡れになりながら、スコップでテントの周りを掘って溝を作りました。

私から見ればお姉さんのような女性軍の一人が、「今回、頼もしい○○さんが参加したので、私も安心して来たのよ」と言いました。
《男は顔ではなく、危険から身を守る勇気と知恵を持っていることが大事!》と、その時に教えてもらったような気がしました。

翌日はあの豪雨が嘘のようにカラリと晴れ上がり、霧ヶ峰のバス停まで歩きましたが・・・
あの雷鳴が響き渡っていた真夜中のキャンプ場での事だけは、クッキリと私の脳裏に焼きついています。

私の初アウトドァー体験は、一回り大人に成長した3日間でもありました。

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夏雲を追いかけて・「霧ヶ峰高原」②

2008年07月27日 | 花シリーズ

霧ヶ峰とは・・・
車山(1925m)から鷲ヶ峰(1798m)の間に広がるゆるやかな岩石地。
柔らかな起伏を描きながら続く草原を総して霧ヶ峰高原と呼んでいるようです。

深田久弥の「日本百名山」にも数えられていますが、一番標高の高い「車山」がそれに当てはまるのでしょうか?
今ではリフトで簡単に登れてしまいますが・・・

車山周辺のニッコウキスゲも有名ですが、今回はビーナスラインの「ローヤルイン」の駐車場周辺が一番綺麗に咲いていたので、私たちはここの駐車場に車を入れました。
流石に混んでいて、30分の待ち時間を費やしました。

霧ヶ峰の年間平均気温は5.8度、北海道と同じような気温とか・・・
そのため夏の7、8月は多くの花々が一斉に咲き、色とりどりの花を見ることができます。

ニッコウキスゲの間からニョキっと飛び出すように咲いていた「シシウド」が印象的でした。



近寄って見てみましょう。
脇の丸い花芽ももうすぐはじけて咲き出しそうですね。
バックの小屋は「肩の小屋」、今はもう営業はしていないようでした。


シシウドのお花をマクロで撮ってみました。
レースのような繊細な美しさですね



ニッコウキスゲの花咲く中に、ノアザミもしっかりと自己主張をしていました。
他に見られた花々を、non_nonさんのソースをお借りして纏めましたのでご覧下さい

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アカバナシモツケ
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お花の名前がイマイチ自信がありません。
間違っているのがありましたらご指摘を宜しくお願い致します。

ハクサンフウロと並んで写っている白い小さなお花は大山フスマでしょうか?



ここからは霧ヶ峰高原の北の端に広がる「八島湿原」方面も良く見えました。
湿原の向こうに鷲ヶ峰、そして美ヶ原方面まで見渡せました

私の初めてのアウトドァー体験がまさにここでした。
短大に入学した18歳の夏休みに、当時参加していた父の会社のテニス部の若い仲間達と、テントを担いで美ヶ原から霧ヶ峰まで歩いたのです。

あの頃はまだ「ビーナスライン」という自動車道路は出来ていなくて、風景も少々変わっていますが・・・
青空の下ニッコウキスゲが咲き乱れ、遠くに北アルプスの山々が見えていました。

古いアルバムをひも解くと、当時はお花を守るロープなど張っていなくて、キスゲのお花のすぐ横に並んだ若い私たちの笑顔が輝いていました。
今と違って高原は、登山姿の若者達で溢れていたように思います。
そして、私のアルバムの中の初めてのカラー写真がこの時のものでした。


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マウスオン・クリックでご覧下さい
百名山の「蓼科山」も見えてきましたね。

霧ヶ峰にはたくさんのハイキングコースがあります。
18歳の時に歩いたコースはどれでしょう?
東京から電車とバスを乗り継いで、夕方美ヶ原のキャンプ場に入り一泊、翌日和田峠のキャンプ場で一泊、そして霧ヶ峰に出てバスで帰りましたが・・・
霧ヶ峰のどこに出たのかが定かではありません。

この表示板に書かれている「強清水」は覚えがあるような・・・
日本で最初にグライダー基地が出来た所だそうです。



OLになってからも、同期の仕事仲間たちと霧ヶ峰に来た思い出があります。
湿原を見下ろしながらお湯を沸かして紅茶を入れ、パンにソーセージやチーズを挟んで食べた覚えがあります。
青春時代の思い出が詰まっている霧ヶ峰高原ですね

1952年から営業している「ころぼっくる・ヒュッテ」は今でもやっていました。
ここでコーヒーを飲もうかと思いましたが・・・
結局車を入れたロイヤルインでソフトクリームを食べました。
古い山小屋よりも、新しい建物のこちらの方がトイレも綺麗だと思った次第です。

少なくなったとは言え、丁度見頃のニッコウキスゲが堪能できてとても満足でした。
新聞によると8月初旬までこのニッコウキスゲは楽しめるようです。
私たちは再び車でビーナスラインを走り、次は「八島湿原」に向かいました。

尚、霧ヶ峰高原の地図はこちらをご覧下さい


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夏雲を追いかけて・「霧ヶ峰高原」①

2008年07月25日 | 花シリーズ

泊りがけで来ていた息子一家を見送って門の外に出た時、夏空に白い雲が湧き出していました。
主人は空を見上げながら「明日、霧ヶ峰高原に出かけるぞ!ニッコウキスゲと入道雲が見たくなった」と・・・
早速宿を手配し、翌日の朝から出かけました。

当日は雲が多かったのですが、信州の現地に着く頃は青空も見えてきて
主人の希望どうりの白い夏雲がポッカリと浮かんでいました。



ニッコウキスゲも丁度見頃です
「以前はこんなもんじゃなかったぞ。全山金色に染まるほどのお花の数だった」と主人は言いますが・・・
新聞によるとここも鹿の被害で、近年めっきりお花の数が減ったそうです



私たちは5年前の7月中旬、山仲間のYさんを誘ってここのニッコウキスゲを見に来た事があります。

お天気が悪くて感激度はイマイチでしたが、確かにあの時の方が、咲いているお花の規模が大きかったように思います。

実はその年の6月に、Yさんと中国四川省のスークーニャンシャン(四娘姑山)にブルーポピーを見に行こうと、ツァー会社に申し込んだのですが・・・
出かける3週間前に主人の父が肺炎で入院し、少々危ない状態となり、私は多額のキャンセル料を覚悟で取り止めました。
単独参加になってしまったKさんには大変申し訳ないことをしました。
そのお詫びも込めて、お花の大好きな彼女を誘い、主人の運転でこの霧ヶ峰に来たのです。


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上の写真正面の、雲が集まっている辺りが八ヶ岳連峰に連なる「蓼科山」です。
マウスオンでアップ写真もご覧下さい。

お花の数が少々少なくても、陽が当たると辺り一面が鮮やかに輝き出します
バスツァーの団体様ご一行の方々も「これで5000円はお安いわ」と満足した声が聞こえてきました。



主人の思い出は36年前に遡るようです。
あの年の夏休みは主人の会社の同僚ご夫妻と4人で、涼しい信州で過ごす計画を立てましたが、私は10月に出産を控えていた身。
主人の母から待ったがかかりました。

当時私の両親は父の転勤で倉敷にいましたので・・・
「万が一何かがあったら、倉敷のお父さんお母さんに申し訳ない」と義母に言われてしまいました。

私は出かけるのを諦めて、家で留守番。
車を出す事になっていた主人は、同僚夫妻を送って信州に行きました。
その時見た「霧ヶ峰のニッコウキスゲ」が最高に綺麗だったそうです。
あの時以来、ニッコウキスゲと夏雲がセットでインプットされたとか・・・

「お花がすっかり寂しくなったけど、青い空と夏雲の下でニッコウキスゲが見られたからヨシとしよう」と呟いていました。



今日、撮ってきた写真をPCのスライドショーで見てみたところ、ななななんと、もしかしてUFO
ペンで囲った所はゴミではないですよね~



拡大してみました。
主人が自分用の40Dで撮った写真ですが・・・
鳥かしら?それとも飛行機?



次ぎに写したこちらの方がハッキリしていますね。UFOに見えませんか?


拡大してみました。一体なんでしょう?

ご近所仲間のK子さんが、若い頃、この近くの美ヶ原でキャンプをしていた時にUFOを見たそうです。
「私一人の錯覚ではなく、キャンプをしていた皆が見たのよ」と彼女は言います。

八ヶ岳周辺は摩訶不思議な事がたびたび起きていて・・・
もう一人の仲間のぷりんさんの話では「小淵沢にある別荘の時計がすぐに止まってしまう」そうです。
私も山仲間と北八ヶ岳を歩いていた時、仲間3人が揃ってカメラがおかしくなりました。
ここには「笑い話」では片付けられない「何か」があるのかもしれませんね。



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真夏の到来!

2008年07月21日 | 日常の日記

小中学校の夏休みが始まると同時に「梅雨明け宣言」が出ましたね。
ギラギラ太陽が照り付けて、気温は一気に上昇し、いよいよ真夏日の到来です。

南国のお花「ハイビスカス」も今が盛りと咲いています。
このブログでも何回か登場した我が家のオーソドックスな赤いハイビスカスは、かれこれ30年以上も前に購入したもので・・・
主人が挿し木で増やしてきたので、一鉢が駄目になっても命のリレーが続けられ現在に至っています。

パースでは地植えで見上げるばかりに育っているこのお花
日本では寒い季節には室内に入れて守って、大切に育ててどうにか毎年咲いてくれています。



マリーゴールドのオレンジ色を見ると、真夏だなァ~と思います。
畑の周りに植えると虫除けになるそうで、今年もたくさん買いました。



孫のハー君の幼稚園も夏休みに入り、この連休に早速家族で泊りがけでやってきました。
最近は背も伸びて、すっかり良いお兄ちゃんとなりました

幼稚園から帰ってくると、まず妹のほっぺをナデナデするそうです。
「その手が泥だらけの時もあるんですよ~」とオカァ~タンは言いますが・・・


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ワタチが妹の菜々ちゃんです。
バ~バが「個人情報保護が大事!」とわざとボケボケの写真をUPしたみたいだけど・・・
4ヶ月半になって、もう寝返りもうてるのよ。マウスオン・クリックで見てね
お兄ちゃんの幼稚園の行事や遊びに付き合って、いっぱい蚊にくわれちゃったの

「よく寝て手もかからず、泣き声も大人しくて気にならない」とママは言うけど・・・
ママのお母さんの横須賀バ~バは「手がかからないからと言ってほって置くと、反抗期にどっと出てしっぺ返しを食らうわよ」って注意したみたいよ。

「ワタチもここにいるのよ!」って、時々必死で存在感をアピールして泣くけど、ワタチの特技はそのまますぐに寝ちゃうことなの

本名は別にあるけど、ワタチの誕生花が菜の花なので、バ~バがブログのハンドルネームを菜々ちゃんとしたんです。ヨロチク・・・



こちらは我が家の玄関前にあるメダカの泳いでいる水盤です。
寒かった今年の冬、水盤をこのまま外に置いてパースに行きましたが、3匹のメダカが越冬しました。
どうにか生き残ったメダカが鳥にやられては大変と、主人が竹で手製の鳥よけを作りました。

ホテイアオイやバイカモ、ヒツジ草も随分増えました。


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マウスオンでメダカも見てくださいね

3匹では可哀想なので、10匹ほど新入りが加わりました。
ハー君が来るたびに餌をやるのを楽しみにしています。



こちらは高温多湿に強いお花「アンゲロニア・ピンク」
園芸種のカタカナ名のお花の名前は全然覚えられない私です。

この所、海に遊びに行く事が多い息子一家は毎週のようにやって来て、夕ご飯を食べて行きますが・・・
私もほとんど手抜きで外食が多く、先週は焼肉、その前は和食の店
でもこの連休の暑さでは外に出る気も起きなくて、ハー君の好きなお寿司と鳥の唐揚げを買ってきて・・・
後はサラダとキンピラと枝豆を作り、我が家でみんなで食べました。

その後、息子夫婦が久しぶりに2人で湘南海岸でデートをしたいというので、孫2人を預かりました。
菜々ちゃんは大人しく寝ていたし、ハー君とはお絵かきしたりDVDを見たり・・・
楽しかったね



連休最後の日の今日は家族でプールに行ったようです。
豆台風が去って、ホッとしたような淋しいような・・・

「オイ、明日ニッコウキスゲを見に霧が峰高原に行くぞ!」と突然主人が言い出しました。
我が家の行動はすべて出かける寸前に決まるのです。

ふと玄関先を見ると「デュランタ」のお花が咲き出していました。
今回は、主人のコンデジで撮ったお花の写真を中心に、この連休の我が家の様子をUPしました。

修理に出しているデジイチは、部品交換と手数料で12000円弱となるそうです。
直接メーカーに出しましたが、出来上がりは今月末とか。
出してから3週間以上もかかるようで・・・
ニッコウキスゲの写真もデジイチで撮れないのが残念ですが、思ったより安く済んで取りあえずはホッとしました

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「パース動物園」その2

2008年07月18日 | パース滞在記

この日は日曜日だったので、「パース動物園」にはたくさんの家族連れが訪れていましたが・・・
「上野動物園」を見慣れた私には「これが動物園?」と思うほど、日本の動物園とは趣が違っていました。

広大な敷地には自然に近い状態で動物と人間が触れ合えるよう、エリアごとに動物が飼育されています。
横浜の「ズーラシア」も、同じように広くてエリアごとに区分されている動物園ですが・・・
「パース動物園」では、緑の草や林の中にごく自然な姿の動物達がいて、人間の方が「おじゃましま~す」という感じなのです。



南国特有のお花もたくさん咲いていて、ピクニックエリアなどもありました。



こちらは代表的なワイルドフラワーの一つ「Red Flowering Gum」でしょうか。



「オーストラリアン・ブッシュ・エリア」のお隣は「アジア熱帯林エリア」で、林の中にゾウさんの姿が見えました。

若い飼育員の女の子が、棒やタイヤを使ってゾウと遊んでいました。
ロープが張られた柵の手前にはベンチが並んでいて、子供連れのファミリーが三々五々、目の前でゾウさんの素朴な曲芸を見学しています。
一日に何回かは園内を廻る「ゾウの行進」もあるようでした。
動物と人間との距離がとても近いように感じました。


こちらの写真は3年前の秋に、息子一家と行った我が家の近くにある「横浜市立金沢動物園」のゾウさんです
孫のハー君が一歳半の時でした。

円海山一帯に広がる市民の森の一角にあるこの動物園も、自然がいっぱいの中に動物達はいますが・・・
ゾウの居場所はすべてコンクリートの中です。
土や草は見当たりません。
この方がお掃除がし易くて衛生的なのでしょう。
そして見学者との間には、安全性を考えての大きな溝と生垣と鉄の柵が存在しています。

この時のハー君は、生まれて初めてみたゾウさんのあまりの大きさにしばらく固まっていました。
そしてその後にニコ~~っと


私たちは最後に鳥のコーナーに行きました。
周囲の国々と遠く隔たっているオーストラリア大陸は、独特の進化を遂げた動物や鳥がたくさんいます。
借家の庭にも聞き慣れない鳥の声が響いていました。

鳥の写真の一部をnon_nonさんのソースをお借りしてスライドショーで纏めましたので、小さな写真にマウスをあててご覧下さい。

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頭とお尻の先が黒い鳥はコウノトリにソックリですが、オーストラリア北部の海岸に生息する「PIED HERON」と標識には書かれていました。
カモは日本のカモと同じですが、やはり南国色が綺麗に見えますね。
もっと綺麗だったのはブルーのクチバシのカモ・・・
標識には「BLUE BILLED DUCK」と書かれていました。

一番右側の写真は水の中を泳ぐペンギン、体の小さな「Little Penguin」です。

水辺の脇に木道があり、私たちはその上を歩いていきました。
頭上には大きな網が適当に張られていましたが、あれでは外部の小さな鳥も入ってくるのでは?と気になったくらいです。
アバウトなオージー気質がそのまま表れていましたね。



「パース動物園」では動物も見ましたが、それよりもたくさんの森林浴を楽しんだ感じです。
大規模な動物園を見慣れた日本人には多少の物足りなさがあるかも知れませんが、ファミリーで楽しむにはこのような所の方がイイナァ~と思いました。
ほとんどの動物達が、子供の目線でも充分に見える設計でしたよ。



2月もそろそろ終りの頃でした。
パースにも秋の気配が・・・
こちらは何の実でしょうか?



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「パース動物園」その1

2008年07月15日 | パース滞在記

梅雨明けはまだのようですが、こちら関東南部は真夏の暑さが続いています。
13日の日曜日に、アヤメの群落で有名な南アルプス前衛の山「櫛形山」に行く予定でしたが、山仲間のKさんのお母様が亡くなられたとの事で急遽取り止めになりました。

その上、ブログ仲間の山小屋さんから「鹿の被害でアヤメはほとんど見られなくなった」というコメントを戴いて・・・
残りの2人で出かける気も失せてしまいました。

丹沢や日光でも鹿が増えすぎて被害が出ていると聞きますが・・・
オーストラリアでも保護動物のカンガルーが増えてすぎて、駆除問題でゆれているようです。

モンキーマイアへの3泊4日の旅でも、国道沿いにたくさんのカンガルーの死骸を見ました。
夜行性のカンガルーは車のライトを見ると立ち止まってしまい、車と激突する事が多いのです。
中にはお母さんのお腹の袋から赤ちゃんが飛び出た姿も・・・



旅から戻り、生きている元気なカンガルーが見たくて「パース動物園」に行きました。

パース動物園はパース市のほぼ中心部にあって1898年にできた歴史のある動物園です。
広い園内には280種1600頭以上の動物がいるようですが、私たちは主にオーストラリア特有の動物を見て廻りました。

オーストラリアゾーンの大きな塀があり扉を開けて中に入ると、カンガルーとの境は簡単に張られたロープだけ・・・
暑い真夏の昼下がり、カンガルーたちは日影で横になっていました。
日本の須坂動物園の親父カンガルーのハッチ君と似たような姿かな?


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同じゾーンにはコアラのコーナーもあって、こちらは高いユーカリの木の上に大きな日傘が取り付けられていました。
マウスオンでご覧下さい

パースに来てすぐに行ったヤンチャップ国立公園のコアラよりは管理されているようでしたが・・・
ガラス張りの温室の中に居た我が家近くの「金沢自然動物園」のコアラに比べればあくまでも自然流です。
気候が違うので仕方の無い事ですが・・・



オーストラリアの在来犬ディンゴです。
我が家の愛犬だった柴犬のジュン君よりもふた周りくらい大きいでしょうか・・・
野生的な鋭い目が特徴です。

ディンゴは農牧場を開設したヨーロッパ人には厄介者でした。
しかし先住民族のアボリジニはその子犬を育てペットにしていたようです。


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他にもアジアゾーンとかアフリカゾーンなどもありますが、それらの動物は横浜の動物園の方が充実しているはずです。

オーストラリアといえばクロコダイルですね。
ワニなどの爬虫類や両生類専用の建物がありましたので入りました。

可愛い女の子が「エリマキトカゲ」とお話をしていました。
マウスオンでご覧下さい
昔、コマーシャルでも有名になった襟巻きが立った姿を見たかったのですが、限られたコーナーの中では無理でした。



トグロを巻いた大きなコブラやパイソン、そしてトカゲなどが充実していましたが、とてもカメラを向ける勇気が無くて・・・

今回のドライブ旅行では毒蜘蛛騒ぎはありましたが、蛇に出会わなくて「良かった」とつくづく思いました。
ブッシュの中に隠れて居るんですよね~


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こちらは「ニシマツカサトカゲ」、何となくひょうきんな感じですね。
マウスオンでご覧下さい

両生爬虫類にはあまり興味のない私ですが(というよりも生理的にあまり受け付けないのです)、好きな方々にしてみればここは珍しい動物が揃った憧れの世界のようです。

現在、オーストラリアは両生爬虫類の輸出を禁止しています。
西オーストラリア州は、人の立ち入ることができない場所が多く、州都であるパースは大都会なのですが、ここから北のノーザンテリトリー州の州都ダーウィンまで大きな町はほとんどありません。
特に北西部の内陸にある鉄鉱石で有名なピルバラ地方は、町はおろか道路もまともに通っていない場所ですから、かつてオーストラリアの両生爬虫類が輸出されていた時も、西オーストラリアの両爬は流通に乗りにくかったようです。
その不便さゆえに、珍しい両生爬虫類を多く残しているのでしょう。

ですから爬虫類に興味のある方は是非「パース動物園」に行かれる事をお勧めいたします。


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凄い迫力の「ワニ」もいました。
マウスオンでご覧下さい
こう見えても動きは素早いのです。

オーストラリア名物にはクロコダイルのハンドバックがありますが・・・
ウォーキングの途中の水場でこのような姿に出合ったら、腰を抜かしそうですね
この鋭利な歯で、いっぺんに頭も噛み砕かれてしまいそう



順序が逆になりましたが、こちらが「パース動物園」の入り口です。

年中無休でAM9時~PM5時までやっています。
入園料は大人18A$でしたが、我々はシニア料金の14A$しか取られませんでした。
本来なら政府発行のシニアカードを提出しなければならず、観光客は該当しないのですが、主人のカンガルー帽子があまりにも決まっていて地元民夫婦に見られたのでしょうか
何も言われずにシニアの切符を渡されました。
これって喜ぶべきか?
ちょっと複雑な心境でしたね。

<追記>
両生爬虫類が特に充実していた「パース動物園」では珍しいカエル等もたくさん見られましたが・・・
今、日本のアマガエルが危機に瀕しているようです
ブログ仲間の紅さんが下記のように訴えておりますので、是非ご協力宜しくお願い致します。

《最近、あなたの周りでアマガエルを見かけますか?その数は以前と変わりないですか?
今、カエルに異変が起きているようです。
実は、マイブログでお馴染みの私の鳥撮りの先生、eomai さんが住む下関あたりでは全く見られなくなったそうです。どうも猛毒の細菌に冒された可能性もあるかもしれないと。
たかがカエルと侮れません。カエルがいなくなると蚊や蠅の大量発生にもつながりカエルを食していたヘビや鳥たちも困るでしょうね。生態系にも変化が起きてしまいます
そこで皆さんにお願いです。
あなたの周りのカエル情報を是非お寄せ下さい》

尚、カエル情報を纏めているeomaiさんのブログはこちらです




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赤い大地を駆け抜けて⑦・「ジェラルトン」から「ニューノーシア」へ

2008年07月12日 | パース滞在記

インド洋に面したジェラルトンの人口は約2万人、パースの北400kmの所にある中核都市です。
パース近郊のフリーマントルに次ぐ西オーストラリア第2の港町で、ロブスター漁が重要な産業のひとつ。
オーストラリア西部最大のロブスター漁船団がここを母港にしているとか・・・

ここのロブスターは「伊勢えび」として、日本にも出荷されているそうです。
ありゃりゃ~~、私たち、食べ損ないました

トップの写真は市役所の斜め前に建っている「大聖堂」です。



こちらは「ジェラルトン駅」
今ではもう路線も廃止されていますが、中々風格のある建物です。

周辺地域では羊毛や小麦の生産が行われ、広大な農場や牧場主たちの家族がこの街に住んでいるのでしょうね。
立派な病院も2つ並んでありました。

私たちが泊まった宿はこの総合病院のすぐそばの「ホスピタリティー・イン・ジェラルトン」
後で知ったのですがレストランもちゃんとありました。

2月22日
宿のレストランでコンチネンタルスタイルの朝食をとっていると、ナント今まで3度も顔を会わせたあの外国人ご夫妻が
ジェラルトンの街には多くの宿があるにも関わらず、ここでの4度目の再会は奇跡です。
奥様と抱き合ってご挨拶をしました。

あちらもビックリして、感激のジェスチャーを繰り返していましたが、私たちの拙い英語が相変わらず全く通じません


オージーのガイドさんがやって来たので聞くと、彼らはフランス人でした。
唇をすぼめるような発音で自分達の住んでいるフランスの街の名前を教えてくれましたが、こちらもフランス語は全く聞き取れませんでした



こちらがその時の記念のショットです。
英語の筆記なら会話よりは得意な主人ですが、フランス語となると手も足も出ません。
住所の交換が出来ずに残念でしたが、旅の良い思い出となりましたね



9時過ぎに宿を出発し、ガソリンを給油してから国道1号線に入りました。
流石に今までよりは車の数が多い感じです。
多いといってもこの程度ですが・・・



雲も切れてきて青空が広がってきました。
およそ200km行ったところの「Badgingara」という村でトイレタイムを取り、ここから1号線を離れて内陸の「Moora」の町に向かいます。



運転を交代して私がハンドルを握ります。
道の両側は果てしなく続く大規模牧場が広がっていました。

「Moora」の町は3年前の9月に、鎌倉の友人ご夫妻とワイルドフラワーを見るために寄った事があります。
牧場には黄色いお花が絨毯のように咲き乱れ、道路は黄色のアカシアの花のトンネルが出来ていました。
この道は「ワイルドフラワー・ロード」とも呼ばれているのです。

あの頃はオーストラリアの広さに圧倒されて声も出ませんでしたが、大分慣れましたね。



110kmのスピードが出ていますから、大型の連結車とすれ違う時は緊張します。
運転が苦手な私には冷や汗ものです



工事現場のおじさん達がかぶっているのは、黒い網で顔をすっぽりと覆う帽子・・・
ハエの大群が襲ってくるのです。
牧場には動物達の糞尿がありますから仕方がありませんね。



突然緑の中に教会の建物が現れて、どうやら目的地の「ニューノーシア」に着いたようです。



19世紀に突然タイムスリップしたような・・・
ここだけ違う空気が流れているような・・・
そんな雰囲気の町を散策する事にして、車を停めました。

教会の写真は↓で別途UPしていますので、そちらをご覧下さい。

叉、この回のコメント欄は閉じさせていただきます。下の欄で一括受け付けておりますので宜しくお願い致します。

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「ニューノーシア」の教会

2008年07月12日 | パース滞在記

パースの北東120kmの所にあるニュー・ノーシアは、スペイン人の修道士ドン・ロセンド・サルバドによってキリスト教の普及と、農業の伝承により、19世紀に作られた農業を中心とした町です。

ガソリンスタンドで給油をし、そこの売店でハンバーガーとコーラで簡単な昼食を済ませてから、私たちは教会巡りをしました。



こちらの銅像が修道士「ドン・ロセルド・サルバドル」でしょうか・・・?



礼拝堂や修道院等、歴史的な建物を散策しながら見学できます。
ビサンチン様式やゴシック様式が交じる町は、不思議な雰囲気を感じさせてくれます。



ツァーで来れば中に入れるのでしょうが、個人で勝手にドァーを押す勇気はありませんでした。


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マウスオンでご覧下さい

1846年に入植が始まったニューノシアには、オーストラリア唯一のカソリックのベネディクト修道院があります。
ただ、仏教徒の我々にはどの建物が修道院なのかが分りません


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門が閉められているこちらが「修道院」かな?
マウスオン・クリックでご覧下さい



門の装飾のアップです。



こちらの建物からは賑やかな声がして、テニスラケットを持った少女達が出てきました。
どうやら学校のようです。



そんな少女達を見守る古い銅像・・・

他にも「博物館」などがあり、開拓当時の耕作道具や当時の生活用品などが並んでいました。

ふと、パースに来るちょっと前にTVで観た「北の零年」という吉永小百合主演の映画を思い出しました。
歴史的には「北海道の開拓」と同じ頃ではないでしょうか?
よく似ています。

旅の最後の日になって真っ青な空が広がり、眩しいまでのカンカン照りとなりました。
ここからパースまではグレート・ノーザーン・ハイウェイを通って約2時間・・・
もう荒野というよりは郊外の風景が続いていました。

こうして私たちの、3泊4日のアクシデント満載の「冒険旅行」は何とか無事に終わりましたが・・・
親しい友人達には「歳も考えずに無茶して」とあきれ果てられました。
もうこのような旅も今回で最後かもしれません。
そう思うと一抹の淋しさがよぎります。


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赤い大地を駆け抜けて⑥・「シャークベイ」

2008年07月09日 | パース滞在記
九州沖縄地方はすでに梅雨が明けたようですが、関東は梅雨末期の蒸し暑い日々が続いています。
胸の痛みも徐々に薄れてきていますが・・・
体調はイマイチ、頭もボォ~っとしていて、ついにとんだ失態をやらかしてしまいました。


部屋の中で三脚立てて、セルフタイマー撮影の練習をしていたのですが、ちょっと離れたすきに三脚が倒れてしまったのです
幸い絨毯の上だったのでカメラ本体は無事のようですが、標準レンズのズームが作動しなくなり修理に出しました。
こういう場合は、保証書が利かず自己負担になるようですね。嗚呼~~

気を取り直して・・・
トップの写真は西オーストラリア州の世界自然遺産「シャークベイ地域」に位置するモンキーマイアの海です。
今年の2月、パースに行った時に3泊4日のドライブ旅行を敢行しましたが・・・
車が砂に埋没して助けを呼んだり、毒グモ騒ぎがあったり
ようやく辿り着いた海はサイクロンで荒れていたりと散々な目に会いました。
でもモンキーマイアではイルカやペリカンと楽しく遊びました
よろしかったらこちらをご覧下さい。

ここまでの記事をUPしたまま3ヵ月半も経ってしまっています。
先日見た「ジャカランダの花」にパースを懐かしみ・・・
カメラも手元にないことから、アクシデント満載だった旅行記の続きを進めたいと思います。



モンキーマイアを後にし、デナムの街で給油
そしてビジターセンターに寄り、生きている岩石「ストロマトライト」の事を聞きました。
地図を渡され「ここから60kmの所にある」とマーカーで印しをつけてくれました。
「目指す看板はストロマトライトの"S"ね!それではシュッパ~ツ!」



サイクロンは通り過ぎたようですが、相変わらずスッキリしないお天気でした
「シャークベイ」は入り組んだ地形なので車窓の右や左に海が見えてきます。

「ボーン・ホエールズ」と書かれた表示板を見かけました。
遠浅のこの海でクジラが生まれるのでしょうか?
そして母子で、プランクトンの豊かな南極の海までの長い長い旅に出る・・・
映画「アース」で観たばかりでした。



前日海岸に立った「シェルビーチ」を上から眺められる展望台がありました。
120kmに渡る海岸線が、砂ではなく白い貝殻で覆われているのです。
景色が大きすぎてとてもカメラでは収まりません
もっと晴れていたらと、とても残念に思いました。
ネットで綺麗な写真が紹介されていましたので、是非こちらをご覧下さい。

目を皿のようにして「S」で始まる看板を探しましたが見当たりません。
阿寒湖のマリモよりも貴重なものなんだから・・・
「きっとストロマトライトの絵も描かれた大きな看板があるはずよね」


<>

「S」ではなく「Nanga Bay」と書かれた表示板があったので行って見ました。
素朴なリゾート地でした。マウスオンでご覧下さい


自然豊かな「シャークベイ」には、人魚伝説で有名なデュゴンや野生のイルカなどが見られますが(もちろんサメもいるのでしょうね)・・・
1991年、世界自然遺産に登録された一番の要因は、35億年前に地球上で始めて光合成により酸素を造ったとされている生物、ストロマトライトが生息しているからです。
藍藻類と呼ばれる微生物に海水や石灰砂が堆積して成長したもので、今のこうした緑豊かな地球(環境)をつくりだしたのは、ストロマトライトなんですね~


写真はパンフレットより引用させていただきましたが、この貴重な古代生物(岩?)のお話はこちらを参考にして下さい。

気がついたら100kmが過ぎていて「シャークベイ・世界自然遺産エリア」と大きく書かれた看板の立つ国道一号線の交差点に来ていました。
私たちは「ストロマトライト」を見ることが出来なかったのです

車を止めてちゃんとした地図で確認しました。
ストロマトライトはシェルビーチの端の「ハメリンプール」という所で見学ができるようになっていたようです。
最初の文字は「S」ではなく「H」の表示板を探すべきだったのです。

日本のような派手な大きな看板など一つもなく・・・
時速130kmで飛ばす主人の運転する車の中から、小さな英語で書かれた文字を最後まで判読するのはとても無理でした

「ジェラルトンの街で今夜予約している宿の場所を探さなくてはならないから、5時までにはジェラルトンに入りたい」と主人が言うので、40km戻るのは諦めました
個人旅行は、このような事があるから見逃しも多いのです。


<>

行きと同じガソリンスタンドで給油し、お昼を食べました。
お店はここしかないのです。マウスオンでご覧下さい
前日はステーキバーガーとホットサンドを食べましたが、この日も似たようなメニューで腹ごしらえです。

ナント!前日シェルビーチで出会ったガイドさん付きで観光を楽しんでいるご夫婦と、ここでも一緒になったのです。
早朝のイルカの餌付けでも会っていますから同じ「モンキーマイア・リゾート」泊まりだったようです。ご挨拶したのもこれで3度目です。
偶然も三度重なると親近感が湧き、笑顔で握手をしましたが、英語がまるで話せないお二人でした。
「どこの国の方かしら?」と興味がわきましたが・・・



荒野の中を行く国道1号線を走ること4時間、途中私が運転を代わり、午後5時前に「ジェラルトン」の街に到着です。
24時間やっている「ビジターセンター」で大家さんが予約してくれた宿の場所を聞き、ようやく辿り着きました。
"何も5時にこだわらなくても良かったのでは?ストロマトライトは二度と見る機会はないのよ"と、喉まで出掛かりましたがやめました。

何だかどっと疲れが・・・
夕食の場所を探すのも面倒なので、スーパーに出向き「のり巻き」を買うことにしましたが見つかりません。
日本のようなファミレスも見つからず、仕方なくフライドチキンやポテトスナックなどを買いお部屋で食べましたが、オーストラリアでの旅は大自然は素晴らしいのですがどうもお食事がイマイチです。

去年は、この世のものとも思えない美しさのエスペランスの海に大感激しましたが、夕食は宿で食べたインスタントラーメンの「出前一丁」でした。
どんぶりもなくスープ皿で食べましたが、返ってそれが忘れられない思い出になりました




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鎌倉で見た「ジャカランダの花」

2008年07月06日 | 花シリーズ

「鎌倉の我が家の近くでも、夏にはジャカランダの花が咲くよ」
3年前の9月、西オーストラリア州の州都「パース」に一緒に行った主人の友人ご夫妻が話していたことを思い出しました。

先週(2日)「ソロソロ咲いているかなぁ~?」と呟きながら、主人は鎌倉に住むその友人宅のお庭の手入れを頼まれて出かけていきました。
そしたら電話がかかってきて・・・
「ジャカランダがもう咲いているよ。葉っぱもビッシリと茂っていて終りに近いかも」



「仕事用のコンデジで写してきて!」と頼みました。
「ジャカランダ」はノウゼンカズラ科で原産地は南アメリカ。
熱帯・亜熱帯各地では街路樹や庭木として利用されています。

空はモヤっていましたが、梅雨の晴れ間の中にパースで見たのと同じベル状のジャカランダが咲いていたようです。



パースの真っ青な空を背景に広い大地に咲いていた、大きな大きなジャカランダの木とは少々違っていましたが・・・
鎌倉の細い路地の先の、普通のお宅のお庭に咲いていたのが印象的でした。



私も翌日カメラを持って、両親の施設に出かけたついでに足を延ばしてみてきましたが・・・
高い所に咲いているお花のすぐそばには電線が何本も走っていて、ちょっと可哀想でした。

そして望遠レンズを忘れて、標準レンズだけしか持って行かなかった私・・・
高い所に咲いているお花は全く写せませんでした
(パースで見たジャカランダは、目の前の一番下の枝までビッシリと咲いていたんですよ~~~)

これだけでは絵にならないので、今我が家で咲いているお花も加えます

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ネジ花です。マウスオンでご覧下さい

梅雨明け真近かの蒸し暑さで頭がボォォ~っとしているのか?
それとも加齢でボケてきたのか?
最近の私、忘れ物が多いです


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こちらは「アカパンサス」
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい

先日、横浜のデパートに行った帰りに電車のドァーに挟まれ、右側の肋骨と太ももに強い衝撃を受けました。
日傘を忘れたのに気づき、電車を降りかけていたのを慌てて戻ったのです。

黒いレースの日傘は15年間勤めた銀行を退職した時、職場のみんなからプレゼントされた大事なもので・・・
結局、電車ではなくデパートのトイレに忘れていて、ちゃんと私の元に戻りましたが
この所胸が痛くて、チョット気になります。

胸が痛い経験は中学生時代の初恋のせつない片思い
そして30代の終り頃、札幌を離れる時に泊まった定山渓温泉のホテルで、そのホテルの社長ご夫妻がラウンジで歓待してくれたとき、何故か私が履いていたスリッパがトイレ用だったの

それから胸がジワヮヮ~と痛かったのは3年前に親を施設に入れた時
そんな思い出が蘇りますが・・・

今回はまさに「胸」そのものが痛みます。
続くようだったら病院に行かなくては・・・


ジャカランダのお花に興味のある方はこちらこちらをご覧下さい。
叉・・・
我が家から簡単に行ける所では、熱海の海岸「お宮の松」の近くでも、ジャカランダが咲いているそうですよ。

ジャカランダのお花を見て、パースを思い出しました。
次回からはパースシリーズに戻りたいと思います。





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